わたしが女性天皇を歓迎しないこれだけの理由
※『世界』2026年8月号収録の記事を特別公開します。
天皇制について発言を求められるたびに、わたしは断ってきた。論じれば論じるほど、賛否共に国民の関心が集まることを怖れたからだ。それより、関心が徐々に薄れていって、皇統が絶えると共にフェイドアウトしていってくれたらよいが、と感じていた。
その皇統の継続が危ぶまれている。皇太弟の秋篠宮のほかは、次世代の男系皇位継承者はその息子の悠仁のみ。皇室典範の改正は待ったなし、という危機感を煽って、今国会での成立が議論されている。改正案の内容は二択である。あくまで男系男子に固執するか、それとも女性天皇を容認するか。前者が提示したのは、皇統男子の養子縁組の制度。後者が提示したのは女性皇族の結婚後の皇籍保持。どちらも、という選択肢もある。
皇位継承者の選択肢を増やすもうひとつの奥の手は側室制である。古代の天皇には采女という側女がいたし、明治天皇には正室2人、側室5人に合計15人の子どもがいた(1)。天皇に側室がいなくなったのは大正天皇からである。天皇の男系継承は側室制によってしか維持できないと唱える保守派もいるが、これは重婚を禁じる近代民法のもとでは禁じ手。国内世論も国際世論も許容しないだろう。
保守系の政党はあくまで男系男子に固執するが、維新、国民民主はいずれも可のグレー路線、中道は意見のとりまとめすらできず、あとから女性天皇容認を唱えた。中道は「法の下の平等」を唱えるが、そもそも天皇制そのものが「法の下の平等」に反している。かつて天皇制の廃止を唱えた共産党でさえ、いまや女性天皇容認を求めている。いつから天皇制支持にまわったのだろうか。
男系男子の継承が日本の伝統でもなんでもなく、明治時代からの「創られた伝統」であることは、歴史家の多くがつとに証言している(2)。憲政史上初の女性首相が誕生したにもかかわらず、その女性首相が率先して男系男子継承にこだわるという皮肉な事態が起きている(3)。
天皇制と家制度
養子縁組も女性皇族の皇籍離脱も、いずれも「家制度」に基づいている。日本の家が血縁原理ではなく、加入したメンバーによる経営体として維持されてきたことはよく知られている。非血縁者を擬制的家族関係(親方・子方、義兄弟等)にとりこむのが家制度であり、その点では日本の家は、大陸のような血縁を基にした家族主義にもとづいていない。養子縁組制度は、そのような融通無碍な家の延命に貢献してきた。
他方、女性皇族の婚姻による皇籍離脱も、父系家族原理による。「嫁げば他家の人」になる娘は、婚姻によって氏を変えることで所属を変える。氏とは婚姻から生まれた子どもの帰属を示す記号であり、したがって父の氏を継ぐ子どもは父の氏族に属する。なぜかといえば、家族にとって子どもとは、婚姻によって得られる最大の成果だからである。長い間、女にとって離婚とは、子どもを婚家に置いてひとりで去ることを意味していた。ために、子どもと生き別れになりたくない気持ちが女性にとって離婚の抑止力になっていた。だが、残された子どもを父親が父子家庭で育てたわけではない。家制度のもとでは舅姑、小姑等の養育力があったからこそ、長らく父方が単独親権を行使してきた。
この単独親権が父方から母方へ急速に移行したのが1960年代である。その時期は核家族化にともなって、三世代同居率が低下し、祖父母世代の養育力が期待できない時代に一致していた。日本の父親の多くはそれ以前もそれ以後も、子育てに積極的に関わってきたとはいえないにもかかわらず、一昨年「共同親権」が法制化されてしまった。
この婚姻の父系血統主義は、1985年改正までの国籍法に明確に示されていた。それまでの国籍法では、日本人女性と外国人男性との結婚から生まれた子どもは自動的に父親の国籍となった。逆に日本人男性と外国人女性との結婚による子どもは日本国籍となった。85年、国連女性差別撤廃条約の批准に間に合わせて、このジェンダー非対称な国籍法は国会で改められたが、それまでの国籍法が、家制度のもとにおける氏族の帰属原理にしたがって成り立っていたことがよくわかる。
そう考えれば、夫婦同氏の原則に固執する人々が保守したいのが父系家族原理であることがよく見えてくる。彼らは性差別を維持したいのだろう。
皇室のジェンダー非対称性
養子縁組も女性皇族の皇籍保持も、二次的、三次的な問いを孕んでくる。旧宮家の中からの養子縁組なら、どの親等まで認めるか、そもそも該当者がいるのか、いたとしても本人の同意が得られるのか、またそれまで民間人だった者が立場を利用して政治活動や営利活動をすることを防止できるのか? 「立法府の総意」をまとめる立場にいる森英介衆議院議長が、養子は皇位継承権を持たないが、その子は皇位を継承できると踏みこんだ発言をしたことで反発を受けたが、男系養子を採用すれば当然の帰結だろう。だとすれば皇族男子は種付け馬なみの扱いになる。女性皇族も「産む機械」として男子出産の圧力のもとに置かれている。現皇后が女児しか産まなかったことで、周囲から追いつめられたことは周知のとおりである。
