〈特別公開〉第1回 50年後のチャーチ委員会(若林 恵)
※『世界』2025年4月号収録の連載第一回を特別公開します。
自分は政治の専門家でもアメリカの専門家でもないのだけれども、「トランプになって、アメリカどうなっちゃうんですか?」といった質問を時々される。わざわざそんな質問をしてくる人は、おそらく「トランプは白人至上主義のファシストで、アメリカはこれからとんでもないことになっていく」といった感じの警鐘に半分はうなずきこそすれ、そんな危険人物が大統領選で女性や多様な人種の人びとからもそれなりの票を集めて圧勝を収めた背景を理解するにあたって、「トランプに投票した人はレイシストのミソジニストである」という以上の説明が必要なのではないかと感じているのではないかと想像する。
なぜ自分がそれを聞かれるのかは定かではないが、普段から面白がって陰謀論の話なんかをしているからだろう。ソーシャルメディアを見たりポッドキャストを聞くにしてもどちらかと言えばアメリカのアンチ・エスタブリッシュメント寄りのものが多いので、自然とトランプ寄りのナラティブやロジックにも通じてくる。その観点からすると、たしかにトランプ支持者を闇雲に差別主義者と断じる言い様には違和感がある。先日も、とある本を読んでいたら、敗れた民主党支持者については、一口に「リベラル」と言ってもそこには複雑なグラデーションがあるといったことが書いてあってうなずいたのだが、ことがトランプ支持者となると「レイシスト」と断じたきり、まるでグラデーションを認めないのはさすがにどうなのよ、と首をひねったりしたのだった。
ディープステートの輪郭
このような違和感は、日本でも一部でかなり強まっていそうだが、アメリカにおいて、それは明確な反発や憎悪となって民主党陣営に向けられている。トランプ側に大量の票が流れたのは、その結果だったと言っても過言ではない。
昨年の大統領選挙のさなか、ソーシャルメディアの「X」で見かけた投稿に「トランプは原因ではなく、症状である」というものがあった。アメリカが重篤の病人だったとして、トランプをその病気の原因であると見るのか、あるいは原因は別のところにあってトランプはその結果引き起こされた症状であると見るのかで、トランプの評価は当然大きく変わる。民主党は第一次トランプ政権の頃から先の大統領選にいたるまで一貫して前者の立場を取り続け、社会の分断の元凶であるところのトランプを除去すべく、トランプをヒトラーに、その支持者たちをナチスになぞらえることも厭わなかった。その一方でトランプ支持へと流れた多くの人たちは、「世の中の何かがおかしい」という言葉にならない居心地の悪さに言葉とかたちを与えてくれる存在としてトランプを見ていた。トランプは、気づかぬうちに進行していた作用を明らかにする反作用だったのだ。
じゃあ、世の中のいったい何がおかしかったのか。それを語るだけで一冊の本が書けそうだが、思い切り煎じつめるなら「アメリカ政府はもはや自分たちのためには働いていない」という感覚に集約される何かだったのではないか。誰が政府を動かしているのかまったくわからない。自分たちが選挙で選んだわけでもない顔のないエリート官僚集団に政府が乗っ取られてしまっているのではないか。トランプ支持者の不信は根深い。気づけば「ディープステート」という言葉がもはや熱狂的MAGAの隠語ではなく、一般名詞に近いかたちで使われるようになっていることからも、その不信感の広がりは想像できる。
ちなみに「ディープステート」の語は、この数年まるで都市伝説のように語られてきたが、その輪郭がだいぶ固まりつつある。政府内の連邦官僚、諜報機関、軍、民間企業へとまたがる外交エスタブリッシュメントのネットワークを指すというのが最近のコンセンサスだ。FBIやCIA、NSAといった三文字組織や軍産複合体の暗躍に警鐘を鳴らすのは、かつての民主党の十八番だったが、そのお株もトランプ陣営に奪われた。民主党全国委員会副議長まで務めたトゥルシー・ギャバードが、トランプ政権で国家情報長官に任命されたのはなんとも皮肉なことだ。
五〇年前の「沼さらい」
