WEB世界

岩波書店の雑誌『世界』のWebマガジン

MENU

読んで、観て、聴いて(2023年9月号)

※『世界』2023年9月号に掲載された記事です

 

 2023年4月×日

 

 本を読みながら寝落ちすることが多い。最近とみに睡眠の質の低下を実感している年頃ゆえ、すんなり眠りの世界へいざなってくれる寝落ちは理想的なのである。がしかし、それさえも許してくれない本に出会ってしまった。大好きな津村記久子さんの最新作『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版)だ。いつものように寝床に入り読み始めて、これはヤバイと思ったが、頁をめくる手がとまらない。背幅およそ三〇㎜ぎっしり物語がつまっているので、さすがに一晩一気読みはできないが、この週は毎朝寝不足必至の状態となった。

 津村記久子は、『とにかくうちに帰ります』(新潮文庫)でむむとうなり、短編集『サキの忘れ物』(新潮社)ですごいと叫び、以来、短編、中編、長編なにを読んでもおもしろいと思うようになった。特に登場人物がたくさん出てくる連作短編集が好きなのだが、『水車小屋のネネ』は、一九八一年からはじまり、二〇二一年まで、十年区切りで物語が続く長編小説である。

水車小屋のネネ

 離婚した母親が入学金を男のために使い、大学入学を断念せざるをえなかった理佐は、「新しいお父さん」に邪険な扱いをされる小二の妹・律を連れて家を出て独立する。たどり着いた山間の町で理佐が働くことになったのは手打ちのそば屋。そこは水車で動く石臼で挽いたそば粉をつかっているのだけど、水車小屋で石臼が空挽きしないように見張りの仕事をしているのが、ネネという鳥なのである。亡くなった先代が飼いはじめてその仕事を仕込んだのだ。そば屋の浪子さんは鳥アレルギーなので、「鳥の世話じゃっかん」も理佐の仕事となる。

 ネネは、オウムに似ているヨウムという鳥で、とても賢い。人の言葉をまねて覚えるのが得意で、オウム返しならぬヨウム返しで、なじみの人間とは多少の、いやかなりの意思疎通もできる。ラジオから流れてくる音楽が好きで、プロコルハルムやジョニ・ミッチェルなどを一緒に口ずさんで、石臼で挽くそばの実が少なくなるのに気づくと、「空っぽー!」と叫んでしらせる。こう説明すると、理佐のように、この状況が吞み込めないと思うが、実際にヨウムはとても賢くて、寿命は五〇年もあるらしい。ほぼ明治時代の日本人と一緒だ。ネネは賢くキュートで頼りになる。理佐と律にとってなくてはならない存在となっていくのだ。というか、読者はヨウムを飼いたくなること間違いない。

 

 血縁をあてにせず二人だけで暮らし始めた姉妹を、町の人たちはしずかに見守り、四〇年の時の中で様々な人生が交差していく。大人は子どもたちを守るために考えみんなで育み、子どもたちは、自分の成長を大人たちの視線から感じ取り、そのあたたかな思いに恥じないような心を自ら育てていく。みんながそれぞれを思いやっている姿を、津村記久子は、見たまま(のよう)に描いている。大げさな描写も感情的なあおりもないのに、登場人物の心の動きを我がことのように読者に伝えてくる。そのさりげなさは名人というか、もうすごいとしかいいようがないけれど、そのすごさも気づかせないくらい、日々の物語がいとおしいのである。昭和から平成をへて令和にいたる四〇年のなかで、社会の変容とともに家族のありかたもかわってきた。そのなかで大切な指針となる態度がひとつある。それは「誰かを助ける」という幸せだ。物語を織りなす一人ひとり、みんな幸せになってほしいと願ってしょうがなくなる。子どもと大人の、それぞれが成長し成熟していく物語。うちなーぐちで言うと「ちむがなさ」というのかな。

 

 読み終えたあと、カバーを外して広げてみると、物語が一枚の絵巻になっていた。挿画は北澤平祐さん。すばらしいしごと。この小説はコロナ禍のなか、新聞連載されていたというから、毎日新聞の読者はずいぶんこの物語に助けられたのではないか。

 

 2023年5月×日

 

 翻訳家・ライターの斎藤真理子さんの『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)を読み終えた。次々と翻訳される現代韓国小説が現在の盛況にいたるまでにどのような潮流があったのか、二〇一〇年代からさかのぼり、韓国の様々な時代の節目と文学がどう絡み合い、社会がどう表現されてきたかを、日本語に翻訳された作品を主にとりあげて語る、優秀なガイドブックにして、韓国現代史の気配を伝えてくれる内容だった。もっと早く読んでいればよかったと、さっそく反省する。

