【特別公開】「この糸につかまりなさい」 『編むことは力』著者 ロレッタ・ナポリオーニさんインタビュー
刊行以来、日本でも大きな反響を呼び、現在7刷と版を重ねている『編むことは力──ひび割れた世界のなかで、私たちの生をつなぎあわせる』(2024年12月小社刊行)は、日々の生活だけでなく、フェミニズムや社会運動をも支えてきた編み物の力を辿るエッセイです。著者のロレッタ・ナポリオーニさんに、訳者の佐久間裕美子さんがオンラインインタビューを行なった『世界』2025年6月号収録の記事を特別公開します。
最高のアイデア
――まずはこの本を書くことになった経緯とその後の旅(『編むことは力』の最後で、ナポリオーニさんは編み物用バッグをもって世界一周の旅に出る)についてお話しいただけますか?
この本のアイデアは、密かに長いあいだ持っていたものでした。でも、私はこれまでテロリズムや経済危機に関する本ばかり出版してきて、このプロフィールから抜け出すことはできない、硬派で怖ろしいテーマについて書き続けなければならない、と思っていたのです。
そんな中、ある年のクリスマスの頃、末期の肺ガンで死が迫っているというスウェーデン人の編集者の友人に会いに行きました。その時、義理の娘の赤ちゃんのために編みかけていた毛布を持っていったのですが、彼は実際に私が編み物をする姿を見て、母や祖母がよくそうしていた、と言っていました。ある晩、映画のDVDを借りるために、彼の息子と図書館を訪れたところ、たまたまスカンジナビア諸国の編み物の本が展示されていました。とても美しい展示でしたが、友人の息子にスウェーデン語の説明を訳してほしいと頼んだところ、編み手ではないので翻訳することができないんですね。その時に、誰でも読めるような編み物に関する本を書きたい、と彼に言ったんです。同時に展示された美しい本を見て、自分にとって編み物を見ることが安らぎを与えてくれているということにも気づきました。
家に戻った時、彼が父親に、私が編み物の本を書きたがっていると話し、編集者である友人はこれまで聞いた中で最高のアイデアだから、明日出版社に電話しよう、と言いました。その後ニューヨークのエージェントとも話して、本を出すことが決まりました。そして、翌年の一月一一日がやってきて、私は、自分の手もとに一銭も残されていないことを知りました。元夫がお金をすべて引き出してしまい、何も残っていないということを。
だから出版社に行って原稿料の先払いをお願いしました。すぐに仕事に取りかかることになり、朝から晩まで執筆して毎晩その日の成果をニューヨークの編集者に送りました。彼らが本のお金を先に払ってくれたことが、文字通り私の命を救ったんです。
同時に、この本を書くことがセラピーのような効果ももたらしました。金銭的に追い詰められたことで朝四時に自分の心臓の音で目覚めたり、全身が麻痺するような感覚に襲われたりしていた時、本を書かなければならないという使命が私を救ってくれたのです。この本は、こうした事件の最中、私の伴走者であり、祖母の声でもありました。あの世から毛玉を投げ、「この糸につかまりなさい」と言ってくれたかのように感じていたのです。
――このクライシスのあいだにも編み物はしていましたか?