「ディープステート」の闇をトランプがどこまで明らかにできるのかは定かではないが、トランプの言うところの「沼さらい」(“drain the swamp”、「膿を搔き出す」といったニュアンス)は、今からちょうど五〇年前にも行われたことがある。一九七五年の「チャーチ委員会」というのがそれで、正式名称は「諜報活動に関する政府活動を調査する米国上院特別委員会」という。この委員会を主導したのはフランク・チャーチという民主党議員だ。ここで明かされた内容は、当時大きな衝撃を与えたとされる。概要をWikipediaから拾ってみる(以下、拙訳)。
チャーチ委員会の最も衝撃的な暴露のひとつとして「MKウルトラ作戦」が挙げられる。これは一般のアメリカ市民に対して薬物投与や拷問を行ってマインドコントロールを行う人体実験の一環として実施された。次いで「コインテルプロ(COINTELPRO)」はアメリカの政治団体や市民団体の監視や弾圧を行うもの。さらに、「ファミリー・ジュエルズ」というCIAプログラムは、外国の指導者を秘密裏に暗殺することを目的としていたことが明らかになった。また「モッキンバード作戦」は、国内外のジャーナリストがCIAのエージェントとして活動し、数十のアメリカのニュース組織がCIAの活動を隠蔽すべく体系的なプロパガンダキャンペーンを実行していたことが明らかになった。これによって、CIAが報道機関を含む民間企業と癒着しているという報道が事実であることが明かされた。……委員会はまた「プロジェクト・シャムロック」というプログラムを明らかにし、主要な通信会社がNSAと通信データを共有していたことを公表。これによって、信号諜報機関(Signal Intelligence Agency)の存在が初めて公式に明らかになった。
まったくもって無茶苦茶な話だが、今これを読んで改めて感心してしまうのは、たとえば諜報機関とメディアの癒着、オンライン監視・検閲や情報操作といったあたりは、CIAのフロント組織としての顔も持っていたとされるUSAIDがやっていたと指摘される活動とさほど変わっていないことだ。五〇年もの間、変わらずに同じことをなんの監査も受けることなくやってきたのであれば、そのことにむしろ驚かされる。
いずれにせよ、ここに記載された「ファミリー・ジュエルズ」というCIAの外国要人暗殺プログラムの存在は、一九七四年末にシーモア・ハーシュというジャーナリストがニューヨークタイムズに掲載した調査報道によって明らかになったもので、この記事がチャーチ委員会開催の引き金ともなった。
シーモア・ハーシュの「亡命」
シーモア・ハーシュはベトナム戦争時に、米軍による「ソンミ村の虐殺」とその隠蔽を報じて名を上げたジャーナリズム界の生ける伝説だ。近年は、ウクライナとロシアの紛争のなかで起きた、天然ガスのパイプライン「ノルドストリーム2」爆破事件の内幕を詳細に報じたことで知られる。記事はバイデン政権が爆破に関与していたことを伝える内容だったが、興味深いのは、ハーシュがこの記事を掲載したのが既存メディアではなくサブスタックだったことだ。大手メディアはハーシュのスクープを完全に黙殺したのだ。
「チャーチ委員会」の引き金を引いたスクープはニューヨークタイムズに掲載され、その五〇年後、政権が関与した裏工作を明かすスクープは、既存メディア産業の外にあってジャーナリズムにおけるクリエイターエコノミーの牙城となっているサブスタックに掲載された。このことは、この間のアメリカのメディア環境をよく物語っている。ハーシュは二〇二三年二月のサブスタックでの初投稿で、こう語っている。
私は長らく大手メディアで働いてきましたが、そこを自分の家だと感じたことはありません。最近はもはや歓迎もされません。あらゆる問題には常にお金が絡んできます。『ワシントンポスト』や私の古巣の『ニューヨークタイムズ』は、定期購読や店頭販売、広告収入がいずれも減少する悪循環に陥っています。CNNやMSNBC、FOXニュースは、調査報道よりもセンセーショナルな見出しを競い合っています。現在も多くの優れたジャーナリストがそこで活動していますが、多くの報道は、私がニューヨークタイムズで日々記事を発信していた頃にはなかったガイドラインや規制によって縛られています。
「フェイクニュース」という言葉は、大手メディアが語るときには、インターネットやソーシャルメディアに溢れかえる「本当か嘘かわからない情報」を指すが、トランプが語るとき、それは「政権の広報部として嘘八百を語る御用機関」を意味している。二〇一七年に大統領に就任した際、トランプがCNNやニューヨークタイムズといった大手メディア企業を「フェイクニュースメディア」と語った際には「何を頓珍漢なことを」と思った人であっても、コロナ、ウクライナ、イスラエルと立て続けに起きた大事件のなかで、大手メディアに対して何らかの不審を感じなかった人はむしろ少なくなかったはずだ。
