【特別公開】ナクバという《ジェノサイド》——抗すべきは「大量虐殺」だけではない(岡 真理)
※『世界』2025年1月号収録の記事を特別公開します。
ガザ、「ヒューマニティ」の実験場としての
二〇二三年一〇月七日のハマース主導による奇襲攻撃を端に、報復として始まったイスラエル軍によるガザ攻撃を、ホロコーストとジェノサイド研究の専門家が「教科書に載せるような典型的ジェノサイド」と断じたのは、攻撃開始から一週間とたたない一〇月一三日のことだ。一一月二日、国際人権NGO、ユーロメッド人権モニターの発表によれば、一カ月足らずでガザに加えられた攻撃は火薬の量に換算して、広島型原爆二個分に相当する。死者は一カ月で一万人を超えた。その四割が一四歳以下の子どもだ。
その攻撃が日々、死傷者の数を更新させながら、四〇〇日が過ぎてなお続く。合衆国の度重なる兵器の追加援助に支えられて。二〇二四年一一月二一日、即時の無条件かつ恒久停戦と人質の解放を求める安保理決議案は、理事国一五カ国のうち一四カ国が賛成するも、またしても米国の反対で否決。バーニー・サンダース上院議員が提出した一部米国製兵器のイスラエルへの売却禁止案も、同日、反対多数で否決された。
四〇〇日後の現在、直接的攻撃による死者は遺体が確認された者だけで四万四〇〇〇人を超える。瓦礫の下から遺体がまだ収容されていない者、身元不明のまま集団墓地に埋葬されてしまった者、射殺され、遺体が路上で朽ち果てた者など、行方不明者は一万人にのぼる。病死や餓死など間接的死を含めれば、死者の数はその何倍にもなる(1)。「世界最大の野外監獄」と呼ばれたガザは、今やひとつの巨大な集団墓地、巨大な絶滅収容所と化した。そして、これまでつねにそうであったように、新兵器の実験場でもある。あるいは、「ヒューマニティ」という言葉が何を意味するのかの実験場だと言うべきかもしれない。
生の基盤の全般的かつ組織的な破壊
この四〇〇日余り、ガザで起きていることは、ジェノサイド条約の定義に照らして紛れもない「ジェノサイド(大量殺戮)」である。ガザの各地で毎日、合計すれば数十人が、日によっては一〇〇人を超える者たちが殺されている。マスメディアは一時に大量の人間が殺されたり、大量に建物が破壊されたりする直接的暴力、すなわち戦争にしか興味がないが、その暴力が何カ月も続いて現地の日常となると、それすら報道しなくなる。集団虐殺という非常事態が「日常」となるということ自体が累乗化された非常事態であり、ジャーナリズムの使命とは本来、その非常事態を伝えることにあるにもかかわらず。
だが、ガザでは、人間が単に物理的に大量に殺されているだけではない。
ドミサイド(住宅の大量破壊)
イスラエルは民間人の居住区を組織的かつ広範に爆撃し、住宅を大量破壊している。住宅とともにインフラも破壊され、その地域に居住すること自体が不可能になる。住宅の大量破壊は大量の避難民を生む。攻撃開始から一カ月で、ガザの住宅の四五パーセントが破壊され、二三〇万の住民のうち一五〇万人が自宅を追われて避難民となった(2)(住宅やインフラに対する組織的ないし広範な爆撃は、国際法で禁じられている)。その組織的、広範な住宅破壊が今日に至るまで継続し、ガザ地区の全住宅の六割が、ガザ・シティに至っては七五パーセントが、破壊ないし損壊に見舞われた(3)。
避難民は「安全地帯」とされた避難先でも次々に攻撃に見舞われ、現在、二〇〇万人にのぼる者たちが、避難に次ぐ避難を余儀なくされている(なかには一〇回以上、避難を繰り返している者もいる)。不衛生な環境での避難生活で、A型肝炎をはじめとする感染症が蔓延している(4)。
拉致、拷問、虐待
イスラエル軍はガザの民間人を拉致してイスラエルに連行し、国内の刑務所に拘留している。二〇二三年一〇月七日以降、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人やイスラエルのパレスチナ系市民の逮捕も激増し、一〇月七日以前、イスラエルの刑務所に勾留されているパレスチナ人は五〇〇〇人であったのが、現在は一万人近い。被収容者は虐待や、性暴力を含む拷問にさらされ、判明しているだけですでに、ガザの専門医三名を含む六〇名以上が、拷問や虐待によって殺されている。
戦争の武器としての飢餓
