WEB世界

岩波書店の雑誌『世界』のWebマガジン

MENU

戦争の起源・NATOの役割 ——ウクライナの将来シナリオ

はじめに   マルチェロ・ムスト 2022.7

 ウクライナでの戦争が始まって4カ月。国連人権高等弁務官事務所によると、すでに4,500人以上の市民が死亡し、約500万人が家から追い立てられて難民となることを強いられている。この数字には軍人の死者数は含まれていないが、ウクライナ側で少なくとも1万人、ロシア側ではおそらくそれ以上が亡くなっている。さらには、ウクライナ国内でも避難生活を送る人々が数百万人いる。ウクライナ侵攻によって、都市や民生インフラが大規模に破壊されており、その再建には数世代もかかる見込みだ。またそれと同時に、マリウポリ包囲の際にロシア軍が犯した犯罪を筆頭に、重大な戦争犯罪が引き起こされている。

 そこで私は、この戦争の開始以来なにが起きているのかを概観したうえで、NATOの役割についての考察を深め、これから起こりうるシナリオを考えていくことを目的として、座談会を開催した。参加者はマルクス主義の伝統を継ぐ、世界的にも名の通った3人の学者、エティエンヌ・バリバール(キングストン大学現代ヨーロッパ哲学研究センター記念議長教授)、シルヴィア・フェデリーチ(ホフストラ大学政治哲学名誉教授)、ミシェル・レヴィ(フランス国立科学研究センター名誉研究部長)である。以下の議論は、ここ数週間のEメールや電話による数多くのやりとりをまとめて組み上げたものである。

 


マルチェロ・ムスト(MM):ロシアによるウクライナ侵攻は、戦争という残虐さをヨーロッパに呼び戻すと同時に、ウクライナの主権に対する攻撃にどう対応するのかというジレンマを世界に突きつけていますね。

ミシェル・レヴィ(ML):プーチンがドネツク地方のロシア語を話すマイノリティを保護しようとしていた限りでは、彼の政策にはまだ多少なりとも合理性があったと言えるでしょう。NATOの東欧への進出に反対していたことについても同様です。しかし、ウクライナへのこの侵攻は、都市への一連の爆撃や数千人規模の民間人の犠牲者をともなう残虐なものであり、犠牲者には老人や子どもも含まれている。これはいかなる正当化もできません。

エティエンヌ・バリバール(EB):いま眼前でくり広げられている戦争は「総体的」なものであり、非常に強力な隣国の軍隊によって行われる破壊と恐怖の戦争です。そして、ロシア政府はこの戦争をきっかけに、後戻りのできない危険を冒しながらも帝国主義を推し進めようとしている。ただちになすべきことは、ウクライナ人が抵抗を続けられるようにすること、そして抵抗を支援することです。その際には、感情的に支援表明するにとどまらず、行動をともなうことで、ウクライナ人が現実的に支援を受けていると感じられるようにする必要があります。求められているのはどのような行動なのか? これが戦術的な議論の出発点となり、「防衛面」と「攻撃面」の有効性と危険性を見極めていくことになります。とはいえ「ひとまず静観する」というのは選択肢にはなりません。

ムストウクライナの抵抗の正当性を認める一方で、同じく決定的な問題となっているのは、ヨーロッパが戦争の当事者とみなされるのを回避し、第三者の立場から武力紛争の終結に向けた外交的イニシアティブにどれほど貢献できるか、というものです。それゆえ、ここ3ヶ月間は好戦的なレトリックが展開されていたにもかかわらず、世論は、ヨーロッパは戦争に参加すべきではないという方向に傾いています。その第一のポイントは、ウクライナ国民がこれ以上苦しむ状況を作り出さないことです。危惧すべきは、すでにロシア軍の迫害を受けているなかで、ウクライナがNATOから武器を受け取り、駐屯地と化してしまうことでしょう。ワシントンの面々はロシアの恒久的な弱体化とヨーロッパのアメリカに対する経済的・軍事的依存の拡大を望んでいるのであり、駐屯地化したウクライナはワシントンのために長期の戦争に従事することになる。もしそうなれば、紛争はウクライナの主権を完全かつ正当に防衛するという目的は達成されません。当初からウクライナへの重火器輸送が戦争の危険なスパイラルを引き起こすことになると非難していた人々は、現地で毎日発生している暴力を知らないなんてことは絶対にないし、ロシアの軍事力に屈してウクライナ住民を見捨てることを望んでいるわけでもないでしょう。「非同盟」は、中立性や等距離の確保を意味するものとして風刺されますが、そうではありません。「非同盟」は原理上の平和主義という抽象的な問題ではなく、外交的オルタナティヴという具体的な問題なのです。このことが示唆しているのは、現状において鍵となる目標、つまり平和を回復するための信頼できる交渉を開始するという目標に近づけるのかという観点から、あらゆる行動や宣言を慎重に検討する必要があるということです。 

