WEB世界

岩波書店の雑誌『世界』のWebマガジン

MENU

身体は戦争を拒絶する――映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』をめぐって

※映画公開にあわせて、『世界』2026年9月号収録の記事を特別公開します

『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』

kino cinéma新宿ほか全国映画館にて公開中。

公式サイト https://nelsonsan.jp/


黒井 私が「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げたのは、2018年のことです。ベトナム帰還兵アレン・ネルソンさんの証言映像をピースボートの船上で観て、日本兵だった自分の父親も戦争体験が原因で心を壊したに違いない、と確信したのがきっかけでした。塚本監督と初めてお会いしたのは、会の立ち上げから間もない頃でしたね。

塚本 そうですね。私は2015年につくった映画『野火』の最終盤で、戦争PTSDについて少しだけ触れました。飢餓にさらされたフィリピン戦線を生き延びた大岡昇平の小説を映画化したものですが、制作当時は、戦争PTSDの問題は日本ではほとんど語られていませんでした。資料もなかったので、私自身も手探りで。

その後、黒井さんの活動を通じて、日本でもPTSDを抱える復員兵とその家族の存在に光があたるようになりました。黒井さんがご自宅の敷地につくられた「PTSDの日本兵と家族の交流館」(以下交流館)に、私も足を運びました。2023年に公開した『ほかげ』で描いた復員兵のPTSDが新聞などで取り上げられたことと、黒井さんたちの活動は、深くリンクしていました。

黒井 『ほかげ』で復員兵を演じた若い俳優さんが交流館を訪ねてくれました。

塚本 ぼくが行くよう勧めたわけではないので、彼、河野宏紀さん自身が戦争PTSDについて知りたくて訪ねたのでしょうね。その頃から戦争PTSDの問題が、水面下から大きなクジラが浮上してきたかのように見えてきはじめました。

 埋もれていた戦争PTSD

塚本 ぼくは1960年、終戦の15年後に生まれました。高度経済成長で社会が明るかった時代です。まさかそんな社会の陰で、帰還兵や、その家族が苦しみ続けているなんて想像もしていませんでした。戦争が終わって、幸せな世界が続いていると漠然と受け止めていましたから。

しかし戦争を題材にした映画をつくるなかで、加害を行った兵士たちが、戦争が終わったからといって、すぐに戦前と同じように日常に戻れるとは思えなくなりました。そんな時期に、黒井さんたちの活動によって、戦争が終わったあとも、それぞれが終わらない戦争を抱え続けている現実を次々に詳らかにしていったのです。

日本の戦争PTSDの当事者は、自分自身の心が戦争によって破壊されたことに気づく機会すらなかった。戦後という平穏な日常の水面下には、PTSDを抱えた元兵士が無数にいたのでしょうね。

黒井 PTSDを患った日本兵の正確な数字は、いまもわかっていません。アメリカの退役軍人省は、出征した兵士の二割から五割が戦争PTSDを発症するというデータを出しています。

それをアジア太平洋戦争の日本に当てはめるとどうなるか。従軍した日本兵は約800万人と言われています。戦闘や病気などで、命を落とした兵士は、200万人から300万人。仮に600万人の兵士が帰還したとします。2割の兵士が戦争PTSDの症状を抱えていたら、120万人、5割なら300万人です。

塚本 相当な数ですね。

黒井 私の父、黒井慶次郎は、20歳で徴兵されて、34歳で復員するまでに二度出征しました。合計6年数カ月を満州や中国の戦場で過ごしました。

父は、従軍体験はいっさい話さず、一日中ほとんど口を開かずに、笑顔も見せない、暗い人間でした。仕事も長続きせず、暮らしは貧しかった。家の問題は、私の8歳上の兄に押し付けました。私が父に尊敬の念を抱くことはありませんでした。それが、戦争PTSDの症状だったと気づくのは、ずっとあとのことです。

塚本 一般的な感覚では、戦争で加害行為をさせられた兵士は、戦争や暴力なんてこりごりだという気持ちになり、家族や日常生活を大切にするものだと受け止めているかもしれません。しかし戦場での加害行為がもたらす感情のうねりは、戦争が終わっても治まらない。当事者にはどうすることもできません。

黒井さんのお父さんのように無気力になってしまう人もいれば、アルコール依存症になってしまう人、妻や子に暴力を振るった人もいた。なかには自ら命を絶つ人もいた。

近年、家庭で暴力を振るわれた子どもが、成長すると今度は加害者になってしまうこともあるという家庭内暴力の連鎖についても知られるようになりました。DVが社会問題化していますが、その要因の一つに、戦争の影響があった可能性も否定できません。

