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新刊レビュー/亀山・ショスタコーヴィチ論の集大成 藤盛一朗

 ショスタコーヴィチ(1906-1975)の音楽は、問いを生む。
 交響曲のフィナーレの高揚は、何を意味しているのか。肯定の音楽なのか、賛美を装った否定だろうか……。
 信と不信が交錯し、信仰の書とも、神なき世界の書とも受け取られるドストエフスキーの小説のように、きわめて多層・多重的である。
 その創作は、旧ソ連、わけてもスターリンの全体主義体制の中で行われた。
 ショスタコーヴィチの盟友だったロストロポーヴィチが言うように、体験、すなわち人生の感覚がその音楽と切っても切り離せないのであるなら、ショスタコーヴィチの音楽の理解には、作曲過程を社会や政治、歴史に照らす作業が欠かせない。
 
 亀山郁夫氏は1994年、ソ連崩壊後のサンクトペテルブルクで鮮烈なショスタコーヴィチ体験をしたという。
 本書は、以来、氏が真摯に向き合ってきた音楽との対話の記録である。
 多数の文献を読み解き、ルドルフ・バルシャイなど同時代を生きた音楽家へのインタビューを交えながら、論考を重ねた思索の集大成である。
 平易な文体で、交響曲や弦楽四重奏曲、歌劇、歌曲、さらにはバレエ音楽を論じ、ショスタコーヴィチとソ連体制とのかかわりを詳述している。
 読者はページを繰るのがもどかしくなるほど引き込まれるだろう。
 
 
全体主義に抗する作曲家
 
 19歳で交響曲第1番を書いた早熟の天才、ショスタコーヴィチ。
 その音楽が陰影を増すのは、1934年のキーロフ暗殺、それに続く1936年以降の大テロル、そして同年、共産党機関紙「プラウダ」が歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を「音楽ではなく支離滅裂」と痛烈に批判し、作曲家自身が体制との関わりのあり方を強く意識せざるをえなくなって以降である。
 本書では、ショスタコーヴィチが当初はスターリンへの素朴な敬愛とあこがれを抱いていたことを指摘し、親しかったトゥハチェフスキー元帥の逮捕・処刑(1937年)といった不条理に直面する中で交響曲第5番(同年)が生まれた創作過程を詳細に記し、初演が撤回された交響曲第4番(1936年)の音楽を分析する。
 また、スターリン死後の交響曲第10番(1953年)に刻まれた自身の署名音型「DSCH」や、当時の恋人のイニシャルが音楽に刻印された意味が考察される。
 
 戦時下に初演された交響曲第7番「レニングラード」のエピソードは興味深い。
 プログラムの自筆解説文は、一人称単数によって綴ったのに、突如、約10行にわたり、一人称複数形「われわれ」による加筆がほどこされていた。
 「われわれは無知蒙昧に対する理知の勝利のために戦っている」のように。
 穏やかで知られたショスタコーヴィチが、この時ばかりは主催者に猛然と抗議したという。
 亀山氏は「徹底して個的なものへのこだわりを捨てなかった作曲家だった」と書く。
 こうした逸話は、創作を通じて体制にあらがったショスタコーヴィチの音楽を考える大切な手がかりになる。
 交響曲第10番が、個をのみ込む全体主義体制に対し、「私」を対置し、個の尊厳を擁護しようとしたこととの連関を思わせる。
 
 
高まるショスタコーヴィチ熱
 
 亀山氏は本書を「むしろ私的なノート」と記している。
 もとより音楽は、演奏行為も聴く者にとっても多様な解釈が許される。
 亀山氏としても、「交響曲第5番はこのような音楽だ」と絶対的な解釈を示したわけでなく、読者は、絶好のガイドとして記述を参考にしながら、自分なりにショスタコーヴィチを聴き、考えればよいのではないかと思う。
 
 「ソ連崩壊後のロシアは、ショスタコーヴィチの音楽に対して不寛容である」との記述に違和感を覚えたことは記しておきたい。
 ロストロポーヴィチや、指揮者ゲルギエフはモスクワやサンクトペテルブルクで、没後30年の2005年から生誕100年の2006年にかけ、自身の使命とばかりにショスタコーヴィチの音楽を集中的に取り上げた。
 ボリショイ劇場ではバレエ作品の新振り付けが連続上演された。
 ショスタコーヴィチ・ルネサンスというべき活況が生まれたのである。
 
 現代の指揮者や演奏家には、ショスタコーヴィチはクラシック音楽の歴史を通じて最も重要な作曲家の一人と受け止められている。
 ラトヴィア出身のネルソンスがボストン交響楽団を指揮して交響曲の全集録音を進めているのも、その音楽が人間の尊厳や愛、戦争といったテーマをはらみ、ロシアや旧ソ連のコンテキストを離れても十分に普遍的な音楽だからこそである。
 
 ショスタコーヴィチの演奏機会が飛躍的に増えていることは、亀山氏も重ねて指摘している。
 その音楽への関心が増す中、この大著はまさに時宜を得て出版されたのである。

 

著者 亀山郁夫
版元 岩波書店
価格 3564円(税込)
発売日 2018年3月27日
判型 四六判
製本 上製
頁数 432頁
ISBN 9784000612586

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著者略歴

  1. 藤盛一朗

    ジャーナリスト。1961年生まれ。1995~96年、2000~01年、2005~08年にモスクワやサハリンに滞在し、ロシア政治や文化を取材する。「抗議の音楽 ゲルギエフとショスタコーヴィチ」(世界・2004年12月号)、「戦争の果ての希望の音楽―ゲルギエフのショスタコーヴィチ交響曲第8番」(世界・2016年11月号)や、「音楽の友」誌にロストロポーヴィチなど多数のインタビュー、評論記事を寄稿。

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