WEB世界

岩波書店の雑誌『世界』のWebマガジン

MENU

「慰安婦」像をめぐる歴史戦——ブルックヘイヴンの少女像

 昨年秋、サンフランシスコでの「慰安婦」像設置が、大阪市の姉妹都市解消決定などにより国際的に報道された。
 また、今年5月には北米で14番目の「慰安婦」碑が、ニュージャージー州フォートリーに設置された。
 だが、4月にはフィリピンのマニラで「慰安婦」の像が突然撤去されるという事態も起き、8月にはドイツ・ボンの博物館に、欧州で2つ目となる「慰安婦」少女像が設置される予定となっているが、これらいずれの場合も、日本政府による設置計画への抗議や撤去要求があったと報道されている。
 
 日本政府および在米大使館・領事館の北米での「慰安婦」像や碑の設置をめぐる対応が表立った、あからさまなものになったのが2017年だった。
 その象徴的な事例が、昨年6月、ジョージア州のブルックヘイヴン市での少女像建設をめぐる、在アトランタ日本国総領事館の対応だった。
 
 アトランタの近郊にあるブルックヘイヴンの市議会は2017年5月23日に、市民団体「アトランタ『慰安婦』メモリアルタスクフォース」(以下タスクフォースと略)からの少女像の寄贈受け入れを決定した。
 これに対し、篠塚隆在アトランタ総領事が、除幕式直前の6月23日付の地元紙のインタビューで「性奴隷ではなく、強制されていない。アジアの国々では家族を養うためにこの仕事を選ぶ女の子がいる」、少女像は「日本に対する憎悪と憤りの象徴」などと発言した。
 さらに除幕式前日、29日に開かれた市議会で、市民によるパブリックコメントとして、在アトランタ総領事館の大山智子総領事が日本政府の立場について発言するという異例の展開もあった。
 この時、大山領事に続いて発言したのは、「テキサス親父」ことトニー・マラーノ氏、幸福の科学アトランタ支部関係者や右派の在米日本人ら。
 市議会の場で、右派が取り組む「歴史戦」の官民一体ぶりを印象づけた出来事だった。
 
 そして2017年6月30日に、ブルックヘイヴン市内のブラックバーンII公園に「慰安婦」少女像は設置された。
 その後間もなく、少女像はより広い、市の主要公園であるブラックバーン公園に移設された。
 
 除幕式から約1年が経った6月28日、ブラックバーン公園にて、タスクフォースが主催した一周年記念のセレモニーが行われた。
 そして、私が5月にブルックヘイヴンを訪れた時には工事中だった、タスクフォース寄贈の蝶の形の花壇「バタフライガーデン」も披露された。
 セレモニーにはジョージア州の上下院議員やディカーブ郡関係者、ブルックヘイヴン市長や市議など、200人以上が参加。
 さらに、グレンデールの少女像設置運動で中心的な役割を果たした、カリフォルニア州コリアン・アメリカン・フォーラム(KAFC)のフィリス・キムさんや、サンフランシスコの「慰安婦」像設立の中心となった「慰安婦」正義連盟のジュリー・タンさんも駆け付けた。
 音楽のパフォーマンスとともに幸せでお祝いの雰囲気にあふれたイベントだったとタスクフォースのケリー・アンさんは語る。
 
 地元で根付き始めたブルックヘイヴンの少女像。
 だがその裏では、今に至っても在アトランタ日本総領事館から市への「働きかけ」が続いていた。
 
 
少女像設置と在アトランタ総領事館
 
 ブルックヘイヴンの少女像は、もともとアトランタの公民権・人権センターに建設される予定だった。
 タスクフォースは2017年2月9日に記者会見を開き、像設置の計画を発表した。だが翌月の3月、突如として見送られることになったと同センターから通知があった。
 この建設の阻止に向けて日本総領事館や在米日本人が、関係者らへの説明や働きかけを行ったと産経新聞地元メディアなどが報じている。
 
 少女像を設置することを提案し、動きを始めたのはコリアン系のベクギュ・キムさんで、当初はコリアン系市民を中心とした小さなグループだった。
 だが、運動は広がっていき、タスクフォースは様々なアジア系アメリカ人やユダヤ系、アングロ系など、多様な27人のメンバーが関わる超党派の団体となった。
 この多様性は、日韓の問題ではなく、グローバルな人権問題、現在につながる問題として「慰安婦」問題を捉えたことの反映でもあった。
 
 南部のアトランタは公民権運動の発祥の地としての歴史を持つが、人権問題が黒人対白人の問題として捉えられがちだともいう。
 そんな中で、少女像はコリアンが多く住む地区よりも、主流の中心部の観光地に設置したかったのだと、タスクフォースのヘレン・ホーさんとスンミ・キムさんは語った。
 センターは歴史のみならず、現在の人権問題も扱っており、適切な場所だと思われた。
 
 だが、センターの手のひら返しのような形で少女像の設置ができないと通知してきた事は、タスクフォースにとっては予想外の展開で、とても失望したとメンバーは語る。
 この事態を受けて初めて、像設置措置に向けて在アトランタ日本総領事館が動いていたことを知ったという。
 総領事館は、センターのリーダーや、ビジネスリーダー、政治家などを訪問するなどして、設置をやめるように働きかけていた。
 
