新刊レビュー/ミチコ・カクタニ著『真実の終わり』 評=立岩陽一郎
真実の終わりと独裁の始まり
「トランプの虚言癖はあまりに極端であるため、報道各社が事実関係を調べる校閲者をチーム単位で野党だけでなく、彼が発した嘘や侮辱、違反した規範の長いリストを作成するという手段に訴えるほどである」
「トランプの言語に対する襲撃は嘘の奔流にとどまらない。彼は法の支配にとって本質的な言葉や原則を奪い取り、個人的な動機や政治的な党派心で汚した。彼は民主主義とその理想を表す言葉を独裁主義のそれにすり替えてしまったのだ」
本書でこう書く著者はニューヨークタイムズ紙で30年以上にわたって書評を担当してきた文芸評論家だ。こうした厳しいトランプ大統領に対する評価は、日本の読者には違和感があるかもしれない。しかし、前者は紛れもない事実であり、後者は長く思想史の流れを追ってきた著者が導き出した現状認識だ。この第45代アメリカ大統領の誕生からの半年をアメリカで追いかけた私にとっては、違和感のない記述であり納得のいく分析だ。それは「真実の終わり」であると同時に「独裁の始まり」ということになる。
「事実関係を調べる校閲者」とは、ファクトチェックの取り組みのこと。ファクトチェックとは政治家の発言について事実かどうかを検証する取り組みのことで、2000年代からアメリカで行われるようになったが、トランプ大統領の誕生で新聞、テレビの多くが取り入れるようになった。トランプ大統領の「嘘の奔流にとどまらない」発言は多くのメディアにとってファクトチェック無しには報じられないのが現状だ。本書でも触れられているがワシントンポスト紙のファクトチェックによると、就任1年目だけで2140回もの事実と異なる発言をしている。
もっとも、この本はトランプ大統領を単に批判するために書かれたものではない。著者は本書の狙いを次のように書いている。
「何がトランプ時代における欺瞞の根底にあるのか。真実と理性は、どうしてこれほどまでに絶滅危惧種と化してしまったのだろうか。差し迫ったそれらの消滅は、私たちの公的な議論と、政治や統治の将来について、いかなる前兆を示しているのか」
トランプ政権の根底にあるもの
著者が勤めていたニューヨークタイムズ紙についての説明は要らないかもしれない。CNN、ワシントンポスト紙と並ぶアメリカのジャーナリズムの頂点に立つメディアだ。特に、書籍、文芸面については、同紙での評価が作品の価値、売れ行きを大きく作用するという存在だ。メディア批判を繰り返してきたトランプ大統領が当選後に真っ先に訪れたメディアでもある。読者は著者の膨大な知識の量に圧倒されるだろう。浅学な私には名前も聞いたことのない思想家の名前や著書が出てくる。一方で、ジョージ・オーエルやハンナ・アーレントなど、独裁とは何かを問うてきた良く知られた識者からも分析の核となっている。独裁。そう、これこそが本書のテーマだ。
書き出しは、「人類の歴史おいて、最もひどい政権のうちの二つが二〇世紀に権力を握った。その両方が、真実への冒涜と略奪に基づいていた」で始まる。その一つは、簡単に想像することができる。ヒトラーのナチス政権だ。もう一つは少し意外だったが、レーニンのソビエト政権だという。
しかし、彼女の分析を読み進むと、レーニンが作り出したシステムがトランプ政権のそれと符合していることがわかる。それは私には目から鱗だったが、同時に、ある一つの事実に気づかされた。
「私はレーニンを尊敬している」
これはトランプ政権を生んだ最大の立役者、スティーブ・バノンが語っていた言葉だ。大統領選挙を仕切り、政権誕生後は首席戦略官としてトランプ政権前半の舵取りを担った保守系メディア「ブライトバート・ニュース」の会長は、「自分はレーニン主義者だ」と語っていたのだ。それを目にした私は、「俺はハーバード大でのインテリだ。そんじょそこらのアメリカ人と一緒にするな」と言いたいのだと考えていた。しかし、著者の説明で、その発言の持つ意味が理解できた。トランプ政権はレーニンがかつてソビエトで確立したシステムの延長上で成立しているということだ。
レーニンとトランプ、そして……
著者は書く。
「その死から一世紀近く経つ今、レーニンの革命のモデルは恐ろしく耐久性が高いことが証明されている。国家秩序を改善するのではなく、制度ごと粉砕するという彼の目標は、21世紀に多くのポピュリストたちから支持されているのだ」
そのモデルを、「自分の扇動的な話し方は、『憎しみや、嫌悪や、軽蔑をよびおこすことを意図している』」とレーニン自身の言葉を引用しつつ説明する。「憎しみ」と「扇動的な話し方」。それはまさにトランプ大統領の言動と重なる。イスラム教国からの入国を制限する大統領令、メキシコとの国境に壁を作るという政策。公民権運動を戦ったアフリカ系議員への中傷。そしてメディアを「アメリカ人民の敵」と呼んで敵視する姿勢。著者は、この「人民の敵」という主張は、そのままレーニンの言葉だと指摘する。
もちろん、トランプ大統領はそうした文脈を理解しているわけではない。この大統領はまずもって本を読まないことで知られる。しかし、独裁が進行している現状に心地よく身をゆだねていることは間違いない。
では、我々はどうするべきなのか。実は本書で著者は、アメリカ建国の父と呼ばれる人々が今の事態が将来起きるだろうことを予見していたことを書いている。そして、その時に発せられていた警告の言葉こそが、現状を変える原動力になるのだと説く。
名前からわかる通り著者は日系アメリカ人だ。しかし本書で日本が出てくるのは、トランプ大統領の側近が安倍総理に、トランプ氏の公の発言を逐語的に受け止める必要はないと伝えていたというエピソードだけだ。では、本書の内容が日本の政治、社会状況と無縁かというと、事実は逆だろう。
野党や自らに批判的なメディアに対して事実に基づかない批判を繰り返し、外交問題を抱える隣国に対しては高圧的な態度で恫喝する。国際的な条約からは一方的に離脱を宣言する。これはアメリカの話ではない。本書を手に取る読者はアメリカを日本に、トランプ政権を今の日本の現政権に置き換えて読むことになるだろう。