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連載 デルクイ

ぎっくり腰から見えてきたこと

 筋トレの前にストレッチしようとラジオ体操をやっていたら、ギクッときた。もちろん、もうその時点で、まったく動けない。


 やっとのことで、「Help me…(泣)」と小さな声を出して、トレーナーに助けを求めた。トレーナーは爆笑しながらも、腰の下にポールを入れて、1時間半、ギックリ腰のケアをしてくれた。すると、奇跡が起きた。その日私は、自力で立って歩いて、無事に家までたどり着けたのだ。


 ドイツ人のトレーナーは、私が筋トレの前にストレッチをしたことが理解できないと言った。そして、体が温まっていないのにそんなことをしてはいけないと、きつく言われた。

  言われてみればドイツでは、プールに行っても、他のどんな運動施設に行っても、日本のように準備体操をしている人を見たことがない。何の準備運動もしないままザブンとプールに入る人を、大丈夫なんだろうかと見ていたのだが、今はみんなが、足を引きずっている私を心配している。こちらでは、筋トレ、ストレッチ、有酸素運動、ストレッチの順で行なうのだという。

 ジム通いは日課

「富国強兵」の手段としてのラジオ体操


 それがいいのか悪いのかよく分からないまま、ベルリンにある地域の美術館で日本のラジオ体操の展示をやっていたと聞いたので行ってみた。どうやら、戦前の日本の軍国主義についての展示として行われていたようだ。過去の展示の資料を開いたとき、日本による支配の象徴としての「ラジオ体操」が掲載されていたのだ。そこで軍国主義の三つ子として紹介されていたのが、「日本」「台湾」「韓国」だった。


 日本のラジオ体操は、欧米人に劣らない体格を作るためにと、まず富国強兵政策の一環として導入され、その後、国家と一体化した国民意識を養成する手段として活用された。それが、やがて日本国内だけでなく帝国日本の旧植民地にも持ち込まれ、日本による支配を象徴するものの一つでもあったという。そんな軍国主義の象徴が、今でもこれら三つの国で残っていることに対する、問いかけの展示でもあったようだ。 国民統合手段の一つとしての「ラジオ体操」かぁ…。


 そういえば、民族学校から日本の中学校に転入したとき、劣等生が担当することになっている「運動委員」に指名されたのだが、ラジオ体操がどんなものか分からなくて、みんなの前に出てもできず、お前は勉強もできないのにラジオ体操もできないのか、というような軽蔑の眼差しで見られたことがあったなぁ…。

 日韓中三国のラジオ体操の様子を記した展示資料


 みんなが知っていて当然、という前提としてのラジオ体操がそこにはあった。あのときは「日本」という枠から真っ当にはみ出していたのに、気がつけば今では、朝起きるとラジオ体操、デスクワークが続くとラジオ体操、運動の前にラジオ体操と、まるで少国民のようになってしまっている。日常の「当たり前」に、少しだけ、これはなぜなんだろうという眼差しを向けることが、人間性を失わないために必要なんだろうなぁ、と、あらためて思った。


 そんなことを口にしたら、AIのプログラマーから、「シンさん、それが物理ですよ」と言われて、「???」と混乱状態におちいった。


 ここで、どうして「物理」が出てくるのか。研究者の頭って、どうなっているんだろうか。この解説は次回(または気が向いたときに)。




 

 

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著者略歴

  1. 辛淑玉

    1959年、東京生まれ。在日三世。人材育成コンサルタントとして企業研修などを行なう。ヘイト・スピーチに抗する市民団体「のりこえねっと」共同代表。2003年、第15回多田謡子反権力人権賞、2013年、エイボン女性賞受賞。著書に、『拉致と日本人』(蓮池透氏との対談、岩波書店)、『怒りの方法』『悪あがきのすすめ』(岩波新書)、『鬼哭啾啾』(解放出版社)、『差別と日本人』(野中広務氏との対談、角川書店)など多数。

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