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気候再生のために

気候を保護する国家の義務 ICJ勧告的意見が示す到達点(高村ゆかり)

『世界』2025年10月号収録の記事を特別公開します。


 二〇二五年七月二三日、国際司法裁判所(ICJ)が、気候変動に関する国家の義務について勧告的意見を示した。ICJは、国連の主要機関たる司法機関で、紛争当事国が付託する国家間の紛争について国際法に基づき判決を下すとともに、国連機関などから要請された事案について法的見解(勧告的意見)を示す機能を有する。 

 ICJの勧告的意見は、紛争当事国に対して遵守義務を生じさせる判決とは異なり、国連加盟国を法的に拘束するものではない。しかし、ICJが示す見解は、権威あるものとして、ICJ、その他の国際裁判所、各国の国内裁判所などが国際法を解釈し、判断を行う場合に援用され適用されてきた。同様の理由で、各国が外交交渉の場面などでその主張の根拠として用いてきた。その意味で、勧告的意見は、各国を法的に拘束するものではないが、様々なチャネルを通じて影響を及ぼす。 

 なお、筆者は、日本政府代表の一人として口頭陳述を行ったが、本稿は個人の見解を述べたものである。 

ICJは何を問われたのか 

 岩澤雄司所長の下で示された今回の勧告的意見は、島嶼国バヌアツが主導し、日本を含む一三二カ国が共同提案し、二〇二三年三月二九日に国連総会が採択した「気候変動に係る諸国の義務に関するICJへの勧告的意見の要請」決議により要請されたものだ。 

 ICJには大きく二つの問いが問われた。第一の問いは、諸国並びに現在及び将来の世代のために人為的な温室効果ガス(GHG)の排出から気候系及び環境の保護を確かなものとするため、国家はいかなる国際法上の義務を負うのか、である。国連憲章、市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)、経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)、国連気候変動枠組条約、パリ協定、国連海洋法条約といった国際条約や、相当の注意義務(duty of due diligence)、環境に対する重大な損害防止の原則、海洋環境の保護及び保全の義務などに特に留意することが要請された。 

 第二の問いは、国家が気候系及び環境に重大な損害を生じさせた場合、①他国(特に、気候変動によって被害若しくは特別な影響を受けている国又は気候変動に特に脆弱な島嶼開発途上国を含む)との関係で、②気候変動の影響を受ける現在及び将来の世代の人々及び個人との関係で、いかなる国際法上の帰結をもたらすのか、である。 

一・五℃目標に整合する目標と対策 

 勧告的意見は、まず、気候変動枠組条約、京都議定書、パリ協定が、それぞれの締約国が人為的なGHGの排出から気候系と環境の保護を確保する義務を定めるとする。特筆すべきは、パリ協定の締約国は、共通に有しているが差異のある責任及び各国の能力の原則にしたがって、相当な注意をもってパリ協定が定める気温上昇抑制目標の達成に十分に貢献できる措置をとる義務があり、特に、全体として、工業化前と比べて世界の平均気温の上昇を一・五℃までに抑えるという一・五℃目標を達成できるよう、五年ごとに各国が削減目標(NDC)を作成・提出し、NDC達成のための措置をとる義務があるとした。パリ協定上の義務を再確認したものだが、二〇二一年のCOP26決定をふまえて、全体として「一・五℃目標」達成を可能にするようなNDCの作成・提出と対策の実施が締約国の義務であることを明確にした。 

気候系保護にあらゆる手段を講じる 

 パリ協定のような気候変動関連の国際条約に基づかず国際社会のすべての国を拘束する慣習法に基づいて国は何らかの義務を負うのか。この点について、ICJは、相当の注意をもって行動することで環境への重大な損害を防止し、国の管轄または管理の下で行われる活動が気候系と環境に重大な損害を生じさせないようあらゆる手段を講じる国の義務があるとした。さらに、すべての国は、こうした損害を防止するために誠実に協力する義務があり、持続的で継続的な国家の協力の形態が必要であるとした。越境環境損害防止義務と協力義務と呼ばれる慣習法上の国家の義務が気候変動問題にも適用されることを明確にしたものだ。気候変動関連の国家の義務は、気候変動関連の国際条約が定め、慣習法上の義務はそこに具体化されているので、これらの慣習法上の義務は気候変動には適用されないと主張する国もあった。しかし、ICJは、国際条約の義務に加えて、慣習法上の義務が存在し、パリ協定などの国際条約は、慣習法上の義務を履行するのに国が何をしなければならないかに指針を与えるとした。 

 この判断は、現在の状況において重要性を増す。気候変動関連の国際条約、例えばパリ協定を締結していない国(脱退を通告し、二〇二六年一月に脱退予定の米国)にも、気候系への重大な損害を防止するためにあらゆる措置を講じる義務があり、こうした損害防止に誠実に協力する義務があることになる。 