シルヴィア・フェデリーチ(SF):ジレンマなんてありません。ロシアのウクライナに対する戦争は非難されなければならないのです。町を破壊し、罪のない人々を殺害し、何千人もの人々に恐怖の中で生活することを強いているという事実はなにをもってしても正当化できません。この侵略行為によって侵害されたものは、主権にとどまらずそれをはるかに超えています。しかし私は同時に、アメリカとNATOによる多くの作戦がこの戦争を醸成するのに貢献したこと、そしてアメリカとEUがウクライナに武器を送ることを決定して戦争を延々と長引かせていることも非難する必要があると思います。アメリカが、ロシアに対してNATOが国境を侵略しないことを保証していればロシアの侵攻を阻止できたことを考えれば、ウクライナへの武器供与には特に異議を申し立てるべきです。

戦争に対し、私たちはどのような「援助」をするのか

ムスト戦争が始まって以来、主要な論点の1つとなっているのがどういう種類の援助をするかという問題です。ウクライナ人がロシアの侵略から身を守ることができる一方で、しかしウクライナのいっそうの破壊と国際的な紛争拡大につながることがないような援助はどのようなものか。この数ヶ月、この問題が論争の的になってきましたが、ゼレンスキーが要求しているのは、ウクライナ上空の飛行禁止区域の設定、ロシアへの経済制裁の水準、そして何よりウクライナ政府への武器供与の妥当性を認定することでした。ウクライナの犠牲者を最小限にとどめ、これ以上のエスカレーションを防ぐために、どのような決断が必要だとお考えでしょうか。

レヴィ現在のウクライナには、民主主義の欠如、ロシア語を話すマイノリティの抑圧、「西洋崇拝」などに関して多くの批判が浴びせられています。しかし、ロシアの侵略が残虐かつ犯罪的な方法で国民の自決権を蔑ろにするなかで、ウクライナの人々が自分たちを守る権利を否定することは誰にもできません。

バリバール私は、ロシアの侵略に対するウクライナの戦争は、強い意味での「正しい戦争」であると言いたい。この用語が問題含みなカテゴリーであり、西側諸国ではごまかしや偽善、あるいは悲惨な妄想と切って離せない長い歴史を持っていることは承知の上ですが、それでもこれ以外にふさわしい用語はないと思うのです。そのため、私が「正しい」戦争という用語を採用するときにはっきりさせておきたいのは、「正しい」戦争とは、侵略から自分たちを守る人々の正当性を国際法の基準に照らして認めるだけでは不十分であり、被侵略側にコミットする必要がある戦争であるということです。そしてそれは、あらゆる戦争――あるいは現在の世界状態において起こるあらゆる戦争――を容認しない私のような人々や、その戦争から甚大な被害を被る人々でさえ、積極的に関与しないままでいるという選択肢を持たないような戦争なのです。というのも、関与しないという選択肢によって事態はなおさら悪化するからです。そのため、熱烈にではないとはいえ、私が選ぶのはプーチンに抵抗するという立場です。

