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「慰安婦」像をめぐる歴史戦(後篇)——国際社会の連帯


■市議会での攻防

 サンフランシスコ市の「慰安婦」像に関する審議が同市議会で始まったのは2015年7月だった。この運動に最初から関わる「『慰安婦』正義連盟(CWJC)」共同代表のジュリー・タン氏によれば、当初は決議案が楽に通るものだと思っていたという。

 だが、サンフランシスコでの日本総領事館や大阪市の活動は、他都市での日本政府の活動に比べても巧みで狡猾だった。

 共著『海を渡る「慰安婦」問題』(岩波書店)の中で小山エミ氏が報告したように、在サンフランシスコ日本総領事館が「慰安婦」問題に関して日本の右派が主張するデマを日系アメリカ人に流し、日系人団体への日系企業からの援助引きあげを匂わせるなど暗躍していた。

 さらに、大阪市も日系人を中心とした姉妹都市関係者に強力な働きかけを行なった。

 また、なでしこアクションなどの右派団体は現地の在米日本人に抗議するよう働きかけ、「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)」は市議や在米の学者らに目良氏や呉善花氏の著書と、産経新聞社の『歴史戦』本の日英対訳版を送付している。

 2015年7月の市議会には、ロサンゼルスから来たGAHTの目良代表や、幸福の科学サンフランシスコ支部の田口義明支部長(当時)らの在米日本人右派が登場し、「慰安婦」像設置計画を批判し、「慰安婦」問題は捏造だ、性奴隷ではなく売春婦にすぎないなどの歴史修正主義にもとづく論を展開した。

 議会の動画中継を見ていたというタン氏は、
 「幸福の科学の人が出てきてびっくりした。一体この人たちは何を言っているのかと思った」
 と語る。

 だが、このとき右派がやってくるという情報を聞きつけた市民らは急きょ連絡を取り合い、市議会に現れ、「慰安婦」像設立を支持する意見を述べた。

 2015年9月の公聴会には目良氏らの右派が再び登場し、「慰安婦」否定論を声高に展開した。
 特に目良代表は、このために韓国から訪れていた元「慰安婦」の李容洙氏を眼の前にして、「この人の証言は信頼できない」などと言い、デイヴィッド・カンポス市議から
 「恥を知れ!」
 と四回も繰り返したしなめられるという一幕もあった。

 

 すでに決議案は通る見込みだったが、この決定的な展開のため、賛成しなければ元「慰安婦」を罵倒した歴史修正主義者に賛同すると思われかねない状況になり、決議案は全会一致で採択。

 前出のタン氏は、この時の右派の主張がひどすぎて信憑性がないものだったと指摘し、公聴会は「とてもパワフルだったと思う」と語った。

 だがこの後も、日本の右派は、市長や市議、CWJCや彫刻家のホワイト氏にまでも数千通におよぶ抗議メールを殺到させた。
 同じ文面の大量の抗議メールは嫌がらせとしてしか取られず、右派在米日本人らが公聴会などで発言しても、常に同じ「慰安婦」否定論を繰り返すばかりで説得力がなく、日本国内の右派へのアピール以上の効果はなかった。

 2017年に入り、日本政府および在米大使館・領事館の対応は表立ったあからさまなものになっている。
 6月には、ジョージア州ブルックヘイヴン市での少女像建設計画をめぐり、篠塚隆在アトランタ総領事が地元紙のインタビューで「性奴隷ではなく、強制されていない。アジアの国々では家族を養うためにこの仕事を選ぶ女の子がいる」などと発言し、国際問題に発展した。

 こうした官民一体の「歴史戦」の積み重ねの上に、今回の大阪市の吉村市長の強行姿勢や日本政府の動きがある。
 吉村市長と維新が突っ走っているかのようにも見えるが、それを
 「日本政府が支持する、というよりも、吉村市長が安倍政権の意向を汲んで発言・行動していると思う」
 と「日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク(関西ネット)」の方清子氏は語る。


