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戦争国家アメリカの平和――若い読者のための「戦争」入門(阿部幸大)

第3回 フランクリン・ローズベルトと第二次世界大戦

※『世界』2026年5月号収録の記事を特別公開します。


勝利のキス

 一九四五年八月二七日、アメリカの雑誌『ライフ』は「勝利の祝賀」(Victory Celebrations)と題した特集を組み、ハリー・トルーマン大統領から無名の市民まで、思いおもいに祝勝する米国民たちの写真を一三ページにわたって掲載した。その特集の見開きのひとつは「兵士たち、全米でキス」という小見出しのもと、ワシントン、カンザス、マイアミ、そしてニューヨークで、女性を抱きあげてキスする制服姿の帰還兵たちをフィーチャーしている。なかでも八月一四日に写真家アルフレッド・アイゼンスタットがニューヨークのタイムズ・スクエアで撮影した『勝利のキス』は世界でもっとも有名な写真のひとつとなり、いかに第二次世界大戦での勝利がアメリカにとっておおっぴらなキスで祝うべき幸福な出来事であったかを象徴する歴史的なアイコンでありつづけている(1)【図1】

図1 『勝利のキス』を扱った歴史ノンフィクション The Kissing Sailor: The Mystery Behind the Photo That Ended World War II

 海軍兵士が勝利という名の「平和」の喜びを看護師とわかちあう瞬間としてながらく記憶されてきたこの写真は、ようやく一九八〇年になって被写体の人物が特定され、その全貌がつまびらかにされている。女性の名前はグレタ・ツィマー・フリードマン、オーストリア出身のユダヤ系で、ナチスから逃れてアメリカに移住した人物であることが判明した。そこで同時にあきらかになったのは、彼女の職業は看護師ではなく、軍とはなんの関係もない歯科助手であったということだ。彼女はその日、仕事を終えて外に出ると、いきなり見知らぬ男からキスされたのである。もうひとりの被写体、すなわち彼女にキスをした男性である海軍のジョージ・メンドンサの回想によれば、彼は群衆のなかで見かけた全身白衣の女性を、軍の看護師と勘違いしたのだという。

 その日、アイゼンスタットは同じ構図で四枚の写真を連続で撮っており、雑誌に掲載されて有名になったのは二枚目だった。その四枚のうち最初の一枚には、驚くべきことに当日メンドンサが一緒に歩いていた将来の妻となるガールフレンドも笑顔で写り込んでいるのだが、その差分においては、われわれの知る二枚目とはことなり、フリードマンが男から身体を引き離そうと抵抗しているらしい様子がうかがえる(2)。のちにいくつものインタビューに応えている彼女は、むろんそのキスは同意のうえでなされたものではなく、突如として屈強な男に羽交い締めにされて抵抗できなかったのだと証言している(3)つまりそれは、性暴力の現場をおさえた証拠写真にほかならなかった。

 同写真を掲載した『ライフ』誌は同特集の本文において、本国に帰還した兵士たちが「戦地で見せたのと同様に高揚した士気」でもって「ひとりの男性または女性に集団で襲いかかって(mob-assault)無理やり浴びせるキス」から「スカート姿なら年齢も容姿も相手の意向も無視して誰かれ構わぬキス」までの豊かなバリエーションを披露したことを、むろん糾弾すべき擾乱としてではなく、微笑ましい事実として記録している(4)。当時のアメリカにとって第二次世界大戦における勝利は、戦地の高揚感を本国へと持ち帰った「平和」の戦士たちを囲んで喜ぶべき祝祭だった。しかし第二次世界大戦のヴィクトリーがもたらした高揚感は同時に、戦争という暴力を、愛へ、救済へ、そして平和へと捻じ曲げる、冷戦アメリカのレトリックのはじまりでもあったのだ。

sacrificeからprivilegeへ

 第二次世界大戦が終わった一九四五年の大統領は第三三代ハリー・トルーマンだったが、彼が戦時下の大統領を務めたのは終戦前のわずか四カ月ほどにすぎない。第二次世界大戦に参戦し、そして「アメリカを勝利に導いた」と評価されている大統領は、基本的にはフランクリン・ローズベルトである。国際連合の生みの親と目されるローズベルトもまた、ウッドロウ・ウィルソンと同様、その軍事主義的な側面が見えにくくなっている大統領のひとりだ。とりわけ日本の歴史教育においてローズベルトは原爆投下を断行した張本人であるトルーマンの影に隠れがちだが、もちろんトルーマンが就任から数カ月で原爆を使用できたのは、その開発を前任者が進めていたからにほかならない。

