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気候再生のために

米国 気候科学の危機(高村ゆかり)

『世界』2025年6月号収録の記事を特別公開します。


 本誌二〇二五年四月号「トランプ2.0の気候変動対策」で、トランプ政権の政策が国内外の気候変動対策に与える影響について論じた。環境規制の緩和・撤廃やパリ協定からの脱退など様々な影響が米国国内において、そして国際関係においても生じている。中でも、将来に向けて深刻な影響を与えそうなのが、気候科学をはじめとする科学研究に対する政権の対応だ。

米国「不在」のIPCC

 気候変動政策の形成において、気候科学は実に大きな役割を果たしてきた。気候システムをコンピュータで再現し、そのモデルを利用して、二酸化炭素など温室効果ガス排出の将来のシナリオを設定し、将来起こりうる気温上昇、それに伴う気候の変化、影響の予測情報を提供してきた。こうした将来予測は、これから起こりうる気候の変化への認識と懸念を高め、それが気候変動交渉や各国の政策に裏付けを与えてきた。

 その中核的な役割を果たしてきたのが、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)である。IPCCは、一九八八年に世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)により設置され、五〜七年ほどの間隔で、気候関連の研究成果を科学者が相互にレビューし、最新の知見をとりまとめて評価報告書を公表している。第六次評価報告書が二〇二三年に公表された後、現在、二〇二八〜二〇二九年頃の公表を目指して次の第七次評価報告書の作成作業が動き出したところだ。

 二〇二五年二月二四日から三月一日に、中国・杭州でIPCC総会が開催され、第七次評価報告書のアウトライン(章構成)などを決定した。このIPCC総会の直前に、トランプ政権は、米国政府代表が総会に出席することを認めず、また、アメリカ航空宇宙局(NASA)のチーフサイエンティストであり、削減対策などを取り扱う第三作業部会の副議長を務めるKatherine Calvinが会合に出席することも認めなかった。前バイデン政権は、報告書作成の支援のために約一五〇万米ドルを提供することを誓約していたが、この資金支援も停止した。第一次トランプ政権の折りにIPCCについてこうした措置がとられたことはなく、IPCCが対象になるのは初めてだ。

 評価報告書の作成にあたっては、各国が候補となる研究者を自薦で募って推薦するが、この推薦のためのプロセスそのものが、これまで同様に米国で行われるかも不確かである。そうなると、米国の政府代表も研究者も参加しないまま、縮小された予算制約の中で、次の評価報告書が作成されることとなる。気候変動分野において優れた業績と知見を有する米国の科学者が報告書作成に参加できないとなると、報告書の作成作業にも、そして取りまとめられる評価報告書に対する評価にも影響が及びかねない。気候科学の進展と科学に基づく政策形成にも影響を及ぼすおそれがある。

NOAAの職員解雇

 IPCCへの前述の措置と並んで、二月末にはアメリカ海洋大気庁(NOAA)の職員六〇〇〜九〇〇人ほどが解雇されたと報じられている。NOAAは、米国商務省の機関で、日々の天気予報や異常気象の警報、気候モニタリングから漁業管理、沿岸再生、海洋事業支援など広範な業務を行っている機関である。海洋・大気についての研究やデータの収集を行っており、日本の気象庁に相当する権限も有する。

 解雇された中には、気候の将来予測を高度化する次世代気候モデルの開発に携わる研究者も含まれている。気候モデルの高度化は、気候変動予測だけでなく、日々の天気予報の精度を高め、ハリケーンや熱波などに備えるのにも貢献する。保険会社のリスク算定などにも役に立つ。この解雇の直後、米国気象学会は、こうした解雇が「回復不可能な損害をもたらし、公衆の安全、経済的ウェルビーイング及び米国の世界的リーダーシップに、実に大きな影響を及ぼす」との声明を出した(1)

NASA・NOAA予算の大幅削減

 四月一一日付けのScience(2)や四月一六日付けのScientific American(3)によると、政権内で検討中としてホワイトハウスから連邦機関に送られたとされる予算案では、NASAの二〇二六年の科学予算は、ほぼ半分の三九億ドルに、NOAAの二〇二六年予算は、二七%削減の四五億ドルとされている。

 NOAAの海洋大気研究局(OAR)は、気候、気象、海洋などの研究を行う一一のラボと多様な大学の研究者と連携した一六の協力研究所を持ち、この分野のNOAAの研究の主軸を担う。気候モデル、ハリケーンの予測などを含む多数の研究プロジェクトに資金を提供している。その二〇二六年予算は、一・七一億ドルと二〇二五年の予算を七四%削減する案となっており、ラボや研究所がその研究を行う資金が停止されることになる。この予算の削減は、OARが独立した局でなくなり、事実上の解体ではないかとも評される。

