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〈特別公開〉冤罪は、ただ一つの誤りの結果ではない――袴田事件再審無罪 四つの教訓(デイビッド・T・ジョンソン、訳=秋元由紀)

『世界』2024年11月号収録の記事を、増補のうえ特別公開します。


 58年間も無罪を主張してきた袴田巖氏が926日、静岡地方裁判所で行なわれていたやり直し裁判(再審)で無罪判決を言い渡された。88歳になる袴田氏は健康状態が悪く、自身の置かれた状況や過去の体験を含む多くについて認識が混乱している。むろん、生きていれば悲劇は起きるものだが、袴田氏の身に降りかかったことは人間が体験しうる中でも最悪のうちに入る。殺人未遂と言ってもいいかもしれない。それが回避可能だったことが、状況をいっそうひどいものにしている。 

 1966年、味噌製造会社の専務の一家四人が殺された事件で、従業員だった袴田氏が逮捕された。68年に有罪判決が出され、袴田氏は死刑を宣告された。佐藤栄作が首相で、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺された年である(その後、1980年に刑が確定)。袴田氏は、無罪であることを示す証拠があったために2014年に釈放されたが、さらに10年後に無罪判決が出るまで死刑確定者のままだった。 

 本稿では、袴田事件で何がまちがっていたのか、要点をおさえておきたい。冤罪は、ただ一つの誤りの結果として起きるのではない。むしろ、多くの誤りが組み合わさり、そこに刑事司法制度上の欠点が重なって状況がさらに悪化する。袴田氏の冤罪事件では、関係者全員(警察、検察官、裁判官、弁護人)にある程度の責任があった。自らが誤りを犯さなかったとしても、そこにある誤りに気づかなかった。袴田事件という深刻な悲劇を繰り返さないためには、日本の刑事司法の多くが変わらなければならない。本稿の結論では、改革されるべき四つの点を明らかにする。 

偽の証拠 

 袴田氏が犯人であることを示す証拠には最初から説得力がなかった。袴田氏を有罪として死刑を宣告する判決文を書いた熊本典道氏は、再審請求を審理した裁判官の一部と同様、袴田氏が実は無罪だと考えていた(1)。熊本裁判官は当初、袴田氏を無罪とする350枚にもなる判決を下書きしていたが、合議でほかの二人の裁判官を説得することができず、判決文を書き直さざるをえなくなった。熊本裁判官は抵抗し、最高裁に問い合わせるまでしたが、自身の立場にかかわらず主任裁判官が判決を書くのが慣例であると言われ、そのとおりにした。1年後、熊本氏は裁判官を辞め、その後は罪悪感と後悔に苛まれる人生を送った。袴田氏の裁判を共に担当したほかの二人の裁判官が亡くなった後の2007年、熊本氏は死刑判決の背景を公表し、袴田氏の再審を認めるよう裁判所に強く求めた(2) 

 袴田氏が死刑を宣告された1968年から再審が始まった2023年までに、数十人の裁判官が袴田氏の上訴や再審請求を棄却し、有罪判決を支持した。この判断は主として二種類の証拠に基づいていたが、どちらも疑わしかった。  

 第一に、袴田氏は自らが犯していない罪について虚偽の自白をした。再審判決は、袴田氏の自白は「捏造」だったとまで述べた。最初の自白がされたのは取調べが始まって20日目のことだった。200時間以上にわたって警察や検察官による高圧的な取調べを受けた袴田氏は、抵抗する意志をくじかれた。静岡地方裁判所も取調べに問題があり調書に任意性がないことを認め、捜査官が作成した45通の「自白」供述調書のうち44通を採用しなかった。熊本裁判官は地裁を代表し、捜査官の高圧的な取調べ方法は「実体真実の発見」と「適正手続の保障」の原則に繰り返し違反したと述べた。しかし地裁は驚くことに、検察官が作成した供述調書の一つには任意性と信用性があり証拠として採用できるとも判断した。熊本元裁判官によれば、この調書を証拠として採用すると決めたのは、ほかの二人の裁判官が、袴田氏に不利な物的証拠は、有罪判決を出すには弱すぎると認めていたことがきっかけだった(3) 

