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【特別公開】夫のタイムラインを突破せよ(清 繭子)

  ※『世界』2026年4月号収録の記事を特別公開します。


 恋人と、はじめての旅行で別れそうになった。

 うつくしい湖畔のレストランで「こないだ両親がデモに参加するために上京してさあ」と話したら、彼は顔をしかめて「デモする人って迷惑だよね。大声出してさ、ああいうのキライ」とのたまったのだ。

 「は? なんで? デモで道路つかうときは事前に警察に許可取ってあるからね? ここは民主主義国家で誰もが自分の意見を表明する権利があるからね?」そう言っても、彼は納得のいかない顔をしていた。

 そこからどうやって仲直りしたのやら。その時の彼が伴侶になり、二人の子に恵まれ、けっこう仲睦まじい四人家族をやっているのだから、愛というのは計り知れない。ちなみに夫はすごくいい奴である。

 

 さて、二月五日木曜日、先の衆議院選挙開票日三日前のこと。自民圧勝の選挙予測報道を受け、私は期日前投票に行くことにした。

 「血を流していただくこともある」などといった自民党議員らの発言に「私は絶対にイヤ」と示したかった。私の子どもにも、誰の子どもにも、血は流させない。戦わせない。絶対に。

 学校から帰ってゲームをしている上の子に「ママ、戦争止めてくるわ。ついてきて」と言った(子の答えは「このバトル、終わってからでいい?」だった)。

 さっきのフレーズ、なんかちょっとかっこよかったな。そう思ったから、投票の列に並びながら、「ママ、戦争止めてくるわ #期日前投票」とつぶやいた。すると、「パパも」「ばあちゃんも」「独身男子も」「介護中のゲイも」とまたたく間に広がった。

 翌金曜にはXのトレンド一位になり、ネットニュースにもなった。私のスマホは、世紀の大逆転を願って「#ママ戦争止めてくるわ」の大合唱。それなのに、土曜になっても自民圧勝の予測は変わらない。夫に、「なんでなんだろ?」とぼやいたら、「それがフィルターバブルってやつなんだよ。だってこっちのタイムラインには、#ママ戦争止めてくるわ、流れてこないもん」。

 愕然とした。

 うそでしょ? だってトレンド一位だよ? キョンキョンもオタクも日曜昼に長風呂するのが好きなひとも、みんな戦争止めてくるわって言ってんだよ?

 夫はもう一度、自分のスマホをスクロールして、「やっぱり流れてきてないよ。気をつけたほうがいい。偏ったタイムラインにいると、冷静な判断ができなくなってどんどん考えが先鋭化する」と言う。

 おそるおそる尋ねた。

 「ダダはどう思う? 戦争止めてくるって、どう?」

 夫は何か言いかけ、また口を閉じ、

 「その話はけんかになるからやめとこう」と言った。

 時同じくして、私のスマホには無数のクソリプが飛んでくるようになった。「ウジ虫」だの「ガザ行って戦争止めてこい」だの、一番ムカついたのは「あれを作ったのは男性編集者という噂もあったが、本当は売り出し中の女性ライターが書いたらしい」という、さも私がバズを狙って投稿したかのように印象操作するポスト。「売り出し中の女性ライター」ってなんやねん。フリーランスで売り出してないやつなんかおらんやろ。あと、私そこそこ売れてますんでお構いなく。

 ムカつきながら、同時に恐怖も感じていた。今後は政治的な書き手として扱われてしまうのか。自分のエッセイも小説も、もうそういう目で見られてしまうのか。私という人間が、政治という鎧に覆い尽くされるようで怖かった。

 周りの友だちの目も気になった。何人かは「私も戦争止めてくるわ」とLINEをくれたけれど、その他の人の沈黙に意味がある気がしてしまう。もしかして私、「めんどくさい人」って思われちゃった? なぜなら私自身が、政治の話ばかりするアカウントに対してそう思っていたからだ。

 でも、つぶやいてみてわかった。

 「ママ、戦争止めてくるわ」は日常の言葉。二人の子と夫と末永く楽しく暮らす、そんな自然な祈りの延長にある言葉だった。ならば、私が引いて見ていた政治の言葉もまた、日常への祈りから生まれたものなのかもしれない。

 私は平気なふりをすることにした。もし私があの投稿を消したり、クソリプに傷ついたりしたら、「やっぱり政治には触れちゃいけないんだ」とみんなに怖れを抱かせてしまう。あんなつぶやきも気軽にできなくなったら、いよいよこの国はおしまいだ。

 それに心には、怖れ以上にぬくもりがあった。だってバブルにしては、ひとりひとりの顔が見えすぎた。

 推しが徴兵されるような国にしたくない、好きなマンガを思うさま読める国がいい……、それぞれの場所でそれぞれの声で、ひとりひとりが叫んでいた。そしてそれは、そのひとりひとりに大切な人や、ものがあることの証明だった。それを思うと頑張れる。誰かの愛おしい日々のためならやれる。だから私は震える脚に平気な顔で、タイムラインの濁流に立ち続けた。

