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午前1時のメディアタイムズ

〈特別公開〉第5回 ケイトリン・クラークは敵か味方か (若林 恵)

『世界』2025年8月号収録の記事を特別公開します。


 現在アメリカのプロバスケットボールで二番目にチームジャージが売れているのは、インディアナ・フィーバーなのだという。NBAに詳しい方なら、そんなチーム知らないな、と思われることだろう。それもそのはずだ。フィーバーは、NBAのチームではなく、WNBA、つまり女子バスケットボールのチームだ。 

 WNBAの二〇二四年のシーズンは、一九九六年にリーグが創設されて以来初めてといっていいほどの熱気に包まれた。観客動員数は急増し、試合は全米ネットワークで放映され、マーチャンダイズの売り上げも飛躍した。すべては、ケイトリン・クラークという選手がプロ入りしたことによる効果だった。 

 アイオワ大学でNCAA(全米大学体育協会)の記録を次々と塗り替え、世代にひとりの逸材として鳴物入りでインディアナ・フィーバーに入団した現在二三歳のポイントガードは、プロではすぐには結果が出せないだろうとの否定的な予想をことごとく覆し、入団一年目にして、WNBAの記録を次々と更新し、これまで女子バスケなど見たことのない幅広いオーディエンスを魅了した。一試合平均六六〇〇人しか動員できず、絶えず財政難にいできた弱小リーグは、平均約一万人を動員するスポーツ界の目玉となった。創造性に富んだプレイによって、男子よりも劣るとされてきた女子バスケがエキサイティングな競技であることを証明し、スポーツ界全体に激震をもたらしたクラークは、すでにマイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズに比肩する歴史的なアスリートだとみなされている。 

 その一方で彼女の存在は大きなも生み出している。リーグ内やOG、大手メディアからクラークを非難する声はデビュー当初からあとを絶たない。リーグを挙げて登場を喜ぶべき待望のスーパースターには、ひとつだけ問題がある。「現代のマイケル・ジョーダン」は、白人なのだ。 

ケイトリン・クラークと「白人特権」 

 WNBAは、NBAと同様、黒人が選手の大半を占める競技だ。ともに、黒人選手が占める割合は約七割だとされる。プロバスケットボールのコートに、初めて黒人選手が足を踏み入れたのは一九五〇年のことだった。以後現在にいたるまでアメリカのバスケットボールの隆盛が数多くの黒人選手たちの功績の上に築かれたことは、否定しようのない事実だ。後発のWNBAは設立当初から黒人選手を中心に編成されてきたが、メディアから黙殺され、NBAのお荷物と嘲笑されてきたリーグをここまでサバイブさせてきたのは、やはり先行する黒人選手たちだった。その苦闘がようやく報われる瞬間がやってきたとき、待ち焦がれた救世主が白人選手だったことは、苦みを伴う皮肉な成り行きだった。 

 これまで見向きもしなかった人たちが、その白人選手によって突然女子バスケに目覚め、その選手によってリーグ全体が代表されてしまうことに、一部のOGやメディア関係者がたる思いを抱いたのも当然だった。そしてこの感情はほどなく政治化される。スターと呼べる黒人選手ならこれまでたくさんいたのに見向きもされず、それが白人選手になった途端全米中の注目を集めたことは、それ自体が社会に根強く蔓延るシステミック・レイシズムや白人特権の現れに他ならない。つまるところクラークのファンは差別主義者である。こうしたナラティブは、クラークの人気が高まれば高まるほどに広まった。ウーピー・ゴールドバーグが司会を務めるトーク番組「The View」でコメンテーターを務めるサニー・ホスティンは、ケイトリン・クラークの人気は「白人特権」「美人特権」に他ならないと番組内で告発した。 

 クラークがインディアナ州に拠点を置くチームの所属だったことも悪く作用した。クラークが子ども時代から大学までを過ごしたアイオワ州は、インディアナ州の隣に位置し、ともに「中西部」と呼ばれる地域にある。インディアナが伝統的にどういう場所であるかは、一九五〇年に初の黒人プレーヤーとしてNBA入りした三人の選手のうちのひとり、アール・ロイドの回想から窺い知ることができる。「USA Today」の記事は、彼が当時置かれていた状況を本人の言葉とともにこう綴る(Mike Freeman, “Black History Heroes : Earl Lloyd, the NBA’s first Black player, moved basketball forward”)。 

 アール・ロイドは、彼以前の多くの黒人スポーツ界の先駆者たちと同様、人間の醜い一面に直面した。……ワシントンDCでのホームゲームでは、客席にいた両親が人種差別的な罵声を浴びせられた。……ある試合では、勝利したあとにを吐きかけられた。ある観客には「しっぽを見せてみろ」と言われ、別の街では「アフリカに帰れ」と言われた。……「インディアナポリス、ボルティモア、インディアナのフォートウェインは、ことさらタフな街でした」と、ロイドは一九九四年に『スポーツ・イラストレイテッド』誌に答えている。 