 もう一つの問題となる証拠は物的なものである。袴田氏の裁判が始まって9カ月後の19678月に、検察は殺人事件が起きた家の隣の工場にある味噌タンクの中から警察が5点の衣類を発見したと発表した。この「発見」がされた当時、熊本裁判官は裁判が検察側に不利な形で進んでいると考えており、無罪判決が出て終わると予想する観測筋もあった。この文脈の中で、裁判所は検察がこれらの衣類五点を証拠として出すことを認めた。修正された起訴状によれば、犯行時の袴田氏は、自白で着ていたと述べたパジャマではなく、白い半袖シャツ、灰色の長袖シャツ、白い下着、緑色のボクサーショーツ、そして鉄紺色のズボンを身につけていたということになった。検察は、袴田氏が殺人現場から逃げた後にこれらの衣類を味噌タンクに隠したのだと主張した。この新しい説によれば、80人の警察官が400日以上もこれらの衣類を見つけることができなかったことになる。衣類の「発見」が裁判の転換点となり、最終的に裁判長は袴田氏を有罪とし死刑を宣告した。それから半世紀にわたり、袴田氏の弁護団は、警察が袴田氏に濡れ衣を着せるために衣類を仕込んだのだと主張することになる。また数十年後、四つの裁判所が、それが実際に起きたことである可能性が高いと判断することになる。2014年に静岡地裁が袴田氏の再審請求を認めた際、村山浩昭裁判長は次のように述べた。 

「再審を開始する以上、死刑の執行停止は当然である。さらに死刑のみならず、拘置の執行も停止するのが相当と判断した。袴田さんは、捜査機関によりねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、きわめて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。……無罪の確実性が相当程度あるのに、……45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、これ以上……拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」  (4)

隠された証拠 

 袴田氏を有罪とするために疑わしい証拠が使われただけではない。検察は、合理的な疑いを抱かせ、袴田氏が無罪である可能性を示す多くの証拠を被告側から(数十年間も)隠していた。遅れて開示された証拠には、19678月に味噌タンクから発見された直後の衣類を撮影したカラー写真が含まれる。これらの写真からは、検察官が主張するように14カ月も味噌に漬かっていたにしては衣類の色が薄すぎ、血の色が赤すぎることが見てとれた。衣類の色は、無罪判決を出した再審でも重要な争点となった。 

 さらに、袴田氏の母親が住んでいた家から「見つけた」と警察が言う端切れもある。色と生地が味噌タンクで見つかったズボンのものと同じようであったため、その共布は袴田氏の有罪を示す強力な証拠であるように思われた。警察は、味噌製造会社が殺人事件の直後にその端切れをはじめとする袴田氏の持ち物を袴田氏の母親に送ったと主張したが、926日に出された再審判決で静岡地裁は、この「証拠」は5点の衣類と同様、警察によって捏造されたと述べた。 

 検察はまた、味噌タンクで見つかったズボンを製造した会社の従業員の供述調書を被告側から隠していた。このズボンには「B」という文字のある札がついており、検察はそれがズボンのサイズを示すと述べ、法廷ではそのサイズが袴田氏に合うと主張した。袴田氏は上級審で三度このズボンをはいてみたが、三度とも小さすぎて腰が入らなかったため、この点は重要だった。検察が開示しなかった調書で製造会社の従業員は、Bはズボンのサイズではなく色を表しているのだと述べていた。しかし検察はこのきわめて重要な調書を40年以上も被告側に開示しなかった。 

 検察は、衣類が「発見」されたタンクには過去に仕込まれた味噌と事件後にあらたに仕込まれた味噌が混ざっていたことを示す証拠も持っていた。検察官らは、味噌を混ぜる過程でなぜ衣類が見つからなかったのかを考えたはずだし、この証拠が被告側に有利になることにも気づいたはずである。しかし検察は有罪判決が出てから数十年間もこの証拠を開示しなかった。 

 要するに、検察は袴田氏の容疑を晴らしたであろう多くの写真や供述書を被告側から隠し、ずっと後になってから開示した。しかし検察の嘆かわしい行為は違法ではなかった。袴田氏の公判やその後の上訴審が行なわれていた頃には、検察にはそのような証拠を被告側に開示する義務はなかった。法律により、検察は自らが有罪立証に必要であると考える証拠だけを開示すればよかったのである。この決まりは、検察官はそれが判決にどう影響するかにかかわらず裁判で真実を明かすだろうという考え方を前提としている。しかし袴田事件をはじめとする冤罪事件では、被告人の無罪を示す証拠を検察が開示しなかったことは、検察の主な目的は「真実を明らかにし」「正義を行なう」ことであるという検察官によってしばしばなされる主張を否定するものだ。 

バック・トゥ・ザ・フューチャー? 

