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追悼・中村哲さん 「大旱魃に襲われるアフガニスタン」

 2019年12月4日 長年にわたりアフガニスタンで人道支援に取り組んでこられた医師の中村哲さんが、銃撃されお亡くなりになりました。訃報を受け、中村哲さんの論考「緊急報告 大旱魃に襲われるアフガニスタン――気候変動が地域と生活を破壊している」(2019年2月号)を、以下に緊急掲載します。
 アフガニスタンという地を襲う、新たな、かつ深刻な問題のレポートです。惜しくも凶弾に斃れた中村さんですが、そのことがアフガニスタンに対する「危険」「内戦」「テロ」といったステレオタイプの強化に繋がるとすれば、ましてそれが軍事力を正当化する機運に繋がるとすれば、そのことがいかに中村さんの思いからかけ離れたものであるか、この論考がはっきりと示しています。
 最後に中村さんが提示する問い、旱魃の地で「人と人の和解、人と自然の和解」を説く、ということ――生涯を賭して中村さんが闘ったその困難な問いは、いまや、アフガニスタンと地続きの現実として、私たちに突き付けられています。
 中村哲さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 

岩波書店『世界』編集部


 大旱魃に襲われるアフガニスタン 

中村 哲

(『世界』2019年2月号掲載)

「アフガニスタンではカネがなくとも生きられるが、雪がなくては生きられない」とは、有名な諺である。アフガニスタンは山の国で、ヒマラヤ・カラコルム山脈に連続する世界の屋根の西翼に当たる。国土の大部分が7000メートル級の高山をいただくヒンズークシ山脈に覆われる。

 3000万人といわれる国民の8割が農民で、山間部の狭い土地でオアシス的な農業が営まれる。農業を支える水の大半は高山の雪解け水で、川沿いに豊かな恵みを約束する。雪は巨大な貯水槽で、冬の積雪次第でその年の水の状態が決まる。冬の厳しさの分だけ、夏の恵みを期待できる。雪は人々にとって文字通り生命線なのだ。

 昔から大規模な旱魃が波状的に同地を襲い、多くの犠牲を出してきたが、最近の傾向は、高気温をともなって頻繁に起き、地域の沙漠化をもたらすことである。この致命的な過程は明らかに加速し、飢餓の蔓延や紛争の長期化と関係しあっている。
 
空前の大旱魃
 
 昨年(2018年)春も、暖冬に加えて少雨が続いた。すでに3年目である。人々は不安気に高山の白雪を仰ぎ始めた。すでに起きていた大地の乾燥化が加速度を増していた。

 昨年4月、ユニセフ、WFP(国際連合世界食糧計画)らの国連機関がいっせいに注意を呼びかけた。「餓死線上100万人」、「数十年に一度の規模の大旱魃」で、アフガン国民の3分の1に相当する900万〜1200万人に影響が出ると警告、国際NGOらが救援を訴え始めた。

 実際には2016年の段階で「飢餓人口760万」(WFP)とされており、飢餓は慢性化していた。そこに2016年、17年、18年と連続して異常少雨による不作が重なり、にわかに問題が急性化したのである。
 雨はほとんど降らず、大都市カブールも深刻な水不足に陥った。犠牲と被害の予測は時を追って増え、2018年10月、OCHA(国連人道問題調整事務所)は、「緊急段階(餓死線上)」330万、「危機的状況(飢餓線上)」830万人と飢餓の急増を訴えた。

 水不足は全国に及び、全土の3分の2、34州中20州に食糧危機警報が発せられている。空前の規模である。
 ここで東部を中心に、現在までの動きを概観し、我々の展望を伝えておきたい。
 
西部・南部の窮状
 
 今回、少雨の影響をじかに被ったのは大河川のない南部と西部である。2017年6月から7月にかけて、アフガン全土が熱波に見舞われ、連日、観測記録が更新された。西部のヘラート周辺、南部のヘルマンド、ファリャ、ニムローズ州などの各地で住民が村を捨てて難民化し始め、その数26万人とBBCが報じた。現在、ヘラート周辺でテント生活を余儀なくされているのはこの集団だが、これは氷山の一角である。井戸水が涸渇するまで村にとどまるのが普通なので、その何倍もの予備軍が農村にとどまっていると考えるべきだ。

 南部全域の水源を成すヘルマンド川の水量が激減し、同流域であるカンダハルの地下水利用のカレーズも影響が伝えられ始めた。地下水位は軒並み100メートル以下、場所によっては200メートル以下にまで下降、飲料水の欠乏も起き始めている。昨年10月には、反政府武装勢力のタリバン指導部が異例の布告を出し、難民の緊急救済を訴えた(タリバン農業牧畜ザカート委員会・2018年10月)。これも今まで考えられなかったことだ。