ムストいまおっしゃった精神は理解しますが、私は衝突の全面化を回避する必要性、つまり和平合意に至る緊急性をより重視しています。和平まで時間が長引くほど、戦争がさらに拡大する危険性が高まります。ウクライナで起きていることから目をそらし、無視しようと思う人はいません。しかし、ロシアのような核保有国が当事者となっている状態で、かつ同国内で大規模な平和運動が活発になっていない以上、プーチンとの戦争に「勝利」できると考えるのは幻想であると認識しなければならないでしょう。

バリバール核を含む軍事的エスカレーションは非常に懸念すべき点です。それは恐ろしい事態であり、考慮外に置くことができないのは明らかです。しかし、平和主義というのは選択肢にはない。目下求められているのは、ウクライナ人の抵抗を支援することです。「不干渉」の立場を再び演じようとするのはやめましょう。いずれにせよEUはすでに戦争に巻き込まれています。軍隊は派遣していないとしても、武器は提供しているのであり――私はそうすべきだという立場です。こうした行為は介入の一形態でしょう。

ムスト5月9日、バイデン政権はウクライナ民主主義防衛・レンドリース法を承認し、400億ドル以上の軍事・財政支援パッケージがウクライナに提供されることになりました。これにEU諸国からの援助を加えると途方もない金額となり、戦争を長引かせるために必要な資金提供を意図しているようにも思えます。6月15日、バイデン自身がアメリカからさらに10億ドル相当の軍事支援を提供すると発表したことで、この印象は強められました。アメリカとNATOからハード面におけるかつてないほど大量の供給を受けたことで、ゼレンスキーは一番必要であるロシア政府との対話を先延ばしにし続けている。さらに、過去の戦争では供給された兵器が後に他者によって別の目的のために使用されたことも多く、それをふまえれば、武器の輸送はウクライナ領土からロシア軍を追い出すためだけに役立つという見解に疑問を呈するのは一理あると思います。

フェデリーチ私は、アメリカとEUがロシアに対して、ウクライナをNATOに加盟させないことを保証することが最善策だと考えています。これはベルリンの壁崩壊の際にゴルバチョフに対して約束されたことですが、文書化はされていない状態です。しかし残念ながら、アメリカが解決策を模索するメリットはありません。アメリカの軍事・政治権力機構の大部分は、何年も前からロシアとの衝突を提唱し、その準備を進めてきました。そしてこの戦争はいまや、石油採掘の大推進を正当化し、地球温暖化に対するあらゆる懸念をそっちのけにするのに都合よく利用されています。バイデンはすでに、アメリカ先住民の土地での採掘を中止するという選挙公約を反故にしている。私たちはまた、何十億ドルものお金が、何千人ものアメリカ人の生活を改善するために使われることもできたのに、そうではなくアメリカの軍産複合体に送金されるのを目撃しています。軍産複合体はこの戦争における圧倒的な勝者の一員です。戦闘をエスカレートさせても平和が訪れることはありません。

ロシアの侵攻に対して左派はどう反応したのか

ムストロシアの侵攻に対する左派の反応に議題を移していきましょう。少数派で規模も小さいとはいえ、ロシアの「特別軍事作戦」を明確に非難することを拒んだ一部の組織は、大きな政治的過ちを犯しました。なによりもこの過ちによって、NATOやその他の国々によって将来引き起こされるかもしれない侵略行為を非難する際の信憑性が低下してしまいます。ここには、政治を一面的にしか捉えることができない、イデオロギー的に視野の狭い見方が映し出されています。まるで、すべての地政学的な問題は、アメリカを弱体化させるという観点だけで評価されるべきだと考えているかのようですね。

同時に、その一部を除いたとしても、あまりにも多くの左派がこの戦争において協同戦者となる誘惑に多かれ少なかれ、屈しています。私は、社会主義インターナショナルやドイツの緑の党、アメリカ民主党の数名の進歩的代表者が表明した立場に驚いたわけではありません――とはいえ、つい先日まで平和主義者であると宣言していた人々が突如として軍国主義に転向するのは、つねに耳障りで不快なものです。私が念頭に置いているのはそれらの勢力ではなく、いわゆる「ラディカルな」左派の多くの勢力であり、それらの勢力はここ数週間、ゼレンスキー支持の大合唱のただなかで、はっきりとした表明を一切していない。進歩的な勢力は、戦争に反対しないのであれば自らの存在理由のうちの本質的な部分を失ったことになり、反対陣営のイデオロギーを飲み込むという結末を迎えることになってしまったのです。

