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第2回 ウッドロウ・ウィルソンと第一次世界大戦

  ※『世界』2026年3月号収録の記事を特別公開します。


「おまえは準備をしているか?」

 一九一六年七月一六日、奇怪な格好をした初老の男性がこちらを指さしているイラストが、あるアメリカの新聞の表紙を飾る。そのキャプションは、”What Are YOU Doing for Preparedness?” というものだった(1)。「あなたは準備のために、どんなことをしているか」──こちらを正視しながら指さす威圧感にくわえて、すべて大文字になった “YOU” の強調の感じを出せば、「おまえは準備をしているか?」あたりの訳文になるだろう。

 ところで、なんの準備なのか。じつは、その答えはこの短いキャプションに、すでに書かれている。この prepared-nessという英単語は「準備をする」という動詞prepareの派生語だが、ニュートラルに「準備」を意味する名詞preparationと違って、こちらは「戦争に備える」というニュアンスで用いられてきた単語なのだ。戦争に備えよ──これは「平和維持の最善の方法は戦争に備えることである」(2)と述べた初代大統領ジョージ・ワシントンから連綿とつづく、戦争国家アメリカの思想的基盤をなす発想である。

 このイラストの掲載から約一年後、第二八代大統領ウッドロウ・ウィルソンはドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦への参戦を正式に決定することになる。それまでに、このイラストはアメリカ陸軍によって「君も米国陸軍に」(”I Want You for U.S. Army”)のキャプションとともにポスター化され、やがて四〇〇万枚以上がアメリカ全土に貼り出される結果となった(3)【図1】。このアメリカ国旗のような格好をした初老の男性は現在、合衆国(United States)と同じイニシャルをもつアンクル・サム(Uncle Sam)の愛称で呼ばれる「おじさん」として、戦争国家アメリカを代表する「顔」となっている。

 

図1 James Montgomery Flagg, I Want You for U.S. Army (c.1917), Library of Congress, Prints and Photographs Division.

 

戦時下における「スパイ」

 ところで、ウィルソンが議会に参戦を諮ったのは、最初のイラストの出版よりも一年弱ほど後のことだった。彼が大統領を務めたのは一九一三年から二一年まで。ヨーロッパで大戦が始まったのは一九一四年。ウィルソンの二度目の大統領選は一九一六年、すなわちヨーロッパでの大戦(アメリカは未参戦)の最中であり、彼はその選挙にて「戦争を回避した男」(“He Kept Us Out of War”)という平和主義的スローガンを掲げて当選している(ちなみに、彼のもうひとつのスローガンは “America First” だった)。

 この二度目の大統領選で民主党候補のウィルソンと争った共和党の候補はチャールズ・エヴァンズ・ヒューズだが、ヒューズのバックには「棍棒外交」のセオドア・ローズベルトが控えていた。一九〇九年まで大統領を務め、またノーベル平和賞も受賞したローズベルトの影響力は健在であり、彼はヨーロッパでの開戦いらい「戦備運動」(“Prepared-ness Movement”)と呼ばれるロビー活動を牽引し、大統領選ではウィルソンの「戦備」への消極性を「無責任」あるいは「びびり」(cowardice)であると非難することで、好戦派の立場を明確化していた(4)

 だがこのことから、戦闘狂ローズベルトと平和主義者ウィルソンという図式を描いてしまうのは早計である。じつはウィルソンは一九一五年の末にはすでに中立方針を修正しはじめ、「戦争を回避した男」の宣伝文句を掲げたはずの一六年の一月からはpreparednessの重要性を説く全国行脚のスピーチを開始していたのだ。その背景にはドイツがイギリスの客船ルシタニア号を撃沈し一二八名のアメリカ人が命を落とした事件などがあったが、ともかくローズベルトとウィルソンの「対立」のように見えるものは、戦争という指標で見れば、それぞれのイメージが生みだす幻想にすぎない。

 ヨーロッパでの戦争がローズベルト大統領の時代に発生していればアメリカは間違いなく参戦していたであろうが、この時代の大統領がウィルソンだったおかげで戦争はいくぶんマシになったといえるかどうかは怪しい。むしろウィルソンがまとう平和主義のイメージが参戦を美談──アメリカが戦争を終わらせ世界に平和をもたらした──として語り継ぐことを可能にしてしまった点において、それは第一次世界大戦におけるアメリカの暴力をうまく語りにくくしてきたのだともいえる。