モンタナの湖の家に行ってハウスキーパーのマリアと会うまで編み物はしませんでした。不思議なことに、その頃、一人で編み物ができなかったんです。この本は、私がロサンゼルスの空港から旅立つところで終わりますが、その後、いろいろな国の友人たちを訪ねながら、各地で手芸店を訪ねました。ウールの毛糸を買っては帽子を編みましたが、編んだ帽子は各地の友達に向けて旅立っていきました。もうひとつも残っていません。すべての編み物がこの旅の最中に、誰かに手渡されたのです。
――その旅の最中に本が出たのですね。
スウェーデン語版が二〇一九年の一二月に出ました。そしてアメリカとイタリアでは二〇二〇年の一月に刊行されました。タイミングは驚異的でした。パンデミックが起きて、本のツアーはできなくなりましたが、ロックダウンのおかげで人々が編み物を始めたために本は大ヒットしたんです。これまで六カ国語に翻訳されました。
――本が出たことで、また別の旅が始まったのではないかと想像します。
そしてそこには、私のことを抱擁してくれるたくさんの女性、そして男性たちがいました。ストックホルムのノルディック・ミュージアムで編み物の歴史についてのレクチャーをしました。また昨年は、イタリアのバルザーノという小さな街で、世界中からやってくるヤーン・ボミング(公共空間で物体を編み物で覆う表現活動)のインスタレーションに招かれました。私はもうすぐ七〇歳になるのですが、半分冗談で、このインスタレーションを誕生日パーティに貸してくれたら……と話したところ、実現することになりました。うれしいことです。
――こういうストーリーをためたら次の本ができますね。私自身、この本の翻訳を経て、編み物のストーリーが無数にあることを学んでいるところです。
『編むことは力』のパート2を書くようにと勧められています。ロサンゼルスを旅立った後、何が起きたのか。正直なことを言えば、自分の身に起きたことのトラウマから立ち直るのに昨年の終わりくらいまでかかったんです。私の身に起きたことは、お金を失ったということと同時に、三〇年以上一緒にいた人間に信頼を裏切られるという体験でもありました。
誰かと編む
――ずっと冷静な文章が続きますが、発作のように泣き続けるシーンも印象に残っています。ところで私の知る編み手には、歴史的にニッターが集まって編んでいたことが書かれているこの本に出会って、編み物が社交的な存在になりうると知った人がいました。
私は編み物を祖母から学んだため、自分にとって編み物は誰かと一緒にするものなのかもしれません。自分ひとりの時も、祖母がその存在を感じさせてくれたから、とも言えます。人生で何か悲劇が起きた時、なぜ自分だけが、と、自分が狙い撃ちにされたような、孤独な気持ちになりますよね。そんな時、先ほどもお話ししたように、私は祖母があの世から糸を投げてくれたのだと感じました。
だから、この本は祖母の話から始まります。大惨事が起きた時に、祖母のことを思い出したのは、彼女が二度の戦争を生き残った人だったからでしょう。戦争以上に悪いことを想像できませんから。そして、私にとって、祖母との最初の思い出は一緒に編み物をしたことでしたが、考えてみたら私にとっての編み物は読み書きよりも先に学んだことなんです。
これは後になって理解できたことですが、人々が殺し合う世界に関わる中東での仕事から戻ってきて最初の二四時間ほどは、誰とも話をすることができずにいた時、編み物をしていました。自分の人生を家族と再接続をする前に、書斎にこもり、テレビをつけて、ひたすら編み物をすることで、心を空っぽにしていたんですね。ただ、編み物はいつもしていたことだったために、セラピーの効果があるということに思いが至らなかったのでしょう。
――多くの人たちが子どもの頃、母や祖母に教わったというけれど、大量生産の時代が来て、衣類が安くなったためにやめてしまった人が多いと聞きます。あなたが編み物をやめなかったのは、セラピー効果のせいですか?
それもあるかもしれませんが、クリエイティブな作業を必要としていたとも思います。頭を使う仕事をする一方で、料理をあまりしないので、手を使う機会がなかったんです。また編み物によって創造性を表現していたのだと思います。
――この本には、選択肢を与えられなかった女性たちが出てきますが、この本によって、彼女たちに場所を与えようとしているのかとも思いました。
編み物は簡単な手芸ではありません。男性たちが真似できないようなスキルを持っているのに、その功績は男たちの陰に隠れたまま、というスーパーニッターが存在します。ですから復讐というか、その存在がもっと祝福されるべきだとは思います。
――本の中で、フェミニズムが編み物という手芸をどのように扱っていいのか迷ったというくだりがあります。私自身、日本で育つ中で、ミソジニーを内面化し、女性のものとされる手芸を見下してしまった過去があります。文化や国によって程度の差はあると思うのですが、現代のフェミニズムの文脈の中で編み物はどんな存在だと思いますか?
