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【特別公開】メキシコ映画に溺れたい(星野智幸)

『世界』2025年2月号収録の記事を特別公開します。


 『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・クアロン、『レヴェナント』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、『シェイプ・オブ・ウォーター』のギジェルモ・デル・トロ。 

 映画界の現代の巨匠たちがじつはメキシコ人であることは、もはやあまり気に留められていないかもしれない。メキシコからこれほどの映画人たちが現れるのは偶然ではない。メキシコ映画はそれだけの豊かな土壌と分厚い歴史を持っていて、驚くべき創造性を発揮し続けてきたのだ。 

 それをたっぷりと体感できる「メキシコ映画の大回顧」が、国立映画アーカイブで一月七日から始まる。まさにメキシコ映画のすべてを見せる企画で、ラインナップを見るだけで鳥肌が立つ。ここでは私の主観で、見どころを紹介したい。 

 メキシコ映画といえば、まずは何よりもメロドラマ。特に二〇世紀中ごろの黄金期は、ありとあらゆるメロドラマのフルコース状態で、さながら今の韓流恋愛ドラマの世界のよう。中でも必見の傑作が『エナモラーダ』。メキシコ黄金期に隆盛を誇ったエミリオ・フェルナンデス監督と究極の名カメラマン、ガブリエル・フィゲロアという世界に誇るコンビの代表作だ。 

 『エナモラーダ』より (©FILMOTECA UNAM’S COLLECTION)

 メキシコ革命の荒くれ闘士が上流階級の型破りな娘と恋に落ちる、という「愛と革命」もの。そもそも敵対する関係のうえ、ヒロインにはすでに婚約者がいて、無教養の革命戦士とは身分が違いすぎて、と、「障害が多いほど恋愛は燃えあがる」というメロドラマの定型がてんこ盛りなのだが、最大の障害はヒロインが痛快なまでに「男まさり」であること。男らしさを誇りとする戦士を腕力で張り倒し、言葉でプライドをへし折り、「男になりたい」とまで口にする。マッチョな男には受け入れがたいその状況から、どう恋愛の成就へと進むのか。『エナモラーダ』では、そこにメロドラマが持つ可能性と、時代と折り合うための抑圧があからさまに見えて面白い。ヒロインを演ずるマリア・フェリックスはメキシコ映画黄金時代の象徴で、その目力の強さ言葉の強さが遺憾なく発揮されて魅力的だ。 

 じつはこの作品に字幕をつけたのは私だ。小説家になる前、字幕翻訳家だった私の一九九〇年代の仕事が、また日の目を見ることになって嬉しい。 

 あの当時よりもヒロインのジェンダー設定を興味深く感じたのは、この大回顧がメキシコ映画史におけるフェミズム的側面に大きく光を当てているからだ。作り手がほぼ男性で占められていた黄金時代に一人気を吐いていたマティルデ・ランデタ監督・脚本の作品が、『女隊長アングスティアス』『街娼』と二本も上映されるのは、私の最大の楽しみである。 

 さらには、一九七〇年代にフェミニストと映画作家たちが始めた「女性映画コレクティブ」の短篇作品が四本、取りあげられる。このうち二本を見たが、あまりにも今の日本の問題そのものでショックだった。特に、中絶の問題を「自分の身体は自分のもの」という自己決定権の観点から扱った『女のこと』は、アフターピルへの遅々とした厚労省の対応などが思い起こされ、非常に同時代的だ。 

 こうしたフェミニズム的な視点を持つことで、大回顧の流れの見え方もアップデートされる。現代の巨匠たちの一世代前の巨匠、アルトゥーロ・リプステインの『黄金の鶏』は、作家のフアン・ルルフォがプロットを作った物語を、リプステインの妻パス・アリシア・ガルシアディエゴが脚本化した。リプステインらしい、人間の性懲りのなさと暴力性を陰鬱に退廃的に、特徴的なクリムゾンの光を効果的に使って描いた作品だが、主人公の妻となる女性が永遠に支配から逃れられない構造を明らかにした物語だと見ると、人間の業といった運命論的な解釈が後景に退く。 

 ルルフォが脚本で関わった作品としては、『秘められた公式』という短篇がルベン・ガメス監督特集として上映されるが、これが驚愕! ヌーベルバーグの延長にある、一九六五年の第一回実験映画コンクールで一位になった作品で、鮮烈なイメージが強靱なリズムとルルフォのテキストで刻まれ、シュールリアリズムが一瞬現代によみがえったかのよう。この作品はルルフォらしさ炸裂だった。 

 字幕翻訳家をしていた時代、私はメキシコ映画にぞっこんだった。しかし、次第にその男たちのサークル的な側面が耐えがたくもなって、いつの間にか離れてしまった。だから、今回の大回顧で男たちのサークルを相対化する視点が盛り込まれたことは、否定された過去の自分を救い出す機会となるだろう。 

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特集上映「メキシコ映画の大回顧」

2025年1月7日~2月9日まで
国立映画アーカイブ(東京・京橋)にて開催
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著者略歴

  1. 星野智幸

    作家。新聞社勤務を経てメキシコに留学。最新刊は『ひとでなし』(文藝春秋)。

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