〈特別公開〉第2回 アメリカファーストの反対語(若林恵)
※『世界』2025年5月号収録の連載第2回を特別公開します。
トランプ大統領の支持者、いわゆるMAGA(Make America Great Again)の人たちが語る「アメリカファースト」は、ニュアンスを取り違えると話がこんがらがってしまうことばだが、そういうときは、それが「何を表しているか」よりも「何を表していないか」を考えてみるといい。つまり「アメリカファースト」の「反対語」を探ってみるのだ。
まずもってMAGA的な動きを促進しているのは「アメリカ政府は自分たちをレペゼンしてはいない」という怒りや失望、落胆だ。そしてその矛先は一部の官僚やビジネスエリート、そしてその拡声器の役割を担う政治家たちに向けられる。大衆から乖離したこうしたエリートたちの一群を、MAGAは、よく「グローバリスト」と言い表すが、「グローバリスト」は文字通り、「国家」の政治経済よりも「グローバル」な政治経済を優先する人たちを指す。レーガン政権あたりから始まる、政治の新保守主義と経済の新自由主義を両輪としたアメリカの覇権主義/帝国主義/新植民地主義は、MAGAの間では決まって「グローバリスト」の仕業だということになっている。この「グローバリスト」こそ、まさに「アメリカファースト」の反対語だ。MAGAは何よりも、ネオコンと世界経済フォーラムと、それらにぶら下がった戦争屋が大嫌いなのだ。
グローバリストたちの仕業
トランプが封鎖し、イーロン・マスクが「壮大な詐欺」と呼んだことで紛糾している「USAID」(米国際開発局)が、こうした「グローバリスト」たちの先兵の役割を担ってきたことは公然の秘密だ。たとえば左派メディアのジャコバンは、封鎖のニュースを受けてUSAIDをこう評した(Gabriele Wadlig, “The Eclipse of USAID by Digital Imperialism”)。
USAIDは、援助や開発といった美名の下、アメリカ帝国主義のソフトパワーの実行部隊として機能してきた。一九六一年にジョン・F・ケネディ大統領の下で設立されて以来、民主主義の促進、貧困の撲滅、グローバルサウスにおける経済成長の促進という名目の下、アメリカの地政学的利益を推進する上で重要な役割を果たしてきた。多くの職員は善意から仕事に当たってはいたが、USAIDという機関そのものは決して慈善を目的としていたわけではない。
「アメリカ帝国主義の実行部隊」としてのUSAIDの主な業務は(それ以外に通常の支援もたくさん行なっているのだが)、無数のNGOを使ったメディア操作、民主化運動や反政府運動などの支援、選挙への介入などで、その狙いは相手国の政府や社会を不安定化させた上で、政権を傀儡化したり、債務漬けにしたりして、アメリカ企業に利得を掠め取らせるというものだった。
また、中国外務省は、USAIDのコラボレーターとして絶大な影響力を誇る非政府組織「NED」(National Endowment for Democracy)の機能をこう説明している。「NEDは海外での民主主義支援を行なうNGOだと主張していますが、実際は世界中で政権の転覆、乗っ取り、妨害工作を行なうアメリカ政府の『白手袋』として機能しています」。そして、その「実績」として、イランでの民主化運動、アラブの春以降に中東で起きた民主化運動、ジョージアやウクライナにおける「カラー革命」、台湾、香港、チベット、ウイグルにおける反政府運動の支援などを挙げている。
「民主主義」や「経済成長」の美名のもとアメリカがこうして他国の内政に干渉してきたことは、「西側」でない国々からすると特に目新しい話ではないはずだが、当のアメリカ人が、このことにさほど目くじらを立ててこなかったのは、ひとつにはフセイン、カダフィ、アサド、プーチンといった「反アメリカ」の政治家を、「民主主義を冒瀆する独裁者だ」とメディアで煽っておけば、多くの国民がそれを真に受けたからだろう。こうした国際政治におけるキャンセルカルチャーの適用は、まさにUSAIDやNEDの発明と言ってもいいようなものだが、トランプ第一期、コロナ、ウクライナの紛争によって立て続けにもたらされた混乱と騒擾を経て、そのやり口は、ソーシャルメディアやポッドキャストのおかげもあって、海外でも国内でもめっきり功を奏さなくなった。