 じっさい、ウィルソンは一九一六年の国防法の制定をはじめ、現代までつづく戦争国家アメリカの礎となる法的・文化的な「戦備」を着々と整えていった。たとえばウィルソンは参戦まもない一九一七年の六月に、幾度とない改定を経て現在まで存続しているスパイ活動法(Espionage Act)を制定している。ここでいう「スパイ」とは、われわれが想像する、あの「スパイ」とはほとんど関係がない。これは、もっぱら国内において反体制的な言論活動を展開する分子を拘束するための法律である。戦中の日本はこれを「治安維持」の名で正当化したが、現在まさに「スパイ」という言葉で同様の取り締まりを目論んでいるようだ。

 では、一九一七年の六月に取り締まる必要があった「反体制的」な意見とはなにか。むろん戦争への反対である。だが、反戦は厳密にどこから「反体制」であると判断されるのか。それは、体制側がそのつど恣意的に決めるのだ。歴史家のアダム・ホックシールドが述べているように、「戦争はいつの時代も言論の自由を制限するための口実」なのである(5)。スパイ活動法は、かねてから政府にとって鬱陶しくはあるが逮捕する法的根拠がないために嫌がらせぐらいしかできなかったような人物を「スパイ」であると認定し収監するための口実として制定されたのである。

強制的志願主義

 アメリカがドイツに宣戦布告したのは一九一七年の四月だが、参戦するからには勝たねばならないわけで、そのためにはもちろん、大規模な軍隊が、すなわちたくさんの兵士が、必要になる。そのための法整備において重要なのが、一九一七年の選抜徴兵法(Selective Service Act)だ。この法律が直接的に要求したのは、二一歳から三〇歳までの──のちの修正で一八歳から四五歳までの──男性全員が徴兵登録すること、つまり、地区ごとの役所に出向いて軍の名簿に登録されるべく書類を埋めることである。

 その布告でウィルソンは、徴兵登録を怠る者は一年未満の禁錮刑に処すると明言している。この法的強制力を象徴したのが、まさしく冒頭でみたアンクル・サムだったわけだ。だが、そうした罰則による強要よりも注目すべきは、当時のウィルソンが動員した、より柔らかい一連のレトリックである。彼は当時、徴兵登録し参戦することは「義務」obligationであり、「責務」dutyであり、「犠牲」sacrificeであり、「献身」devotionであるとくりかえし述べたのだった【引用1】(6)

【引用1】

Woodrow Wilson, “Message Regarding Military Draft,” May 18, 1917.

  It is not an army that we must shape and train for war—it is a Nation. To this end our people must draw close in one compact front against a common foe. But this cannot be if each man pursues a private purpose. All must pursue one purpose. The Nation needs all men, but it needs each man, not in the field that will most pleasure him, but in the endeavor that will best serve the common good. […] To this end Congress has provided that the Nation shall be organized for war by selection, that each man shall be classified for service in the place to which it shall best serve the general good to call him. […] It is in no sense a conscription of the unwilling. It is, rather, selection from a Nation which has volunteered in mass.

〔訳〕戦争のためにわれわれが形成し鍛錬せねばならないのは、軍隊ではない──国家そのものである。この目的のために、わが国民は共通の敵に立ち向かうべく堅固な隊列を組まなくてはならない。だがそれは個々の人間が私的な目的を追求していたのでは叶わない。みながただひとつの目的を追求せねばならないのだ。国家は全国民を必要としているがしかし、各個人にとって望ましい分野においてではなく、もっとも大義に奉仕するような尽力において求めているのだ。[…]その目的のために議会は、国家は選抜によって戦争のために組織されるべきこと、すなわち、各々がその能力をもっとも国益に貢献させられる地位に配されることを定めたのである。[…]これは、いかなる意味においても、望まぬ者たちを徴兵するものではない。そうではなく、こぞって志願した国民のなかから選抜を行うのだ。