黒井 私が立ち上げた「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の活動は、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」に発展し、東京だけではなく、2023年に関西、24年に千葉、そして神奈川、福岡、名古屋に拠点がつくられています。

報道などを通し、戦争PTSDについて広く知られるようになったのと同時に、PTSDを患った元兵士と暮らし、その影響に苦しんできた家族が全国に数多くいた事実も浮かび上がってきたのです。

 戦場の現実、人間の心

黒井 私が戦争PTSDに気づくきっかけとなったアレン・ネルソンさんですが、約10年前に観た証言映像と、塚本監督の新作『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』では、私にとって感じ方も意味もだいぶん違いました。

試写を拝見しましたが、銃の音、爆発音の大音響とともに、まさにいま人を殺しているというシーン、無残に殺されたベトナム人の姿、アメリカ兵の姿が連続して出てきて、日本兵だった父親の戦場体験を目の前で見ているという感覚になりました。

銃を持った父はどんなふうに中国の人を殺していたのか、これまでにもその現場を想像はしていましたが、あまりに苛烈な場面の連続に、戦場とは私の想像をはるかに超えた現実なのだと思い知らされました。これでは父は人間としての精神が保てるわけがない。

塚本 原作の『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(講談社)は、映画『野火』を準備しているなかで読んだたくさんの著作の中の一つでした。子ども向けに振り仮名もつけてあり、平易な文章で、すごくわかりやすく、でもすごく正直に自分が何をしたかが最初から最後まで書いてある。映画にできたらと考えましたが、ベトナム戦争を撮るには規模が大きすぎて無理かと思っていたところ、企画に理解を示してくださる会社のおかげで、タイ、ベトナム、アメリカ、日本での撮影が実現、完成にこぎつけました。

戦場ではアメリカの兵士も、ベトナムの兵士も、そして日本の兵士も関係ありません。誰もが兵士になったら、被害と加害両方の可能性を持ちます。自分が死なないためには、暴力を振るうしかない。

日常には、これ以上はダメだという暴力の境界が明確に線引きされています。しかし戦場では、その境界線が簡単に消えてしまう。人殺しは究極の暴力と言えます。そして戦場で兵士に課せられた目的こそが、人殺しです。

黒井 そんな現場で、人間が人間でいられるわけがない。「俺たちは、戦場でこんなことをやったんだ。心が壊れるのは当たり前だろ」─父がそう言っている気がしました。

塚本 戦場から日常に戻ったときに、元兵士たちにはどんな感情が渦巻くのか。『ほかげ』の制作では、そこが知りたくて、元兵士たちの手記やインタビューを読みあさりましたが、その点はほとんど書かれていませんでした。

『ほかげ』では、ふだん穏やかな帰還兵が急に暴力的になるシーンを、彼らの心情を想像しながら描きました。少し過剰かなという気もしたのですが、戦争体験のある父親を持つお客さんが「自分の父親とまったく同じで驚いた」と感想を話してくれました。

黒井 妻や子どもに対する元兵士の暴力は本当に凄惨だったと聞きます。でも、監督がおっしゃるように、これまで表に出す人はいなかった。

塚本 話せなかったのでしょうね。英雄譚や悲劇は語れたとしても、自らの加害行為を子や孫に語ろうとする人はいなかった。ましてや『野火』で描いたように、仲間を殺して食べてしまうほどの極限状態だったのですから。元兵士たちにとっては忘れたくても忘れられない記憶だったはずです。

一方で、アレンたちベトナム帰還兵のなかには、戦場の加害行為を語る人がいた。

黒井 アレン・ネルソンさんの存在が大きかったのは、戦場での加害行為だけではなく、帰還後に家族に振るった暴力についても明かしたことです。アメリカの場合は退役軍人省があり、帰還兵のケアを行ってきました。ケアを続けるなかで復員兵の精神状態や、家族に対する暴力がわかってきました。

日本で、戦争PTSDがもたらした被害がようやく明るみに出たのは、2018年に私たち家族が声をあげてからです。日本の帰還兵たちは、口を閉ざしたまま私たちの前から姿を消してしまった。戦後の日本には、自身の戦争トラウマを語れるネルソンさんのような人が必要だった……。そう思えてなりません。

 ネルソンさんと精神科医

黒井 劇中では、ネルソンさんが戦場で人を殺し、心を壊した結果、家族に対しても暴力を振るう、そのプロセスが、精神科医のダニエルズさんとの対話により引き出されていきます。そして、少しずつ自分が犯した罪と向き合っていく。

