第4回 ハリー・トルーマンと朝鮮戦争
※『世界』2026年7月号収録の記事を特別公開します。
「忘れられた戦争」
一九五一年一〇月五日、『USニューズ&ワールド・レポート』誌に掲載された一本の記事のタイトルは、朝鮮戦争の運命を正確に予言していた。「朝鮮――「忘れられた」戦争」。一進一退をくりかえすばかりで、いつまでも終わる気配のない朝鮮での戦争を、アメリカ人は忘れつつある、そう記事は診断した。だがこのとき朝鮮での戦争は、まだ記憶か忘却かという二分法で語るべき「歴史」にはなっていなかった――それは未終結どころか、いまだ激戦のまっただなかにあったのである。この記事から二年後の一九五三年に朝鮮は南北にわかれたが、この分裂という結末をもたらしたのも、終戦ではなく、休戦の協定(armistice)であった。朝鮮戦争は終わるまえから忘れられた戦争として語られはじめ、そして、「忘れられた」戦争であるという以外に、それがどのような戦争であったのかは、まさしく忘れられてしまうことになる。
じっさい、この戦争は、アメリカの軍事史においてもっとも語ることの困難な戦争のひとつであるだろう。あえて朝鮮戦争を語ろうとする者は、華々しい「グッド・ウォー」たる第二次世界大戦と、米国史上――軍事史ではなく米国史全体で――最大の汚点となるベトナム戦争に挟まれた、このまったく馴染みのない極東の半島で戦われた戦争の「影の薄さ」に、きまって言及することになっている。三万人以上のアメリカ人と一〇〇万人以上の朝鮮人・中国人の死者を出したこの戦争は、結局のところ開戦前とほぼ同じ北緯三十八度線が休戦ラインとなり、その徒労感は拭えなかった。当然、休戦協定が結ばれたとき、それを祝う人びとがタイムズ・スクエアに集まることもなかった――それはとりもなおさず「休戦」だったのであり、この戦争に、アメリカは勝利しなかったのだ。
アメリカにおける朝鮮戦争研究の第一人者であるブルース・カミングスは、この「忘れられた戦争」という呼称は、あたかもアメリカ人が朝鮮戦争をいちど記憶したのちに忘却してしまったかのような印象を与えるとして批判している。カミングスによれば、アメリカは朝鮮戦争をいちども記憶したことがない。それは「忘れられた」のではなく、「誰も知らない Never-Known」のだ(1)。だが、たとえば Good Warという呼称が第二次世界大戦の(歪んだ)記憶を形成しているのと同様、Forgotten Warという呼称それじたいもまた、朝鮮戦争の(歪んだ)記憶を形成している。朝鮮戦争は、「忘れられた」戦争として、忘却すべき戦争として、語るにあたいしない戦争として語られることによって、まさしくそのように記憶されてきたのである。われわれは、あらたな朝鮮戦争の語りかたを手に入れねばならない。
戦争から防衛へ
朝鮮戦争を語るために、いったん第二次世界大戦の末期に遡(さかのぼ)ろう。ハリー・トルーマンは一九四五年にローズベルトが亡くなって副大統領から昇格するわけだが、ローズベルト政権の第三期にあたる一九四四年、当時ミズーリ選出の上院議員であり副大統領の候補であったトルーマンは、週刊誌『コリアーズ』に文章を寄稿している。いわく、「アメリカ合衆国は神の摂理によって守られている」、しかし、「一九四一年一二月七日の出来事」がその信念を根底から揺るがしたいま、「われわれはもはや偶然と運に頼るわけにはゆかない」。日本が攻撃を準備しているという情報を手にしながらも真珠湾攻撃を防ぐことができなかった原因は、軍の指揮系統における責任の分散と、陸海軍の連携の欠如にある――そう彼は判断し、この文章に「軍部は統合せねばならない」(“Our Armed Forces Must Be Unified”)というタイトルをつけた(2)。
戦後、トルーマンは大統領としてこの構想を実現することになる。一九四七年には国家安全保障法に署名、米軍の全部門を国家軍事機構(NME: National Military Establishment)の名のもとに一元化。陸軍省、海軍省、新設の空軍省、そして統合参謀本部が、すべてひとりの国防長官(ジェイムズ・フォレスタル)の指揮下に置かれることになり、さらには国家安全保障会議(NSC: National Security Council)ならびに中央情報局(CIA: Central Intelligence Agency)も新設された。その二年後、国家安全保障法の改正によって、このNMEは、現在われわれも知る国防総省へと改称される。ここには重大なレトリックの転換があった。この一連の再編は、一五〇年以上の歴史をもつアメリカの戦争省(Department of War)を解体し、これを防衛省(Department of Defense)へと再組織するプロセスだったのだ。第二次世界大戦と朝鮮戦争のあいだに、アメリカの「戦争」は「防衛」にシフトしたのである(3)。