 1980年代には、潔白であることを示す証拠が提示されたために四人の男性死刑囚に無罪判決が出た。以後20年以上、改革を求める声が何度も上がったにもかかわらず、日本の刑事司法はただそれまでどおりに動き続けた。 

 1980年代に死刑事件で無罪判決が出たのはいずれも、最高裁判所が1975年に、冤罪の可能性がある場合に再審を認める基準を緩める判断をしたことに起因する。当時は最高裁の「進歩的行動」を歓迎する向きもあったし、「開かずの扉」が四度も開いた(5)。免田栄氏は、80時間も睡眠を取らせてもらえないまま警察による取調べを受けたのち、熊本県で二人を殺したと虚偽の自白をした。死刑判決から33年後の1983年に無罪が確定した。谷口繁義氏は、4カ月半も取調べを受けたのちに香川県で人を殺したと虚偽の自白をした。逮捕されてから34年後の84年に無罪が確定した。斎藤幸夫氏は、宮城県で一家四人を殺したと虚偽の自白をしたのち57年に有罪となり死刑を宣告された。検察が用いた証拠には、おそらく警察が捏造した、血痕のついた布団カバーがあった。斎藤氏は死刑判決から27年近く経った84年に無罪となった。赤堀政夫氏は、1954年に静岡県島田市で幼稚園に通う6歳の少女を殺したとして有罪となり死刑を宣告された。しかし被害者の解剖結果が自白調書の内容と矛盾しており、自白以外に赤堀氏を事件と結びつける証拠がなかったため、89年に再審で無罪となり釈放された。死刑を宣告されてから31年後のことである。 

 再審で無罪判決が出たこれらの事件には際立った共通点がある。どの事件も袴田巖氏の冤罪とも似ている。どの事件でも、ある町や小都市が残忍な犯罪によって衝撃を受け、ある人に不当に死刑が宣告された。どの事件でも、警察には犯人を逮捕しろとの強い圧力がかかった。どの事件でも、容疑者はいつでも取調べを受けられるように「代用監獄」と呼ばれる警察の留置場に収容された。どの事件でも、警察や検察官による取調べは長期間に及び、高圧的だった。どの事件でも、検察は被告側に証拠を開示しなかった。どの事件でも、弁護人の弁護活動は公式な法律と非公式の規範によって制限された。そしてどの事件でも、被告人の再審請求は何度も棄却されたのちにようやく認められた。 

 80年代にこれらの再審無罪判決が出てからは、変化を求める声が多く上がった。学者や法曹や議員らが、日本の刑事司法では検察官の役割が大きすぎると主張した。警察が取調べを好きなように行なう権限と、検察が証拠を思いどおりにする権限が大きすぎるとも主張した。刑事裁判がより公平になるように弁護人の権限を拡大する必要があり、裁判官は公判や公判前の会合で警察と検察の側につくのをやめるべきであるとも主張した。それだけでなく、198911月から933月までの40カ月間は死刑執行停止(モラトリアム)もあった。しかし、2009年に殺人その他の重大犯罪について裁判員が判断を下す制度が導入されるまでは、日本の刑事司法に大きな変更はなかった。 

 裁判員制度の導入という改革が刺激となり、刑事司法の他の面でも改革が行なわれた。証拠開示を受ける権利の拡大や、取調べの録音録画などである。しかし全体としては、日本の刑事司法に見られるいちばん顕著なパターンは変化ではなく継続である(6)。もっとも重要なこととして、1980年代に前述の再審無罪判決が出た後も、警察や検察や裁判官の考え方は大きくは変わらなかった。弁護士の四宮啓氏が述べるとおり、日本の法曹には「否定の文化」があまりに深く根付いているため、「誤りが認められることはめったになく」、誤審が明らかになっても「その原因や対策が探究されることはめったにない」のである。刑事司法関係者は、冤罪の原因を、不当な結果を繰り返し生み出す制度全体の弱点ではなく「努力の不足」に帰することがあまりにも多い、と四宮氏は述べる(7) 