韓国文学の中心にあるもの

 ぼくも流行に乗ってというか、この数年、現代韓国文学を継続的に読むようになったのだが、ぐぐっとその波に乗せてくれたのが、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』(斎藤真理子訳、亜紀書房)であった。チョン・セランの作品といえばジャンルは多岐にわたるけれど、三行ほどで登場人物のことが気になり、十行目でもう好きになり、あとは物語から離れられなくなる。『フィフティ―』は、五〇人が主人公の連作短編小説で、バラバラに登場した人物が最後はみごとに絡み合い、すべての人が幸せになってほしいと願わずにはいられなくなる。これはチョン・セランの作品ぜんたいに通じる、ぼくの感想だ。

フィフティ・ピープル

 斎藤さんは『フィフティ―』の翻訳もそうだが、第一回日本翻訳大賞を受賞した『カステラ』(共訳、クレイン)や、韓国で社会的ブームを巻き起こし日本でも大ヒットした『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)など、日本における韓国文学ブームを牽引してきた。月刊ペースで翻訳が出ているのではないかとおもうほど。どの作品にも現代韓国の社会背景が密接に絡んでいることを感じていたのだが、なぜそうなのかが『韓国文学の中心にあるもの』を読んで納得できた。

 韓国や台湾の小説を読むと、ときに日本の小説以上に、沖縄との親和性というかシンパシーを感じてしまうのは、「戦争の記憶が刻まれていること」があるのではないかと気づいた。沖縄で生活したこともある斎藤さんは、まえがきで、朝鮮戦争という地上戦があった韓国同様に沖縄にも「同じような気配を感じた。地上戦が行われた土地は似ているのだろうか」と書いている。その「気配」を物語にすることで記憶をつないでいく。それは文学が人を助けることができるかもしれないという希望だ。

 朝鮮戦争が始まったのは一九五〇年六月二五日。その頃ぼくの母は、沖縄の小さな島の子どもで沖縄本島へ進学するつもりだったが、朝鮮戦争が始まったことを知った祖母は、そのイクサが沖縄にもくるのではないかと恐れて、ひとり娘が島を離れていくことを許さなかったという話を聞いたことがある。地上戦を体験するということはそういうことなのかもしれない。朝鮮戦争は、ぼくの家族の歴史もすこし変えていたのだ。

 

 2023年6月×日

 

 六月は毎年恒例の「一合ライブ」がある。かれこれ三三年間続いている。八重山石垣島白保(しらほ)出身で八重山、沖縄民謡の歌い手である新良幸人(あらゆきと)プレゼンツと銘打って、地元沖縄ゆかりのミュージシャンが多数参加してきたライブだが、三〇年を節目にして、幸人の三線と相棒・サンデーの島太鼓の演奏を、じっくりと泡盛飲みながら味わうライブとなっている。

 なぜ六月かというと、沖縄戦の犠牲者を鎮魂し平和を願う「慰霊の日」が六月二三日に制定されているからだ。一九四五年、春から夏にかけて、住民を巻き込んだ持久戦を展開した日本軍のトップが自決した日で、そのことをもって日本軍の組織的な戦闘が終わったとされるが、沖縄住民の戦争被害はその後も続いた。いまも日米の軍事基地、施設はたくさんある。そのことを意識しながら、八重山や沖縄の歌を聴いて、いろいろもの思うわけだ。

 三三年間、那覇のあちこちのライブハウスや劇場で、幸人の三線と歌を聴いてきた。那覇はずいぶん変わったけれど、ぼくはずっとこの街で暮らしている。そもそもこのライブの言い出しっぺのひとりで裏方として参加していたが、いつのまにか特にやることもなく、ただ楽屋で酒を飲んでいるだけのぼくも還暦となってしまった。

 島の歌も知らずに育ったぼくは、二十代後半に彼らの演奏と出会って、以来、ことあるごとにこの島々にゆたかな歌が歌い継がれ、また新しい装いとなる瞬間を味わってきた。

 三〇年前、ぼくの母親の還暦のお祝い席に、幸人とサンデーを呼んでお祝いの歌を演奏してもらったことを思い出す。今年の一合ライブは密かに自分の還暦お祝いと定めた。しかし六月二三日と二五日、沖縄と韓国のメモリアルデーが続いていたなんて、いままで気がつかなかったなぁ。

タグ

著者略歴

  1. 新城和博

    編集者、ボーダーインク勤務

関連書籍

閉じる