 インディアナ・フィーバーが本拠地とするゲインブリッジ・フィールドハウスは、まさにロイドが「タフな街」と呼んだインディアナポリスにある。観客のひとりに唾を吐きかけられたのもインディアナでの出来事だったという。現在はどうあれ、人種問題をめぐるインディアナの履歴は決して望ましいものではない。「クラークのファンは差別主義者」というナラティブは、こうした背景もあってさらに増幅された。 

代理戦争とその反動

当のクラークはと言えば、こうした政治的論争から常に距離を置いてきた。そのことが彼女の人気をさらに高めた一方で、彼女の存在を認めたくない人たちを苛立たせた。クラークは、自分を政治利用しようとする人びとに対しては折に触れて苦言を呈してきたが、それ以上のことは語らない。ソーシャルメディアもほとんどやらない彼女の非政治的なスタンスは、スポーツのみならず文化コンテンツのほとんどが政治化されてきた現在のアメリカにおいて、少なからぬ人たちを安らがせた。子どもやその親からも絶大な支持を集め、多くのスポンサー企業をも惹きつけた。 

 クラークは、二〇二四年のデビューシーズンで、他チームから激しいファウル攻勢にされた。二〇二四年度のリーグ全試合における「悪質なファウル」のうち一七%がクラークを標的にしたものだった。どう見ても悪質なファウルを審判が見逃すシーンも多くあったとされる。「プロの洗礼」と呼ぶにはあまりにあからさまな個人攻撃は、それだけで観客をクラークにさせるに十分だったが、彼女は心乱されることなく淡々とプレイを続け、「WNBAルーキーのシーズン最多得点」「WNBAシーズン最多アシスト」「WNBAルーキーのシーズン最多アシスト」「WNBAルーキーのシーズン最多スリーポイントシュート成功数」WNBA一試合最多アシスト(一九アシスト)」「WNBA史上最速でスリーポイント一〇〇本成功を達成(三四試合で到達)」など、合計六〇以上のリーグ記録を更新した。 

 驚異的な活躍によってクラークへの注目はますます高まり、そうなればなるほどに「クラーク支持者は差別主義」の声も高まる。クラークをめぐる闘争は、さながらトランプ支持派とアンチの代理戦争であるかのような様相を呈していくこととなる。 

 この対立をさらに際立たせたのは、クラークのライバルとされる黒人選手、エンジェル・リースの存在だ。人気インスタグラマーであり、自身のポッドキャストをもつスポーツインフルエンサーのリースは、コート内外で過剰にクラークを意識した言動を繰り返してきた。結果彼女はクラークファンにとっては格好の「悪役」となり、アンチ・クラークにとってはその敵意を仮託すべきヒーローとなった。まるでプロレスのような構図のなか、ときにSNS上に殺害予告さえも飛び交うほど対立はエスカレートしていった。にもかかわらず、リーグはこの不幸な分断を食い止める有効な手立てを打てぬままだ。 

 五月一八日に開催されたクラーク擁するインディアナ・フィーバーと、リース擁するシカゴ・スカイの開幕戦でも対立は再燃した。クラークの意図的なテイクファウルと、その報復としてクラークに掴みかかろうとしたリースに対して、それぞれの敵対陣営から非難の罵声がオンライン上で飛び交った。さらにリースがフリースローを放った際に客席からヘイトスピーチが飛んだとの告発を受けて、リーグはすぐさま調査に乗り出すことを発表した。 

 インディアナのホームゲームであればこそ、客席がリースへの敵意に満ちているのは自然なことだった。調査の争点は、その敵意のなかに人種差別的な含意があったかどうかとなる。人種差別的な発言が明らかにあったなら白黒ははっきりつくが、そうでない場合、何をもって「人種差別」とするかは判断が難しい。状況が曖昧なままリーグがな判断を下せば、いずれかの陣営が暴発しかねない。現段階では、リーグが会場内でのブーイングを全面的に禁止するのではないかとの噂も出回っている。その判断が下れば、あらゆるブーイングは「人種差別」であると暗に認めることにもなるが、それを黙って受け入れるスポーツファンはいないだろう。調査の結果、会場からヘイトスピーチが飛んだ事実は確認されなかったが、何の根拠もなく、フィーバー・ファンを疑ったことは、少なからぬ禍根を残すこととなった。 

スポーツに政治を持ち込むな 

 あらゆる行為を政治化し、規制の対象とすることは、スポーツに限らずエンタメの世界でも、この間盛んに行なわれてきたことだ。それがもたらしたのは、深刻な客離れと、コンテンツ自体を痩せ細らせることだった。多くのメディア/コンテンツ企業がDEI施策やウォーキズムをめぐって激しいバックラッシュを受けているが、なかでも最も激しい打撃を受けたのはディズニーで、無残な失敗に終わった実写版『白雪姫』は、その状況の縮図だった。 