ダニエルズ医師は「なぜ君は人を殺したんだね?」と治療のたびに問いかけて、ネルソンさんは最後に「私が殺したかったからだ」と答えるに至ります。決して最初からの本心ではなかったはずです。しかし戦場に放り込まれて、生き残るには相手を殺すしかない。戦場で兵士たちが麻痺していって、人殺しが正義になっていく。人殺しが正義のわけがないのですが……。

「殺したかったからだ」。その言葉に、重なったのもやはり父です。

父は二等兵から、一等兵、上等兵、兵長、伍長と出世し、陸軍軍曹となってたくさんの部下を持ちました。召集された兵士として、軍隊組織で昇進を重ねました。優秀な兵士だった父も、人殺しを正義と思い込んでいたのかもしれません。そう思い込まなければ戦えなかった。

ネルソンさんは、ダニエルズ医師の治療のなかで、過去を見つめ直して、自分が犯した罪をたくさんの人に伝えようとしていきますね。

塚本 日本でも1200回以上、講演しています。きっかけは1995年の沖縄での米兵による少女暴行事件でした。暴行された少女は12歳。アレンもアメリカでこの事件を知り、衝撃を受けたそうです。

そして沖縄に招かれた。アレンはベトナムに出征する前に沖縄で訓練を受けていました。そこでも多くの暴力行為が行われていた。その場にあえて行こうというのも大変な決断です。

それを支えたダニエルズ医師については、アレンの残した書籍にも少し出てはきますが、資料はあまりなかったんです。アレンの家族や関係者に取材していくなかで、戦争PTSDのカウンセリングをしている精神科医にインタビューをする機会があり、偶然だったのですが、その方がダニエルズさんのことを知っていて、資料を読ませていただきました。

黒井 どんなことが書かれていたのですか?

塚本 本人の生い立ちが細かく書かれていましたが、それを念頭に、映画にシンプルに落とし込んだのは、ダニエルズさんの基本的な姿勢は、聞くということです。自分がいろいろ言うのではなく、アレンに語ってもらう。その姿勢は、アレンが「日本のダニエルズさん」と慕った石川県加賀市の光闡坊というお寺の住職・佐野明弘さんにも通じます。アレンは、2009年、枯葉剤の影響による多発性骨髄腫のため61歳で死去。お墓は光闡坊にあります。

 心が壊れた兵士を放置した日本

黒井 語弊があるかもしれませんが、ダニエルズ医師の存在を知り、ネルソンさんたちアメリカの兵士は恵まれているように感じました。「なぜ人を殺したのか?」というダニエルズ医師が繰り返した問いが、ネルソンさんを一人の人間としての自分を取り戻していく試みだったように思われたからです。

私の父にも……いえ日本の復員兵にもダニエルズさんのような人がいれば、と思わずにはいられませんでした。そうであれば、復員兵の暴力は収まり、出征前の、本来の姿に戻れたかもしれません。

しかし現実は、日本の兵士はケアも治療もされずに放置されました。ネルソンさんのようにカウンセリングや治療を受けた人はいなかったはずです。暴れる復員兵を家族が羽交い締めにして精神科に連れていったようなケースはあったかもしれませんが。

塚本 日本には精神的な弱さを恥とする風潮が根強く残っています。当時は、本人だけではなく、家族も隠そうとしたのかもしれません。『ほかげ』でも描きましたが、家の座敷牢に閉じ込めたケースもあったそうです。

黒井 日本は、心が壊れた元兵士を人間に戻していく環境をつくろうとしませんでした。治療やケアを受けられなかっただけでなく、罪に向き合うきっかけも、なぜ自分が戦場に送られたのかを問い直す機会もなかったのではないでしょうか。

裏を返せば、PTSDを発症した帰還兵を家族が引き受けるしかなかった。自分の心が壊れた自覚がない帰還兵は自分の状況を語れない。一緒に暮らす家族も、なぜ荒れ狂っているのか想像もできない。

私たちの世代は、狂ったように暴れて、母や子どもたちを殴ったり、無気力になったりする父を恨むしかなかった。そして、父たちは、妻や子に恨まれたまま死んでしまいました。

父たちの振る舞いの原因は、彼らの素因でも、家族の責任でもなく、日本が始めた戦争だった。家族がそれだけでもわかっていれば、対処のしようがあり、防げた悲劇も多かったのではないかと感じます。

塚本 実は、旧日本軍も、兵士の精神疾患については把握していて、千葉県の国府台に専門の病院を建てました。しかし戦争に負けた途端に、すべてのカルテを隠して闇に葬ってしまった。