 パクティア、パクティカらの他の南部諸州も長い間、水不足に悩んでおり、難民を受け入れるゆとりがないのが現実である。WFPを筆頭とする国連団体とアフガン政府が緊急食糧配給を実施しているが、被害は拡大しつつあり、焼け石に水であるのが実情である。
 
東部の人口集中
 
 東部のナンガラハル州では、すでに2000年、今から19年前の大旱魃以後、農地の乾燥化が進んでいたが、注目すべきは雪線の上昇である。

 スピンガル山脈・ケシュマンド山脈方面の農村地帯―アチン、ロダット、ツァプラハル、ソルフロッドらの各郡の大半が土漠と化したが、これらは4500メートル以下の「低い高山」の現象であり、ヒンズークシ山脈の7000メートル級の山々を源流とする大河、クナール河は安泰であろうと考えられていた。しかし、昨冬の段階から河川水量の異常パターンが記録され、高山の融雪に異変が起きていることが示唆されていた。前後してヒンズークシ山麓のヌーリスタン各地で湧水が涸れ始め、食糧危機が発生したことが伝えられた(国際連合食糧農業機関・2018年2月フィールド報告)。

 19年前に大旱魃を体験していた我々は、ジャララバード北部農村地帯で「緑の大地計画」(2003年〜)を実施、現在までに9カ所の取水堰、計40キロメートルの主幹水路を建設し、広範な地域で安定灌漑による旱魃の備えをしてきた。この結果、ベスード、カマ、シェイワ各郡で計約1万6000ヘクタールの安定灌漑地を確保し、60万人の生活を保障した。

 これを範として、隣接地域でさらなる農地の回復を計画していた矢先である。3年ほど前から同地域内で人口の異常な集中が観察されていた。州内の被災地からたたき出された人々が、隣接のラグマン州、クナール州からの人の流れと合し、職を求めて殺到した。ジャララバード北部の十数キロの国道には、突如出現したバザールが林立し、閑静だった郊外に雑踏を作り出している。零細の露天商、季節農業労働者、作業員、リキシャの運転手など、不十分ではあっても、なにがしかの職にありつけるからだ。

 いつもなら多くの者がパキスタンに職を求めていくが、パキスタン自身も記録的な旱魃で窮し、2年前からアフガン難民の強制送還を進めている状態だ。ジャララバード周辺に流入した東部のIDP(国内避難民)は、優に100万人を超えると思われる。

 最近のIDPの流れは、もはや他に逃れる場所がないことを示している。東部最大の人口を擁するナンガラハル州でも、高山のごく限られた小村落、ソ連時代に建設されたカブール河のドゥルンタ・ダム流域、PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団・日本)が建設したクナール河沿いの堰周辺のみが辛うじて残り、これ以外にまともに耕せる農地が消滅してしまった。我々の不安は恐怖に変わりつつある。
 
報道の死角
 
 かくて2000年夏の大旱魃を凌駕する大災害が次第に明らかになってきている。

 一連の出来事は、事情を知る者にとって世界の終末さえ彷彿とさせる。しかし、旱魃はニュースの死角となっており、あまり外部に知られることがない。

 旱魃は時に国家の存立さえ脅かすが、地震や戦災のような緊急のイメージに乏しい。怒濤のような難民の群や、バタバタと目前で人が斃れるような劇的な場面がなく、人口移動が緩慢に起きる。人々はすぐに村を空けるのではなく、まずは外部への出稼ぎで家族を養い、飢餓を解消しようと努める。死亡は栄養失調が背景にあり、病死とされることが多く、餓死という病名はない。これら、数カ月、時に数年をかける緩慢な過程は、事件としては報道されにくい。

 第2に、都市化が危機感を薄める。アフガニスタンは気候の統計記録がほとんどなく、温暖化被害の例としては説得力に乏しい。報道関係者が短期滞在しても、それ以前の変化が分からないから、「こんなものだ」で済まされやすい。実際に飢饉を体験したことのない先進国の人々には、旱魃はなじみが薄く、想像しにくい。同じアフガン人でも大都市では実感がない。江戸時代、農村が飢饉に喘ぐ最中に大坂や江戸で奢侈が横行していたのと同様である。

 我々PMSの灌漑事業でさえ、「砂漠の緑化」という牧歌的なイメージで見られることが多い。公園作りに来ているのではないが、「飢餓対策」という切羽詰まった事情は、都市空間で育った人々にはしばしば伝わりにくい。旱魃といっても、オーストラリアや北米の大農園が不作だったというのと意味が違う。食糧という商品が失われるのではなく、生活と生命が失われるのである。
 