レヴィまず、プーチンによるウクライナ侵攻の「正当化」の一つが反共の議論であったことを思い起こすところから始めたいと思います。開戦前の2月21日に彼が行った演説で、ウクライナは「すべて、ボリシェヴィキと共産主義のロシアによって創られた」、またレーニンはこの国の「作者であり建築家」だと述べました。プーチンはウクライナを併合することで、ボリシェヴィキ以前の「歴史的ロシア」、つまりツァーリズム時代のロシアを復活させるという野望を表明したのです。

バリバールレーニンはウクライナのナショナリズムに破滅的な譲歩をしたのであり、もしそうしなければ独立したウクライナは存在しなかったはずだ、なぜならばウクライナの土地はそこに住む人々からロシアの一部と見なされていたからだ、とプーチンは言っています。それは、レーニンに対抗してスターリン支持の立場に立つということです。もちろん、よく知られている「民族」問題については、私はレーニンが正しかったと思います。

ムストレーニンが書いているのは、ある民族が帝国主義の権力から自らを解放しようとする闘争は、他の帝国主義権力によってその国の利害のために利用されるかもしれないが、そのことを理由に民族自決権を支持する左派の方針が変わることがあってはならない、ということです。進歩的な勢力は歴史的にこの原則を支持し、それぞれの国家が住民の示した意志に基づいて国境を設定する権利を擁護してきました。

レヴィギリシャやチリの共産党のようにソ連社会主義に最もノスタルジーを感じる政党も含め、世界の「ラディカルな」左派政党の大多数が、ロシアによるウクライナ侵攻を非難しているのは偶然ではないでしょう。残念ながらラテンアメリカでは、左派の重要な勢力やベネズエラ政府をはじめとする複数の政権はプーチンの側につくか、あるいはブラジル労働者党のルーラ党首のようにある種の「中立」の立場にとどまっています。左派にとっての選択は、レーニンが主張したような人々の自決権を取るか、他国を侵略し併合しようとする帝国の権利を取るかのどちらかです。両方を選択することはできません。それらは相容れない選択肢なのです。

フェデリーチアメリカでは、コードピンクをはじめ社会正義運動やフェミニスト組織のスポークスパーソンがロシアの侵略を非難しています。しかし指摘しておくべきなのは、アメリカとNATOが民主主義を擁護するというのは、アフガニスタンやイエメンでの、またサヘルにおけるアフリコムの作戦での記録を踏まえると、かなり都合のよい話であるということです。そしてその記録のリストはまだまだ長くなるでしょう。ウクライナにおけるアメリカによる民主主義擁護が偽善であるということは、イスラエルが残忍な方法でパレスチナを占領し、パレスチナ人の生活を絶え間なく破壊している事態に直面したアメリカ政府が沈黙を貫いていることも考慮すれば明らかです。同時に指摘しておきたいのは、アメリカはラテンアメリカからの移民に門戸を閉じた後にウクライナ人に門戸を開くという動きをしていますが、どちらの国かに関係なく、多くの人にとって自国から逃げることは生死にかかわる問題であるということです。左翼について言えば、オカシオ=コルテスを筆頭に議会の左派がウクライナへの武器送付を支持したことは間違いなく恥ずべきことです。また、ラディカルなメディアには、議会レベルで語られることについてもっと探究心を持ってほしいと思います。たとえば、なぜウクライナの戦争によって「アフリカが飢えている」のか? アフリカの国々がウクライナの穀物に依存するようになったのは、どのような国際政策によるものなのか? 「アフリカをめぐる新たな争奪戦」として人々の話題にのぼるようになった、多国籍企業の手による大規模な土地収奪になぜ触れないのか? もう一度、問いかけます――誰の命に価値があるのか、そしてなぜ一定の種類の死だけが憤りを引き起こすのだろうか。

