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「正しくなくてはならない」

「お母さんこれ何?」
 
 小学校3年生の終わりごろ、テレビを見ながら母に聞きました。
 
 2014年3月27日、袴田巖さんが約48年ぶりに釈放されたというニュースでした。
 
 「無罪の人が約48年もつかまったままでいる」、そんなことが起こるのか?
 なんで起こるのか?
 そんな疑問がたくさんわいてきました。
 そこで4年生の夏休みに、自由研究の題材として「袴田事件」を選び、調べました。
 さらに中学1年生の時にも、「袴田事件を考える~冤罪を二度と起こさないために~」という論文を書きました。
 
 研究にするにあたって、新聞・文献だけでなく、多くの支援者の方や弁護団の方のお話を聞き、この事件について学んできました。
 調べれば調べるほど袴田さんの無実は明らかなのに、なんで死刑判決が下ったのだろうと思いました。
 たとえば、後から出てきた「5点の衣類」は不自然だし、しかもそれは履けないズボンです。
 小学生だった僕でもすぐにわかるくらい明らかにおかしい証拠が他にもたくさんあります。
 巖さんが犯人だという証拠は全くと言っていいほどないのに、起訴され、犯人にされてしまうということがなぜ起こってしまったのか、ここがこの事件の一番おかしなところだと思います。
 
 日本は間違った裁判をしないために三審制が取り入れられています。
 しかし、なぜ3回も裁判をしているのに、証拠をしっかり検証せずに裁判が進み、死刑判決が確定してしまったのだろうと不思議に思います。
 
 そして、今回の再審を開始するという決定の取り下げ。
 
 僕は当たり前のように、即時抗告が取り下げられ、再審が開始されると思っていました。
 
 そのくらい袴田さんの無罪は明らかだと思っていたので、ニュースを聞いたときにはすごくびっくりしたし、がっかりしました。
 
 どうして、再審が認められなかったのか。それは検察のメンツを保ちたかっただけじゃないかと思います。
 昔の間違ったことを今になって正すことを恐れているからとしか思えません。
 僕にとっては、検察は駄々をこねているようにしか見えません。
 この意識が続く限り、何度裁判をやっても変わらないと思います。
 
 今年のゴールデンウィークに僕は初めて巖さんに会いました。
 最初は自分の精神世界にいたようで、表情はなかったけれど、途中からは僕と僕の妹、弟にも気付き、子供たちみんなに「チップ」といいながらお小遣いをくれました。
 その時の巖さんの表情はとてもやさしくあたたかかったです。
 
「僕は将来裁判官になりたい」
 
と伝えたら、巖さんにこう言われました。
 
「裁判官は正しくなくてはならない」
 
 間違ったことは正しくしないといけません。
 正しくするためにはプライドを捨て、間違ったことを認める、それだけだと思います。
 
 その時に、巖さんは元気そうにはしていました。
 しかし、高齢の巖さんは今も死刑囚であり真の意味での自由は手に入れていないのです。
 巖さんが真の自由を手に入れるためには、まず再審によって無罪を勝ち取るしかないのです。
 
 僕たちも、この事件に注目し続け、声をあげていかないといけないと思います。

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著者略歴

  1. 畑山智哉

    中学生。

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