これは演説ではなく書面での布告。強い義務を課する助動詞mustが多用された、威圧的な一節である。このように個を捨てて国家に奉仕せよという思想を、全体主義という。注目すべきはNationという多義語で、ここで重要になるのは「国家」と「国民」の2つ。国は国でも、法的・政治的な統治体としての国家を指すstateにたいして、「国民」とも訳せるnationのほうは国家の構成員にフォーカスする──というのが基礎知識なのだが、ここでウィルソンは、あえて「国家」と「国民」を両義的に意味しながらNationという語を運用する巧みなレトリックによって、あたかも国家の意志がすなわち国民の意志であるかのような結論を導いている。ちなみに、ウィルソンはThe Stateという教科書を書いた政治学者でもあった。

 

 ウィルソンいわく――この戦争は多大な犠牲を払いうるものであり、まったく気が滅入るような義務ではあるだろう。この史上最悪の戦争に、我が国の「平和をこよなく愛する国民を巻き込むのは恐るべきことである」。にもかかわらず、なぜ参戦せねばならないか。それは「平和よりも権利こそが尊い」からにほかならない(7)。つまり、民主的に平和に生きる権利を守るために参戦することは、戦争を回避することよりも重要なのだ

 ここには、(1)アメリカの民主主義や平和が脅かされており、かつ(2)その脅威を排除するには戦争が必要であるという、ふたつの認識がある。しかし、なぜヨーロッパという遠隔地の戦争がアメリカの民主主義や平和を脅かすことになるのか? 当然、誰もがそう思った。それを説明するために召喚されたのが、「世界」というパースペクティヴである。「民主主義が安全である世界にせねばなりません。世界の平和は、政治的自由の裏打ちされた基礎のうえに据えられねばならないのです」(8)。民主主義と平和はひとつであり、これが全世界を統御せねばならない。それが脅かされたとき、それが世界のどこであったとしても、アメリカは戦争に踏み切るというわけだ。やがてこの論理は、アメリカが独断で非民主的で非平和的であるとみなした地球上のあらゆる領域への軍事介入を必然化することになる。

 そして、正義の国家たるアメリカ合衆国には、またその国民には、その参戦を拒否する権利はない。ただし、ウィルソンによれば、「われわれには望まぬ者たちを徴兵する意図はいささかもない。これはむしろ、一丸となって志願した国民からの選抜なのだ」(9)戦争とは、嫌がる国民を国家が無理やり戦場に送りこむものではなく、あくまでも国民が自発的に志願するのでなくてはならない。この思想を研究者たちは、「強制的志願主義」(coercive voluntarism)(10)と呼んできた。かくして徴兵忌避者たちは「スラッカー」(slack-er)、すなわち「抵抗者」ではなく「怠け者」という蔑称で呼ばれ攻撃されるようになったのである。

 この「強制的志願主義」は、徴兵登録し前線に送り込まれる兵士としての男性だけにのしかかるものではなかった。第一次世界大戦は兵士のみならず国家の全リソースが動員された総力戦(total war)であり、そこでは銃後の女性たちにも「戦備」が求められたのである。アンクル・サムのバリエーションとしてアメリカ人女性を戦争の守護神たる女神として描いたポスターが大量に制作され、全国民になにかしらのかたちで戦争に奉仕するようプレッシャーを与えた【図2】。こうした流れのなかで、ウィルソンはかねてから断固拒否してきた要求にたいして譲歩せざるをえない状況に追い込まれる──そう、女性への参政権の付与である。

図2 出典:National Archives and Records Administration (NAID 512497)

 参戦から四カ月後、ホワイトハウスのまえに参政権を要求する女性たちが集まった。ここでの問題は、彼女たちのデモンストレーションが反戦運動と合流していたことにある。反戦運動とはなんだったか? そう、「スパイ活動」である。かくしてこのデモで一〇名の女性が逮捕されることになったが、もちろんこれで沈静化などは望むべくもなかった。投票権について定めた憲法第一九条の修正をウィルソンが議会に提案したのは、それから約一年後のことである【引用2】。「こたびの戦争に勝利することは私の義務であり、その勝利を妨げるあらゆる障害を排除することもまた私の義務なのであります」(11)。彼は参政権を与えないかぎり反戦の態度を変えないであろう「障害」を排除すべく、しかたなくアメリカ大統領の「義務」を果たすことにしたのだった。 

【引用2】

Woodrow Wilson, “Address to the Senate on the Nineteenth Amendment” September 30, 1918.

