名著再読/保苅 実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』 評=中村和恵
初版を読んだときのもどかしい思いが、いまも忘れられない。
不思議なほど親しく感じる思惟と姿勢を、渇いた喉にしみわたる水のように味わうと同時に、この一冊を遺し去った著者が、早世した友のように惜しまれた。
いま、ここに再び、保苅さんの本がある。
ども、はじめまして、ほかりみのると申します。
口頭発表をもとに構成された第一章は、こんな口調で始まる。
保苅実という歴史学者がオーストラリア先住民族の歴史観に接近するにあたって、フィールドワークとオーラル・ヒストリーの手法が必然であったことが、この文体からも伝わってくる。
そう感じる。
彼はオーストラリア北部の人々、グリンジのコミュニティに滞在し、聞き取り調査を行う。
だがいきなりマイクを向けてインタビューを録音したりはしない。
生活の中で、話を聞いていく。
いま、ここにある身体が、過去を現在につなげ、意味のネットワークを編む場に立ち会う。
それを彼は「歴史する(doing history)」と呼ぶ。
歴史家とは地元の歴史を語るインフォーマント自身のことでは、と考える保苅さんが、グリンジの古老ジミー・マンガヤリの語りに耳を傾ける。
すると世界は変貌し、西洋近代に礎をおく世俗的(セキュラー)な歴史観では、ありえないことが起こる。
たとえば石が語り出す。
キャプテン・クックがいたはずのないところに出現する。
猿とかいう妙な動物を祖先にもつイングランド人、ジャッキー・バンダマラが本を書き、クックにその思想を実践させる。
雨乞いする長老が水晶を水中の虹蛇に託し、グリンジの土地を奪って設営された牧場が洪水で流される。
これらはメタファーではない、かれらの歴史だ、と保苅さんはいう。
しかもグリンジの人々は複数バージョンの歴史を「共奏」する。
ある人の死因が多数提出され、唯一の正解はない。
それらは歴史修正主義などとはまるで違う、すべて事実に即した、真正な話なのだ。
「史実」と衝突するこのような「歴史」を、歴史学者はどう考えるのか、と彼は問う。
これらを神話としてアカデミックな歴史記述の史料にするのでなく、「歴史の多元化を本気で推進するつもりがあるのかどうか」。
アボリジニ諸社会に特徴的な考え方に揺るがされた経験が、保苅さんの問いを動機づけている。
たとえばドリーミングと英語でいわば超訳されてきたかれらの精神的・霊的世界(とりあえず、の雑駁な説明をお許しいただきたい)における祖霊たちの旅は、地理的現実と重なっている。
実在する道が、現実の方角や地形、水場や資源を示すと同時に、あるべき世界の「正しい道」、かれらの法を指し示す。
マンガヤリが地面に描く「倫理の世界地図」は傑作だ。
西から東へ向かう一本の矢印が、すべての起源である大地の上にある正しい道。
その上に、ジャワ、アフガニスタン、日本、インド、島(もうひとつの島、だという)、労働組合(かれらはグリンジの土地権運動に味方したのだ)を示す六つの丸、そしてアボリジニの人々を示す三重丸がある。
これらはひとつの法、大地の法とともにある。
だがイングランド人はここにない、とマンガヤリはいう。
かれらの移動は大地の法を切断する、南北の線で示される。
マンガヤリはこうした図を、紙やキャンバスに描くことはしない。
紙は大地のように正しい方角を維持できない。
すぐに動かされ、破り捨てられ、法は変わってしまう。
だが大地に描かれるアボリジニの法が、方角を違えることはない。
オーラル・ヒストリーの一回性と可変性から、永続性が生まれる。
蓄積をつづけること、知のネットワークを結びつづけることが、グリンジにとって歴史を維持(メインテナンス)しつづけることだ。
だから「くり返しくり返し、語り継ぐ必要がある」。
わたしたちはかれらの歴史を学ぶために、くり返しくり返し、聞き重ねる必要がある。
本書の構成の一部をなす博士論文の査読者や編集者たち、そしてあとがきを寄せたテッサ・モーリス=スズキや清水透、本橋哲也らは、この本のラディカルな問題提起を引き受け(人によっては反駁もし)、著者と対話を重ねる。
問いはいまも生きている。
「ギャップごしのコミュニケーション」への挑戦はつづいている。
この再版を機に、彼の考えがより多くの人に知られることを願う。
会うことのなかった友へ、感謝をこめて。
著者 | 保苅 実 著 |
---|---|
版元 |
岩波書店(現代文庫)
(御茶の水書房(単行本))
|
価格 | 1480円(税別) |
発売日 | 2018年4月17日 |
判型 | 文庫 |
製本 | 並製 |
頁数 | 432頁 |
ISBN | 978-4-00-600380-7 |