イスラエルは、「飢餓」を戦争の武器として用いている(二〇二四年一一月、国際刑事裁判所が、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント元国防相に逮捕状を発行したが、彼らの戦争犯罪とされた容疑のひとつがこれだ)。攻撃開始以来、イスラエルは、ガザ地区に対する食糧支援の八三パーセントの流入を阻止し(5)、ガザ住民の九六パーセントが深刻な食糧難に直面している。子どもたちの栄養失調については言うまでもない。人々は食事の回数を減らし(数日に一度、それも口にするのはわずかな量だ)、人間の食糧ではないもの―路傍の雑草、馬やロバの飼料、飼料が尽きたのちは痩せさらばえた馬やロバ、そして、路上に放置された遺体で飢えをしのいでいた野良猫や野良犬―を食して命をつなぐ者たちもいる。食料を得るために売買春もおこなわれている。
ガザ北部、とりわけジャバリヤは、二〇二四年一〇月五日の攻囲開始来、一一月二四日現在まで、支援物資が届いていない。当然のことながら餓死者も出ている(6)。イスラエル軍は北部攻囲に際し、住民に退避を勧告し、残る者は戦闘員と見なすとしており、一〇月時点で二〇万人いた住民は一〇万人に半減した(一〇万人が民族浄化されたということだ)。避難するにも、もはやガザ地区内に避難しうる場所などどこにもない。しかし、とどまることは、爆撃で殺されるか、餓死するかを意味する。
メディコサイド(医療システムの組織的破壊)
医療施設、医療従事者に対する攻撃は国際法違反だが、イスラエル軍はガザの医療システム、保健インフラを組織的かつ広範に破壊している。三六あった病院で現在、完全に機能している病院は皆無だ。一九の病院が破壊その他の理由により完全に機能停止し、一七の病院が、部分的に稼働しているが、燃料、医療品、清潔な水が不足し、じゅうぶんな医療活動はおこなえていない。そのため、通常であれば命にかかわらない病気や怪我でも命を落とす者たちがいる。これまでに九〇〇人以上の医療従事者が殺害され、少なくとも三一〇人が拘束され、拷問を受けた。前述のとおり、三人の医師がイスラエルの拘束下で死亡している(7)。
エコサイド(環境破壊)
イスラエルによる攻撃は生物多様性の破壊など自然環境をはじめ、ガザの環境全般を著しく破壊している。ガザ北部は農地の八割が破壊され、漁業はガザの基幹産業だが、漁船もすべて破壊された。家畜の九五パーセント、鶏の九九パーセントが死亡した。攻撃による有毒物質が土壌や地下水を汚染し、爆撃は大気を汚染している。攻撃によるCO2排出量は一年間で、地球温暖化の影響に対してもっとも脆弱な二〇カ国の年間排出量を上回る。ガザの全汚水処理施設や、廃棄物管理のための施設も破壊され、環境汚染と公衆衛生上のリスクが増加している。さらに汚染された水と環境は、下痢や呼吸器感染症などの健康問題を招き、長期的な生存を脅かす(8)。
スコラスティサイド(教育の破壊)
ガザの一二の大学すべてを含む多くの高等教育機関が破壊された。ガザ・イスラーム大学の英文学の教員、リフアト・アルアライールの殺害は、彼が遺した詩「もし私が死なねばならぬのなら」とともに世界に知れ渡ったが、イスラエルはこの間、学長三名を含む、大学教員や研究者ら一〇〇人以上を殺害している(9)。セーブ・ザ・チルドレンによれば、二〇二四年四月時点で、ガザの学校の八八パーセントが破壊ないし損害を受け、破壊を免れている学校は避難民のシェルターとなっており、子どもたちは攻撃開始以来、一年以上にわたり教育機会を奪われている。
文化の虐殺
文化もまた組織的かつ広範に破壊されている。破壊された歴史的、文化的遺跡は二〇〇以上にのぼる。世界最古のモスクのひとつで、エルサレムのアル゠アクサー・モスクに次ぎパレスチナで二番目に古い大オマリー・モスク(その前身は五世紀に建立されたビザンツの教会だ)も、ミサイル攻撃で瓦礫となった。三四〇以上のモスク、五世紀に建立された世界最古のキリスト教会のひとつ、聖ポルフィリウス教会を含む少なくとも三つの教会も損壊ないし破壊された。さらに歴史的な文化遺産を展示する博物館や、劇場や図書館を併設しガザの人々の文化活動の拠点だった文化センター、歴史文書を保管していた文書館なども破壊された。
ジャーナリストの殺害
現在、ガザに外部の記者は入域することができない。ガザのパレスチナ人ジャーナリストたちが、ガザで日々、何が起きているかを外の世界に発信しているが、イスラエル軍は記者を狙い撃ちして殺害している(AIで居場所を特定し、ミサイルを建物に撃ち込み、周囲の者たちもろとも殺すのである)。すでに一六〇名以上のジャーナリストが殺されている(10)。