NATOは世界の安全保障問題の「解決策」にはなり得ない

ムストロシアによるウクライナ侵攻を受けてNATOへの支持が高まるなかで――フィンランドとスウェーデンの正式な加盟申請がそのことを明白に示していますね――、世論がその流れに反して世界最大かつ最も攻撃的な戦争機械(NATO)は世界の安全保障の問題に対する解決策ではないとみなすような状態に持っていくためには、さらなる努力が必要です。しかし、NATOはこうした話のなかで再び自らが危険な組織であることを示している。自身の拡大と一極支配の推進により、世界中で戦争につながる緊張を高めているからです。しかし、ここにはパラドクスがあります。この戦争が始まってほぼ4ヶ月が経過したいまだから明確に言えますが、プーチンは軍事戦略を誤っただけでなく、影響力の及ぶ範囲に制限をかけたかった敵であるNATOを、国際的なコンセンサスの観点からみたときでさえ強化してしまうという事態を招いているのです。

バリバール私は、NATOは冷戦終結時、ワルシャワ条約の解体と同時に消滅すべきだったと考えている一人です。しかし、NATOは対外的な機能を持つだけではありません。おそらくこちらがメインの機能ですが、西側陣営を、家畜化するとまでは言わないまでも馴致する機能も持っていました。これらはすべて、帝国主義と間違いなく結びついています――NATOとは、広義のヨーロッパがアメリカ帝国に対して真の地政学的自律性を持たない状態を保証する道具の一部なのです。これが、冷戦後もNATOが存在し続けた理由の一つです。そして、その結果は世界全体にとって厄災であり続けているということに異論はありません。NATOは自身の勢力圏でいくつかの独裁政権を強化しました。また、あらゆる種類の戦争を庇護し、あるいは容認しました。そのなかには、人道に対する罪を含む醜悪な殺人が行われたものもあります。現在のロシアを起点とする事態によって、NATOに対する私の考えが変わることはありません。

レヴィNATOはアメリカが支配する帝国主義組織であり、数え切れないほどの侵略戦争に対する責任を負っています。冷戦によって生まれたこの政治的・軍事的怪物を解体することは、民主主義にとっての根源的な必要条件です。近年は弱体化しており、新自由主義者であるフランス大統領マクロンは2019年、同盟は「脳死状態」であると宣言しました。残念なことに、ロシアによる犯罪的なウクライナ侵攻によってNATOは蘇生してしまった。スウェーデンやフィンランドといったいくつかの中立国は、いまやNATOへの加盟を決定しています。ヨーロッパに駐留している米軍も大規模です。2年前、トランプからの激しい圧力に抗して軍事予算の増額を否決したドイツは最近、再軍備のために1,000億ユーロの支出を決定しました。緩やかに衰退していき、もしかしたら消滅してしまったかもしれない状態からNATOを救ってくれたのは、プーチンなのです。

フェデリーチロシアによるウクライナ戦争によって、NATOにおける拡張主義や、EUとアメリカの帝国主義政策に対するNATOの支援に関して、大きな記憶喪失が生み出されてしまったことは懸念すべきポイントです。より最近の作戦に言及するために、いまこそダニエル・ガンサー著『NATOの秘密部隊』を読み直し、NATOによるユーゴスラビア爆撃、そのイラクでの役割、リビア爆撃と崩壊を主導したことについて、記憶を呼び起こすべき時です。NATOが擁護するふりをしている民主主義を完全にまた生来無視している例は、数え上げればきりがありません。私は、ロシアがウクライナに侵攻する前の時点でNATOが衰弱していたとは思っていません。むしろ、反対でしょう。東ヨーロッパを超えてアフリカまで進出していることは、衰退とは真逆の事態を示しています。

ムストこの記憶喪失は、政府内の左派勢力の多くに影響を与えているようですね。フィンランドの左翼同盟は最近自身の歴史的原則を覆し、議会内の多数派がNATOへの加盟に賛成票を投じました。スペインでは、ポデモス連合の多くが議会全体に広がるウクライナ軍への武器供与賛成の合唱に加わり、6月29日から30日にかけてマドリードで開かれるNATO首脳会議に伴う軍事費の大幅増額を支持しました。もし政党が勇気を持ってこのような政策に対して大声で反対しなければ、ヨーロッパにおけるアメリカ軍国主義の拡大に自ら貢献することになる。左派政党は過去に幾度となく、機会が生じればただちに、このような従属的な政治行為によって弾圧されてきました。それには、投票所の封鎖も含まれます。

