【特別公開】450時間の痛みを生き直す――なぜ『Black Box Diaries』を撮ったか(伊藤詩織)
※『世界』2025年3月号収録の記事を特別公開します。
映画『Black Box Diaries』をめぐっては、昨年10月、伊藤氏の元代理人弁護士らが記者会見を開き、作品内での監視カメラ映像、警察官や代理人の音声使用などに関して問題があると指摘している。 なぜ自ら残した記録を基にドキュメンタリーを制作したのか。作品で何を描こうとしたか。制作者本人の言葉をお届けする。 |
映画館という場所
スクリーンの前は私にとってグループセラピーのような場所だった。
制作した作品が上映される映画館へ、質疑応答のため足を踏み入れるたび、さっきまでエンドロールをぼーっと見つめていた観客たちと目が合う。その目には、苦しみ、熱が含まれているようにみえる。性暴力、ハラスメント、非対称な関係性のなかで沈黙させられてきた経験は、誰にもあるのだろう。もしくは大好きな人が同じような経験をした痛みを知っているのかもしれない。
映画館は不思議なところだと思う。人生における一時間半、二時間を暗闇の中、前を向いて過ごす。見知らぬ人々の隣で、同じスクリーンに映る何かを見つめ、それを受けとるのだ。
映画館はセーフスペースだ。そこではスマホを取り出してコメントすることは誰にも許されないし、大きな声で発言することもできない、外の世界と遮断された空間。
『Black Box Diaries』は私にとって初めての長編ドキュメンタリー作品で、ちょうど一年前にアメリカのサンダンス映画祭でワールドプレミア上映されてから五七カ国で上映、もしくは上映予定が決まっている。私はこれまでテレビやネット向けに短編のドキュメンタリーを制作してきた。観客から実際に映画を観たばかりのリアクション、感想、言葉にならない思いを受けとるのは初めての体験だった。
数日前、作品がアメリカのアカデミー賞にノミネートされるというニュースが飛び込んできた。日本人監督として長編ドキュメンタリー部門でノミネートされるのは初めてだという。イギリスのアカデミー賞にもノミネートされ、それは市川崑監督の『東京オリンピック』以来約六十年ぶりのことらしい。
力づけられるニュースが立て続けに舞い込んできたのと同時に、複雑な思いが心を支配している。
この原稿を執筆している現時点ではまだ、日本での上映は決まっていない。評価もされていない。いまは、公開へと進めない難しさこそ、この映画が光をあてたかったことなのかもしれない、と考えている。
この映画を取り巻く状況、日本で起きていることをBlack Dox Diaries Part2として観たい、と言われたこともあるが、再度自分自身にカメラを向ける、その痛みを共有するほどのエネルギーは残っていない。だから今回は改めて、なぜこの映画を制作したのか、自分自身と対話をしつつ記せたらと思っている。
「新しいストーリーではない」
自分の被害、そしてその後、突然、逮捕差止めにいたった捜査の展開、また性暴力被害に関する日本の法制度の問題について『Black Box』という本を書いた。公でも話してきた。ドキュメンタリー制作のプロセスや内面の旅を描いた『裸で泳ぐ』というエッセイ集も出版した。
そして、映画をつくった。
世界最大級の映像配信プラットフォームのアメリカ本社からこの作品を配信したいとのオファーがあったにもかかわらず、日本支社の強い反対でオファーが流れたことがあった。
アメリカの本社は日本側の拒否に驚いた様子だった。サブスクリプション型のプラットフォームは、国内メディアよりも進歩的な印象をもっていたが、実際にはその日本支社には国内テレビ局出身者が多いということを思い起こした。中身はそれほど変わらないのだ。最近の中居正広氏の疑惑についてのフジテレビの対応を見ていて、そのことを再確認した。
ちなみに私はこの中居氏の事件が報道される際、「女性トラブル」という表現がメディアで使われたことに、違和感を超えて嫌悪感をもった。この言葉は恋愛関係のもつれや個人的な争いを連想させ、女性に非があるかの印象も与えかねない。フジテレビがこの件にどのように関与したのか。対応の姿勢に問題がなかったのか。そうした問題の本質を曖昧にするおそれがある。表現で問題を矮小化するのではなく、事実に基づいた議論で責任が明確化されるべきだ。「中居氏の性暴力およびハラスメント隠蔽疑惑」と言うべきではないだろうか。
話を戻すと、オファーが流れた際、何とか聞きだせたその理由は、「新しいストーリーではない」ということだった。確かにそうなのだ。
私だって伊藤詩織が受けた性暴力については、もう話したくもない。でもこの映画は、私のレイプの経験についての物語ではない。私が伝えたかったのは、その後の話にある物語なのだ。
ハリウッド発の#MeTooを機に、性暴力に対しての議論や法解釈、制度は「進展した」といわれる。とはいえ、文化的な変化は簡単に起きるものではない。平気で「女性トラブル」という言葉を使うメディアを含め、二〇二五年になった今でも「性暴力と権力」の問題は避けられがちなものなのだろう。
なぜ記録を始めたか
この映画の制作は、事件が起きた二〇一五年からスタートしていた。
最初は警察の捜査へ疑問を感じたところから記録が始まった。当時、具体的に映画を制作するという思いがあったわけではない。自分自身の防衛として記録を始めたことがきっかけだった。