二〇二四年八月、双子の赤ん坊の出生証明書を父親が病院にとりに行っているあいだに自宅が爆撃され、妻と生後四八時間足らずの双子の赤ん坊の三人が殺害された。医者であった妻は自身のSNSで、イスラエル兵に狙撃され殺された子どもたちの写真を公開していたという(11)(イスラエル軍が子どもを明らかに意図的に狙撃し殺害しているということは、ガザで医療活動をおこなったアメリカ人医師も帰国後、証言している(12))。ジャーナリストだけでなく、ガザにおけるイスラエルの犯罪を外の世界に知らせようとする者は誰であろうと命はない、というイスラエル軍のメッセージである。
《ジェノサイド》とは何であったのか
これが、この四〇〇日余りガザで起きていることのあらましだ。だが、それは、二〇二三年一〇月七日から突然、始まったことではない。数千人規模の殺戮も、住宅の大量破壊も、医療従事者やジャーナリストの殺害も、環境破壊も、文化破壊も、封鎖下のガザで、あるいは西岸で、これまでずっとパレスチナ人の身に起きてきたことだ。それが一〇月七日以降のガザで、桁違いにスケールアップして、誰の目にも明らかな形で起きているのだ。
ここに挙げたもろもろの-cideのなかでも、とりわけ文化の虐殺が重要である。
意図してかせずしてか、主流大手メディアの報道では語られないが、イスラエルは入植者植民地主義によって誕生した国である。入植者植民地主義、すなわち入植者が植民地の先住民にとって代わって、その土地を自分たちの国にするというものだ。通常の植民地支配においてはネイティヴも、植民地の土地や資源と並んで、労働力や戦力、消費者として宗主国に搾取されるが、入植者植民地主義にとって最大の障壁は、このネイティヴの存在である。このときネイティヴは物理的に駆逐されるか、同化を強制される。駆逐の場合は物理的に、同化の場合は文化的に、固有の民族的存在としてのネイティヴはその土地から殲滅される。東欧の排他的な種族的ナショナリズムの環境を揺籃の地として誕生したシオニズムにおいて、「民なき土地に土地なき民を」という入植初期のスローガンに象徴されるように、当初からパレスチナはユダヤ人のものであり、その地に、主権をもった国家を要求するネイションとしての「パレスチナ人」などは存在しなかった。
一九四七年から五〇年にかけて、パレスチナに暮らしていたムスリムとキリスト教徒のパレスチナ人住民の四分の三にあたる七五万人を、集団虐殺やレイプ、強制追放などの手段で暴力的に民族浄化して、「ユダヤ人国家」を謳うイスラエルが建国された。パレスチナ人が「ナクバ(破局的大惨事)」という言葉で記憶するこの民族浄化で、一万三〇〇〇人から二万人のパレスチナ人が殺された。以後、七六年後の今日まで、パレスチナ人の歴史は、集団虐殺に次ぐ集団虐殺の歴史だった。イスラエルとなったパレスチナで、一九六七年に軍事占領されたガザ地区やヨルダン川西岸地区で、あるいは異邦の難民キャンプで、パレスチナ人は繰り返し集団虐殺に見舞われ続けてきた。あるいは集団虐殺に至らずとも、西岸で、封鎖下のガザで、パレスチナ人が占領軍に殺されることは占領下の日常だった。
二〇二三年一〇月七日までパレスチナ人の身に生起していたことは、その一つひとつをとってみれば、ジェノサイドと呼びうる規模ではない。しかし、それは、ナクバ以来、五〇年、六〇年という歳月をかけて進行する「漸進的ジェノサイド」であると、イスラエル出身のユダヤ人の歴史家、イラン・パペは言う(13)。
パレスチナ難民二世で、ベイルート・アメリカン大学で社会学を講じるサリ・ハナフィは、死傷者の多寡をもって紛争の強度を図る従来の尺度では、パレスチナで起きている事態の深刻さを適切に評価できないとして、「スペイシオサイド(空間の虐殺)」という概念を提唱した(14)。ここで言う「空間」とは、人間が生きる物理的空間のみならず、人間が人間としてその地で生を紡ぐことを可能にする諸条件のメタファーでもある。パレスチナで起きていることはジェノサイドではないが、しかし、ガザの場合は封鎖により、西岸の場合は、パレスチナ人の土地を強奪し入植地が建設され、分離壁がつくられ、無数の検問所が設けられて移動の自由が奪われ、経済が破壊され、入植者の暴力に日常的に見舞われる等々によって、パレスチナの地でパレスチナ人がパレスチナ人として人間的生を営むことが不可能になっている。