バリバールヨーロッパにとって最善なのは、自分たちの領土を守れるだけ強力になり、かつその領土にとって有効な国際安全保障のシステムが存在すること、つまり国連が民主的に組織し直され、国連安全保障理事会の常任理事国は持つ拒否権から解放されることでしょう。しかし、NATOが安全保障システムとして台頭すればするほど、国連は衰退していく。コソボ、リビア、そしてなにより2013年のイラクにおいて、アメリカとNATOの目的は当初から、国連の調停能力、規制能力、そして国際司法能力を低下させることにあったのです。

ムストメディアが語るストーリーはまったく違っていて、NATOが暴力や政情不安に対する唯一の救世主であるかのように描かれていますね。ここでもう一つ指摘しておくべき点として、ロシア恐怖症がヨーロッパ全域に広がり、ロシア市民が敵意と差別を経験しているという事態もあります。

バリバール大きな危険性は、おそらくクラウゼヴィッツが戦争における「道徳的要素」と呼んだものに関する危険性が主要になるでしょう。それは、ウクライナ人に対して当然に抱く同情的な世論を、一種のロシア恐怖症支持へと動員する誘惑です。メディアは、ロシアとソ連の歴史に関する中途半端な真実でこの誘惑を援護し、ロシア住民の感情と現在の寡頭政治体制のイデオロギーを意図的にあるいは無意識に混同してきました。体制側や指導者とのつながりが証明された芸術家や文化機関・学術機関に対する制裁やボイコットを求めるというのも一つの方法でしょう。しかし、戦災を逃れる数少ないチャンスの一つがロシアの世論そのものにかかっている、というのが事実だとすれば、ロシア文化自体に汚名を着せるのはやり過ぎでしょう。

ムスト個人に対する制裁の多くは、特に厳しく、逆効果です。ロシア政府の政策に支持を表明したことのない人々も、戦争に対する実際の意見はどうであれ、ロシアに生まれたというだけの理由で標的にされています。こうした措置は、ナショナリズムを煽るプーチンのプロパガンダにさらなる燃料を供給し、ロシア市民を政府支持の列に並ばせることになりかねません。

バリバールプーチンのロシアのような警察国家・独裁国家の市民に対して、もし私たちの「民主主義」に歓迎され続けたいのなら「立場を選べ」と要求するのは、率直に言って非道です。

レヴィその通りですね。ロシア恐怖症は拒絶されなければなりません。それは、他の形態の排外主義的ナショナリズムと同様、深刻な反動的イデオロギーです。加えて、左派インターナショナリストであるならば、ロシアによる侵略に対するウクライナ住民の抵抗を支持するのみならず、プーチンのウクライナに対する犯罪的な戦争に反対する多くのロシア人――個人、新聞社、組織――に対して連帯を示すことも重要です。ロシアのさまざまな政治団体や政党が左派であることを主張し、最近ではウクライナに対する侵略戦争を非難する宣言を発表していますが、まさにこのようなケースにおける連帯が求められます。

