新刊レビュー/楢崎修一郎著『骨が語る兵士の最期 ─太平洋戦争・戦没者遺骨収集の真実』
発見された9人分の遺骨
ハワイとグアムの間のいくつかの島々を結ぶ、アイランド・ホッパーという航空路線がある。南の島に縁のない私は知らなかったが、旅客輸送だけでなく、マーシャル諸島などに物資を運ぶ上でも重要な路線だそうだ。そのうちの一か所、クェゼリン環礁(Kwajalein Atoll)だけは、乗客が降りることができないし、写真撮影も禁止されている。米軍の重要な拠点だからである。
2014年7月、アジア・太平洋戦争の激戦地であったこの地から、アジア人とみられる8体の遺骨が発見された。温暖化による浜の浸食で露出したという。
日本兵の遺体の可能性があることから、遺骨の判定をするチームが組まれた。日本政府から派遣される形で特別の許可を受けて、チームはクェゼリンに降り立った。そのうちの一人が本書の著者、法医人類学者の楢崎修一郎氏である。ケニア、シリア、インドネシアなどで人骨から人類の進化を研究してきた経歴を持つ。その鑑定眼を買われて、2010~2017年の間に17回、日本政府による遺骨収集の現場に派遣された。今ではほとんど日本国内で名前を聞くことのない、かつての戦場となった島々などで、著者が遺骨収集を行った貴重な経験をまとめたのが本書である。ちなみにクェゼリンで見つかった骨は日本兵のものと判明し、鑑定の結果、遺骨は8人分でなく9人分であった。追加調査で別の日本兵の遺骨も見つかった。
収集する相手国のその地域に適切な鑑定者がいないときには、基本的に日本人の学者が派遣される。そういう場所はクェゼリンに限らず、小さな島や国が多い。著者が調査している島や地域ごとの文化的な個性や、戦闘のあり方の違いなどが発掘の様子から色々と見えてくる。
遺骨調査の困難さ
例えば、ツバルのヌイ環礁では、それぞれの島のことは島で決める。遺骨の調査を依頼しようにも、ツバルの中央政府に決定権限がない。日本から4日かけて現地に行ってみると、「〔日本人が埋葬されているらしい〕共同墓地を見ることは許可するが、発掘調査は許可できない」と言われたりする。ただしこの時は頼み込んで何とか許可をもらった。発掘調査の前に、当時を知る人への聞き取りをしてみると、埋葬された日本兵は事前の情報では3名と言われていたが、実際は1名のみだったという。
この時発掘した墓地には現地の人も埋葬されている。どの骨が日本兵のものか、骨の形から見分けていくことになる。その作業が著者の最大の仕事である。骨や歯の形の特徴から、アジア系、アフリカ系、ヨーロッパ系などを見分け、性別、おおよその年齢を見分ける。外傷等がわかる場合は死因などにも迫っていく。もちろん、周辺にボタンやベルトのバックルなどの物品が埋まっていれば、それも大事な手がかりである。
特に墓地などを掘り返す場合、現地の人に立ち会ってもらうことが重要だという。現地人の骨を持っていったり、墓を荒らしたりすることがないことを理解してもらうことで、信頼関係を作るわけだ。
この時は無事一名の骨が見つかり、骨を焼いて、夜(いつも徹夜になるらしい)報告書を書き上げる。この一名分だけでも、大変な労力と時間である。しかもこの兵士の場合、96式陸上攻撃機の同乗員7名が一緒に亡くなっており、ほかの遺体は海に沈んだと証言されている。正直、残されている大量の遺骨をすべて収集するのは絶望的に思えてしまう。厚生労働省によれば、残存する海外戦没者の遺骨数は約112万柱(うち、海没が約30万柱を占める)であるという。
別の島の例を見よう。地上戦の行われたサイパンやテニアンの場合、日本人住民を含む民間人を巻き込んでいるため、骨の鑑定がさらに難しい。現地のチャモロ人、米軍兵士、日本人(軍人と民間人がいたため、年齢も多岐にわたるし男女の違いもある)の骨が混在しているからだ。
2017年3月、テニアンの洞窟での調査では、約1歳の子どもと胎児を含む、5体の遺骨が一か所から見つかった。著者は家族が手榴弾で自決したのではないかと推定している。
戦争の「大量死」の裏にある、ひとりひとりの「死」
近代の総力戦では、かつてない大量死がもたらされ、そのおびただしさゆえに失われた一人ひとりの命の重みと向き合うことを困難にしてしまう。特に激しい地上戦では、亡くなった人を埋葬する余裕すらないケースも珍しくない。彼らの命は戦闘の中で蹂躙された上、遺体までも尊厳を奪われてしまったと言える。ちなみに、著者はしばしば調査地で不思議な(霊的)体験をし、そのエピソードがいくつか出てくる。人によってはギョッとするかもしれない。
遺骨の発掘・収集作業は、見つかった遺骨から、どんな方が亡くなったのか、その方が亡くなった状況はどんなものなのか、などを様々に読み解く専門的な技術を要するものである。本書で取り上げられている調査の様子からは、敗戦から約70年という時間の経過と、戦地の空間の広がりと、遺骨から読み取られる戦場の実態などが見えてくる。沖縄での遺骨収集をしている具志堅高松による『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。―サトウキビの島は戦場だった』(合同出版、2012年)という本もあったが(これも素晴らしい本である)、それとはまた違う海外での収集の難しさがよくわかる一冊である。