パペもハナフィも、ジェノサイド条約の定義に基づき、パレスチナで起きていることはジェノサイドではないとしたうえで、それに代わるものとして、「漸進的ジェノサイド」、「スペイシオサイド」といった概念を考案しているが、ユダヤ系ポーランド人の法律家、ラファエル・レムキンが、ドイツ占領下の東欧諸国で生起した事態を自身、直接体験し、それを表すものとして、ギリシア語のGenos(種族)に「殺すこと」を意味するギリシア語の接尾辞-cideを結び付けてGenocideという新たな語彙を考案したとき、彼がそこで「種族破壊」と考えていたものは、単に「大規模な殺戮」に還元されない、もっと多面的かつ複合的なものだった。レムキンによれば、
一般的に言って、ジェノサイドとは必ずしも民族の即時的な破壊を意味するものではない。むしろ、民族集団そのものを消滅させることを目的として、それら民族集団の生の不可欠な基盤を破壊することを目指すさまざまな行動の、組織された計画(coordinated plan)を意味する。こうした計画の目的とは、民族集団の政治的、社会的制度、文化、言語、民族感情、宗教、経済的存在を崩壊させ、そのような集団に属する個人の私的な安全、自由、健康、尊厳、さらには生命さえも破壊することである(15)。
パレスチナの歴史を知る者なら、レムキンがここに書いていることが、この間、四〇〇日以上にわたってガザで起きていることであるのみならず、ナクバ以来八〇年近く、イスラエルとなったパレスチナで、あるいは一九六七年の占領下で起きていることそのものであることを直ちに看取するにちがいない。ハナフィが言う「スペイシオサイド」こそ、レムキンが防止しようとしていたジェノサイドにほかならない。
さらに、ジェノサイドの核心としてレムキンが企図していたのは、集団の身体的・生物学的破壊だけではなく、文化のジェノサイドだった。
民族は世界という共同体の本質的な要素である。 世界とは、その構成要素である民族の諸集団によって生み出される限りの文化と知的活力を表現したものである。本来、民族という理念が意味するのは、真の伝統や真の文化、そして発達した民族的心理に基づく、建設的な協力と独自の貢献である。それゆえ、ある民族が破壊されると、世界はその民族による将来的な貢献を失うことになる(16)。
文化的な観点から、民族的、宗教的、文化的集団を国際的に保護することが求められている。私たちが遺産としているものはすべて、あらゆる民族の貢献の賜物であるからだ。私たちがこのことをもっともよく認識できるのは、次のように考えてみたときだ。もし、ドイツによって運命を絶たれた諸民族が――たとえばユダヤ人たちのように――、聖書を創作したり、アインシュタインやスピノザのような人物を誕生させることを許されなかったとしたら。もしポーランド人がコペルニクスやショパンやキュリーのような者たちを、チェコ人がフスやドヴォルザークのような者たちを、ギリシャ人がプラトンやソクラテスのような者たちを、ロシア人がトルストイやショスタコヴィチのような者たちを世に送り出す機会がなかったとしたら、私たちの文化はどれほど貧しいものになっていただろうか、ということだ(17)。
第二次世界大戦後、レムキンは、ジェノサイド条約の起草者の一人に任ぜられる。レムキンにおけるジェノサイドは前述のとおり、身体的、生物学的、文化的な破壊を包括した複合的なものであり、草案では第二条で、ジェノサイドに該当する行為は「集団の構成員を死亡させ、またはその健康もしくは身体的完全性を傷つけること」、「出産を制限すること」、「集団特有の特徴を破壊すること」と定義された。しかし、その後の臨時委員会で、文化的破壊は身体的・生物学的破壊とは別の条文に分けられ(18)、さらに草案を審議した国連総会第六委員会(国連の五八の全加盟国が参加)で、文化的破壊について述べた第三条は反対多数により削除された。こうして最終的に制定されたジェノサイド条約に文化的ジェノサイドは盛り込まれず、結果的に「ジェノサイド」は、レムキンの意図に反し、「大量殺戮」という身体的破壊の規模の問題に切り縮められてしまった(19)。
文化とは何か
ジェノサイドについてレムキンは、次のように語っている。