そうしたなか、MAGAに転んだ人たちに芽生えたのは、たとえば「何だって自分となんの関わりもないウクライナに税金が無尽蔵に注ぎ込まれているのか」といった疑念だった。アメリカ国内に目を転じれば、オアフの山火事やジョージア州のハリケーンで被災した人たちへの政府支援が、ウクライナへの支援と比べてあまりにしょぼいことなどにも気づいてしまう。
こうした疑念が厄介なのは際限がないことだ。いったん自分が騙されていたことに気づくと、今度は「いつから騙されていたのか」が気になり出す。そうやって疑い始めると、たしかに気候変動も、ブラックライブズマターも、LGBTQも、コロナも、9・11も、ひいてはJFKの暗殺も、グローバリストたちによる壮大な詐欺だったように思えてくる。
トランプは実際、そうやって雪だるまのように膨れ上がっていく疑念を晴らすことを公約に当選した。DOGE(政府効率化省)によるUSAID封鎖も、不法移民の摘発も、気候変動アジェンダの終了も、DEIの廃止も、WHOやNATOからの撤退も、言ってみればすべて公約通りだ。MAGAからすれば、グローバリストのアジェンダに抗うこうした施策の遂行こそが、まさにトランプに票を投じた理由だった。
デモクラシー作戦の終焉
USAIDの封鎖をめぐる騒動は、トランプが遂行する蛮行のなかでは小さな逸話のように見えるかもしれないが、実際は大きな方針転換を示唆している可能性もある。
一九八〇〜九〇年代の人気政治学者だったシェルドン・ウォリンは一九八九年に刊行した『アメリカ憲法の呪縛』という本のなかで、「民主主義」を旗印にしたアメリカの覇権主義は、ウッドロー・ウィルソン以来、ケネディ、レーガンへと引き継がれては絶えず拡張してきたと語っている。彼は、それを貫く行動原理を「デモクラシー作戦」(原語は「Operation Democracy」。訳書では「操作的民主主義」と訳されている)と名づけ、「その本質は、アメリカの外交政策の諸目標を推進するために民主主義を利用する点にあるが、表面的には海外の民主主義を支援するために外交政策を利用するという偽装をまとっている」と論じた。
ウォリンは、この「デモクラシー作戦」が肥大化していくこととなった重要な契機として、ケネディの一九六一年の大統領就任演説と、レーガンが一九八六年の演説で概略を示した「レーガン・ドクトリン」を挙げている。前者を受けて「USAID」が、後者を受けて「NED」が設立されたことを思えば、トランプやマスクが、いまあえてそれを目の敵にしているのはいかにも象徴的だ。ウォリンの見立てに従うなら、トランプは、アメリカの国際政治を長らく律してきた「デモクラシー作戦」を終わらせようとしているのかもしれない。
ただでさえプーチンや習近平などが、アメリカが唯一の覇権国家である「ユニポーラー」(一極化)の時代は終わり、「マルチポーラー」(多極化)の時代が始まると口にしているなか、アメリカは、現実問題として自らの力量を一度棚卸ししてみるべき局面にある。現国務長官のマルコ・ルビオは、あるインタビューで、戦艦の造船能力においてアメリカは「中国の一〇分の一しかない」と語ってウォッチャーたちを驚かせたが、その驚きは、アメリカがもはや唯一無二の強国ではないことを現政権が認めた点にあった。
こうした観点から見れば、これまでの同盟関係をあっさり清算しつつ、細心の注意をもってロシアや中国と向き合い始めたトランプの身振りは、アメリカを「マルチポーラー」化する世界に定位し直そうとするものと見えなくもない。この転換が、自国民を最優先に現実主義的な外交を展開する穏健な国家へとシフトさせていくことを意味するのであれば、それこそが、MAGAたちの願いに叶った「アメリカファースト」をもたらすことになるはずだ。
ただ、おそらく、ことはそう簡単には運ばない。なぜなら「アメリカファースト」には、もうひとつ反対語があるからだ。その語が示唆された途端、MAGAの意見さえも割れてしまうマジックワード。誰しもがその存在を感知しながら口にすることが憚られてきた、ある国の名前だ。
MAGAを分かつもの
トランプ政権が、コロンビア大学で反イスラエル・デモを主導した移民学生を拘束し、国外退去の処分を下したことにトランプ支持者の間からは当然のように賛成の声が上がったが、その判断を疑問視する人たちはMAGA界隈にも少なからずいた。
トランプの決定を支持する側からすると、国内の大学におけるプロテストは、「グローバリスト」たちが海外で展開してきた「デモクラシー作戦」の国内版、反転したカラー革命に見えている。アラブやウクライナでの「革命」同様、「民主主義」や「人権」を盾に政府や社会を不安定化させるオペレーションだというわけだ。