もはやアメリカの軍事行動は「戦争」ではない――この認識は朝鮮戦争を契機に、さまざまなレトリックとして続々と湧いて出ることになった。それは「小さい戦争small war」であり、「限定戦争limited war」であり、「実験戦争experimental war」なのであって、第二次世界大戦という「真正の」ビッグ・ウォーとはことなる次元の小競り合いにすぎない。「冷戦Cold War」という呼称こそは、その最たるものである。アメリカが全力を傾けない軍事行動においては、アジアでどれだけの犠牲者が出ようとも、それは戦争の名にあたいしないのだ。それは、グッド・ウォーであることを心から信じられた第二次大戦以後、どんどんそのグッドネスが怪しくなっていった戦争国家アメリカにとって、たいへん都合がよく、またぜひとも必要な、レトリック上の戦略であった。
アメリカは第二次世界大戦を最後に宣戦布告していないことは前回も述べた。ただ、ウィルソンもローズベルトもそうしていたように、軍事行動には議会の承認が必要になる。この手続き上の問題をトルーマン政権は、まさしく自国の戦争を平和と同一視するアメリカならではの方法で解決した。国連の安全保障理事会に、北朝鮮を「平和を侵害する」(breach of the peace)侵略国として認定する非難決議を採択させ、国連軍の組織を決定したのである。これにより軍事行動の主体はアメリカ合衆国ではなく、アメリカの指揮権のもとで動く国連軍となり、朝鮮戦争は議会の承認を要する国家による戦争ではなく、国際連合による平和維持活動となったのだ【引用1(4)】。ウィルソンが提唱し、ローズベルトが発展させた国際平和のための組織たる国際連合がさっそくアメリカの戦争に利用されたという事実に、もはや本連載の読者は驚かないだろう。
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【引用1】 “United Nations Security Council Resolution 84,” July 7, 1950. The Security Council, […] 2. Notes that Members of the United Nations have transmitted to the United Nations offers of assistance for the Republic of Korea; 3. Recommends that all Members providing military forces and other assistance pursuant to the aforesaid Security Council resolutions make such forces and other assistance available to a unified command under the United States of America; 4. Requests the United States to designate the commander of such forces; 5. Authorizes the unified command at its discretion to use the United Nations flag in the course of operations against North Korean forces concurrently with the flags of the various nations participating; 〔訳〕安全保障理事会は、[…] 2.国際連合加盟国が大韓民国への支援を国際連合に申し出たことを確認し、 3.前述の安全保障理事会決議にもとづいて軍隊その他の支援を提供するすべての加盟国が、当該軍隊その他の支援をアメリカ合衆国の指揮下に置かれた統合司令部に提供することを勧告し、 4.アメリカ合衆国に対し、当該軍隊の指揮官を任命するよう要請し、 5.統合司令部が北朝鮮軍に対する作戦行動において、参加各国の国旗と共に、その裁量により国際連合旗を使用することを認め、[…] なかなか本文を読む機会はないであろう、安全保障理事会の決議を覗(のぞ)いてみよう。それぞれの決議文は非常に短いものが多く、この引用で全文の半分ほど。このように冒頭で「安保理」を主語に立てて、そのあと分詞構文と動詞をどんどん連ねながら全体が1文で書かれる。セミコロンはこのように文単位の要素などを列挙するときに使える記号。徐々に責任の所在をズラしてゆき、トルーマン政権の目的を、アメリカ合衆国の責任ではなく「国際連合旗」のもとで遂行することを可能にすべく書かれた文章であることがわかるだろう。斜字体になった各動詞の強制力のニュアンスを、英英辞典で比べてみてほしい。 |
終わりなき戦争
第二次世界大戦のアメリカは「敵」に恵まれた。ヨーロッパにはヒトラーとムッソリーニがおり、それらファシスト政権と手を組み太平洋で暴れていた極東の島国は、あまつさえ真珠湾の攻撃という暴挙に出ていた。戦争国家アメリカは以後、自国の軍事行動の倫理的な正当性を保証してくれる、こうした明瞭な「悪」としての敵をもとめつづけることになる。それは世界にとっての――アメリカが定義する「世界」にとっての――共通の敵でなくてはならない。第二次大戦ではファシズムに求めることができたそれは、冷戦期においてコミュニズムとなり、二一世紀にはテロリズムとなる。かくして「敵」は国家ではなく、イズムとなり、敵がイズムであるいじょう、その「敗北」の基準は不明確となる。したがってそこには勝利もなく、そして、終わりもない。