私たちが目指すべき「もうひとつの」世界

ムスト最後にお聞きしたいのですが、戦争の行方は今後どうなり、また将来起こりうるシナリオはどのようなものになると考えますか。

バリバールこれからの展開については、ひどく悲観的になるほかないでしょう。私自身もそうですが、戦災を回避できる可能性はごくわずかだと思っています。その理由は、少なくとも三つあります。第一に、エスカレートする可能性が高いこと。とりわけ侵攻への抵抗がなんとか続いた場合には、使われるのは「通常兵器」だけにとどまらなくなるでしょう。「通常兵器」と「大量破壊兵器」との境界は非常にあいまいになっているからです。第二に、もし戦争がある「結末」を迎えたとして、それはどんなものであれ凄惨なものとなること。もちろん、プーチンがウクライナの人々を粉砕し、それをバネに同様の企みをくり返すことで彼の目的を達成できたとすれば凄惨であるし、あるいはまたプーチンが停戦と撤退を強いられ、ブロック政治が復活し、世界が冷戦状態に陥ることになったとしても同様です。いずれの結果もナショナリズムと憎悪を再燃させ、それが長期にわたって続くことになります。第三に、この戦争とその後の展開は、気候危機に対して地球規模の動員を行うための足かせになること。実際、現在の戦況は気候危機を加速させているし、多すぎる時間が無駄に費やされてしまっています。

レヴィ私も同じ考えで、特に気候変動との闘いの遅れを懸念しています。戦争に関わるすべての国は軍備競争に走るばかりで、いまや気候変動との闘いは完全に周辺化されているからです。

フェデリーチ私も悲観的です。アメリカを筆頭にNATO諸国は、NATOがロシアの国境に至るまで拡大しないことをロシアに保証するつもりはないでしょう。そのため、この戦争はウクライナとロシアにとっても、それ以外の国々にとっても凄惨な結果をもたらし続けるでしょう。これから数ヶ月で他のヨーロッパ諸国がどのような影響を受けるかがわかってくると思います。私は、世界の多くの地域ですでに現実となっている恒久的な戦争状態の拡大と、これはもう一度言いますが、社会の再生産を支えるために必要な資源が再び破壊的な目的のために転用される、という以外の将来シナリオを想像できません。街頭に出てストライキを行い、あらゆる戦争に終止符を打とうとする大規模なフェミニスト運動がないことに心を痛めています。

ムスト私も、戦争はすぐには終結しないと感じています。「不完全」であっても即時の和平を結ぶのが敵対行為を長引かせるよりも望ましいのは確かですが、現場ではあまりにも多くの勢力がそれぞれ異なる結果を求めて動いている状態です。国のトップが「ウクライナが勝利するまで支援する」と宣告するたびに、交渉の展望はさらに遠のいてしまう。しかし私は、NATOから追加補給を受け間接的に支援されているウクライナ軍にロシア軍が対峙したまま、戦争が終わりなく継続する方向に向かっていく可能性が高いと思います。左派は外交的解決を求めて、そして軍事費の増加に反対して力強く闘うべきです。軍事費の代償は労働界に降りかかり、さらなる経済的・社会的危機をもたらすでしょう。もしこれが将来起こるとすれば、利益を得るのは極右政党です。極右政党は最近、これまで以上に攻撃的かつ反動的なやり方でヨーロッパの政治討論に自らの刻印を刻み込んでいます。

バリバール前向きな展望を推し進めるためには、私たちの目標はロシア人とウクライナ人、そして私たち自身に利するような形でヨーロッパを再編することでなければならず、その際、複数のネイションとナショナリティについての問題を完全に再考しなければなりません。さらに野心的な目標は、世界に開かれた多言語・多文化の大ヨーロッパを創出し、発展させることでしょう。EUの軍事化は短期的には避けられないと思われますが、軍事化に代わって私たちの未来の価値を創り出していくのです。大ヨーロッパの狙いは、現状のままでは私たちの行動が震源となって発生するであろう「文明の衝突」を回避することにあります。

レヴィそれ以上にポジティブな意味で野心的である目標として、資本主義の寄生的な寡頭政治から脱却した違う形のヨーロッパとロシアを想像すべき、という提案をしましょう。ジャン・ジョレスの格言「雲が嵐を運んでくるように、資本主義は戦争を運んでくる」がかつてなく的を射ているのが現在です。大西洋からウラル山脈までの地域におよぶ、もう一つのヨーロッパにおいてのみ、社会的でエコロジカルなポスト資本主義が実現し、平和と正義が確かなものになるのです。このシナリオは実現可能でしょうか? それは私たち一人ひとりにかかっているのです。