 ただでさえ、社会のあらゆる事象を「人種」のスコープから測定し断罪する風潮に対する倦怠や嫌悪が蔓延し、「黒人疲れ」(Black Fatigue)といった言葉すら表面化しているなか、メディア/コンテンツ企業も新たな岐路に立たされている。スポーツ専門チャンネルESPNの親会社がディズニーであることを思えば、こうした流れは女子バスケとも決して無関係ではない。実際、反クラークの急先鋒のひとりはESPNのコメンテーターで、ウーピーの番組を放映している放送局ABCもディズニーの子会社だ。 

 「スポーツや文化に政治を持ち込むな」というフレーズは、日本でもお馴染みとなっているものだが、ケイトリン・クラークをめぐる闘争は、まさにこの言葉によって象徴される問題をエクストリーム化したものだとも言える。とはいえ、対立がここまで先鋭化するにいたったのは、なにをおいてもクラークが、新しい時代の扉をひらく圧倒的なゲームチェンジャーでありながら、スポーツをめぐるこれまでのメインストリームのナラティブから大きく逸脱しているだけでなく、それに大きな変更を迫っているからだ。 

 一年目で次々と過去の記録を塗り替え、アメリカの四大スポーツにおいて女子競技をメインストリーム化した実力者が、黒人であったならなんの問題も起きなかったのだろう。けれどもケイトリン・クラークは、一見身体能力も高そうに見えない、で猫背の、スーパーアスリートと呼ぶにはあまりに古風に見える中西部の白人女性だった。 

 スポーツを「多様性」をめぐる文化闘争の前線基地とみなしてきたナラティブにとって、新時代のスーパースターは、いかにも都合が悪い存在だ。そのことは「The Guardian」に掲載されたある記事を読むとよくわかる。今年デビューした期待の白人選手ペイジ・ビュッカーズを称賛することでクラーク批判を正当化することを試みたこの記事は、これまでWNBAを支えてきた進歩思想にとって、クラークがいかに都合が悪い存在であるかを手早く教えてくれる(Etan Thomas, “Why hasn’t middle America given Paige Bueckers the Caitlin Clark treatment?”)。 

 女子バスケに関心がなかった人びとが、突然熱狂的なファンになったのは、最悪の理由からだった。彼らはケイトリン・クラークの「白さ」を称賛し、エンジェル・リースの「黒さ」を攻撃するために馳せ参じたのであって、両選手の才能を評価したからではない。WNBA入りを果たした昨年、クラークは繰り返し「自分を政治利用しないでほしい」とファンに呼びかけたが、それでも彼女はレイシストたちが祭りあげる「汚れた英雄」となってしまった。(……) 

 ペイジ・ビュッカーズにはリースのような「黒人の悪役」が存在しない。であればこそ彼女が「ミドル・アメリカ」(中流層)において評価されていないという事実は、今のアメリカのありようを如実に物語っている。 

 ビュッカーズは、ラマダンの期間中、ムスリムのチームメイトのために朝食を作り、試合前には(黒人文化に根ざした)ゴスペルソングを歌い、黒人のチームメイトたちとのシスターフッドを築いている。彼女は黒人の継母に育てられ、黒人の継兄弟姉妹がいて、黒人のボーイフレンドがいたこともあり、度々自らを「黒人チームメイトのアライ」だと表明してきた。こうした彼女の姿勢は、クラークを間違った理由で支持した「あの特定の層」には到底受け入れられないものだ。(……)ビュッカーズは特別な選手であり、コートの内外で最大限の称賛と敬意を受けるにふさわしい存在だ。彼女がリーグ優勝したとしてもクラークと同等の称賛を受けなかったなら、その理由は明らかだろう。 

 競技とはおよそ無関係な理由をもってビュッカーズをえ、多くのファンをレイシストと一方的に難じるこうした論調は、それこそ「ある特定の層」にウケたとしても、対立を緩和する役にも立たなければ、今後支持を広げることもないだろう。実際、クラークをめぐる潮目は、この記事が望む方向とは逆に流れ始めている。 

 大型補強でクラークのチームの一員として迎え入れられた百戦錬磨のベテラン選手たちは、クラークとの連帯を表明し、彼女を標的にした悪質なプレイには敢然と立ち向かう姿勢を明らかにしている。レブロン・ジェームズやチャールズ・バークレーといったNBAのビッグネームも、クラークの足を引っ張ることや、新規ファンをいたずらに悪魔化する風潮をたしなめている。エンジェル・リースとの対決も、ペイジ・ビュッカーズとの比較も、多くのスポーツファンはコート上で自ずと決着がつくだろうと見ている。 

 クラークはシーズン序盤でケガで五試合を離脱したが、劇的なカムバックを果たし、否定的な声を完膚なきまでに封じ込めた。女子バスケに仮託された文化闘争の行方を、全米がいま、を呑んで見守っている。 

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著者略歴

  1. 若林 恵

    編集者・黒鳥社コンテンツ・ディレクター。著書に『会社と社会の読書会』(共著)、『さよなら未来』ほか。

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