争点にならぬ「気候」──参院選と日本政治の現在地(江守正多)
※『世界』2025年9月号収録の記事を特別公開します。
二〇二五年七月の参議院選挙の投開票が終わり、社会にまだその余韻が残る中で本稿を書いています。
今回の選挙でも、気候変動は大きな争点にはなりませんでした。その一方で、選挙のたびに気候変動をめぐる発信や対話の試みは、さまざまな形で着実に積み重ねられてきています。
今回は、そうした取り組みにも目を向けつつ、今回の選挙結果を手がかりに、気候変動と日本の政治との距離について改めて考えてみたいと思います。
なぜ気候変動は争点にならないのか
日本の選挙では、これまでも気候変動が大きな争点になることはありませんでした。今回の参院選でもその傾向は変わらず、各政党や候補者の訴えを見ても、気候政策が前面に出る機会はきわめて限られていました。
もちろん、気候変動に関心を持つ団体やジャーナリストの間では、各党や候補者に公開質問状を送ったり、マニフェストの比較をしたりと、さまざまな試みが展開されていました。
しかし、それらが選挙全体の雰囲気に影響を与えたとは言いがたく、気候変動に関心のある「クラスター」の外に波及する力には限界があったように思います。
筆者も設計段階から助言を行った一般社団法人ジャパン・クライメート・アライアンス(JCA)による社会調査では、回答者の約三割が「気候変動について自分と近い考えを強調する候補がいれば、投票の際に考慮する」と答えました。
しかし、この層の多くは、気候変動以外にも社会課題への幅広い関心を持っている中で、その一つとして気候変動「にも」目を向けていると見るべきでしょう。つまり、気候変動が投票行動の最優先になる人は、ずっと限られると考えられます。
日本の選挙において気候変動が争点になりにくい理由はいくつか考えられます。一つは、政党間での違いがわかりにくいという点です。リベラル系の野党が高い気候政策目標を掲げている一方で、与党の自民・公明もそれなりに積極的に気候変動対策に取り組む姿勢を見せており、対立軸としては曖昧になりがちです。
さらに根本的な背景として、脱炭素化は日本だけではなく、世界全体で進まなければ意味がないという構造があります。日本だけが対策しても、地球温暖化そのものを止められるわけではないという認識が、気候政策への関心を高めにくくしている面は否めません。
二〇二五年参院選の結果とその含意
さて、今回の参院選では、与党が過半数を割り込み、参政党が改選前の一議席から一五議席に躍進して「台風の目」となりました。
この結果は、日本の「古い政治」の体制が、いよいよ終焉に近づいていることを感じさせます。既成政党が与野党の小競り合いを続けている構図の外側で、既存の政治そのものへの不満や閉塞感が、形を持ちはじめたという印象です。
直近の気候変動政策に及ぼす影響を考えるうえでは、注目されるのは自民党内の体制の行方です。石破総裁の交代時期とその後任が大きな焦点になりますが、本稿執筆時点ではまだ明らかになっていません。
一方で、今回の選挙全体を振り返ると、気候変動に限らず、長期的な課題はほとんど争点になりませんでした。選挙戦で取り上げられたのは、物価高対策や外国人政策など、いずれも「自分の暮らし」に直結するテーマが中心でした。
この傾向は、日本人が余裕を失っていることの表れと見ることもできるでしょう。しかし、こうした傾向は今に始まったことではなく、長期的な視点や公共性をめぐる議論が、選挙の場では十分に評価されにくいという構造が、日本政治の根深い特徴として存在しているようにも思います。
参政党の台頭と気候変動懐疑論
今回の参院選で注目されたのは、何と言っても参政党の躍進でした。参政党の訴えは、政策の中身よりも、不安を抱える有権者に対して、わかりやすい言葉で「誇り」や「安心」といった感情的なメッセージを届ける要素が中心だったようです。SNSによる拡散力や草の根の組織づくりも彼らの強みでした。
気候変動に関しては、党のマニフェストに「未だ科学的な議論の余地がある地球温暖化問題」といった認識が明記されており、典型的な気候変動懐疑論を色濃くにじませています。
これは、気候変動問題を「対策を押し付けるエリートvs庶民」という対立構造で描き、庶民の側に立つ姿勢を強調して人気を得るというポピュリズムの手法の一部とも考えられます。