トルーマン政権が朝鮮戦争を「警察行動 police action」であると定義したのは、このような状況下においてであった【引用2(5)】。アメリカは世界における「治安」を維持しているのであり、この活動には当然、終わりがない。そのためには世界各地に軍事基地が必要であり、平和の防衛が本務であるいじょう、アメリカという警察は、道ゆく怪しげな人物を誰何し、必要なら尋問し、ときには拷問する権利と責任をもつ――ここに、第一次大戦前夜に台頭した、あのpreparednessの論理が、真に世界規模での完成をみることになる。これこそが、ラテン語で「アメリカの平和」を意味する「パックス・アメリカーナ」と呼ばれる時代の構造だった。その「平和」の実態は、終わりなき戦争を戦いつづける「永続戦争 permanent war」にほかならず、その礎を築いたのが、いまだ終結せざる朝鮮戦争だったのである(6)。
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【引用2】 Harry S. Truman, “The President’s News Conference,” July 13, 1950. [4.] Q. Well, specifically, Mr. President, Senator Thomas yesterday said that he expects that there will be a request for a billion additional for military expenditures in a week or so? THE PRESIDENT. Since the figures have not been assembled and presented to the President of the United States, we can’t give any definite figure. […] [5.] Q. Mr. President, sir, do you still call this a police action? THE PRESIDENT. Yes, it is still a police action.
THE PRESIDENT. We will have to meet the situations as they develop. I can’t answer that question. 〔訳〕 [4]Q:えー、具体的な話なんですが、トマス上院議員が昨日ですね、およそ一週間以内に、軍事費として10億ドルの追加要請があると思われると仰っていましたが。 大統領:まだ集計されておらず、大統領には数字は伝わっていない状況ですので、確定的な数字はお伝えできません。 [5]Q:閣下、これを依然として警察行動とお呼びになりますか? 大統領:ええ、依然として警察行動です。 Q:それはつまり、われわれは世界中どこでも侵略行為に抵抗する準備があるということでしょうか、朝鮮のように? 大統領:状況の進展にしたがって対応していくことになります。その質問には答えられません。 記者会見の様子である。[4]とか[5]は質問者に順に振られた番号。「警察行動」が戦争を戦争と呼ばないためのレトリックにすぎないことが当時から認識されていたことがわかるだろう。予算の話にも触れられているが、1950年のNSC-68(国家安全保障会議の報告書68号)はアメリカの国防予算を140億ドルから一挙に480億ドルに拡大することを提案した冷戦期の最重要文書のひとつ。この構想を実現し、世界中に米軍基地を建設するきっかけをつくったのが、朝鮮戦争だった。 |
代理戦争と内戦
ところで、国連の安保理が「平和を侵害する」侵略国であるという認定をくだしたとき、たしかに北朝鮮は事実上の国境として機能していた三十八度線を越えて南朝鮮に侵攻していた。このとき北朝鮮の金日成は、ソ連のスターリンと中国の毛沢東から承認・支援を得たとされているが、定番の歴史記述では、この侵攻をもって朝鮮戦争の始まりとすることになっている。おそらく現在の日本における大衆的な想像力において、このロシアと中国と北朝鮮というトリオは、もっとも「世界の悪」に近い組み合わせであるだろう(最近はここにイスラエルが加わったかもしれない)。ともあれ、この歴史理解においては、北朝鮮が「治安」を乱し、その被害国である韓国をアメリカ率いる国連軍がサポートした――このようなストーリーで朝鮮戦争を理解することになる。