ジェノサイドにはふたつの局面がある。ひとつは、被抑圧集団の民族的パターンの破壊であり、もうひとつは、抑圧者の民族的パターンを押しつけることである。このような押しつけは、その土地にとどまることを許された被抑圧者の住民に対して行われることもあれば、住民を排除し、抑圧者自身の民族がその地域を植民地化した後に、その土地に対してのみ行われることもある(20)。(強調―筆者)
もとの住民を排除したあと、占領した土地に対して占領者がその民族的パターンを押し付けるとは、パレスチナ人の追放後、パレスチナのアラビア語の地名をすべてヘブライ語の地名に書き換えることだ。住民が追放された五〇〇以上の村々を破壊し、そこにユダヤ人の集団農場や国立公園を建設することだ。併合したエルサレムや占領下の西岸のパレスチナ人の土地を奪い、そこに入植地を建設することだ。シオニズムが企図し推進した、そして現在推進しているパレスチナのユダヤ化とは、レムキンが意図したジェノサイドそのものにほかならない。一九四八年、国連の委員会で、文化的ジェノサイドを条文に盛り込むか否かをめぐり、入植者植民地主義国家である米国やカナダ、英仏など旧帝国と、植民地から独立した国々のあいだで攻防戦が繰り広げられていたそのとき、パレスチナではまさにレムキンがその予防を切望したジェノサイドが進行していたのだった。
一九四八年のナクバとは、レムキンが意図したジェノサイド以外のなにものでもない。パレスチナ人が“Ongoing Nakba(現在進行形のナクバ)”と呼ぶものも、レムキン的意味でのジェノサイドである。パレスチナではこの七六年間ずっと、パレスチナという土地に根差し、そこで固有の生を紡ぎ、その生の営みの中から固有の文化を紡いできたパレスチナ人という歴史的存在それ自体をパレスチナから抹消するために、レムキンの言うジェノサイドが複合的な形で止むことなく継続されてきたのだ。イスラエル第五代首相、ゴルダ・メイールの「パレスチナ人などというものは存在しない」ということばを現実のものとするために。
一九八二年、ベイルートに侵攻したイスラエル軍が、PLOのパレスチナ研究センターからパレスチナの歴史文書をはじめとする史料を大量に強奪していったのも、この文化的ジェノサイドの一環だ。二〇〇二年、第二次インティファーダのさなか、ラーマッラーを占領したイスラエル軍が、占拠していたパレスチナ文化省のビルから撤退するとき、同省が保管していたパレスチナの伝統刺繍や子どもたちの絵画をはじめとする作品を糞尿まみれにしたのも、封鎖下で「生きながらの死」を強いられながら、それでもガザの人々が演劇や歌、伝統舞踊、映画、文学といった文化活動に勤しむための拠点だったサイード・ミスハル文化センターを二〇一八年、ミサイルで瓦礫にしたのも、封鎖下を生きる力たる知を育む場であったサミール・マンスール書店が二〇二一年、やはりミサイルで破壊されたのもそうだ。ガザの大学に侵入したイスラエル兵は、書架に火を放ち、クルアーンに火をつけて燃やす自身の姿を撮影して、SNSに投稿しているが、シオニズムが企図するものを体現する映像である。
だからなのだ、と今更にして思う。二〇〇八年暮れから〇九年にかけて起きた、封鎖下のガザに対する最初の攻撃(キャストレッド)が停戦になるや、ガザのアーティストたちが半壊した建物に、破壊を免れた自分たちの作品を持ち寄り「廃墟の中のアート展」をおこなったのは。だから、ガザのパレスチナ人は今、大量殺戮のなかでなお、ミサイルに破壊された瓦礫の中で絵を描き続け、詩を書き続け、伝統舞踊(ダブケ)のステップを踏み続け、子どもたちは残骸の上を飛び跳ねながらパルクールを続け、そして、パレスチナを訪れた外国人を歓待するのだ。それが彼らの、歴史的経験によって育まれた文化だから。だから、アルアライールはガザの若者たちに、パレスチナ人の物語を書き続けよと言い遺したのだ。文化(アート)とは、その土地に根差した、集団固有の生の営みから生み出されるものであり、歴史的存在としての証しだからだ。
私たちが抗すべきは、大量虐殺だけではない。
注
(1)ハティーブによれば、近年の紛争における間接的死は直接的死の三倍から一五倍にのぼる。ガザの間接的死を、仮に直接的死の四倍と少なく見積もったとしても、二〇二四年七月段階でガザの死者は一八万六〇〇〇人を上回ると推定される。Rasha Khatib, “Counting the dead in Gaza: difficult but essential,” The Lancet, 2024/7/20