優先されるべき改革は 

 袴田氏の無罪判決は、日本の刑事司法にさらなる変化をもたらす絶好の機会を生み出す。優先して行なうべき改革は四つある。 

(1)虚偽の自白を防ぐ 

 袴田巖氏の冤罪の大きな原因となったのは虚偽自白だった。自白しなければ、袴田氏は起訴もされず有罪にもならなかった。より一般的なこととして、日本では虚偽自白が冤罪の主要な直接的原因である。ある研究によれば、上級審で有罪判決が覆されて冤罪として確定した事件の84パーセント(50件中42件)で、被告人の罪を証明するものとして提示された証拠に自白が含まれていた(8)。これは米国での割合の7倍である。米国では、1989年から2020年までに有罪判決が覆された事件のうち、虚偽自白が有罪判決の要因だったのは12パーセントだった。 

 虚偽の自白がされる危険を減らすために、二つの取り組みが求められている。まず、取調べはすべて、その全体が録音録画されるべきである。そうすれば警察や検察、裁判官、そして裁判員が、日本社会でいちばん秘密に包まれた場所で起きることの客観的な記録を利用することができる。現在は、刑事事件のごく一部だけについて取調べが録音録画されており、そのほかの事件の大半では、取調べの様子はほとんど知られていない。 

 次に、裁判官は、刑事事件の容疑者が黙秘権を行使した後もその容疑者に「取調べの受忍義務」があるという考えを捨てるべきである(9)。このいわゆる義務は正当な法的根拠を欠いている。むしろ、日本国憲法38条は「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」、また「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」と定めている。「取調べの受忍義務」はこれらの原則に露骨に反するものであり、刑事事件の容疑者の意志を圧倒する取調べの原因となることが多い。また、裁判官がつくったこの決まりによって、黙秘権はただの偽りの建前になってしまう(10) 

(2)オープン・ファイル方式の証拠開示を義務づける 

 袴田事件でもっとも懸念すべきことの一つは、袴田氏に有利になる証拠を検察が数十年間も開示しようとしなかった事実である。これは、日頃から「真実の発見」の重要性を掲げる団体による、意図的かつ組織的な隠蔽である。この悪行について沈黙したままでいることは、それを黙って許すのと同じことであり、変革の第一歩は非難するべき対象を明らかにすることである。だからはっきりと言おう。袴田事件での検察官の行為は醜悪で、弁解の余地のないものだった。 

 刑事事件における証拠は検察官のものではない。それは公共財であり、公益のために使われるべきである。検察官は公益の代表者であることにもなっている。検察の理念には、次のように謳われている。「国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を自覚し、法令を遵守し、厳正公平、不偏不党を旨として、公正誠実に職務を行う」。しかし検察は、被告側にとって重要な証拠を開示することを検察に期待できないことを繰り返し示してきたし、さらなる証拠開示を義務づける改正にも長らく反対してきた。 

 日本では、米国やドイツその他の多くの国に比べて証拠開示を受ける権利が制限されている。現行の制度では、検察官が被告側に証拠を開示するかどうかはその検察官の善意にかかっている。この制度は機能していない。日本では、誤審の大半は検察官が被告側や裁判所から証拠を隠したときに起きる(布川事件、東住吉事件、足利事件など)。2009年に裁判員制度が導入されると証拠開示を受ける権利も拡大されたが、検察官の証拠開示義務は重要性、必要性、弊害、そして相当性という、検察官の裁量に影響される要件に制限されており、検察官はその裁量を自らの有利になるように行使することが多い。より根本的な改革をするには立法が必要になるが、刑事司法に関わる法律の制定は通常、法務省から始まる。法務省を動かしているのは検察官であるため、検察の参加も必要である。改革の方針としていちばんいいのはオープン・ファイル方式の証拠開示の導入である。この方式では、被告側は検察官が開示すると決めたものだけでなく、検察官が持っている情報すべての開示を受けることができる。このほうが公共の利益にかない、真実と正義のためにもなる。冤罪の防止にも寄与するだろう(11) 