しかし、そもそも北朝鮮が越えたという三十八度線とはなんなのか。それは、第二次大戦の終結時にアメリカが勝手に引いた境界線にすぎない。ではなぜアメリカがそれを引いたか。帝国日本の植民地の戦後処理をアメリカがほぼ単独で担っていたからである。北朝鮮が南に「侵攻」したとき、それはかつて日本に侵略された朝鮮というひとつの国家が、日本の敗北にともなって朝鮮の地理などろくに知らないアメリカ人によって引かれた国境というフィクションを越えたにすぎない。北朝鮮が目指したのは、ごく最近まで統一されていた北も南もない朝鮮という祖国を取り戻すことだった。それが侵略行為になってしまったのは、日本の植民地化とアメリカの分割という外的な要因のせいである。冷戦期のアメリカの戦争の多くが代理戦争だったが、それは各戦地の当事者にとって、同胞を殺すことを強いられた内戦であったことを意味している。
このことを日本人がなかなか想像できない理由のひとつは、戦後の日本が幸運にも分割統治を免れたためであるように思われる。朝鮮が経験したことは、たとえるなら、第二次大戦後に日本が東日本と西日本に分割され、それぞれがソ連とアメリカによって占領され、自由な行き来が禁じられ、こんなふうに家族と引き離されてたまるかと日本を取り戻すことを目指した勢力が軍事行動に踏み切った、というようなことを想像すれば理解しやすいかもしれない――あるいは、統一のためには同胞を殺さねばならない立場に置かれた者たちの気持ちなど、朝鮮戦争の「特需」によって大復興をとげた日本という旧帝国などには、どう頑張っても理解できないのかもしれない。こうした経緯で生まれた北朝鮮という国家が、世界の悪を代表する存在として認知されていることの意味を、われわれは考えてみなくてはならないだろう。
朝鮮戦争と記憶
アメリカにおいては、人びとの記憶に残るようなアイコンとなる朝鮮戦争の写真は存在しないと言ってよい。おそらく戦車を背景にして疲弊した幼い少女がもっと幼い弟を背負った写真がもっとも有名な一枚【図1】ではあるが、これですら、たとえば前回論じた「勝利のキス」とくらべれば、その知名度は無にひとしいであろう。写真というメディアは、動画にくらべて情報量はすくないし、文章にくらべて事態のごく一部しか捉えられないわけだが、しかし、対象を一瞬のイメージにおいて結晶化し、ひとびとの記憶に訴える象徴の機能にすぐれている。有名な写真がないということは、つまり「朝鮮戦争」と聞いてパッと連想されるようなイメージがないということで、それは偶然そうなったのではなく、カミングスも論じているように、赤狩りの全盛期だったアメリカ国内において報道が検閲された結果でもあった(7)。

図1 U.S. National Archives and Records Administration (NARA) via Wikimedia Commons
こうした「忘却」のカルチャーから一転、アメリカでは一九八〇年代から九〇年代にかけて過去の戦争の「メモリアライゼーション」ブームが起こる(これはベトナム戦争以後であることに注意(8))。このmemorializationは「追悼」とか「記念」などと訳すことができる単語で、「メモリアル」などは日本語になりつつあるが、いずれも語幹はmemory(記憶)であり、memorializationは「記憶化」と訳すと、その意味が見えやすくなるだろう。戦争の現実そのものにはアクセス不可能であり、われわれはなんらかの「物語」をつうじてそれを知るしかない、という認識は本連載の根幹にあるものだが、その意義や規模などではなく、まさしく「記憶か忘却か」という論点で語られてきた「忘れられた」朝鮮戦争をいかに語るかは、まさに戦争と記憶の問題そのものにほかならない。
このブームにおいて、当時まだ大規模な慰霊碑をもたなかった朝鮮戦争のモニュメントを設立すべく議会の承認とデザインの公募が行なわれたのは、ようやく一九八六年になってのことだった。休戦の四二周年にあたる一九九五年七月二七日、クリントン政権下で行なわれた除幕式で姿をあらわしたのは、Vの字に広がるフィールドと、その先端部分に設置された「追憶の池Pool of Remembrance」、アメリカ人の戦死者の顔がサンドブラストで刻まれた壁【図2】。式典においては、国連旗のもとで戦った二二カ国の国旗がはためいた。Vの字の内側には一九体の兵士のステンレス像が立ち、白人・黒人はもちろん、ネイティヴ・アメリカンやアジア系を含むそれらの像は、多文化主義国家たるアメリカが「世界」とともに、あるいは「世界」として、自由を防衛しようとしたことを語ろうとしている。

図2 朝鮮戦争戦没者慰霊碑 (Courtesy of the National Park Service)
だが、このデザインは、すでに一九八二年に建てられていたベトナム戦争戦没者記念碑の、完全な二番煎じだった。中国系アメリカ人のマヤ・リンがイェール大学の学部生時代(!)にコンペで優勝して採用されたこの慰霊碑は、まさしくVの字の壁が地中に刻まれたデザインになっている。しかも、この朝鮮戦争とベトナム戦争の記念碑は、ワシントンのナショナル・モール内にある有名なリフレクティング・プール――「鏡のように反射するプール」――を挟んで向かいあっているのだ。歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として――この有名な格言を、朝鮮戦争は、じっさいの時系列では後に戦われたベトナム戦争の反復というアナクロニズムとして体現することになった。それはつまり、朝鮮戦争がいかにダイレクトに語ることが困難でありつづけてきたのか、そのことの証左にほかならない。