(2)“Gaza: Destroying civilian housing and infrastructure is an international crime, warns UN expert,” UN Press Release, 2023/11/8
(3・4)“One Year of Israel’s Genocide in Gaza: By the Numbers,” IMEU, 2024/10/7
(5)“Palestinians ‘starving to death’ in northern Gaza due to Israeli siege,” Aljazeera, 2024/10/27
(6)二〇二四年一一月一三日には、新たな“flour masscre”(小麦粉など食糧配給車を待つ人々に対する集団虐殺)も起きた。ガザ・シティ北西部で数日ぶりに届く食糧支援トラックを待っていた者たちにイスラエル軍が発砲し数十名が死亡、銃撃を逃れて人々が避難した建物も爆撃され、さらに数十名が殺害された。Euro-Med Human Rights Monitor, 2024/11/14
(7)“One Year of Israel’s Genocide in Gaza: By the Nembers,” IMEU, 2024/10/7
(8)Al Mezan Center for Human Rights, Ecocide: Israel’s Deliberate and Systematic Environment Destruction in Gaza, 2024/10/16
(9)“The slaughter of Palestinian scholars in Gaza is a deliberate Israeli tactic,” Middle East Monitor, 2024/5/25
(10)“Another Palestinian journalist killed in Israeli attack in Gaza, death toll rises to 166,” Anadolu Ajanci, 2024/8/6
(11)Tareq S. Hajjaj, “Palestine Letter: My dear friend, how did you become a story?” Mondoweiss, 2024/8/21
(12)“American Doctor: “Israeli snipers “deliberately” targeted Palestinian children in Gaza,” IMEMC News, 2024/7/25
(13)Ilan Pappe, “Israel’s incremental genocide in the Gaza ghetto,” The Electronic Intifada, 2014/7/13
(14)Sari Hanafi, “Explaining spacio-cide in the Palestinian territory: Colonization, separation, and state of exception,” Current Sociology, 2012/9/14
(15)Raphaël Lemkin, Axis Rule in Occupied Europe; Laws of Occupation, Analysis of Government, Propasals for Redress. Washington, 1944, p.79
(16)Lemkin, Axis Rule, p.91
(17)Lemkin, “Genocide,” American Scholar 15, no. 2 (April 1946): 228 (Edward C. Luck, Cultural Genocide and the Protection of Cultural Heritage, J. Paul Getty Trust, Los Angels, 2018より引用)二〇年近く前、エルサレムのヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)を訪れた時、ワルシャワ・ゲットーの展示コーナーに、絶滅収容所に移送され若くして命を絶たれたゲットーの青年たちについての記述があった。おそらくレムキンの著書を踏まえてだろう、これらの若者たちが生きていたら、芸術分野でどれだけ世界に貢献しただろうかという趣旨のことが書かれていたことを覚えている。いま、ガザのパレスチナ人たちについて、同じことを思わざるを得ない。