その一方で、話はむしろ逆だと考える人たちもいる。こちらは、イスラエルへのプロテストは、むしろ「グローバリストのアジェンダ」や「デモクラシー作戦」に対するプロテストなので、本来であればMAGAは、イスラエルを非難し、ガザを擁護すべき立場だと考える。
このふたつの言い分を隔てているのは、イスラエルの捉え方だ。前者は、西洋社会におけるイスラームの浸透をグローバリストのアジェンダと捉え、イスラエルやユダヤ人をその被害者であり防波堤であるとみなそうとする。後者は逆に、イスラエルこそがグローバリストのアジェンダを裏から駆動する黒幕で、そうであればこそアメリカはイスラエルとのずぶずぶの関係を根底から断ち切らねばならないと考える。
後者の観点に立つと「ディープステート」の核心にはイスラエルがいる。つまり、ここでの「アメリカファースト」の反対語は「イスラエルファースト」になる。自国民よりもイスラエルの利益が優先されているのではないか。この疑念は、大声では語られぬまま、ずっと水面下でわだかまってきた。
ジェフリー・エプスタインの性的虐待問題はもとより、9・11からJFK暗殺にいたるまで、背後にイスラエル政府の意向があったとする陰謀論は今なお根強いが、エプスタイン事件やJFK暗殺の文書公開がトランプ政権下で心待ちにされているのは、アメリカとイスラエルの真の関係が、そこで本格的に明らかになることが暗に期待されているからにほかならない。
マッシーのアメリカファースト
いずれにせよ重要なのは、トランプがいったいどちらの立場なのかということだ。トランプが親イスラエルのロビー団体「AIPAC」(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)から巨額の献金を得ていることは、MAGA陣営においても知られたことだ。そうであればこそトランプを支持するという人も少なくはないはずだが、逆に、熱烈なイスラエル支持者ではないMAGAからすると、トランプもバイデン政権と同じようにイスラエルの使い走りでしかなかったと判明すれば、黙っているわけにはいかなくなる。
ちょうどこの原稿を書いているタイミングで、MAGAの間で人気が高いケンタッキー選出の共和党下院議員トーマス・マッシーが、トランプ共和党が提出したつなぎ予算法案に反対してトランプの怒りを買っている。ところが、Xを見る限り、マッシーの肩をもつトランプ支持者は決して少なくない。なかには「AIPACから一銭も金を受け取っていないからマッシーは信用できる」と擁護の理由を述べた投稿もある。
マッシーは、人気ポッドキャスターのタッカー・カールソンの番組に出演した際に、議会がいかにイスラエル・ロビーに操作されているかを赤裸々に語って話題を呼んだ。議員に選出されるとAIPACの「ハンドラー」と呼ばれる人物がやってきて、これを立法化しろと法案を渡されたこと。それを断るとマッシーをキャンセルすべく「反ユダヤ主義者だ」と激しいネガティブキャンペーンが展開されたこと。共和党でAIPACから金銭を受け取っていないのはおそらく自分だけであること等々。マッシーはそんな自分の立ち位置を番組でこう説明した。
私はリバタリアン寄りの共和主義者です。表現の自由を擁護する立場です。とはいえ、イスラエルに批判的なことを言ったことはありません。イスラエルへの軍事支援には反対しましたが、それは、どこの国に対してであってもアメリカが制裁や支援を行なうことに反対だからです。もちろん、相手が誰であれ、どんな戦争にも反対です。
マッシーを支持する声の多さを見るにつけ、トランプに票を入れた穏健なMAGAが望んでいたのは、おそらくマッシーがここで語ったような意味での「アメリカファースト」だったのではないかと思う。
世界のあちこちの国の政治に介入してきたUSAIDと、議員たちの首根っこをおさえてアメリカの立法府を操ってきたとされるAIPACは、こうして見るとまるで合わせ鏡だ。国際政治における方針や「民主主義」の語の取り扱いをめぐって、いまアメリカは重大な方針転換を迫られているが、これまでの国外での介入政策の是非を論ずることよりも、それが自国内で展開されてきたのを黙って見過ごしてきたことを認めるほうがはるかに強い痛みをともなうだろう。
「イスラエルの飼い犬である限り『アメリカファースト』はたちの悪い冗談でしかない」といった文言がX上では回遊しているが、トランプ政権がどこまでこの問題に踏み込めるのかは未知数だ。MAGA界隈からも、「やっぱりトランプじゃ無理か」と、失望の声が上がり始めている。