女性皇族の皇籍保持については、女性皇族の配偶者と子に皇籍を与えるかどうかが問題になっている。これまで男性皇族が民間人女性と結婚したらその配偶者と子は皇族となったが、女性皇族が民間人男性と結婚したら配偶者が皇族にならないのは、あきらかなジェンダー非対称性である。また皇籍を持たない民間人配偶者が選挙に立候補したりする政治活動をする権利を妨げられない。そもそも民間人との婚姻によって男性皇族の皇籍は影響を受けないが、女性皇族が皇籍を失うこと自体が性差別的である。裏返しにいえば、女性皇族の皇籍保持が立法化されれば、女性皇族は婚姻によって皇籍を離脱する自由を失うことになる。秋篠宮家の長女、眞子さんが小室圭さんと結婚することによってただちに「眞子さま」から「小室眞子さん」になるメディアの敬称の変化を、わたしたちは目の当たりにした。眞子さんは、国外へと「亡命」しなければ自由を得ることもできなかったのだ。
現状では皇統の次世代男性継承者は秋篠宮家の長男1人、女性継承者は天皇家の長女と秋篠宮家の次女の2人。この女性皇族2人が婚姻によって皇籍離脱をしてしまえば、候補者はますます減少する。彼女たちにとっては、立法化の前に皇籍離脱をするチャンスはどんどん失われている。
保守とリベラルのねじれ
皇室典範の改正については男系男子に固執する保守派と、女性天皇容認のリベラル派(と呼んでよいか疑わしいが)とのあいだに、妙なねじれが起きている。保守派は天皇を尊崇すると言いながら、実のところ継承者の選択肢を狭めることで天皇制の衰退に手を貸していることになる。反対に、リベラル派のほうが天皇制のジェンダー平等を主張することで、天皇制の延命に貢献する結果になる。保守派の中には「天皇は何もしなくてよい」「天皇に人権はない」と言う人もいるぐらいで、彼らは天皇制という制度を保守したいが、天皇という人格を尊崇するようには見えない。
皇室典範の改正が、当事者抜きで行われていることは奇妙なことである。平成の天皇の退位にあたって、彼は「おことば」で生前退位の意思を示すことで、死を以てしか退位を認められない現行の皇室典範からの逸脱を示唆し、国民世論の支持を得て、法律に例外を作った。天皇は政治的行為をしないという規範に、自ら違反したのである。この生前退位をめぐっても議論がまきおこった。政府は「おことば」を憲法からの逸脱として無視することもできたはずである。だが「おことば」は、天皇が世論を喚起することのできる大きな影響力を逆に示した。
平成の天皇、すなわち現上皇がこの逸脱行為をした理由は、昭和天皇の死に学んだからであろう。自粛に次ぐ自粛で国民の不満と反発が強まるのを目の当たりにして、この愚は冒すまいと思ったにちがいない。天皇制のプロデューサーというべき人物がいるとしたら……それは上皇自身や聡明な上皇后かもしれないが……まことに賢い戦略だったと思う。
天皇制への国民的関心
敗戦後81年、新憲法発布からも80年、天皇に対する国民世論の動向は、時代にともなって変化してきた。だが敗戦後から一貫して天皇制に対する関心と支持、天皇に対する親しみやすさなどの経年変化を追える検証可能なデータは存在しないといってよい。意識調査の質問項目が違うからだ。その中でも信頼できる1973年以降のNHKによる「日本人の意識」調査を検討してみよう(4)(図)。

このデータでは1973年以前に遡ることはできないが、天皇制についての関心は戦後順調に低下をつづけてきた。戦後生まれの若い世代ほど関心は薄く、このままフェイドアウトしていけば、というわたしの期待も故(ゆえ)なきわけではなかった。80年代あたりから高齢の昭和天皇は「平和天皇」としてメディアにフレーミングされ、「空虚な中心」として海外の識者に論じられたり(5)、「少女たちのかわいい天皇(6)」のようにアイドル化するようになった。
天皇に対する関心が高まったのは昭和から平成への代替わりの時期である。新聞紙面で毎日のように報道される昭和天皇の「下血」騒ぎで、関心はいやでも高まったが、敬意はかえって低下した。千代田の森の奥深くにいるひとりの高齢男性の容態に一喜一憂して、なぜ国民がコンサートやパーティを自粛しなければならないのか、ネオンの消えた街を見て不満に思った人は多いはずだ。
それよりもっと昔、敗戦直後の天皇については、ネガティブな関心が強かったといえる。天皇の名の下の戦争にいやおうなしに動員された庶民のあいだには、天皇に対する恨みや憎しみが渦巻いていた。終戦の詔勅を聞いて、宮城前で慚愧の涙を流した国民もいたが、それ以上に多くの国民が天皇は退位せよ、天皇制を廃止せよ、と思ったことは、当時の世論からも明らかだ。