  The women of America are too noble and too intelligent and too devoted to be slackers whether you give or withhold this thing that is mere justice; but I know the magic it will work in their thoughts and spirits if you give it them. I propose it as I would propose to admit soldiers to the suffrage, the men fighting in the field for our liberties and the liberties of the world, were they excluded. The tasks of the women lie at the very heart of the war, and I know how much stronger that heart will beat if you do this just thing and show our women that you trust them as much as you in fact and of necessity depend upon them.

 〔訳〕アメリカの女性たちは高潔かつ知的かつ献身的でありますから、諸君がこの正義以外のなにものでもないものを与えても与えずとも、スラッカーになるなどということはありますまい。しかしながら私は、これを与えたならば、彼女たちの思考と精神にどのような魔法をかけるかを知っているのであります。私がこのことを提案いたしますのは、もしかりに戦場においてわれわれの自由と世界の自由とのために戦っている男性兵士たちが選挙権から排除されていたとしたら提案していたのと同じことなのであります。女性たちの務めは、この戦争のまさしく心臓部にある──すでに諸君は彼女たちに依存せねばならないという事実があるわけで、そのぶんだけの信頼を、この正義を行うことによって彼女たちに示すことができれば、この心臓はどれだけ高鳴ることでありましょう。 

前線で戦う男性兵士と銃後で奉仕する女性の貢献度を同一視する、総力戦のロジックである。“this thing that is mere justice” はまどろっこしい言い方だが、ここのmereは「これは過大な要求ではなく、与えて当然のものですよね?」という気持ちから出ている単語なので、「ただの」よりは「最低限」という理解から訳語を検討したほうがよいだろう。興味深いのは心臓と鼓動の比喩。女性は戦争の心なのであり、その高鳴り──すなわち戦意の高揚──は勝利につながるのだという、本論の後半でみるプロパガンダのレトリックである。最後の一文は難解ではないがうまく訳すのがかなり難しいので挑戦してみてほしい。

  

プロパガンダ映画の誕生

 プロパガンダという言葉がある。この言葉に、おそらく誰もよいイメージは抱いていないだろう。それは言葉巧みに人びとを騙し、政治的に誤った方向へと煽動する物語である――それはそのとおりだ。しかし文化史の研究では、政治的なスピーチも、メディアによる報道も、映画のようなフィクションも、現実を編集し、受けとる者の思想や感情や行動に影響を及ぼすという点において、すべて同様の「物語」であると見做す。いいかえれば、文化史の研究において「プロパガンダ」という言葉は悪口ではない。物語がプロパガンダなのは、あたりまえなのだ

 このような立場をとるとき、戦争映画は当然ながらすべてプロパガンダ映画であることになる。じっさい、わたしはそのような心構えであらゆる映画を観る。が、こと第一次世界大戦中には、ドイツで、フランスで、そしてイギリスで、明確に「プロパガンダ映画を作ろう」というモチベーションのもとプロパガンダ映画が多く制作された。その狙いの中核にあったのは、「中立国」の獲得である。そしてこの場合、「中立国」という言葉で念頭に置かれていた国は、ほかならぬアメリカ合衆国であった。

 なかでもプロパガンダ映画で成功を収めたのはイギリスである。イギリスは一九一四年八月の参戦から一カ月後、「ウェリントン・ハウス」の愛称で知られる戦争宣伝(プロバガンダ)局(War Propaganda Bureau)を設置。その最初のプロパガンダ映画のタイトルはまさしく『英国の戦備』(Britain Prepared)というもので、これが「戦備運動」を推し進めていた一九一六年のアメリカ人につよく訴求した(12)。はじめこれらは怪しげな映画であるとして──というかまさしくプロパガンダ映画であるとして──反感も招いたが、のちにアメリカの市場において一大ジャンルを築くようになる。

 イギリスにとってプロパガンダ映画制作の最大の目的はアメリカの参戦だったわけだが、それが達成された時点で任務を終えたわけではなかった。とりわけアメリカが一九一七年四月に参戦に踏み切ってから、イギリスのターゲットはエリート層から大衆へとシフトするようになる(そうして生まれた大スターのひとりがチャーリー・チャップリンだった)。この大衆へのアピールという目的のもと、一九一六年からイギリス戦争省の映画委員会(War Office Cinematograph Committee)を統括し、全プロパガンダ映画を一手に担っていたマックス・エイトキンは、すでに名声を確立していたアメリカ人映画監督、D.W.グリフィスに映画の制作を依頼することになる