私やあなたの世代の女性がミソジニーを内面化したことで、料理や手芸といった「女性の」アクティビティーを母や祖母から教わらなかった人がいることは残念なことだと思います。今は学びたい人が増えて、学びたい人が訪れることのできる編み物のワークショップがあって、コースがあって。ただここになくて足りないものは、祖母と孫のような二人の人間のあいだの親密な関係性なのですよね。
女性たちは元の場所には戻らない
――あなたはこの本の中で、より冷酷になりつつある社会について書いていますが、本が出た時以上に事態は悪化しているように思います。
今、私たちはとても暗い時代を生きていて、状況はさらに悪化しているといえるでしょう。ミソジニー的な政治状況は、男性たちの危機の症状の表れでもあると思います。男性たちは、女性たちが立ち上がった社会でどんな役割を担うべきなのかを理解しておらず、また女性たちは男性がいなくても存在できることを証明してしまった。誰も、彼らに新しい役割が何なのかを教えていません。
フェミニズムは長い時間をかけて今の場所までやってきました。だからあなたも、私も、自分の役割を理解していますが、一方、男性たちは特定の教育を受けてきて、家族の中で最初から権利を与えられてきた。ところが人生の途中で、その状況は変わっていて、女性たちは、以前のように結婚や子どもをもつことを望んでもいないと理解するのです。そういう変化に対する反応がトランプであり、イーロン・マスクであり、価値観をひっくり返そうとする人々です。
この衝突の原因は、女性たちが元の場所に戻ることはないという事実にあります。ですから、今は暗い時代でも、女性たちはもう二度と屈服しないという観点からいえば、明るい瞬間でもあるのだと思います。
――新しい時代の役割を理解していない男たちにとっても、編み物には攻撃性を削ぐ可能性があるのではないかと期待してしまいます。
絶対的にそうだと思います。ヤーン・ボミング――ゲリラ・ニッティングとも呼ばれますが――という手法は、編み物が平和的な行為であることを意味するものでもあります。女性たちは暴力に抗議をするために編み物をします。イタリアでは、存在意義を失いつつある男性たちによる、女性への暴力が問題になっていて、日々、女性が夫や恋人に殺されるという事件が続いています。これに対抗するために、女性たちが集まって巨大なブランケットを編んで広場を埋めています。最終的にブランケットは売られ、売上は女性の被害者たちを助けるチャリティに寄付されます。
編み物の象徴的意味について考えてみてください。編み物のシンボルといえば、どこかの片隅で、存在しないかのように編み物をする、透明化した老女です。でも彼女にはスキルがあって、素晴らしいことをすることができる。バスや地下鉄などの公共の場で編み物をすることは、私にたくさんの喜びをもたらしてくれます。人が話しかけてくれたり、微笑みかけてくれたりするからです。
――編み物には、人の鎧を脱がせる効果があると思います。メタファーでもありますが、目に見える効果もあるように思います。戦争やテロリズムについてキャリアを捧げてきたあなたが、今、編み物の本を書いていることも象徴的だと感じます。
この本を書きたいという思いが長くあったと言いましたが、陳腐なのではないかと、実行に移すことを恥ずかしいとも感じていました。一番下の息子に、編み物の本を書きたいと話した時、彼はとても驚いていました。彼にとっての私は、政治やテロといった恐ろしい問題について書く人だったんです。
でも、彼に、祖母から学んだ歴史のエピソードについて話すうちに、教えられたことを疑うこと、また、その後の人生を送るための強さを教えられたのだと理解しました。編み物が、その後やってきた何よりも、自分を定義する存在だったんですね。
円環を閉じる
――おばあさまは、女性に与えられた居場所を受け入れ、フェミニストという言葉を拒否したかもしれませんが、あなたにその世界観を与えたわけですね。テロや政治について書く旅をしたからこそ編み物に戻ってきたと思いますか?
そうかもしれないですね。なぜなら私は、男性の領域にある、難しい仕事をしたかったのだと思います。男性相手に競争したかったし、彼らよりもうまくできるのだと証明したかったんです。けれど、そこから一周回って、女性的な手芸だとみなされてきた編み物についての本を書くことで、円環を閉じたような気がしています。私が長いこと携わってきた仕事はとても辛いもので、生きることの価値を見失いかけたこともありました。男性たちが戦うために相手を非人間化すること、構造的に許されていることが耐えられなかったんです。これまで書いてきた本は、脳で書いた本でしたが、この本は、私が心で書いた本なのです。