逮捕に急にブレーキがかかるなど、身の危険を感じたこともあり、公に出たほうが安全なのではと思ったこと、また刑法の改正を強く願っていたこともあり、二〇一七年五月に記者会見に臨んだ。
家族は猛反対だったので、当時は名字を伏せての会見だった。記者クラブに所属しているメディアでなければアクセスできない場所や、権力の中枢にいる人たちに対して、私が繰り返しぶつけてきたけれど返答の得られなかった質問たち。それらを目の前のジャーナリストたちに託せるのだと期待していた。しかし事態は進展しなかった。
だから私自身で取材、撮影を続けた。被害者として、もしも丁寧に捜査が進められ、逮捕が直前で中止される事態を追及する報道が十分に行なわれていたら、そもそも公で会見することも、本を出すことも、映画をつくることもしなかったと思う。私は被害を受けた二五歳から気づくとあっという間に三五歳になっていた。
当時の私でさえ、こんな長い期間をかけて、この複雑なテーマと向き合うことになるとは思ってもみなかった。
撮り続けた記録は約四五〇時間に及んでいた。トラウマの防衛本能なのかまったく忘れていたこと、忘れたかったこともあった。編集でこれらの素材と向き合うことは、もう一度同じ痛みをあらためて生き直すような経験だった。途中で傷をえぐり返すようなこの行為に耐えられなくなり体調を壊すことの繰り返しで、編集作業には四年という時間がかかった。そんな月日が流れても警察の動きなど、事件の真相にはまだたどり着いていない。他方で、私が被害を受け、目にしてきた真実は多面的で、複合的なものでもあった。
被害者像を壊したかった
日本に限らず、社会、コミュニティ、人間の関係性のなかで生じる力の不均衡。あるいは権力の腐敗が引き起こす暴力やハラスメントに、この映画は光を当てている。性暴力は必ずと言っていいほど、力関係の強いものから弱いものに対して行なわれる。それは性的な欲望を抑えきれなかったという話ではない。たとえば、意識のなかった私に対して性暴力をはたらいた山口敬之氏は、権力のある女性に対して同じことを試みただろうか。
私のサバイバーとしての一つのミッションは、“Perfect Victim”=完璧な被害者像のステレオタイプを壊すことだった。
「会見では(私の話を)みんなが信じるようにリクルートスーツを着ていきなさい」
初めて顔を出して被害について会見する前に、先輩ジャーナリストから言われた言葉。
「泣いてないと信じられないから」
警察官から言われた言葉。
これらは完璧な被害者像を求めるステレオタイプから生まれた言葉だ。こうした助言は、その後の誹謗中傷などを経験して、一定正しかったのだと確信はした。でも、「被害者は大人しく、下を向いて泣いていたら、信じられるし同情される」からといって、そんな人格、尊厳否定を受け入れるわけにはいかない。被害者像、そのステレオタイプを粉々に壊したかった。
私にだって、怒る権利、好きなときに泣く権利、何を着ていたってジャッジされない権利、そして落ち込むこともあるけど腹を抱えて笑う権利がある。
だからこの映画では、個人的に入れたくなかった、パーソナルで、自分でも見たくない、人として胸を張ることのできないシーンも入れた。
また、性暴力のサバイバーだからこそ、私の目線で、私の手で、取材される対象としてではなく、監督として自分のみてきた世界を映画にしたかった。
性暴力を扱ったすばらしい映画がたくさんある。でもそのなかには時々、「第三者視線」がじっとりとこびりついている。サバイバーにとっては、性暴力そのもののシーンや再現は最もトリガーを招きやすく、見たくないものだと私は思う。どんな性暴力だったのかという詳細についても同じことがいえる。それなのに、「エンタメ要素」としてそれはしれっと作品に入れられていたりする。
昨年四月、ブラジルのリオデジャネイロ連邦大学で講義と試写会をさせてもらったとき―大学は学生たちのプロテストで閉鎖されていた―、ある学生がこんなふうに話しかけてきた。「テーマがテーマだから見るのが怖かった。これまで性暴力関係の映画は避けてきた。でも、この映画は性暴力を映像で表すものがなくて驚いた。あなたがサバイバーだからこそ表現できた景色と世界だった。ありがとう」と言ってくれた。彼はサバイバーだった。
これまで私は、性暴力の背景にある法的社会的問題を少しでも改善したいと、心を削る思いで、時間のゆるす限りどんなインタビューにも応じてきた。でもその言葉はやはり誰かにより編集され、切り取られてしまう。だからこそ、何度も他の第三者が監督をすべきではないかという異論もあったが、私自身が監督としてこのテーマと向き合いたかった。
もしあなたが
この映画が私のもとから旅立ち、私の個人だけのストーリーではなくなったからこそ言えることがある。
もしあなたにトラウマが、苦しいことが何かあるのなら、映画をつくるといい。一本の映画を制作し配給するには、そのストーリーを伝えたいと願う人々の協力が必要不可欠だから。一人で完結できないからこその大変さもあるが、トラウマを扱うのであれば一人で向き合わないでほしい。もちろん映画でなくたっていい。何かしらの創作をしてほしい。サバイバーとして自分の言葉で、自分の意思で自分の物語を紡げることほどエンパワーされることはない。私はあなたの言葉が聞きたい。そして私は、あなたが私の映画をどう観たのかをあなたの言葉で聞きたい。何より、映画を観てから判断してほしい。