具体的には、再エネの乱開発による自然破壊、再エネ賦課金による家計負担といった点が、庶民の不満をあおる「燃料」として用いられてきました。
しかし、気候変動懐疑論が参政党にとってどれほど本質的なアジェンダなのかは、はっきりしません。結党初期に参加していた気候変動懐疑論者の武田邦彦氏がこのテーマに影響力を持っていた可能性が強いですが、現在では同氏は党を離れています。
参政党の姿勢は、主張を固定せず、都度の状況に応じて柔軟に「不満の受け皿」をかえていくことに特徴があるようです。その意味では、再エネの賦課金や自然破壊といったテーマも、あおる価値が薄れればいずれ関心の対象から外れる可能性があります。
こうした動きに対して、科学的に誤った情報を指摘し続けることも必要ではありますが、それだけでは有権者の支持の構造に迫ることはできません。
報道で紹介される支持者のインタビューを見ていると、彼らの多くは極端な愛国主義者ではなく、きわめて「ふつう」の人たちであると感じます(「ふつう」な彼らが参政党の主張の危うい部分に鈍感そうなことには心配も感じますが)。
日本人の価値観に関する調査、たとえばスマートニュースによる「メディア価値観調査」などでは、「保守」的な傾向が「リベラル」よりも強いことが一貫して示されています。
彼らの素朴な保守感情を頭ごなしに否定してしまっては、政治的支持を広げることはできません。むしろ、それらの感情に丁寧に寄り添いながら、気候変動という問題がいかに「国益」にも直結するかを伝えていく工夫が求められます。
たとえば、気候変動がもたらす自然災害は日本の美しい風景や農業を脅かすこと、再エネ導入による化石燃料依存の低下はエネルギー安全保障につながること、営農型太陽光発電はオーガニック農業とも親和性があるといったことです。
参政党は今回の選挙を経て、無視できない勢力になったといえます。彼らが気候変動懐疑論を続けるならば、何らかの形で対抗することが必要になりますが、分断を深めるのとは異なる形を模索していきたいです。
チームみらいの可能性と課題
もう一つ注目したい政党は、今回の参院選で一議席を獲得した「チームみらい」です。代表の安野たかひろ氏はAIエンジニアとしての経験を持ち、テクノロジーを通じて課題解決を目指す姿勢を前面に掲げています。
チームみらいは、対立をあおるのではなく、異なる立場の人びとの意見を集めて相乗りできる解を探る政治を志向しています。台湾でオードリー・タン氏が実装したような、分断を越えるテクノロジーの活用が日本にも必要だという考えがうかがえます。
現代の政治空間では、外国人政策や気候変動、ジェンダーなどをめぐって、意見の違いがそのまま敵意に変わってしまう傾向があります。
しかし、例えば今回の選挙の争点でいえば、「外国人が増えると不安だ」と思っている人と、「外国人の人権も大切だ」と思っている人が、テクノロジーを媒介にして互いの考えを尊重しつつ対話できるような場が生まれたとすれば、それは政治の風景を一変させる可能性を持っています。
ただし、現時点で示されている政策、とくにエネルギーに関するマニフェストを見た限りでは、その期待にはまだ届いていない部分が大きいと感じます。
チームみらいは、AIによるエネルギー需要の増加に対応するため原発の活用が必要と主張する一方で、再生可能エネルギーには国民負担を理由に慎重で、気候変動対策としてはバランスを欠いている印象です。
もちろん、新たな政治勢力に全政策への精通を求めるのは現実的ではありません。チームみらいにとってエネルギーは現時点で優先順位が低く、十分な議論を経ずにマニフェストに盛り込まれた可能性があります。
筆者から見れば、エネルギー政策はテクノロジーだけで解決できる問題ではなく、異なる価値観を持つ人たちの間で分断を招きやすい、高度に政治的で社会的な分野です。
もし彼らが、「エネルギーはテクノロジーの問題だから、専門家から情報を得れば自分たちで最適解が導き出せる」と単純に考えているのだとすれば、それは大きな誤解であり、これからの彼らの成長の余地が大きい分野であるともいえるでしょう。
とはいえ、異なる立場をつなぎ、分断を乗り越えるという理念を実現する力を、チームみらいが真に備えていくのであれば、エネルギーのような難しいテーマにおいても、多様な意見を聞きながらより良い方向を模索していく可能性があるはずです。そうした姿勢こそが、日本の新しい政治のかたちをつくっていくことに期待したいです。