 開戦前夜、ローズベルトはながらく好機を待っていた。けっしてアメリカが参戦することはないと最後の最後まで誓いながらアメリカ史上で唯一の三選を果たしたローズベルト――本連載の読者はすでに聞き飽きた手口だろう――は一九四一年、一月に有名な「四つの自由」演説で反ファシズムを打ち出すと、三月には武器貸与法を成立させ「民主主義の兵器廠」を名実ともに実現、第二次世界大戦への事実上の参戦を果たし、さらに八月にはイギリス首相ウィンストン・チャーチルと会談のすえ大西洋憲章を発表、はやくも戦後世界における国際平和の確立と維持にかんして理想論を述べていた。これだけの準備が整っていたにもかかわらず、全面参戦に踏み切るだけの口実がなかったのである。

 そこへ、願ってもないチャンスが訪れる――アメリカが英仏とともに百年以上の年月をかけて植民化を進め、その土地の人々と生活と文化と歴史を蹂躙・破壊し、当時アメリカ合衆国「準州」の名のもとに海軍基地を敷いていた軍事拠点が、突如として空爆されたのだ。すなわち、一二月七日、帝国日本によるハワイ真珠湾の奇襲である。これをローズベルトは翌日の演説で「汚辱の日」(day of infamy)と呼び、アメリカの軍事史上において現時点では最後の宣戦布告を行うことになった。この通称 「デイ・オブ・インファミー・スピーチ」と呼ばれるパール・ハーバーと対日開戦についてのスピーチは、米国史に残る名演説のひとつとして語り継がれることになる。

 ところでローズベルトといえばニュー・ディール政策が有名だが、彼は一九二九年から始まった世界恐慌まっただなかの一九三三年に第一期を開始しており【引用】、その不安の時代における就任直後から、アメリカ合衆国史上で唯一の三選どころか四選――二選までと定められたのは大戦後――を果たしたその長い任期のほぼ全期間をとおして、「炉辺談話」の名で親しまれたラジオ放送を継続した。英語でFireside Chats、つまり「暖炉を囲んだ団欒のおしゃべり」といったプライヴェートな響きをもつこの政策で、「父」たるローズベルトは「家族」としての大衆に親身に語りかけ、ひろく信頼を獲得することに成功したのである。当時、誰もがマントルピースにローズベルトの写真を飾っていた。

【引用】

Franklin Delano Roosevelt, “Inaugural Address,” March 04, 1933.

  Our greatest primary task is to put people to work. This is no unsolvable problem if we face it wisely and courageously. It can be accomplished in part by direct recruiting by the Government itself, treating the task as we would treat the emergency of a war ... [But] in the event that the national emergency is still critical, I shall not evade the clear course of duty that will then confront me. I shall ask the Congress for the one remaining instrument to meet the crisis─broad Executive power to wage a war against the emergency, as great as the power that would be given to me if we were in fact invaded by a foreign foe.

〔訳〕われわれにとって最大の優先課題は、人びとに職を与えることであります。賢明かつ勇敢にことにあたれば、これはまったくもって解決不能な問題ではありません。この問題は、政府みずから直接に雇用をし、また戦時の非常事態に対処するようにこの問題に対処することで、一定程度まで解決できるでしょう。[…しかし]この国家的な非常事態がなおも深刻であるならば、わたしはそこでみずからに課される明白な責務から逃げることはありますまい。わたしは議会にたいし、この危機に対処するにあたって残された唯一の手段――すなわち、この非常事態にたいする戦争を遂行するための広範な行政上の大権、われわれがじっさいに外敵によって侵略されたときに与えられるであろう強力な権限の行使を、議会に要求するでありましょう。

 世界恐慌まっただなかに第一期を開始したスピーチである。一読して、恐慌という問題を戦争の比喩で捉えていることがわかるだろう。このように明確な敵国ではなく事態や概念との戦争というアイディアは、リンドン・ジョンソンの War on Poverty、リチャード・ニクソンの War on Drugs、そしてブッシュ息子の War on Terror まで引き継がれてゆく。「非常」「緊急」を意味する単語はいくつもあるが、ここでくりかえされている “emergency” はとりわけ武力行使を正当化する場面で大統領が動員してきた用語であり、容易に想像がつくように、やがて乱用されるようになってゆく。この「emergencyにおいて戦時の大権を発動する」という態度の乱用は、「非常」を「日常」に、戦時を平時に持ち込むこと、すなわち永遠に終わらない戦争という帰結を導くことになる。