(3)再審法の改正 

 袴田氏の最初の再審請求が棄却されるまでには27年かかり、二度目の再審請求が認められるまでにさらに6年かかった。しかし検察が即時抗告を行なったために実際に再審が始まったのは2023年だった(それから判決が出るまでにもう1年かかった)。こうしてカタツムリのように進みの遅い日本の法制度が、最高裁が1980年に確定させた重大な誤りを誤りと認めるまでに40年以上かかった。30歳のときに逮捕された人が、汚名をそそぎふたたび自由を獲得するまでに60年近く奮闘したのである。 

 日本の再審法には大きな欠陥がある12)。同法は古く、迅速さを軽視している。裁判所が再審をどのように、またいつまでに認めなければならないかについて明確な規定はない。再審が認められても、それをどのように進めるかについて裁判官の役に立つ手引きとなる規定もない。このため、どのように再審を進めるかは裁判官によって大きく異なる。検察官が被告側に証拠を開示する義務も明確に定義されていない。検察官は都合の悪い判決について不服を申し立てることができ、そのような申し立ては頻繁に行なわれる。再審が認められた20の事件についての最近の研究によれば、うち18件で検察側が申し立てを行なった13)。検察による申し立ては不正をただす取り組みを妨げることが多い。 

 再審法には大規模な改正が必要だが、検察官や法務省は改正への支持をほとんど示しておらず、これまでに少なくとも4回、同法を改正する取り組みは失敗に終わった(1962778591年)。それでも希望はある。20249月現在、350人以上の国会議員が改革を進めるために力を合わせており(約半数が与党自民党所属)、多くの地方議会がその動きを支持している。変化を求める動機と勢いの大部分は袴田事件に由来する。変化が起きても袴田氏にとっては遅すぎるが、日本弁護士連合会は現在、ほか数十の事件で再審請求を支援している。誤審によって奪われる権利を保護しない法律が、それらの事件での不正を正すための取り組みを妨げてはならない。 

(4)失敗から学ぶ 

 前述した法の改革も大事だが、日本の刑事司法文化が変わらなければその効果は限定的だろう。法の改革は、民主主義を発展させるための現代的方法の中で変化を起こす主要な手段だが、新法の立案者の影響力は長続きしないことが多い。新しい規則の効果は文化に大きく影響され、伝統が変化を制限することもよくある。このように文化も重要であり、冤罪問題に取り組むうえで考慮に入れる必要がある。もっとも重要な課題は、航空から医療、食の安全や原子力まで、日本社会の多くの分野の基盤にある想定に関係している。二つの原則が非常に重要である。 

 第一に、誤りを減らすには、誤りが不可避であると想定しなければならない。日本の刑事司法の研究を始めた1990年代に私は検察官たちから、太平洋戦争後の最初の約10年間で起きた誤審は未熟な刑事司法制度が原因で起きたもので、その制度は占領期に根本から改革されたため、同じような誤審が起きることは「今ではありえない」と言われた。しかし日本は冤罪を否認し続けており、そのもっとも重要な原因は、警察、検察官、裁判官が誤りを認めるのを難しくする否定の文化である14)。否定の文化を学習の文化に変えるには、警察官、検察官、裁判官が正直になり、勇気をもたなければならない。日本の政治や社会からの圧力も必要になる。 

 第二に、誤りを防ぐための方策が成功するには、誤りを見つけてそれから学ぼうという開かれた姿勢と透明性がなくてはならない。飛行機が墜落すれば、私たちは原因を調べる。墜落しなかったことにはしないし、同じことは二度と起きないと嘘の約束をすることもない。墜落から学び、同じことが起きないようにやり方を変える。これが、この半世紀で空の旅がかなり安全になった主な理由であり、刑事司法についても唯一の賢明なアプローチである。残念ながら、日本の警察と検察と裁判官は外からの監視を非常に嫌う。そうした偏狭さには、刑事訴訟は彼らの特別な本分であり、市民は彼らが正しいことをすると考えていい、という思い込みが反映されている。この思い込みがときにいかに危険であるかを、袴田事件は明らかにしている。 