東北在住の農民詩人の木村迪夫は、息子二人を戦争で失った恨みを詠った「祖母のうた」を記録している。
「にほんのひのまるなだてあかい かえらぬおらがむすこのちであかい(7)」
これを読めば、国旗に対して平静な気持ちでいられない人々の気持ちがわかるだろう。日の丸の赤を殺された息子の血の色と形容することは、いまどきのことばで言えば、言語的な遂行による「国旗損壊罪」にあたるのだろうか?
その同じ民衆が、敗戦後数年経ってからの昭和天皇の地方巡幸を熱狂的に迎えた。沖縄を除く全国46都道府県をくまなく行幸したこのイベントの仕掛け人は、占領軍と宮内庁だった。占領軍が天皇の統治権力と戦前からの官僚機構を上手に利用したことはよく知られている。東條英機大将以下、天皇を「輔弼」した軍部の中枢に責を負わせ、東京戦犯法廷で死刑に処したあと、天皇は戦争責任を免責された。対ファシスト戦争だった第二次世界大戦のうち、イタリアのムッソリーニは処刑され、ドイツのヒトラーは自殺し、責任を問われなかったのは日本のヒロヒトだけである。
敗戦後の焼け野原を菊の紋章をつけたお召し列車で巡幸した昭和天皇は、各地で日章旗の小旗や提灯行列などで熱狂的に迎えられた。内地は戦場にこそならなかったものの、空襲の惨状を天皇はつぶさに自分の目で見たはずだ。天皇を暗殺したいテロリストだっていたにちがいないのに、むしろこの巡幸は天皇制の延命に手を貸した(8)。各地の庶民の崇敬と熱狂に直面した占領軍は、天皇制の根の深さにかえっておののいたにちがいない。これを「草の根天皇制」「一木一草天皇制」と呼んだのは、民衆史家である(9)。
この天皇制の根の深さは、のちに水俣病患者の病室を厚生大臣が訪れたとき、患者が官製企業のチッソがもたらした汚染に苦しみぬきながら、ベッドのうえで「天皇陛下万歳!」と叫んだというエピソードからも知られる(10)。しかしそれは自分を救ってくれるかもしれない超越権力への期待であって、決して親しみの感情ではなかった。
しかし、その神通力も戦後生まれには通用しない。
「護憲」天皇の功績
平成の天皇アキヒト、今の上皇の時代になって、天皇への親しみの感情は急速に上昇した。平成の天皇は、皇太子時代に民間人、正田美智子さんを皇太子妃に迎え、側室を置かず、一夫一婦の近代家族をモデル的に実践したことで国民のアイドルとなった。民間人皇太子妃は自分の手で子育てをしたいと乳人を置かず、そのライフスタイルやファッションは女性週刊誌のグラビアに登場した。平成の天皇が皇后とともに、天皇制を戦略的に演出したことは大きな効果を持った。彼らは頼まれもしないのに、国内外の戦跡を訪れてふかく哀悼の念を示し、また災害があるとただちに現地へ赴いて被災者を慰めた。被災者のまえに膝をつく天皇像を、国民は初めて見たはずである。「平和を願い、国民の安寧を祈る」天皇像は、平成の天皇カップルのおかげで定着した。
平成の天皇は折にふれ、「憲法を守る」とくりかえした。当然であろう。天皇の地位の根源は憲法第一条に依拠しているからだ。「憲法を守る」のなかには、平和憲法を守る、も含まれていた。一九九九年に国旗国歌法が成立したとき、園遊会で天皇が「強制にならないように」と発言したことも報じられた。ためにリベラル左派ですら、天皇を護憲の庇護者のように見なすようになった。國分功一郎は最近の著書で、これを『天皇への敗北(11)』といささかセンセーショナルな表現で指摘した。「九条を守り抜こうとする護憲派の立場を、一条を根拠として存在している天皇が支持する」という”ねじれ”を意味する。
天皇制が現上皇と上皇后のふるまいによって親近感を持たれたことはデータからもわかるが、令和になってからは、関心も親近感も低下している。今の若い世代にとっては天皇制はたんにすでにそこにあるものにすぎない。あのクラシックな皇室ファッションでは、ファッションリーダーにもアイドルにもならない。これまで女性週刊誌の鉄板ネタは皇室特集だったが、その効果ももはや失われていることだろう。世論調査によれば直近の天皇制への関心はやや増加しているというが、それも皇室典範改正問題がメディアを賑わしているからであろう。天皇制について語れば語るほど、賛否含めて天皇制への関心は高まる。語らぬにしくはなし、とわたしが感じたのも理由がある。
天皇制を伝統文化財の一種と見なす戦後世代にとって、残る判断基準は、天皇制を維持するコストがその効果に見合うかどうかであろう。天皇制を維持するコストは皇室費126億円、宮内庁経費130億円、これに警備費を加えると年間およそ340億円(2025年度)である。
皇族の人権
皇族に人権はあるか?