内戦と旱魃
 
 戦争報道のあり方も実態を見えにくくしている。

 2001年9月11日のニューヨーク同時多発テロ以来、アフガニスタンは「対テロ最前線」と位置づけられてきた。かつてアルカーイダを匿った旧タリバン政権が敵視され、同年10月に米国が報復爆撃を強行、欧米軍を中心とするISAF(国際治安支援部隊)が進駐、タリバン政権を駆逐してカルザイ政権を擁立した。その後、「アフガン復興」が世界的な話題となり、巨額の資金がつぎ込まれたが、期待された成果には至らず、治安が一層悪化し、一時は外国軍兵力12万人まで膨れ上がった。2016年に約1万人を残して欧米軍はひきあげたが、内戦はいよいよ激しく、過去最悪の状態にある。人々の困窮が専ら戦火によってのみもたらされたような印象を与えたことは否めない。

 最近では危険地帯として報道関係者の出入りが制限され、安全対策を強調するあまり、実情がさらに伝わりにくくなっている。

 復興を阻む主な理由が内戦による治安悪化とされ、旱魃に焦点が当てられなかったのは、アフガン人にとって悲劇であった。実際には、2000年以来、旱魃は動揺しながら進行していた。かつてタリバン政権の弱体化も旱魃が大きく関与していたが、このことは当時からほとんど問題にされなかった。

 麻薬地帯や治安の悪い地域は完全に旱魃地図に一致している。出稼ぎの仕事の一つが傭兵で、みな家族を養うために、仕方なく銃を握らざるを得ないのだ。
 
PMSの旱魃対策と現状
 
 すでに述べたように、PMSの転機は2000年に発生した大旱魃で、2003年から「緑の大地計画」を打ち出してジャララバード北部穀倉地帯の復活を計画、第一弾として25キロメートルの用水路建設を開始、沙漠化した農地の復興に努めた。初めカレーズの復旧を手掛けたが、地下水位の著しい低下に遭遇、大河川クナール河からの取水が主な取り組みとなった。

 ところが気候変化の影響は地下水減少だけではなかった。河沿いで洪水と渇水が同居し、各地で取水困難が続いていることを知った。急流の大河川はさらに暴れ川となり、しばしば洪水が村々を襲った。水が豊富なはずの河沿いでも、農民が難民化し、廃村が拡大しつつあったことを知った。このため2010年からは既存水路の復活と洪水対策を大きな課題とし、クナール河沿いに8カ所、カブール河沿いに一カ所、取水堰を建設し、併せて洪水対策にも力が注がれた。この結果、先述したように、2018年現在までに計1万6000ヘクタールの農地に安定送水できるようになり、60万人の生活を保障できるようになった。

 だが、もはや一NGOの手には負えぬ事態である。これを範としてアフガン政府、JICA(日本国際協力機構)やFAO(国連食糧農業機関)のアフガン事務所とも協力して、さらに安定灌漑地を拡大すべく、「戦よりも食糧自給」をスローガンに掲げ、PMS方式の取水堰の普及計画が進められてきた。農業生産低下に悩むアフガン政府も、この動きに呼応してPMS灌漑方式を標準の一つに加える決定を行なった。
 
進行する乾燥化―地球温暖化の影響
 
 確かに今回のように、少雨が旱魃に直結する傾向は当然あるが、必ずしもそれだけではない。過去、少雨が続いてもこれほど酷い事態が頻繁かつ長期に起きたわけではなかった。我々が2000年に河沿いの廃村の調査をした時、乾燥化は一般に5年、10年をかけて徐々に進行しており、少雨の続く時期に一気に荒廃したように見える例が多かった。いったん村民が難民化すると灌漑路の整備が放棄され、村は更に荒れる。原因はひとえに灌漑用水の欠乏である。

 一般に農地の灌漑水源は、①カレーズ(地下水利用の灌漑路)、②ジューイ(小河川からの小水路)、③大河川からの取水堰、この三つに大別される。このうち、標高の低い山脈から流れる川が涸れるとジューイの水が失われ、次いで地下水の減少が起きてカレーズが枯渇する。一方、7000メートル級の高山を源流とする大河川では、取水困難は水量の減少ではなく、流れの不安定化―洪水や河床・河道の変化によって生ずる。記録的な洪水が頻発して取水口や村落が荒廃し、村民が難民化した例が非常に多かった。旱魃が洪水をともなって発生するのだ。

 我々の観察では、高気温が少雨の影響を増幅する。局地の夕立や結露が減少し、広範な地域の水分がわずかな場所に偏在する。その結果、大部分の地域が乾燥し、ごく限られた地域に降る激しい豪雨がしばしば鉄砲水を発生させ、地下に浸透するゆとりを与えない。雪線の上昇と急激な融雪が起き、地域の保水力が著しく低下、これに少雨が重なると乾燥化が一気に進む。ある程度は回復しても2度とは戻らない。そんな動揺をくり返しながら沙漠化が進んできた。今回の旱魃も、突然現れたものではなく、「長い過程の中の急性増悪」と考えるのが自然である。