茶番としての戦争
写真と同様に、朝鮮戦争を象徴する映画もなかなかないわけだが、そのなかでももっとも有名なのはロバート・アルトマン監督の『M★A★S★H』(一九七〇)であるだろう。このタイトルはMobile Army Surgical Hospitalのイニシャルで、移動式(mobile)の外科病院という意味だ。戦地では負傷者が出るわけで、そこでは「医者」が必要になる。その一部はmedicと呼ばれ、彼らは医師免許などは持たず、前線における応急処置などの一定の訓練を受けた一般兵士である(日本語ではこれに「衛生兵」という役割がわかりにくい訳語があてられている)のにたいして、『M★A★S★H』のキャラクターたちは日本語でいうところの「軍医」であり、彼らは戦争にともなって徴兵された元民間の医師たちだ。もともとアメリカの戦争映画は戦闘そのものより戦後をメインで描くものが多いが、これは戦争のまっただなかでありながら、前線から五キロほど離れた銃後の病院を舞台にした映画である。
この映画でもっとも印象的なのは、おそらくヘリコプターの存在だろう。朝鮮戦争では負傷兵の輸送(Casualty EvacuationをつづめてCASEVACやEVACと書かれる)にはじめてヘリコプターが使用され、軽量化のため骨組みだけになったデザインの機体の両サイドに担架がとりつけられたベル社のH-13スー(Sioux)が、きわめてアイコニックな存在となっている――もしかすると一般的な歴史観において朝鮮戦争をもっとも象徴するイメージは、このヘリコプターであるとさえ言えるかもしれない。ともあれ、映画は血を流す負傷兵を乗せたヘリコプターが山岳地帯を飛び交う様子を映す三分ほどのシークエンスからはじまり、それがMASHに着地するところから物語がはじまる。
この映画には全体をつらぬく発展的なストーリーがない。主人公のホークアイ(ドナルド・サザーランド)ならびにデューク(トム・スケリット)という二人のキャラクターが軍規をひたすら無視し冒涜し嘲弄する「エピソード」がつぎつぎと語られるというスタイルだ。前半では軍規を重んじる敬虔なクリスチャンでありながらパワハラ体質の胸部外科医と、彼と同様の価値観をもつ看護師長との不倫関係が暴かれ、これが「真面目さ」という価値観を敵視する喜劇であることを告げている。その結果として、この映画からわれわれが得るのは朝鮮戦争を肯定あるいは批判する物語であるというよりは、まさしくヘリコプターや手術室のイメージ、そしてポリティカル・コレクトネスを踏みにじるブラック・ユーモアの雰囲気だけが、強烈に印象づけられることになる。
じっさい、この映画に「朝鮮戦争を描き切ろう」などという意気込みは皆無であったと言ってよい。『M★A★S★H』が公開された一九七〇年という時代背景にあって、これがじつはべつの戦争を描こうとしているという含意を読み取れないアメリカ人はいなかった――それはベトナム反戦運動の絶頂期だったのである。アメリカが北ベトナムへの支援ルートを破壊すべくカンボジア侵攻に踏み切ったのも、ケント州立大学で反戦デモに参加していた大学生を州兵が射殺したのも、同年のことである。「戦争での勝利」を意味していたVサインが現在われわれの知る「ピース」、すなわち「平和」を意味するようになったのはベトナム反戦の文脈においてであり、『M★A★S★H』のポスターがVサインなのもまた、ベトナム戦争という文脈なしに理解することはできない【図3】。この朝鮮戦争についてのもっとも有名な映画は、朝鮮を介してべつの戦争を語ろうとする映画なのだ。
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図3 映画『M★A★S★H』公開時のポスター(1970年)
この映画には “Suicide Is Painless” すなわち「自殺は無痛」というテーマソングのようなものがあり、まず冒頭のヘリコプターのシークエンスで流れ、さらに作中でPainlessというあだ名の歯科医が自殺を試みるときにも歌われる。監督のアルトマンは極限まで「おバカなstupid」内容の歌詞をもとめて一四歳の息子に五分で歌詞を書かせたと証言しているが、その内容はむしろ神経質なまでに計算されており、あやうい厭世観を醸すシュールさの結晶となっている。映画ではもとの歌詞から二連と五連のヴァースは削除されているのだが、四連と五連の部分を、メロディに乗せられるように訳してみよう――
The game of life is hard to play
I’m gonna lose it anyway
The losing card I’ll someday lay
So this is all I have to say
[refrain]
Suicide is painless
It brings on many changes