 地球科学分野の予算は、半分の一〇億ドルほどに削減され、エアロゾル、雲、海面上昇などを含む気象予報、気候予測にとって極めて重要な観測を行うためのNASAとNOAAによる次世代地球観測衛星の開発の取りやめを示唆するものだ。

 予算は最終的に議会が承認するものだ。第一次トランプ政権では、科学予算の大幅削減案を議会が承認しないことがままあった。しかし、両院において共和党が優位する状況で、議会はこうした科学予算の削減にどう対応するか。さらに、第二次トランプ政権は、議会の承認にかかわらず、すでに連邦機関の縮小・廃止、職員の解雇や予算の削減を始めている。

大学への研究支援打ち切り

 四月八日、NOAAを所管する商務長官は、プリンストン大学の気候変動研究に対する約四〇〇万ドルの助成金の打ち切りを発表した(4)。NOAAとの複数の共同研究が対象で、気候変動を予測するモデリング研究が主な対象である。商務省の記者発表によると、「誇張されたありもしない気候変動の脅威を助長し、米国の若者の間で著しく増加している『気候不安(climate anxiety)』と呼ばれる現象を招き」、政権の優先順位にもはや合致しないというのが打ち切りの理由だ。

 こうした動きは、気候科学にとどまらない。公衆衛生・健康分野でも類似の状況が生じている。さらに、政権は米国の大学に対し、DEIの取り組みの見直しや「反ユダヤ主義的活動」の取り締まり強化などを求め、従わない場合には助成金を停止すると通知した。

 ハーバード大学は、四月一四日、政府に対してこれを受け入れない方針を伝えた。また同日、学長は、こうした政府の求めは、連邦憲法で保障されたハーバード大学の権利を侵害し、政府の権限の範囲を越えるとした上で、「いずれの政権かにかかわらず、私立大学が何を教え、誰を入学させ、雇用し、いかなる分野の研究調査を遂行できるかについて政府が命じるべきではない」と表明した(5)。それを受けて、政府は、複数年にわたる助成金二二億ドルの支払い凍結を通達した。マサチューセッツ工科大学(MIT)学長は、大学構成員向け四月一四日付け書簡で、連邦政府の助成削減について他の大学とともに提訴する予定であること、世界中からの有能な研究者に開かれた大学であり続けると表明した。

科学の自律性を保障する価値

 本来、米国は科学技術をその国力の源としてきた国だ。政権や政策が変わっても、科学により新たなフロンティアを切り開く、科学の営みを育む環境を保障する―それが米国への敬意と米国の権威の源にもなっていた。現政権の政策は、米国の科学力、ひいては国力を将来に向けて大きく損なうおそれがある。留学生や研究者が、突然滞在資格が取り消され、身柄を拘束されるという事態も報道されている。Nature誌が米国研究者一六〇〇人以上を対象に実施した調査で、回答した実に七五%の研究者が政権による研究活動への締め付けを理由に「米国を離れることを検討している」と回答した。

 日本では、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づいて政策を立案し決定する「エビデンスに基づく政策決定(EBPM)」の重要性が強調され、推進されている。言うなれば、政府にとって都合が悪いように見える科学的知見でもそうした知見を検討し、尊重して政策の策定を行おうというものだ。米国の現状を見ても、科学(学術)とその担い手の独立性・自律性が法制度においてしっかり保障されることが、科学が継続的に発展し、不偏の合理的な根拠を政策決定に提供し続けるための社会の基盤として、私たちの社会にとって換えがたい価値を持つ。今国会に提出されている日本学術会議法の改正案もそうした観点から慎重な審議が必要だ。

(1)American Meteorological Society, The U.S. Weather Enterprise: A National Treasure at Risk: A Statement of the American Meteorological Society (2025).

(2)P. Voosen, Trump seeks to end climate research at premier U.S. climate agency: White House aims to end NOAA’s research office; NASA also targeted, Science, American Association for the Advancement of Science (AAAS) (11 April 2025).

(3)A.Witze, D. Garisto, J. Tollefson & NATURE magasine, Five Key Climate and Space Projects Are on Trump’s Chopping Block, Scientific American (16 April 2025).

(4)U.S. Department of Commerce, Ending Cooperative Agreementsf Funding to Princeton University (8 April 2025).

(5)Alan M. Garber, President of Harvard University, The Promise of American Higher Education (14 April 2025).

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著者略歴

  1. 高村ゆかり

    東京大学未来ビジョン研究センター教授。専門は国際法学・環境法学。

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