■ CWJCと国境をこえたネットワーク

 今回の問題をめぐる日本のメディアの報道は、「慰安婦」像の設置が中国や韓国政府に影響された政治的な背景を持つ動きであるかのように描くものが多かった。

 前出の方氏も
 「日本の報道は『中国系市民が……』と断定的に、繰り返し報道している」
 と指摘する。

 「慰安婦」像設置運動を始めたのは「南京大虐殺補償連合(RNRC)」の中国系アメリカ人の市民たちだった。
 だが日本政府、大阪市や右派勢力の反対運動が激化し、右派が2015年夏、公聴会に登場してきた際に、対抗の必要に迫られ、中国系、韓国系、フィリピン系、日系などのアジア系アメリカ人やそれ以外の様々な人たちが連帯して誕生したのがCWJCだ。
 共同代表にはRNRCのリリアン・シン、ジュリー・タンの二人の元判事が就任している。

 CWJCの大きな特色は「パン・エイジアン」(環アジア)の人々の連帯を重視したことにあったと、メンバーの一人、金美穂氏は述べた。

 そして、CWJC内部で重要な役割を果たしながら、姉妹都市の大阪をはじめ日本で「慰安婦」問題解決に向けて運動をする市民との連帯を作ったのが、サンフランシスコ・ベイエリアで設立された在日コリアンによる市民団体「エクリプス・ライジング」で活動していた前出の金氏のほか、絹川知美氏、河庚希氏らだった。

 大阪市とサンフランシスコ市間の問題は2013年5月、橋下市長が「慰安婦制度は必要だった」という問題発言を行い、同年6月サンフランシスコ市議会が全会一致の非難決議を採択した時から起きた。

 だが直接的には2015年夏に、「慰安婦」像について市議会での議論が始まり、右派の攻撃が起きた時がサンフランシスコと大阪の市民らの連帯の始まりだった。

 大阪では「関西ネット」など数十の人権団体や労組など様々な団体が「慰安婦」像の支持を表明し、サンフランシスコ市議会に連帯の書簡を送った。
 大阪の市民は市役所への抗議行動なども継続的に行い、今回の吉村市長の姉妹都市解消の宣言に関しても、像を支持し、大阪市長に抗議する抗議文への署名を集めて市に提出した。サンフランシスコ市長や市議への要望書も、賛同署名とメッセージを添えて送付した。

 またCWJCは大阪以外で「慰安婦」問題に関わる日本の市民団体ともつながり、交流の機会を持ちつつ運動を展開してきたという。

 この像の碑文には、元「慰安婦」の「女性たちの記憶のために捧げられており、世界中での性暴力や性的人身売買を根絶するために建てられたもの」だと設置の目的が書かれている。

 CWJC共同代表のシン氏、タン氏ともに、像設置が「一方的な主張」に基づくという日本政府や大阪市の見解に対し、CWJCが12月7日に出した声明の中で述べた、
 「加害の事実にいくつもの解釈は存在しません。全ての性暴力の犠牲者にとって事実は一つであるのと同様、日本軍性奴隷制度の歴史的事実は一つ」
 という点を強調した。

 さらにシン氏は、サンフランシスコの「慰安婦」像は日系人、日本人も含めた、さまざまな市民たちが連帯して作られたもので、「反日」のシンボルなどでは決してなく、分断どころか、平和運動に関わる人たちのさらなる連帯につながり、国際社会も応援してくれたと語った。

 金美穂氏も、さまざまな社会問題に取り組む人たちが「慰安婦」問題について「我々自身の正義の問題だ」と身近に意識しつつあるのを感じるという。

 さらにシン氏は言う。
 「リー市長は私たちの強力なサポーターでした。この像が彼の最大のレガシーになったと思います。人々は像を訪れるたびにリー市長のことを思うことでしょう」

(終)

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著者略歴

  1. 山口智美

    1967年生まれ。モンタナ州立大学准教授。専門は文化人類学、フェミニズム。共著に『海を渡る「慰安婦」問題』など。

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