「あらゆる手段を講じる義務」 

 では「あらゆる手段を講じる義務」を果たすのに国は何をしなければならないのか。勧告的意見は、これまでの判決をふまえて、気候系に重大な損害を与えないという目的達成のために、対象となる活動(=GHG排出)を規制するのに必要な立法、行政手続、履行強制の制度を含む国の制度を設け、その制度が効率的に機能するよう十分な注意を払うことが必要だとする。大規模で迅速で持続的な排出削減対策だけでなく、重大な損害が生じるリスクを低減する適応策も国の義務履行の評価の対象となる。さらには、国じしんが気候系への重大な損害を引き起こさないようにするだけでなく、国の管轄・管理の下にある企業や個人などの主体の行動を規制し、実効的な履行強制と実施を確保する監視制度を伴うことを求めている。 

 国が気候系を保護する適切な措置をとることができなければ、国際法に違反するとして責任を負う。勧告的意見では、あくまで例示としてではあるが、「化石燃料の生産、その消費、化石燃料開発許可の付与又は化石燃料補助金の提供」も、気候系を保護するための適切な措置がとられていないとして国際法に違反する行為となる可能性があるとする(パラグラフ四二七)。ただし、国が適切な措置をとっているかどうかは、その国の能力と利用可能な手段(資源)に照らして判断される。 

対策により人権を尊重する義務 

 勧告的意見は、国際人権法に基づいて、国は、気候系の保護に必要な措置をとることにより、人権の効果的な享受を尊重し、確保する義務があるとした。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の科学的知見に基づいて、気候系や環境の悪化が一定の人権の享受を損ない、特に、生命に対する権利(世界人権宣言三条、自由権規約六条、子どもの権利条約六条など)、健康に対する権利(社会権規約一二条、世界人権宣言二五条、子どもの権利条約二四条一など)、私生活の保護(自由権規約一七条など)などの国際的に確立した人権の享受を侵害する可能性があるとした。 

 また、二〇二一年一〇月八日の国連人権理事会決議、二〇二二年七月二八日の国連総会決議76/300が「クリーンで、健全で持続可能な環境に対する権利を人権として承認」し、諸国に広く受容されていることなどから、クリーンで、健全で持続可能な環境が、多くの人権の享受の前提であり、クリーンで、健全で持続可能な環境に対する権利(実体的環境権)は、その他の人権の享受に内在し、それらの人権の享受に不可欠であるとした。 

 こうした実体的環境権の承認により、気候変動対策(排出削減策と適応策)をとるに際し、国は、関連する人権に内在する環境権を侵害しないよう十分な注意を払って措置をとる義務がある。前述のように、国じしんの活動はもちろん、管轄・管理の下にある企業などの主体が同様に関連する人権を侵害しないよう確保する義務も伴う。その意味で、気候変動対策をとる際に国に求められる注意義務の水準は高くなる。 

勧告的意見の真価 

 今回の勧告的意見は、これまでのICJをはじめとする国際裁判所、人権条約の裁判所や委員会などの解釈・判断の蓄積を踏まえて、気候変動に関する国家の義務の現在の到達点を堅実に示したものだ。勧告的意見の主文は、審議に参加した一四名の判事の全会一致による。一四名の判事の出身国が、米国、ドイツ、フランス、ブラジル、南アフリカ、中国、インド、日本など実に多様な法域にわたっていることも、この評価を裏付けるものとなろう。 

 勧告的意見の背景には、気候変動枠組条約、京都議定書、パリ協定とその下での国家間合意の積み重ねがある。人権法に基づく義務の認定も、国連人権委員会、人権条約の委員会の意見や見解、地域人権条約の裁判所の判決、国内裁判所の判断などの積み重ねを背景としている。さらに、勧告的意見の基盤には、気候変動の影響が緊急かつ人類の存続に関わる脅威であるというIPCCをはじめとする科学的知見がある。こうした科学の営み、気候変動対策を進めようとする諸国と主体の努力の積み重ねが気候変動に関する国家の義務の現在の到達点を示した勧告的意見を可能にしたと言える。 

 この勧告的意見を基に、国際的に、各国が、そして様々な主体が気候系と環境の保護のために気候変動対策を強化していけるかが、この勧告的意見の今後の評価を決める。ICJは、その勧告的意見を次のように締めくくる。 

 「国際法は、この問題を解決するのに重要だが、限られた役割を有するにとどまる。この困難で自らが招いた問題の解決には、(中略)あらゆる分野の人知の貢献が必要である。何よりも、永続的で満足のいく解決には、私たちと将来の世代の未来を守るために、個人、社会及び政治のレベルで、私たちの習慣、快適さ、現在の生活様式を変革するための人間の意思と知恵が必要である。この勧告的意見を通じて、裁判所は、(中略)この判断が、進行する気候危機に対処するための社会と政治の行動を法が導き、指針となることを願っている」 

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著者略歴

  1. 高村ゆかり

    東京大学未来ビジョン研究センター教授。専門は国際法学・環境法学。

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