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テーマ書評/棚づくり 第3回 トランプ時代のアメリカ文学 評=上岡伸雄

 アメリカの出版エージェント、エリック・ヘインは、ドナルド・トランプが大統領に当選したあと、「奇妙なことが起きた」と言う。
 彼のところに送られてくる小説の原稿が、「トランプ時代のアメリカに何が起こるか」を想像するものばかりになったのだ。
 「こうした著者たちは政治的な時代の流れを書こうとしているというより、時代の流れに書かされているのだ」と彼は嘆いている。[i]
 
 一方、ジャーナリストのエズラ・クレインは、3月に亡くなったフィリップ・ロスを追悼する文章で、このヘインの言葉を引き、ロスこそは政治的な時代を描けた作家だったと評価する。
 ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ』(原著刊行 2004年、柴田元幸訳/集英社 2014年)はトランプ時代にこそ当てはまると言うのだ。[ii]
プロット・アゲンスト・アメリカ
 これは、1940年のアメリカ大統領選で飛行家のリンドバーグが当選するという歴史改変小説。
 リンドバーグはナチスに協力的で、国内のユダヤ人を弾圧し、人種間の対立が激化する。
 言うまでもなく、この小説が出版されたのはジョージ・W・ブッシュ大統領の任期中であり、当時はその時代を照らし出していると言われた。
 ようするに優れた文学は時代を超えて残る。
 そして、優れた作家は、隠れた人々の意識を感じ取り、問題にし、それを描く。だから予見が当たったように感じられる。
 
 
オバマ時代に潜んでいた「分断」
 
 現在のアメリカの分断や差別意識がオバマ時代から存在していたのは間違いない。
 それが噴き出す形でトランプ大統領が誕生したとすれば、鋭い作家たちはオバマ時代からそれを感じ取り、作品に生かそうとしてきたのだろう。
 そんな作品がトランプ時代に移行する前後から登場し、まさに「時代に当てはまる」と評判になる。
 
 オマル・エル=アッカド『アメリカン・ウォー』(原著・翻訳とも2017年、黒原敏行訳/新潮社)はその好例だ。
アメリカン・ウォー
 地球の温暖化により、沿岸部がかなり水没した近未来のアメリカ。
 化石燃料を禁止しようとする連邦政府に南部の数州が反発し、第二の南北戦争が起きる。
 環境汚染とエネルギー政策、それをめぐる国民の分断、難民の流入と排斥運動など、確かにトランプの時代を誇張して映し出しているかのように読める。
 そして、他者に対する暴力がいかに暴力の連鎖を生むか。
 無邪気だった少女がテロリストになっていく姿に、読者は震撼せずにいられない。
 
 オバマ時代に潜んでいた「分断」について、作家のジョージ・ソーンダーズは面白いエピソードを紹介している。
 彼は2016年の大統領選挙のとき、トランプの支持者を追って取材したのだが、元海兵隊員が次のような記憶を語ったという。
 2008年の大統領選挙のとき彼はカタールにいて、オバマ勝利のニュースを軍の食堂で見た。
 すると、「黒人兵たちが一人残らず歓声を上げる一方、それ以外の者たちは黙って座っていた」。[iii]
 「アメリカは一つである」と訴えて当選したオバマは、調和の象徴であるように見えたが、実は分断を鮮明にしてしまったのだ。
 
 
南北戦争から見えてくる「いま」
 
 このところ南北戦争を扱った小説が目立つように思えるのも、この分断のせいなのかもしれない。
 コールソン・ホワイトヘッドのピュリッツァー賞と全米図書賞受賞作、『地下鉄道』(原著刊行 2016年、谷崎由依訳/早川書房 2017年)は、19世紀初頭のジョージア州の奴隷少女を主人公とする。
地下鉄道
 残酷な扱いを受け、北部へ逃げるために「地下鉄道」に乗る決意をした彼女が、実際に地下を走る蒸気機関車に乗るところから、物語はSF的な時空に入っていく(「地下鉄道」とは奴隷を逃がす秘密のルートを指す言葉であり、実際に鉄道が走っていたわけではない)。
 そのあと彼女がたどり着く地域は、人種差別が緩やかなところも苛烈なところもあるが、いずれにしても史実を歪め、誇張している。
 それだけに、差別や虐待が特定の時代の特定の場所だけのものではないことを強烈に意識させる。
 
 もう一冊は、先述のトランプ支持者の取材をした作家、ソーンダーズが昨年発表し、ブッカー賞を受賞した『リンカーンとさまよえる霊魂たち』(原著刊行 2017年、上岡伸雄訳/河出書房新社 2018年7月25日発売予定)。
リンカーンとさまよえる霊魂たち
 南北戦争中、リンカーン大統領は11歳の息子ウィリーを亡くし、悲しみに打ちひしがれる。
 そして息子の遺体が安置された納骨所を訪ね、長い時間を過ごすのだが、そこは霊魂たちが跋扈する場所である。
 リンカーンは彼らの存在を感知できないのだが、彼らは自分たちの物語を語り、大統領の心に働きかけようとする。
 元奴隷も含む霊魂たちの語りは、そのまま当時の社会の縮図となっており、そこに国家の分断が現われている。
 そして、リンカーンの苦悩を追うことから、暴力でしかその分断を解決できなかったという事実にも改めて気づかされる。
 
 時代を映し出す作品は、必ずしもその時代を忠実に描いているわけではない。
 ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ』が説得力を持つのは、トランプよりも現実にありそうな(ゆえに危険な)人物を描いているからだと、先に挙げたクレインは言う。
 だとすれば、トランプ自身を書いているわけではないのに、その時代を映し出しているようにも読める良質な文学作品が、これからも生まれてくることだろう。
 それに期待したい。
 
 
[註]
 
[i] Erik Hane, “The Year in Trump Novel Pitches: An Agent’s Lament” (Literary Hub) March 30, 2018.
[ii] Ezra Klein, “Philip Roth’s 2004 Warning about Demagogues Is More Relevant Than Ever” (Vox) May 28, 2018.
[iii] George Saunders “Who Are These Trump Supporters?” (The New Yorker) July 11 &18, 2016.

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著者略歴

  1. 上岡伸雄

    1958年生まれ。学習院大学文学部英語英米文化学科教授。現代アメリカ文学。訳書に、D・デリーロ『アンダーワールド』『墜ちてゆく男』、R・クーヴァー『ノワール』、J・ル・カレ『われらが背きし者』、G・グリーン『情事の終わり』、P・ロス『ダイング・アニマル』、D・リーフ『死の海を泳いで』、H.ブルース・フランクリン『最終兵器の夢』、J・ソーンダーズ『リンカーンとさまよえる霊魂たち』など多数。

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