戦争と愛の物語

 グリフィスのサイレント映画『世界の心』Hearts of the World)には、メインのストーリーが開始されるまえにプロローグが付されている。「どうかこの短いプロローグをお赦しください。とりわけ面白い内容ではありませんが、ただ、アメリカ人監督が実際の戦場を撮影することを許可されたという、きわめて異例の出来事をお伝えしたいのです」、そのようなメッセージが表示されると(サイレント映画なので文字が画面全体に現れる)、つづいて頭上を砲弾が飛び交うような前線にほど近い塹壕にカメラを持ち込むグリフィス自身の映像が流れ、さいごに監督が当時のイギリス首相デイヴィッド・ロイド・ジョージと固い握手を交わすショットで締めくくられる。

 この一分ほどのプロローグがすでに示しているのは、これが英国政府によってフランスの最前線への立入りを許可されたことによって製作可能となったオフィシャルな産物であるということである。もともとプロパガンダ映画は嫌われていた時代もあったことはすでに書いたが、「プロパガンダは悪いものである」というイメージは徐々に払拭されてゆき、ぎゃくに政府のお墨付き映画は戦争のリアリティを市民に伝える正統な情報源であると考えられるようになっていった。その転換を成功させたのが、グリフィスに依頼したエイトキンだったのである。

 テレビがなかった第一次世界大戦中、大衆は新聞などのほか、「ニューズリール」と呼ばれるニュース映画を映画館で観ることによって戦地の情報を得ていた(テレビで戦争が報道されるようになるのはベトナム戦争からである)。プロパガンダ映画は実際の戦争の映像をふんだんに使用していたものが多かったため、そもそもニュース映画による「報道」とプロパガンダ映画の「物語」は正確に見分けがつかなかったわけだ。プロパガンダ映画は、まさしく「歴史」と「物語」の、あるいは「現実」と「フィクション」との境界がいかに曖昧であるかを雄弁に物語るジャンルなのである

 そうしたニュース映画にも、あるいは長すぎるプロパガンダ映画にも飽きてきた大衆へのアピールとしてプロパガンディストたちはおいしいところを切り取って短い映像として売り込んだりしていた──あまりにも現代のショート動画と酷似した状況で笑ってしまう──のだが、同時にイギリス政府は、長い映画でありながら大衆の心を惹きつけるような大きな物語を欲していた。そこで、大勢が素朴に感情移入できるストーリーを描く手腕に定評があったグリフィスに白羽の矢が立てられたわけである。

 大衆心理にうったえようとした『世界の心』のプロットは、古代ギリシャ時代からの定番である戦争物語と恋愛物語のシンプルな組み合わせになっている。だいたいこんな感じだ──あるフランスの小さな村にて、その名も「平和通り」を挟んで二つのアメリカ人家族が暮らしている。それぞれの家族の若い男と女が恋に落ちる。やがて婚約したところで戦争が勃発、彼らの結婚を妨げる。もちろん、最終的には勝利することになる。めでたしめでたし。

 戦争が始まった時点で男は「中立国」アメリカの息子であるわけだが、幸福な結婚生活が約束されているにもかかわらず、彼はすすんで戦争に志願する。その動機を、映画は「アメリカ市民でありながら、暮らすに値する土地は戦うに値する土地であると信じて、彼は別れを告げ、フランスに命を捧げるのだ」とわざとらしく解説し、彼がまさしくウィルソンの「自発的な志願」という理想を体現するキャラクターであることを告げる。アンクル・サムを必要としない戦士たる男は、英仏がアメリカ人に届けたかったメッセージ(プロパガンダ)の権化にほかならない。

 そのようなアメリカ人男性を愛するアメリカ人女性に求められることはなにか。そう、銃後での献身である。男が前線でたおれると、ドイツに攻め入られて村を失いつつある女は、銃後どころか、なんとみずから単身で戦線に赴く。その決断をくだすショットは、まさしく当時のアメリカにおいて女性を戦争にリクルートしていたポスターそのもの【図3】。のちにドイツ兵にナイフを突き立てて夫を救いさえする彼女は、スラッカーでもスパイでもない。その清らかで勇ましい「心」で「世界」に自由と平和をもたらさんとする女神である。