彼らには職業選択の自由も移動の自由もない。プライバシーは監視され、籠の鳥状態である。民主主義というものが多数決で決まるものなら、少数者はつねに多数者の意思に従わなければならないことになる。障害者は少数者だが、障害者の国際運動は「私たち抜きに私たちについて何ごとも決めないで」という標語を掲げてきた。障害者以上に絶対的な少数者である皇族についても、その当事者の意見がまったく聞かれないままに、皇室典範の改正が行われようとしている。
憲法学者は天皇制を人権の「飛び地」と呼ぶ。つまり「例外」である。「女性の人権」の名において皇位継承の男女平等を言うなら、まずこの「飛び地」の解消から手をつけるべきだと憲法学者が言うのは理にかなっている(12)。だが「人権」概念には本来、「例外」はないし、あってはならない。基本的人権とは「自然権」つまり国家によっても法律によっても保証される必要のない、言い換えれば、国家以前、法以前的な権利をいう。だからこそ「天賦人権」というのだ。
天皇制は皇族の人権を無視することで成り立っている。皇族の方々が制度のもとでどのくらいつらい思いをしているかは、上皇后がストレスから失声症になったり、現皇后が適応障害になったりしたことからもうかがえる。現天皇が皇后にプロポーズしたときの決めぜりふがメディアで紹介されていたが、それによると「一生全力でお守りします」というものだった。天皇が会見で「雅子の人格を否定するような動きもありました」と発言するように、天皇はこの約束を守ることができなかった。
権威の源泉としての天皇
だが、この少数者は特権的な少数者たちである。国民の税金で生活を保障され、権威の源泉として機能している。国会は天皇の召集がないと開催できないし、総理大臣も閣僚も任命されない。そもそも総理大臣という用語そのものが律令制の「大臣」から来ている。各省の「大臣」はいまでも天皇の臣下なのである。
国民のあいだに身分格差をつけるこの権威主義の秩序は、平等主義の原則に反している。敗戦後、華族、士族、平民等の身分が撤廃されたのに、皇族だけが特権階級として残った。天皇は権威の源泉である。この権威からの距離によって、勲一等、二等などの序列が決まる。戦争中日本の諸都市を戦略爆撃したアメリカ軍のカーティス・ルメイ元空軍大将が勲一等旭日大綬章を授与された時には、多くの国民が唖然とした。
政府は叙勲制度を巧妙に運用している。毎年春秋の2回、年間約9000人の有名無名の人々が国家への貢献に応じて大勲位菊花章から旭日章、瑞宝章などの勲章を受ける。文化人には文化勲章というものがある。叙勲者の名簿を見ていると、その草の根に至るまでの目配りのよさに感心する。天皇から授与される叙勲式に出席するための旅費を出してくれるわけでもない。配偶者を同行し、そのためにモーニングや訪問着を誂え、叙勲後にはお祝いの席を設ける費用はすべて受勲者の自弁である。勲章の実物を見せてもらったことがあるが、原価のたいしてかからない安っぽいしろものだった。そのちっぽけな形代を受け取ってこれだけ感激してもらえるのだから、政府の事業としてはコスパがよいというものだ。
勲章を断る人はめったにいない、と聞いたことがあるが、日本には叙勲を辞退した著名人たちがいる。宮内庁は叙勲辞退者の名簿を発表しないので、過去に何人いたかを確認することはできないが、本人が明らかにした限り、ノーベル文学賞受賞作家、大江健三郎をはじめとして、城山三郎、杉村春子、中野好夫、鶴見俊輔らは勲章を辞退した。
ことほどさように天皇制は権威主義の源泉、それもいちじるしく父系原理に偏った家父長制の権化ともいうべきものだ。新憲法によって廃止されたはずの父系家族制度が、皇室を例外として生き延びた。これを日本の家族の範とする限り、どのような平等主義的な言説も空疎に響くだろう。何より日本の法体系のもとに、身分格差を含むダブルスタンダードが存続することになる。
「国体護持」の謎