 真珠湾攻撃をうけてローズベルトは、上記の有名な演説の翌日、炉辺談話でもうすこし穏やかなトーンで参戦の意味について語っている。一九三一年の日本による満州占領からはじまり、イタリアのエチオピア侵攻、ドイツのオーストリア併合と、いかに日独伊の枢軸国が非人道的な侵略をくりかえしてきたかを時系列順にリストアップしたのち、彼は、かつてウッドロウ・ウィルソンが用いたあの戦中における「犠牲sacrifice」を国民に求めた、がしかし、すぐにその言葉を撤回する――「国家のためにベストを尽くすことを犠牲と呼ぶのは不正確でしょう」。では、それはなんなのか。ローズベルトいわく、陸海軍に従軍すること、あるいはべつの方法で国家に奉仕すること、それは、国民の “privilege” にほかならない(5)

 このprivilegeという英単語は日本語では通常「特権」と訳されるが、ここでローズベルトは、だいたい英英辞典では三番目あたりに載っている、「誇りに思える(proud)ような行為に従事するチャンス」という意味で使っている(proudはアメリカの戦争物語で最頻出語彙のひとつ)。ファシスト国家を打倒するという滅多にない名誉な戦争に従軍できることは、むしろラッキーなのだ。ここに、ウィルソンの「強制的志願主義」ならびに「戦争とは個人が国家のために犠牲を払うものである」という論理は廃棄される。いまや、なるべく戦争を回避することではなく、すすんで参戦し勝利することこそが、平和の条件なのだ。かくして戦争国家アメリカにとって、戦争は平和と同義となる。

ⅤはヴィクトリーのⅤ

 戦中の特例ということでローズベルトが四選を果たすことになる一九四四年の大統領選キャンペーンを象徴したのは、「Ⅴ」の文字だった。ポスターをはじめ多岐にわたるグッズに「Ⅴ」の文字ならびにモールス信号の「Ⅴ」にあたる「トン・トン・トン・ツー」があしらわれたほか、ローズベルトをふくめ、人びとは人差し指と中指を立てた「Ⅴ」サインを交わし、ローズベルトと戦争への支持を表明した。ナチを逃れてイギリスにわたりBBCのディレクターになったベルギー人が発案したとされ、のちにウィンストン・チャーチルがファシズムへの抵抗と勝利のシンボルとして常用し一躍有名にしたこの「Ⅴ」サインが象徴したのは、「V for Victory」すなわち「VはヴィクトリーのV」と呼ばれるように、戦争に勝利することであった。

 第二次世界大戦はアメリカからみると、西側では太平洋で日本と戦い、東側ではヨーロッパでドイツと戦った戦争である(前者を「太平洋戦争」と呼ぶのはアメリカの認識であり、現在は日本の侵略範囲をふくめた呼称「アジア太平洋戦争」を用いるのが一般的)。アメリカでは一九四五年五月八日のヨーロッパでの勝利をV-E Day(Victory in Europe Day)、八月一五日の対日戦争での勝利をV-J Day(Victory over Japan Day)と呼ぶ。本稿冒頭でみた写真の『勝利のキス』というタイトルは通称であって、撮影者のアイゼンスタット自身は、これをV-J Day in Times Squareと名付けている。

 とりわけ日本人には見落としようのないことだが、このキスによる「Ⅴ」の祝賀は、もちろん原爆投下の直後の出来事である。同年八月六日、トルーマンは世界最強の存在になった喜びをおさえることができず、たえずほくそ笑みながら原爆の成功を報告するスピーチを行った。それは戦争を早期に終わらせることにより、アメリカ人ならびに連合軍の兵士たちばかりでなく、日本人の命と未来さえも救ったのだ――そのようなロジックで彼は原爆投下を正当化してきた(6)。アメリカの戦争がもたらすのは、死ではない。愛と救済である。この物語こそが、第二次世界大戦は「良き戦争good war」であったというアメリカの記憶を支えている。