 図3 グリフィス『世界の心』より

 ドイツ軍に占領された村において女は強制労働に従事させられ、そこで非力な彼女はドイツ兵に鞭で打擲され手籠めにされる。もちろんこうしたドイツ軍の残虐さはアメリカ人の同情を買うために要請されたもので、広告でもドイツ兵による女性への暴力がフィーチャーされたが、ここで重要なのは、悪役として登場するフォン・シュトルムが前線を退いた諜報部の人間であるという設定だ。彼の仕事は敵国のプロパガンダ活動の妨害・阻止であり(防諜という)、それはすなわち、この『世界の心』というプロパガンダ映画の敵そのものにほかならない。

 映画の終盤、彼らの村をふくむフランスは窮地に立たされ、ふたりはあわや心中を遂げるかと思われるが、このピンチを救うのが、そう、アメリカ合衆国の参戦と派兵である。かくして連合軍は勝利し、街では米英仏の国旗が翻り、映画はその様子を微笑みながら見守るウッドロウ・ウィルソンの肖像を映して幕となる。われわれはその優しげな虚像の背後に、アメリカを戦争国家へと駆り立てる実像、あのアンクル・サムの姿を見なくてはならない

 「一四カ条の平和原則」を提唱したウィルソンが平和主義者であるという理解は、もちろん完全に誤りであるわけではない。わたしは本稿で、やろうと思えば「ウィルソンはこんなに素晴らしい平和主義者でした」という文章を書くこともできた。つまり、ウィルソンや第一次世界大戦といった事象について説明するとき、それは物事の一面を切り取った「物語」にならざるをえず、それがすなわち、すべてはプロパガンダだと述べたことの意味なのである。

 そこで重要なことは、われわれは物事のどのような一面を見ているのか、どのように偏った一面を見ているのかに意識的でいること、すなわち、中立的な記述も中立的な理解もこの世には存在しないのだという前提をもって、あらゆる「物語」を検討するということだ。偏っているということは、悪なのではない。それは、なにかを知り、なにかを語るということの条件なのである。

 だが、ではすべてを話半分に聞けばよいのだろうか。そうではない。われわれは最終的に、なんらかの立場を、なんらかの政治的な立場を、選択する必要に迫られる。では、どう選べばよいのか──それはもちろん個人の自由である。ただ、その物語が暴力を肯定しているのか否定しているのか、それだけを基準にすることが強力な指針になりうるというのが、この原稿を書いている私の信念である。

 

(1)この古いほうのバージョンは次のURLで見ることができる。〈https://www.loc.gov/pictures/resource/ds.09925/〉

(2)George Washington, “First Annual Address to Congress,” January 8, 1790, American Presidency Project.

(3)Armyという単語は「軍」全般を意味すると考えられがちだが、これが指すのは「陸軍」であり、米軍にはほかに海軍(Navy)と、まぎらわしい海兵隊(Marine Corps)がある(Corpsの読みは「コー」で、psは発音しない)。空軍(Air Force)ができるのは第二次世界大戦よりも後のこと。

(4) “Roosevelt Blames Wilson for Raids,” New York Times, October 11, 1916.

(5)Adam Hochschild, American Midnight: The Great War, A Violent Peace, and Democracy’s Forgotten Crisis (New York: Mariner Books, 2022).

(6)Woodrow Wilson, “Proclamation 1370—Conscription,” May 18, 1917, American Presidency Project.

(7)Woodrow Wilson, “Address to a Joint Session of Congress Requesting a Declaration of War Against Germany,” April 2, 1917, American Presidency Project.

(8)Ibid.

(9)Wilson, “Proclamation 1370.”

(10)Christopher Capozzola, Uncle Sam Wants You: World War I and the Making of the Modern American Citizen (New York: Oxford University Press, 2008).

(11)Woodrow Wilson, “Address to the Senate on the Nineteenth Amendment,” September 30, 1918, American Presidency Project.

(12)Luke McKernan, “Propaganda, Patriotism and Profit: Charles Urban and British Official War Films in America during the First World War,” Film History 14, no. 3/4, (2002): 369-389. ちなみにBritain Preparedはアメリカでの上映においてHow Britain Preparedと改題された。

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著者略歴

  1. 阿部幸大

    筑波大学人文社会系助教、日米文化史研究者。株式会社Ars Academica代表。著書に『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(光文社)、『ナラティヴの被害学』(文学通信)ほか。

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