 アフガニスタンの年間降雨量は約200ミリ前後とされ、非常に少ないが、降雨降雪の絶対量が近年になって減少したという確証はなく、偏在という方が正しい。ヒンズークシ山脈やカラコルム山脈の雪線の著しい上昇と低い山脈の地下水の枯渇は、少雨よりも高気温による可能性が強い。最近の研究で、アフガン東部の温暖化は過去60年で1・8度、実に他の2倍の速度で進んでいるという恐るべき報告もある(河野仁「アフガニスタンの干ばつと洪水――地球温暖化の影響」)。
 
当面の対策―東部の例を中心に
 
 まずは広く旱魃問題の重要性が認識され、十分な研究と取り組みが提唱されるべきだ。問題があまりに大きく、かつ捉えどころがないので、ややもすれば政治的ポーズや議論で終わってしまう。アフガン国内でできること、国際的に協力すべきことを分け、計画を具体化すべきではないかと思われる。どこに消えたか分からないような支援はもう止めるべきだ。

 旱魃を直ちに解決するのは不可能である。これ以上の気温上昇を抑えることさえ危ぶまれている。世界中がCO2排出規制で協力するのは当然だが、それに加えてアフガニスタンのような事例に何らかの救済措置をもって臨むべきかと思われる。つまり、援助内容を温暖化被害の脈絡の中で焦点を当て、当面をいかに凌ぐかという試みに取り組むべきだ。

 対策は地域によって大きく異なるが、アフガン東部に関する限り、大河川の水量はそれほど減ってはおらず、手段を講ずれば塩害は発生しない。隣国に大きな影響を与えない規模の灌漑施設で、農業生産を回復することがまず試みられるべきだ。いわば小規模施設による地域の延命策である。全域に水の恩恵が行き渡らなくても、健在な地域があれば、そこでなにがしかの職を得ることができる。国外への流出を減らし、食糧価格高騰の防波堤となり得るのは、我々の試みが示す通りである。

 この他、我々が望みをつなぐ手段として、乾燥に強い作付けがある。荒れ地でも簡単に栽培できるサツマイモを試みているが、いまだ研究・試行の段階にとどまっている。
 
温暖化と国際協力
 
 確かに温暖化については異論があり、「それほどの危機ではない」とする意見も根強い。我々は地獄の淵に立っているのか、アフガンで垣間見る終末的な現状が果たして日本の将来になるかどうかは、その時になってみないと分からない。

 しかし、それを否定して世界とアフガニスタンの現状を放置することが正しいとは思えない。たとえ極端な推論が誤っているかもしれないにせよ、それは遅いか早いかの違いに過ぎないことが多い。現在世界中で描かれる対策は、単にCO2排出を規制して気温を下げるにとどまらない。化石燃料を基礎に作られてきた近代的生産と生活を問い直し、大量消費=大量生産のイタチごっこを絶ち、持続可能な安定した社会と安全な自然環境を実現しようとする穏当なものである。また、それ以外に未来を描き得ないほどに、切迫した事態に直面している。そして、変化は、忍耐と努力次第で可能だと多くの識者は述べている。

 アフガン内戦の平和的解決も重要である。戦争は最大の消費かつ浪費である。紛争の遠因が貪欲な経済活動や地球温暖化、旱魃と関係しあっているなら、その取り組みを通して、世界の融和と安定に寄与することにもなる。「テロに屈せず」と称していたずらに拳を挙げるのはもはや時代にそぐわず、解決にならない。
 おそらく温暖化とその対策は人類史的な分岐点である。それは、近代的生産を支えてきた我々の価値観自身を、やがて根源的に問うものとならざるを得ないからだ。

 地球規模で進行する冷厳な事実を考えるとき、我々の進むベクトルがいずれに向いているかで、破滅か安定かの道筋が決まっていくのであろう。

 その意味で、アフガニスタンの大旱魃は極東の我々にとっても、決して他人事ではない。我々が旱魃の地で「人と人の和解、人と自然の和解」を説く理由もここにある。
 
(『世界』2019年2月号掲載)
 

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著者略歴

  1. 中村 哲

    ペシャワール会現地代表、PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)総院長・医師。1946年生まれ。国内の病院勤務を経て1984年、パキスタンに赴任し、パキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療や難民キャンプでの一般診療に関わる。1989年よりアフガニスタン国内へ活動を広げ、2000年からは旱魃が厳しくなるアフガニスタンで飲料水、潅漑用井戸事業を行なうなど、人道支援に尽くした。2019年12月4日、現地で襲撃され死亡。享年73歳。

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