ソール・サバイバー

 日本によるパール・ハーバー攻撃の日、現在「アリゾナ記念館」として施設化されている戦艦アリゾナに勤務していたビル・ボールは、アジア太平洋戦争における最初期の戦死者のひとりとなった。彼には地元アイオワ州にジュネヴィーヴ・サリヴァンという名前のガールフレンドがいたのだが、彼女の兄弟はジュネヴィーヴにかわって日本に復讐すべく、ただちに海軍に志願する。彼らの名前は、ジョージ、フランク、ジョー、マット、そしてアル。五人のサリヴァン兄弟は全員が巡洋艦ジュノーに配属され、彼らの望みどおり、太平洋戦線にて日本と対峙することになる。しかし、激戦地となったソロモン諸島ガダルカナルの戦いでジュノーは帝国海軍の伊号第二十六潜水艦による魚雷により被弾・沈没、サリヴァン兄弟は、五人全員が死亡した。

 五人の兄弟全員が一挙に戦死するというこの悲劇は、ながらく語り継がれることになる。息子たちの身を案じた母親はローズベルト大統領からじきじきに哀悼の手紙を受け取り、五人が揃いの制服を着てジュノー上で撮影した写真はポスター化され【図2】、さらにはロイド・ベーコン監督『戦うサリヴァン兄弟』(一九四四)をはじめいくつかの映画作品が制作されるなど、彼らは国家規模での「英雄」となってゆく。このできごとが最大の根拠となって、第二次世界大戦後の一九四八年、アメリカ国防総省は「生存者の特別分離政策」、すなわち戦争関連の死者を出した家族における最後のひとりとなった男児を徴兵免除あるいは除隊とする「ソール・サバイバー・ポリシー」を制定する。

 図2 米戦時情報局作成

 このサリヴァン兄弟からインスピレーションを得つつ、末子がまさに「ソール・サバイバー」として生き残ったナイランド家の四人兄弟の実話にのっとって制作されたのが、スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』である。二〇一四年までアメリカの戦争映画としては興行収入トップに君臨しつづけたこの映画のタイトルはSaving Private Ryanなのだが、Privateは兵士のなかで最下位のランクである「兵卒」を意味する単語だとすぐにわかる日本人はほとんどいないと思われるので、『プライベート・ライアン』はいささかミスリーディングな邦題となっている。これは「兵卒ライアンの救出」というタイトルだ。では、なぜ救うのか? そう、ライアンは「ソール・サバイバー」なのである。

 映画は、例によってはためく星条旗の短いショットにつづいて、ひとりの老人が家族に見守られながら、白い十字架が整然と並ぶだだっ広い墓地でよろよろとへたりこむ場面から始まる。遠くを見据えた老人の顔にズームインしてゆくと――回想が始まる合図である――、じっさいは老人は目撃していないのだが、あたかも彼の回想であるかのようにして、ノルマンディー上陸作戦の場面に移行する。おおよそスムーズに進行したといわれる同作戦のなかでも例外的に激戦となったオマハ・ビーチでの凄絶な戦闘場面が二〇分ほどつづくと一転、戦死者の家族に電報を送る本国の女性タイピストたちのオフィスに移る。そこでひとりのおばちゃんが、三人の「ライアン」の死に気がつく、という流れだ。

 この件は陸軍のトップである参謀総長ジョージ・マーシャルに諮られることになる。はじめライアン兄弟は同じ部隊に配属されておりましたが、例のサリヴァン兄弟のことがあってから、別々の部隊に再配属されたところであります、そのような説明に、ノルマンディーのどこにいるかもわからない最後の生き残りを捜すなどもってのほかであり無益な戦死者を増やすだけだという反対意見が出る。しかし人情味あふれるマーシャルは、南北戦争時代にエイブラハム・リンカンが五人の息子全員を亡くした母親に宛てた「せめて祖国を救うために死んだことを誇りとしてほしい」という手紙を引用し、反対者を黙らせる。生き残りのジェイムズ・ライアンは間違いなく生きている。なんとしてでも救出せよ。そう彼は直々に命令をくだす。

 場面は前線に戻り、主人公のジョン・ミラー大尉(トム・ハンクス)が任務を受け取る。ミラーは八名の小隊を組んで捜索に乗り出すが、そもそも混乱した戦場において特定の個人を捜し出すことは現実的に考えて困難をきわめるうえ、あまりにも危険である。小隊はライアンを見つけ出すまでに二名の死者を出し、なぜ兵卒ごときにこんな犠牲が払われねばならないのかという不満は鬱積してゆく。じっさい、なぜ一名の救出に八名が命を賭けるなどということが正当化されるのかという疑問は登場人物たちも口にしており、この映画の明示的なテーマのひとつになっている。そして、もちろんこの映画の結論は、兵卒の救出には価値があるという立場に立つことになる。