ネット空間にはもちろん問題はあるが、大手メディアにも問題はある。トランプ支持者と否定論者のひとつの分かれ目は、どちらの問題により重きを置くかにあるとも言える。とはいえ大手メディアからユーチューブやサブスタックに拠点を移したのは何もハーシュだけではない。二〇一四〜一五年あたりを境にして、リベラル系も含む多くの有名ジャーナリストが名門メディアからインターネットへと亡命している。そして、みなが口を揃えて「書きたいことが書けなくなった」と語る。直近ではニューヨークタイムズの人気コラムニストだった経済学者のポール・クルーグマンが活動拠点をサブスタックに移した。やはり「書きたいことが書けない」が理由だった。
調査報道の黄金時代
トランプ支持者の間では「陰謀論と真実の間は二年」という言い方がよく聞かれる。大手メディアが当初偽情報や陰謀論だと断じた話題が数年後に「本当だった」と判明する、といったことは実際何度も起きている。ハンター・バイデンのラップトップは「ロシアの偽情報」ではなかったし、コロナウイルスの起源が武漢のラボであることは「陰謀論」ではなかったし、大統領選での公開討論会で明らかだった通りバイデンの認知不全は「フェイクニュース」ではなかった。二〇二四年の大統領選で「陰謀論」や、その代名詞的存在だった「QAnon」の語をほとんど見かけなかったのは、端的に、論敵を「陰謀論者」だと言って封じ込める手口が以前ほど効果を発揮しなくなったからだ。陰謀論者呼ばわりされたとしても、「どうせ二年後には本当だったってことになるんでしょうよ」と、憐れみをもって応対するのが選挙戦中のMAGAのゆとりだった。
しかしながら、大手メディアが語ってきた虚偽はいまだに尾を引いている。トランプの下した指令には、たとえば「ハンターバイデンのラップトップ/ツイッターファイル」をめぐる問題への明らかな報復も含まれている。
「ツイッターファイル」は、二〇二〇年の大統領選の際に、右派メディア「ニューヨークポスト」がすっぱ抜いたバイデンにとって不利なスクープを、バイデン陣営と民主党がソーシャルメディア企業に圧力をかけて捻りつぶしていたことを明かす、当時のツイッター社内の内部文書を指す。外部にリークしたのはイーロン・マスクだ。マット・タイービ、マイケル・シェレンバーガー、バリ・ワイスの三人のジャーナリストにマスクが託した文書は、バイデン選対や諜報機関によるソーシャルメディアに対する検閲の実態を露わにした。
かつての「ローリングストーン」のスターライターで現在はサブスタックを拠点に活動する左派寄りのジャーナリストであるタイービは、この文書の公開を経て、USAIDやNEDを含む政府機関、民主党、諜報機関、「ファクトチェック機関」やソーシャルメディア企業、NGOなどによって織りなされた機構を、「軍産複合体」をもじって「検閲産業複合体」と呼んだ。しかも、それはアメリカ国内で肥大化しているばかりでなく、EUの「デジタルサービス法」や、英国の「オンライン安全法」を根拠に欧州にも勢力を伸ばしていると、タイービは下院公聴会で語っている。
イーロン・マスクがツイッター買収の大義名分を「表現の自由を救うため」と語るのは、直接的にはこの騒動に由来する。かつ、この「検閲産業複合体」に対する警戒感が、一部の人が強くマスクと「X」を支持していることの理由ともなっている。その意味で「ツイッターファイル」は、トランプが仕掛けたUSAID封鎖の、露払いの役割を果たしたとも言える。
そんななか、タイービはつい最近、右派最大のポッドキャスターであるタッカー・カールソンの番組で、「これから調査報道の黄金時代が始まる」と語った。検閲産業の肥大化に警鐘を鳴らし、「政府が働きづらくするのがジャーナリストの役割」と語るタイービは、トランプの機密情報開示の機運が、旧メディアの外にいる新興ジャーナリストたちに新たな使命を与えることに期待する。五〇年後のチャーチ委員会がそこでは待望されている。
ちなみに、カールソンは番組内で、「自分が機密情報にアクセスできるとしたら、どの事件を掘ってみたい?」とタイービに訊ねている。「バイデン政権を一体誰が動かしていたのかをまずは知りたいですね」が、その答えだった。