黒井 日本政府は帰還兵の精神疾患を隠すのではなく、その知見をケアに活かして、家族を支援すべきでした。そうすれば、不幸な家庭が少しでも減っていたはずです。

塚本 私もその思いを映画に込めました。終盤、リリー・フランキーさん演じる復員兵の父を持つ「黒井」という日本人男性が登場します。名前は黒井さんからいただきましたが、劇中の「黒井」は、戦争PTSDについて知らず、自分たちもまた戦争の影響を受けてきたことに気づかずに生きてきた世代を象徴する役にしました。映画の主人公は、アメリカ兵のアレンですが、リリーさんが演じる「黒井」を通して、戦争PTSDが決して過去の問題ではなく、いまも日本社会に影を落としている事実を、多くの人に知ってほしかったのです。

 身体で理解する

黒井 「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」のメンバーたちは、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』をまさに自分たちの物語として受け止めるはずです。先日の例会でメンバーに、「あの映画を観れば、父たちが戦場で何を経験したのか、その一端に触れられるはずです」と話しました。

メンバーのなかには、いまも父親から受けた暴力のトラウマに苦しんでいる人がいます。そうした人たちにとって、この映画には過去の傷を呼び覚ます場面が少なくありません。一人ではなく、信頼できる人と一緒に観てほしいと伝えました。

塚本 映画の序盤から、アレンが犯した数々の暴力描写が続きます。戦争はダメだという論理的、客観的な感想ではなく、理屈抜きで肌身で戦争の恐ろしさを感じて、本能的に、身体が戦争を拒絶するようになってもらえたらいいなと思うんです。

ぼくは子どもにも観てほしいと思っています。凄惨な場面が多いのですが、保護者などの同伴があれば一二歳未満の子どもも鑑賞できるPG12の指定を受けました。ぜひ親御さんと一緒に観てほしい。親御さんがうちの子にはまだ早いと判断したら、もう少し成長してから勧めてもらいたいです。

黒井 大人が観てもショックを受ける場面が続きます。しかしガザやウクライナの子どもたちは、命の危険にさらされながら、そうした光景を否応なく見せつけられています。

ショッキングなシーンだからこそ、正義の戦争や、正しい人殺しなど存在しない事実が、子どもたちの心に恐怖とともに刻まれるのではないかと感じます。

いまの日本には戦争を経験した人はほとんどいなくなってしまいました。その意味では、子どもはもちろん、すべての日本人が観るべきです。いや日本人に限らずいろんな人に観てほしいけれど、とくに日本人、とくに政治家のみなさんには観てほしいです。

塚本 十数年前、日本に戦争が近づくきな臭さを感じて『野火』を撮り始めました。その頃は、日本が再び戦争なんかするわけがないだろうという反応がほとんどでした。

しかし『野火』が完成した2015年に、日本政府は、安全保障関連法を成立させ、集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊の海外での活動範囲を拡大させました。

同時に、国会議事堂前には、高齢者だけではなく、若者や子連れの母親が集まって反戦を訴えました。そうした社会を反映したのか、『野火』の上映館にはたくさんの人々が足を運んでくれました。

それから10年以上が経ちます。いま日本政府は、憲法改正に向けて動き出しています。日本国憲法には、戦争を避けるための理念が書かれていると思っているんですが、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』が、そんな現在を捉え直すものになっていれば、と考えています。

(構成=大山美佐子、山川徹)

タグ

著者略歴

  1. 塚本晋也

    映画監督、脚本家、俳優。1960年生まれ。主な作品に『鉄男』『バレット・バレエ』『六月の蛇』『野火』『ほかげ』『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』など。著書に『冒険監督』ほか。

  2. 黒井秋夫

    PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会代表。1948年生まれ。著書に『戦争トラウマを生きる』(蟻塚亮二との共著)、対談集に『戦争トラウマを語り合う』など。

関連書籍

  1. 月刊誌世界は、リニューアルします

社会に噴出する「敵意」や「憎悪」の正体

曖昧な弱者の時代

曖昧な弱者の時代

伊藤 昌亮 著

詳しくはこちら

好評連載を書籍化

中高年シングル女性

中高年シングル女性

和田 靜香 著

詳しくはこちら

日本と韓国文学との架け橋として

本を作るのも楽しいですが、売るのはもっと楽しいです。

本を作るのも楽しいですが、売るのはもっと楽しいです。

金承福 著

詳しくはこちら

ランキング

お知らせ

閉じる