 では、それはいかなる論理で正当化されうるのか。リンカンの「祖国を救うために死んだことを誇りに」という慰安を、マーシャルはライアン救出への反論を封じるために引用している。したがってこれは美談ではなく、失敗例の紹介であり、「息子の全滅が許されていいのか」という一種の反語として持ち出されているわけだ。ここにおいて、リンカンの南北戦争からウィルソンの第一次世界大戦へと引き継がれた、あの「国家のために個人が犠牲になる」というロジックは反転している。ここで肯定されているのは、ひとりの命を救うためにほかの大勢が犠牲になること――すなわち、「個人のために国家が犠牲になる」という構図だ。かくして従軍はsacrificeではなくprivilegeであるというローズベルトのレトリックは、「国家が個人に奉仕する」という詭弁によって支持されることになる。

等身大の兵士たち

 あらためて、サリヴァン兄弟のポスターを見てみよう。カラーでは周囲の枠が赤、中央上部の五つの星は青で彩色され、全体として星条旗のようなデザインになっている。これは当時流行した、自宅の窓や壁にかかげて家族における従軍者の数を星であらわす「サービス・フラッグ」を模したものだ。むろんここにはナショナリズムがあるわけだが、しかし、ここにはファシズムを悪魔化したり、あるいは愛国心を過剰に煽ったりするような仕掛けは皆無である。それよりもむしろ特徴的なのは彼らの等身大の姿であって、このポスターには、誰もが彼らの家族や友人、あるいは本人でありえたということを想像させ、あらゆる市民による兵士への感情移入を喚起する力がある。

 歴史家のジェイムズ・スパロウが述べているように、第二次世界大戦において、アメリカの大衆が「兵士」に抱くイメージは、猛々しい「戦士warrior」から、より民主化された「GI」へとシフトした(7)。この「GI」という言葉の由来にはいくつかの説があるのだが、ともあれ、戦場で戦う兵士たちは、まさにサリヴァン兄弟のポスターが象徴しているように、どこにでもいる身近な青年としてイメージされるようになる。このこと、つまり兵士の命はわれわれの命と同じく尊いものであるという認識を介して、「国家が個人に奉仕する」という物語が支持されるわけだ。ここに、このポスターがもつ、すぐれて民主的なプロパガンダがある。

 このミッションはパブリック・リレイション(PR)、すなわち戦争の広報活動なのだとミラーは述べている(Private Ryanと同じ頭文字)。まさしくプロパガンダだ。いっけん、一人のために八人が犠牲になるのは軍事的合理性に欠けるわけだが、しかし、あなたの最後の息子だったかもしれない兵士を救うために国家は犠牲を惜しまないというメッセージが勝ち取るであろうアメリカの戦争の善良さへの信頼には、かけがえのない軍事的価値がある。そのインパクトは、兵士の身分が低ければ低いほど強まるだろう。アメリカの戦争とはすなわち愛なのであり、それが救済と平和をもたらすのだ。人情の軍人として描かれるジョージ・マーシャルはこのメカニズムを知悉している――彼は一九五三年、ノーベル平和賞を受賞することになるだろう。

 ライアン捜索のミッションにおける一人目の犠牲者であるカパーゾが死んだ日の夜、宿営している教会で夜中に会話がかわされる。ほかの仲間と離れてミラーと二人になった最年長のマイク(トム・サイズモア)は、ミラーの手が小刻みに震えているのに気づき、「もう軍人は合わないんじゃないですか、終わったら別の仕事を見つけたほうが」と言う。それを聞いたミラーは笑いはじめるが、自分が言ったことにたいする笑いとしてはウケすぎであると感じたマイクは、なにを笑っているのかと問い、そこから次のやりとりがつづく――

 

ミラー アンツィオにいたガキ、なんつったっけ? あの手で歩いててさ、あの空中ブランコの歌うたってたやつ。

マイク ヴェッキオね!

ミラー ヴェッキオだ! バカだったなあ。

マイク みんなの上着に小便で「Ⅴ」って書いてましたね。ヴェッキオのⅤ。ヴィクトリーのⅤ。

ミラー ちっちゃくてな。

マイク ありゃ小人でしたね!

ミラー どうやって入隊できたんだか。

マイク 脚撃たれて、そっから手で歩くようになって。

ミラー 手で歩くほうが速くてな。もう手で走ってたね。ヴェッキオ……。カパーゾ……。部下を死なせちまったとき、自分に言い聞かせるんだよ、そいつが死んだおかげで、俺は二人、三人、いや一〇人の命を救えるんだってね。一〇〇人かもしれん。……いままで何人死なせたと思う?