解説      佐々木隆治

 本座談会の主催者であるマルチェロ・ムストは、有名なマルクス研究者であるとともに、種々の国際カンファレンスや国際研究プロジェクトのコーディネーターとしても知られている。日本のマルクス研究者とも交流があり、ムスト自身が企画した本座談会の原稿が訳者の斎藤幸平氏と筆者のもとに送られ、日本語での紹介に至ったものである。アメリカの『ジャコビン』誌ほかでも掲載されている。この座談会の発言が示唆しているように、彼は一貫して古典的マルクス主義のインターナショナリズムの立場からの発信を続けている。

 座談会参加者の3人は、ムストも書いているとおり、いずれも世界的に著名な研究者である。エティエンヌ・バリバールはフランスのマルクス主義哲学者であり、日本でも多くの著作が翻訳されている。『マルクスの哲学』(法政大学出版局)やアルチュセールらとの共著『資本論を読む』(ちくま学芸文庫)などの哲学的な著作だけではなく、『ヨーロッパ、アメリカ、戦争』(平凡社)などの政治学著作でも知られ、EUにおけるレイシズムや移民にかんする諸問題にたいして積極的な発信を行っている。

 シルヴィア・フェデリーチはイタリア出身のマルクス主義フェミニストであり、『キャリバンと魔女』(以文社)などの著作で知られる。「家事労働に賃金を」運動を組織するなど社会運動にも精力的に携わり、今般のウクライナ侵攻にたいしても、ロシアのフェミニストが起草した「戦争にたいするフェミニストのレジスタンス」というマニフェストに署名している。80年代には3年間ナイジェリアで教鞭をとっており、このときの経験が明確な植民地主義批判の視点を与えていることは、本座談会からも見て取ることができる。

 ミシェル・レヴィはフランス在住のマルクス主義社会学者であり、日本では『世界変革の政治哲学』や『エコロジー社会主義』(いずれも柘植書房新社)などの著作で知られている。レヴィはフランスのトロツキスト政党(LCR)に関与する一方で、ウィーンから移住したユダヤ人の子孫としてブラジルのサンパウロで育つというバックグランドをもち、土地なし農民運動(MST)をはじめとして、ブラジルの左派運動を支援し続けている。また、近年では、エコ社会主義のための闘争にも参加しており、この座談会でも気候危機対策への悪影響についての懸念を表明している。

 本座談会の読みどころは、なんと言っても、ロシアのウクライナ侵攻への対応をめぐるマルクス主義者のあいだでの見解の相違ないし対立であろう。フェデリーチのように、戦争の主要な原因を米国及びNATOの拡大政策に求め、ウクライナへの武器供与に反対する立場にたつのか、それとも、バリバールのようにNATOを批判しつつもヨーロッパ左翼がその発展に寄与してきた「ヨーロッパ的価値」を重視し、ウクライナの抵抗戦争を軍事的に支援すべきとする立場にたつのか。あるいは、レヴィのように反植民地主義および反帝国主義の立場にたちながらもレーニン的な民族自決権の論理をウクライナに適用し、国家主権に依拠した軍事的抵抗を擁護するのか、それとも、ムストのように、原則的なインターナショナリズムの立場から反戦を貫き、国際的な民衆運動の連帯をつうじて平和への展望を見出そうとするのか。

 日本ではそもそもマルクス主義者による意見表明そのものが少なく、相互の論争はほとんどなされていないだけに、これらの論点から多くの示唆を得ることができるはずである。深刻化するウクライナ情勢について改めて再考するための材料となれば幸いである。

 

佐々木隆治 プロフィール

1974年生まれ。立教大学経済学部准教授。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。日本MEGA編集委員会編集委員。著書に、『マルクスの物象化論 新版』(堀之内出版、2021年)、A New Introduction to Karl Marx, Palgrave Macmillan, 2021、『マルクス 資本論』(角川選書、2018)、『カール・マルクス』(ちくま新書、2016)、『私たちはなぜ働くのか』(旬報社、2012)、『ベーシックインカムを問いなおす』(共編著、法律文化社、2019)、『マルクスとエコロジー』(共編著、堀之内出版、2016)、など。


 

 

 

タグ

閉じる