(18)文化破壊について述べた第三条には以下のように書かれている。「この条約では、ジェノサイドとは、ある民族、人種、宗教的集団の言語、宗教、文化を、その構成員の民族的、人種的出身、宗教的信条を理由として破壊する意図をもって行われる次のような行為をも意味する。1.日常生活または学校において、その集団の言語を使用することや、その集団の言語による出版物を印刷し流通させることを禁止すること。2.図書館、博物館、学校、歴史的記念碑、礼拝所、その他、その集団の文化的施設や事物を破壊したり、その使用を妨げること」(Report of the Committee and Draft Convention Drawn Up by the Committee)
(19)ただし、ジェノサイド条約の「集団殺害」に該当する行為として挙げられている「集団の児童を他の集団に強制的に移すこと」に、レムキンの文化的ジェノサイドの思想がわずかながら反映されている。
(20)Lemkin, Axis Rule, p.79
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(記事一覧)
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【特集1】1995 終わりと始まり
戦後50年を迎える年、阪神地方では早朝、強い揺れに襲われ、東京都心の地下鉄網は列車内の毒物散布により大混乱し、沖縄本島北部では、米兵らによる少女暴行事件が起きた。
経済はバブル崩壊を経て低迷に入るなか、金融機関の不良債権問題が表面化し、破綻も相次いだ。
それから30年。世界情勢は大きく変化を遂げた。だが、当時の喪失、そして停滞から、いまも日本は脱け出せずにいる。
あの年、何を突きつけられたのか。戦後80年の始まりに、1995の意味と向き合う。
【特集2】そしてアメリカは去った
曲がりなりにも民主主義や人権の価値を唱えてきたアメリカ。だが、自国第一主義の姿勢を隠さないトランプ次期大統領に、前政権期よりさらに大きな権力が集中することになる。
国際社会への波紋は避けられない。長期化してきたウクライナ、ガザでの戦争への影響は計り知れず、気候変動対策の後退も懸念される。同盟国としてアメリカに追従してきた日本もその例外ではない。
超大国の転換は、世界情勢になにをもたらすのか。「アメリカなき世界」の行く末を展望する。
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┃特集 1┃1995 終わりと始まり
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この国の貌が見える特異点
赤坂真理(作家)
村山政権という問い
宮城大蔵(中央大学)
変わろうとした沖縄、変える気がなかった日米両政府
山本章子(琉球大学)
「オウムの村」の庭で――記録と記憶のレンズ
荒井由佳子(映像ディレクター)
性暴力と女性たちの声──日本軍「慰安婦」問題の三〇年
古橋 綾(岩手大学)
続く大地動乱の時代 「過剰文明」からの脱却を
石橋克彦(神戸大学名誉教授)
〈対談〉
「何も起こらない」はずの日本で
リチャード・ロイド・パリー(英ザ・タイムズ紙)×西村カリン(ジャーナリスト)
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┃特集 2┃そしてアメリカは去った
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〈座談会〉
戦争を止められるか──「国際秩序」の果てから
川島 真(東京大学)×酒井啓子(千葉大学)×三牧聖子(同志社大学)
「力の支配」に向かう世界
藤原帰一(順天堂大学特任教授)
ナクバという《ジェノサイド》──抗すべきは「大量虐殺」だけではない
岡 真理(早稲田大学)
正義はどこに──イスラエル/パレスチナの声を訪ねて
鴨志田 郷(NHK解説主幹)
悪法と戦争──ロシア政府がチャイルドフリーを弾圧する背景
奈倉有里(ロシア文学研究者)
アメリカ最高裁と「生きた憲法」の黄昏