 

 開票日の朝になっても、自民圧勝の予測は変わらなかった。寝不足もあってさすがにズーンと落ち込んだ。夫と子どもたちはこたつでぎゅうぎゅうになって、アニメを観ている。下の子は夫のお腹の上に寝そべっている。上の子はみかんを食べている。

 私の、小さく、愛おしい平和。

 これからどうなってしまうんだろう。

 つーっと夫のそばに寄り、言ってみた。

 「ダダ、ハグして」

 ちょっと安心したかったのだ。

 夫は極度の照れ屋なので一蹴されると思ったけれど、私の顔を見上げて、それからむくっと半身を起こすと、まじめな顔で「ママがハグしてって言ってるからちょっとどいて」と下の子を降ろした。そして、よっこらせと立ち上がり、両腕を広げると、おもむろに私を抱き上げた。それは、結婚式ぶりのお姫様だっこだった。

 驚く私に、子どもたちはきゃあきゃあと囃し立てる。そのまま夫は「いーち、にーい、さーん」と腕を上下させ、ひとりで私を胴上げした。

 「つぎはぼくがママをだっこする!」

 「わたしがするもん!」

 子どもたちが抱きついてくる。

 平和はまだここにある。

 

 その夜、大逆転は起こらなかった。

 フィルターバブルとエコーチェンバーの恐ろしさを痛感しつつ、同時に希望も感じていた。

 「#ママ戦争止めてくるわ」には、フィルターバブルを突き抜けるポテンシャルがある。大喜利的要素があり(=みんなが乗りやすい)、特定の政党の支持を意味せず(=みんなで使える)、最初の発信者が無名で(=発信者の人気に左右されない)、しかもその家族にバブル外の人がいる(=バブルの外の温度が見える)。さらに今回の濁流で「こうすると引かれる」あるいは、「こうやってくさされる」というのも予習できた。だから、今後はもっとうまく使えるはずだ。

 最近、ある芸能人がこの言葉を「気持ち悪い」と言ったらしい。すぐに糾弾の声が上がったけれど、私はデモを毛嫌いする夫の顔がちらついた。

 夫のように世の中のほとんどの人は、もめ事を本能的に忌避して生きている。その人たちは、差別主義者でも排外主義者でもない。ちゃんと聞く耳を持っていて、クソリプなんか送ってこない。むしろ平和を愛する人たちだ。フィルターバブル突破のカギはここにある。

 「#ママ戦争止めてくるわ」のためだとしても、ネットという公の場で声を荒らげれば、観客たちに「なんか怖くて厄介」な印象を与えてしまう。だからアンチには優しく心配してあげるのはどうだろう。「なにか勘違いして伝わってるんじゃないかな。説明するね」って。そうすれば、たとえアンチが改心しなくても、その観客たちには「あれ? この人のほうが感じいいし、この人のほうが正しくないか?」と気づいてもらえるかもしれない。

 もちろん、言うべきことは言い、牙をむくことも大事。でも、こと「#ママ戦争止めてくるわ」に関しては、朗らかでぬくもりのあるままに保つのが吉だと思う。そうしなければ、いつまでもフィルターバブルの外に出られない。もう一つ私見を述べると、この言葉をヴィジュアル化するとき、真剣さとか切実さは出さないほうがいいと思う。そういうのって悲壮感に誤変換されがちだからもったいない。明るくいこーぜ。

 そうそう、渦中にLINEがこなかったママ友に会ったら、「#ママ戦争止めてくるわ」は目にしていたけど、その発信者が私であることや、クソリプに攻撃されていたことを知らなかった。「あれ、まゆちゃんだったのか。いいこと言うね〜」と言っていた。あの発信以降、仕事を干されるということもなかった。不安や批判もエコーチェンバーで増幅されていたようだ。つまり、まだ多くのバブル外の人にとって、この言葉は汚されていない。

 というわけで、みんなも気楽につぶやいてほしい。私も、りくりゅうの金メダルに涙し、子どものなぞなぞに苦戦し、夫のダイエットに協力しながらつぶやくよ。

 そしていつか夫のタイムラインに「#ママ戦争止めてくるわ」が流れ、バブルが割れ、中の人と外の人と手と手を取り合い、みんなで一緒に言えますように。

 うちら、戦争止めてきたわ。

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著者略歴

  1. 清 繭子

    エッセイスト。一九八二年生まれ、大阪府出身。二〇二四年『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎)でデビュー。NHK出版Web「本がひらく」にて「ママも踊っていいかしらん!」連載中。

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