結論 

 日本で再審が行なわれることはめったにない。その意味で、袴田巖氏のケースは特別である。しかし袴田事件で誤審を引き起こした誤りや不正行為は、日本の刑事司法においてよくみられることである。袴田事件から学ぶべきことは多い。それを否定すれば、問題が大きくなり、解決するのがいっそう難しくなるだけである。 

 

【注】

(1)熊本典道元裁判官と、1980年代に袴田氏の再審請求を審理した静岡地裁の裁判官の一人だった熊田俊博元裁判官のインタビューはSBSnews 6の映像「『本当は無罪だと思っていた』『再審開始の心証を抱いた』なぜ58年費やされたのか 無実を信じた二人の裁判官」(2024827日)を参照。熊田氏は袴田氏が無罪だと考えていたと今では述べるが、裁判官を辞めて弁護士になるまでそのことは言わなかった。 

(2)尾形誠規『袴田事件を裁いた男――無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元エリート裁判官・熊本典道の転落』朝日新聞出版、2023年 

(3)浜田寿美男『袴田事件の謎――取調べ録音テープが語る事実』岩波書店、2020年 

(4)朝日新聞デジタル「袴田事件をめぐる静岡地裁と東京高裁の決定要旨」(2020年12月12日)。 

(5)Daniel H. Foote, “From Japan's Death Row to Freedom”, Pacific Rim Law & Policy Journal, Vol.1, No.1 (1992), pp.11-103. 

(6)David T. Johnson and Dimitri Vanoverbeke, “The Limits of Change in Japanese Criminal Justice”, Journal of Japanese Law, Vol.25, No.49 (2020), pp.109-165.  

(7)四宮啓弁護士、2014816日。 

(8)John H. Davis, Jr., “Courting Justice, Contesting ‘Bureaucratic Informality’: The Sayama Case and the Evolution of Buraku Liberation Politics,” in Patricia G. Steinhoff, editor, Going to Court to Change Japan: Social Movements and the Law in Contemporary Japan (University of Michigan Press, 2014), pp.73-100. 

(9)高野隆『人質司法』角川新書、2022年、および「取調べ拒否権を実現する会」 

10)取調べの受忍義務が問題であることは、元弁護士の江口大和氏の事件で非常に明らかになった。江口氏は、最初から黙秘権を行使していたにもかかわらず21日間にわたって恫喝されたことについて国を訴え、裁判所は国に110万円の損害賠償を命じる判決を出した。またプレサンスコーポレーションの横領事件捜査でも、同社の従業員の一人が高圧的で悪意のある取調べを受けた。どちらの事件にも検察庁の特捜部が関わっていたために取調べが録音録画されていたが、もし録音録画されていなければ、こうした不正行為が明るみに出ることはなかっただろう。 

11)指宿信「すべての証拠開示を急げ」朝日新聞、201459日。 

12)日本の再審法は刑事訴訟法第435453条にある。 

13)村山浩昭編、葛野尋之編『再審制度ってなんだ?――袴田事件から学ぶ』岩波書店、2024年、128頁。 

14)袴田氏の無罪判決以降も起き続ける否定の例としては次を参照。元検察官の高井康行氏の「上級審の判断必要」との発言(読売新聞、2024927日)、元検察官の伊藤鉄男氏の「控訴の可能性 難しい判断」との発言(朝日新聞、2024927日)。また日本の刑事司法における否定の文化の分析については次を参照。笹倉香奈、デイビッド・T・ジョンソン「『否定の文化』からの脱却は可能か――アメリカの最近の動向から考える」『刑事弁護』103号(2020年秋季)、50~57頁。 

 

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著者略歴

  1. デイビッド・T・ジョンソン

    ハワイ大学教授(社会学)。“The Japanese Way of Justice : Prosecuting Crime in Japan”(『アメリカ人のみた日本の検察制度――日米の比較考察』シュプリンガーフェアラーク東京)は、米国犯罪学会賞および米国社会学会賞を受賞。 著書に『検察審査会』(岩波新書)ほか。

  2. 秋元由紀

    翻訳家。翻訳書にイザベル・ウィルカーソン『カースト』(岩波書店)、ダリア・リスウィック『レイディ・ジャスティス』(勁草書房)ほか。

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