西崎文子(東京大学名誉教授)
誰が大統領を選ぶのか?──選挙人団の歴史的起源
上村 剛(関西学院大学)
ロングフォーム・ポッドキャストの勝利
若林 恵(編集者/黒鳥社)
ジェノサイドが生んだアイロニー──革命国家ルワンダの光と影
武内進一(東京外国語大学)
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◆注目記事
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作られた「逆転のストーリー」──ルポ 兵庫県知事選
松本 創(ノンフィクションライター)
〈対談〉
昭和の生、時代の傷
澤地久枝(ノンフィクション作家)×梯久美子(ノンフィクション作家)
〈スケッチ〉
物語の端っこ
角野栄子(児童文学作家)
〈シリーズ夜店〉
変化のなかの「本の街」──神保町という現象
スーザン・テイラー(人類学者)
〈ルポ〉
能登の書店
稲泉 連(ノンフィクション作家)
〈インタビュー〉
同じ災害はふたつとない── “紙のログハウス”から考えてきたこと
坂 茂(建築家)
地域社会の疲弊、マルチハザード化する災害
廣井 悠(東京大学)
〈新連載〉
アジアとアメリカのあいだ 第1回 それぞれの帰る場所
望月優大(ライター)
〈新連載〉
この社会の社会学 第1回 社会学は大風呂敷を「正しく」広げられるか
北田暁大(東京大学)
〈対談〉
気候再生のために 特別編 「トランプ時代」の科学の使命
高村ゆかり(東京大学)×江守正多(東京大学)
〈対談〉
「光る君へ」の時代と政治
山本淳子(京都先端科学大学)×宇野重規(東京大学)
〈リレー連載〉
隣のジャーナリズム 戦争を書く 自分を疑う
前田啓介(読売新聞)
〈最終回〉
「拉致問題」風化に抗して 第13回 日本人拉致被害者に与えられた「革命任務」(その4)
蓮池 薫(新潟産業大学)
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◇世界の潮
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◇「一〇三万円の壁」引き上げは若者を救うか
宮本太郎(中央大学)
◇見過ごされた難民 インド国境のミャンマー人
丹村智子(西日本新聞)
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◇本との出会い
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◇読んで、観て、聴いて
新城和博(編集者)
◇本とチェック 第20回 「本とチェック」の出会い
金承福(クオン代表)
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●連載
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ひとりで暮らす私たち 第4回 いつまで働くのか?
和田靜香(ライター)
あたふたと身支度 第4回 どんな服を着ていても
高橋純子(朝日新聞)
彼女たちの「戦後」 第5回 田辺聖子──恋愛の思想と「戦中派」
山本昭宏(神戸市外国語大学)
最後は教育なのか? 第7回 学校は自腹で成り立っていた──福嶋尚子さんに聞く
武田砂鉄(ライター)
脳力のレッスン(271) 特別篇 二四年衆院選・米大統領選と二〇年代日本の運命
寺島実郎
片山善博の「日本を診る」(182) 「一〇三万円の壁」から見える政治の病理
片山善博(大正大学)
「変わらない」を変える 第20回 「ガラスの天井論」の罠
三浦まり(上智大学)
ドキュメント激動の南北朝鮮 第329回(24・10~11)
編集部
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○記憶をもった鏡──アレック・ソス『I Know How Furiously Your Heart is Beating』
戸田昌子(写真史家)
○岩波俳句
選・文 池田澄子(俳人)
○アムネスティ通信
○読者談話室
○編集後記
○表紙木版画
久保舎己(表紙 もえる人、裏表紙 妻のねがお 1980)
○キャラクター・扉絵
西村ツチカ
○アートディレクション
須田杏菜
○本文デザイン
大原由衣+安賀裕子