And I can take or leave it
If I please
The only way to win is cheat
And lay it down before I’m beat
And to another give my seat
For that’s the only painless feat
人生ってゲームは困難で
勝てっこねえんだよどうせ
負けの手札は置いて
言えるのはこれだけ
[サビ]
自分で死にゃ痛くない
すべてを変えてくれる
どっちをとるか
ご自由に
勝つにはイカサマしかねえ
負ける前に降りちゃって
席も誰かに譲って
できるのはそれだけ
この歌詞には、映画の内容と朝鮮戦争の歴史的レトリックの両方が織り込まれている。トルーマン政権は国家対国家の「戦争」を、世界が犯罪者を取り締まる「警察行動」へとルールごと書き換える「イカサマ」によって、あらたな「防衛」という「ゲーム」を発明し、つづくアイゼンハワー政権は「休戦」によって戦争から「降りた」。だがむろん、それは問題解決の無限の先送りにすぎない。それから七〇年を経た現在も朝鮮半島は戦争状態のままなのであって、アメリカが勝手に「降りた」だけである――そこに大量の軍事基地を残して。
この映画の最後のエピソードは近隣の部隊とのアメリカン・フットボールの賭け試合なのだが、そこでホークアイは元プロ選手を擁している事実を試合後半まで隠蔽し、さらには相手チームのプレイヤーに麻酔薬を注射するという信じがたい反則によって勝つ。まさしくイカサマで勝利するわけだが、そこで彼らは赤と青のチームにわかれており、これはアメリカの共和党と民主党のカラーであるばかりでなく、冷戦下における共産主義(赤)と民主主義(青)の色分けでもある。ここで主人公チームは赤側で勝利するのだが、それは彼らが共産圏の比喩であることを暗に意味するわけではない。これは、国連によって承認された「正規」のルールに則って戦っていると主張するアメリカと、じっさいはイカサマにまみれたアメリカとの分裂なのだ。そこに、被害者たる朝鮮人の姿はない。
かくして、この朝鮮戦争を痛烈に揶揄する反戦映画のようにみえる『M★A★S★H』は、「ドミノ理論」や「警察行動」や「冷戦」といったレトリックで一方的に軍事行動を起こすアメリカの論理と合流することになる。「あんたもやれば/ご自由に」(“And you can do the same thing/ If you please”)――曲は最終連で主語をIからyouにシフトさせ、そう誘う。しかし、この戦争というゲームから降りるかどうかを選ぶ「自由」があるのは、アメリカ人にかぎられているのだ。だれが自由と平和を享受してよいのか、アメリカは核兵器の使用をチラつかせながら、その境界線を引く。そしてその線を引く暴力は、だれの戦争は「防衛」でだれの戦争は「犯罪」なのか、その境界線を引く権力と、まったく同じものだ。戦争国家アメリカが「自由」を唱えるとき、われわれはつねにこう問わねばならない――それは「誰の」自由なのか、と。
(1)Bruce Cumings, The Korean War: A History (New York: Modern Library, 2010).
(2)Harry S. Truman, “Our Armed Forces Must Be Unified,” Collier’s Weekly, August 26, 1944, 16.
(3)See Joseph Darda, Empire of Defense: Race and the Cultural Politics of Permanent War (Chicago: University of Chicago Press, 2019).
(4)“UN Security Council Resolution 84,” United Nations, July 7, 1950, https://docs.un.org/en/S/RES/84(1950). 国連決議の83と84は連続する内容になっているが、国連ウェブサイトでは84を開くと83と84両方の全文を読むことができる。
(5)Harry S. Truman, “The President’s News Conference,” July 13, 1950. The American Presidency Project.
(6)Joseph Darda, “The Literary Afterlife of the Korean War,” American Literature 87, no. 1 (2015): 81-82.
(7)Cumings, The Korean War.
(8)Marita Sturken, Tangled Memories: The Vietnam War, the AIDS Epidemic, and the Politics of Remembrance (Berkeley: University of California Press, 1997).