2024年、国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)は、日本政府に対する「勧告」のなかで、「夫婦別姓」の実現に加えて、皇室典範の改正を求めた。男系継承をめぐるあからさまなジェンダー非対称性は、国際的に見ても性差別と認められたからだが、この「勧告」に対して、日本政府の外務省はただちに懲罰的な反応を示した。政府はCEDAWの「勧告」を内政干渉と見なし、CEDAWに対する日本政府の分担金の拠出を停止するという、トランプ政権なみの対応をしたのだ。その直後に、それ以前から日本政府のCEDAWへの拠出金の支払いが滞っていたことが判明し、もともと払っていないものをさらに払わない、と言い募るという恥ずかしいことになった。これまでの「勧告」のなかにあった日本軍「慰安婦」問題の解決や選択議定書の批准などについてはこんな反応を示さなかったのに、こと皇室典範に及ぶと政府はきわめて敏感に反応した。自民党の国会議員の発言のなかに「国体」という概念が登場したことにも驚いた(13)。
ゾンビのような「国体」ということばが生きているとは思わなかったが、「国体」とはいったいなんだろうか? ポツダム宣言受諾に至る過程で、日本政府が最後までこだわったのが「国体護持」だった。よくわからないこの「国体」ということばが意味するものは、天皇制統治機構にほかならない。敗戦にあたって政府は天皇制という「国体護持」を強く求めた。「無条件降伏」と言いながら、現状の統治機構を変えないまま占領を迎えるという選択を、占領軍政府もまた採用した。その意味で、新憲法第一条は、保守派がどのように言いつくろうとも、日本とアメリカとの「合作」なのである。
結論ははっきりしている。天皇制は制度そのものが、権威主義によって国民にとって抑圧的であり、父系継承原理は日本の「伝統」でないばかりか、そのジェンダー非対称性によって性差別的であり、皇族の人権を無視することによって非人間的である。この制度がジェンダー非対称からジェンダー対称になって、女性天皇が実現したからといって、それを喜ぶ理由はフェミニストにはまったくない。また上皇と上皇后とが信頼できる人格者であろうがなかろうが、あるいは天皇の長女の愛子さんが天皇にふさわしい資質の持ち主であろうがなかろうが、いっさい関係がない。問題は人格ではなく制度なのだ。この制度を二一世紀に延命させる理由はない。民主主義国家日本は、立憲君主制ではなく、共和制を選ぶこともできたのだし、これからもその可能性は開かれている。
憲法改正をするなら、第1条から手をつけるべきであろう。
(1)うち成人したのは五人のみ。
(2)最近では、落合恵美子「皇室典範改正で皇室の「中国化」が進む可能性─じつは「父系相続」は「日本古来の伝統」ではなかった」(現代ビジネス、2026年6月7日)など。
(3)保守派であったはずの小林よしのりは愛子天皇を支持している(小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL 愛子天皇論』扶桑社、2023年)。
(4)荒牧央「新時代の皇室観 「皇室に関する意識調査」から」『放送研究と調査』2020年3月号、NHK放送文化研究所。
(5)ロラン・バルト『表徴の帝国』筑摩書房、1996年
(6)大塚英志『少女たちの「かわいい」天皇─サブカルチャー天皇論』角川書店、2003年
(7)木村迪夫『村への道』書肆山田、2017年
(8)八木公生『天皇と日本の近代』講談社現代新書、2001年
(9)色川大吉『昭和史と天皇』岩波書店、1991年
(10)石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』講談社、1972年
(11)國分功一郎『天皇への敗北』新潮新書、2026年
(12)長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』ちくま新書、2004年
(13)2025年2月10日衆議院予算委員会で、自民党議員、鈴木隼人が「条約を守ることと国体を守ることのどちらが大事なのか」と質問した。