マイク 何人です?

ミラー 九四。でもそれはつまり、その一〇倍救ったってことだろ? いや二〇倍かもな? 二〇倍。シンプルな話なんだよ。こう考えて、任務と人命のどっちを優先するかって選択を正当化するわけだ。

マイク ただ今回は、任務が人命そのものだという。

ミラー だからこのライアンとかいうヤツにはそれだけの価値があってくれないと困る。故郷に帰ったら、なんかの病気を治すとか、もっと長持ちする電球を発明するかなんかして。正直、俺はライアン一〇人もらっても、ヴェッキオ一人、カパーゾ一人と交換しようとは思わないね。

 

 この奇妙なやりとりを解釈してみよう。まず、ここで物語に出てこないヴェッキオという謎の人物を回想させているのは、「Ⅴ」と「足が不自由」の組み合わせから、小児麻痺により車椅子で生活していたローズベルトを想起させるためである。間接的にローズベルトを想起させる方法はいくらでもありえたわけで、あえて小便でひとの上着にⅤを書くヴェッキオという「小人」でそうすることには、すくなくともローズベルトの存在を矮小化する効果があるだろう。このような屈折した表現が現れるのは、あの「死んだ以上に助ける」という戦争国家の算術を、ミラーは頭では採用しながら心では拒否しているからである。この分裂が、彼を痙攣させているのだ。

 もちろん最終的に彼らはジェイムズ・ライアン(マット・デイモン)を発見するわけだが、しかし彼は仲間を見捨てることはできないと拒否。ミラー一行はライアンのミッションに加勢することになる。長い戦闘のすえ、死に際のミラーはライアンに「おまえのために死んだ者たちのぶんまで人生をまっとうせよ」というニュアンスの有名な “Earn this” という台詞を口にする。彼が絶命した瞬間からボイス・オーバーで読み上げられるマーシャルの手紙は、息子を全員失った母への弔慰ではなく、ジェイムズという最愛の末子とともに余生を送ることができることへの祝福だ。かくして第二次世界大戦はファシズムを打倒しアメリカ人を救済した真の「良き戦争good war」となり、ミラーの震えは、この物語へと回収されることで停止する。

 映画の冒頭で墓地を訪れていた老人は、生き残ったジェイムズである【図3】。はじめ彼がよろめいたのは、老いのせいではない。その無限に続くかのように並んだ十字架は彼にとって、いち兵卒にすぎない自分のために命を賭けた者たちの人数なのだ。自分はその無数の死に見合った人生を送れたのか、“Earn this”できたのかどうか、彼は確証がもてない。「俺は良い人生(good life)を送ったよな。俺は善良な人間(good man)だよな」、ミラーの墓前で彼は妻に承認をもとめる。妻はもちろんイエスと答えるが、そのことは、彼を背後から見守る三代にわたる家族の存在がすでに証明している。彼はごく普通の幸福な人生を送った――それでいいのだ。まさにミラーは、死んだ無数の兵士たちは、そして戦争国家アメリカは、ごく普通の個人を救済するためにこそ命を賭けたのだから。

 図3 『プライベート・ライアン』より

 

(1)Lawrence Verria and George Galdorisi, The Kissing Sailor: The Mystery Behind the Photo That Ended World War II (Annapolis, MD: Naval Institute Press, 2012).

(2)“Sarasota Nonprofit Implores Public Art Committee to Recommend City Commission Keep ‘Unconditional Surrender’ Off the Bayfront after Roundabout Completed,” June 18, 2020, Sarasota News Leader

(3)Danny Lewis, “The Woman in the Iconic V-J Day Kiss Photo Died at 92, Here’s Her Story,” Smithsonian Magazine, September 14, 2016

(4)LIFE 27 August, 1945, 26–27.

(5)Franklin Delano Roosevelt, “Fireside Chat” December 9, 1941, American Presidency Project

(6)Harry S Truman, “Address in Milwaukee, Wisconsin,” October 14, 1948, American Presidency Project

(7)James T. Sparrow, Warfare State: World War II Americans and the Age of Big Government (New York: Oxford University Press, 2011), 14.

 

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著者略歴

  1. 阿部幸大

    筑波大学人文社会系助教、日米文化史研究者。株式会社Ars Academica代表。著書に『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(光文社)、『ナラティヴの被害学』(文学通信)ほか。

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