 センターへの設置が無理だとわかった時点で、タスクフォースはこのストーリーをメディアで拡散しようと積極的に動いた。
 「負けるなら、大事にしようと。「慰安婦」問題は重要なことだというストーリーをメディアで拡散しようと動いたんです」とホーさんは言う。
 
 アトランタの財界人が多く読むというAtlanta Business Chronicle紙に第一報が出ると、報道はあっという間に地元メディア、さらには海外メディアにも拡散していった。
 日本の総領事館に比べ、資金も人的リソースも少ない分、メディア報道でニュースを拡散することで対抗しようとしたのだ。
 
 その報道をたまたま旅行中に知ったのが、ブルックヘイヴンのジョン・パク市議だった。
 パク市議はすぐにタスクフォースに連絡を入れ、同市での少女像の受けいれに向け、市議、市長の支持を得た。
 そして5月にブルックヘイヴン市議会で、像の受け入れが決定したのだ。
 
 「慰安婦」像や碑の設置計画が持ち上がった他の自治体同様に、ブルックヘイヴン市にも日本の右派から8000に及ぶ大量の抗議メールが送られたという。
 パク市議によれば、どれも同じ内容をコピペしたもので、地元市民からのものでもなく、影響力はなかった。
 そして、総領事館はブルックヘイヴンの市長や白人市議らには連絡を取ってきたが、コリアン系のパク市議には一切連絡はなかったという。
 市議の中でも、コリアン系市議だけは除外してアプローチするという手法は、在米の日本総領事館がニュージャージー州パリセイズパーク市など、「慰安婦」碑や像が設置された他の地域でも行ってきたものだ。
 
 さらに、アトランタ総領事館から、タスクフォースへの働きかけも一切なかった。
 メンバーのケリー・アンさんは篠塚総領事に向けて手紙を書いたが、返事はなかったという。
 「慰安婦」像や碑の設置運動を進める市民団体への連絡は取らないというのも、グレンデールやミシガン州サウスフィールドなど他の自治体で日本政府がとってきた手法と重なる。
 
 要するに、アトランタを含む在米日本総領事館は、主に白人政治家やビジネスリーダーへのアプローチは非常に熱心に行うが、コリアン系の政治家や、市民団体へのコンタクトは避けているのだと思われる。
 
 ブルックヘイヴンでの除幕式直前に地元紙に掲載された篠塚隆総領事のインタビューは逆にタスクフォースの助けになったという。
 このために、ブルックヘイヴンの少女像が国際的なニュースになったからだ。
 予想外の国際的な注目を浴びる中で、6月30日にブラックバーンII公園で少女像が除幕された。
 
 
桜祭りで総領事館が少女像へのカバー要求!?
 
 2018年3月24−25日、少女像が設置されているブラックバーン公園で、4回目となる「桜祭り」が行われた。
 少女像設置後、初めての桜祭りだった。
 例年、在アトランタの日本総領事はこの桜祭りに出席してきたというが、今年は欠席だった。
 地元市議によれば、総領事館は桜祭り開催期間中に、市に対して、少女像にカバーをかけるように申し入れたという。
 市側はこれを拒否し、結局、総領事は桜まつりを欠席したという。
 
 そもそも総領事館は、少女像にカバーをしろと一体何の権利があって主張できるのだろうか。
 この桜祭りはブルックヘイヴン市が開いているイベントであり、桜の木も日本政府や総領事館が寄贈したものですらない。
 
 私は在アトランタ日本国総領事館に取材を申し込んでみたが、今は歴史認識問題についての取材は書面でしか受けていないという。
 そこで、同総領事館に、アトランタの公民権・人権センターやブルックヘイヴンでの少女像設置の際の動きや、少女像へのカバー要求を含む桜祭りへの対応に関して、書面で質問を出した。
 だが、歴史認識問題を担当しているという中村主席領事から返ってきたのは「取材中の個別のやりとりについてのコメントは差し控えたいと存じます。」「総領事館の活動に関するコメントは差し控えさせていただきたいと存じます。」という、ゼロ回答だった。
 なぜ、日本政府を代表する立場の総領事の発言や、総領事館の活動についてコメントすらできないのかもよくわからないが、少女像へのカバー要求に関しても、否定もしていない。
 
 また、今後の「慰安婦」の像や碑に関する問題を初めとする歴史認識問題、領土問題にどのように取り組むのかについての私の問いに対して、同総領事館は以下のように回答した。
 
 ブルックヘイヴン市を含む世界各地における慰安婦像や碑の設置は,我が国政府の立場やこれまでの取組と相容れない,極めて残念なことであると考えております。
 我が国としては,これまでも様々な関係者に対し,慰安婦問題を含む幅広い分野に関する我が国政府の基本的立場や取組について適切に説明し,理解を求めてきております。引き続き,こうした取組を続けてまいります。
 
 これはおそらく、現在の外務省のテンプレ回答なのだろう。
 世界各地で地元市民が同様の歴史を繰り返すまいと日本軍「慰安婦」問題の歴史を記憶し、学ぼうとする思いと、アトランタ総領事館の、世界各地での像や碑の設置は「極めて残念なこと」という回答はあまりにずれている。
 
 さらにアトランタ総領事館は「我が国政府の基本的立場や取組について適切に説明し,理解を求めてきております」というにもかかわらず、その具体的な「説明」の対象及び内容についても答えられないとしているわけだ。
 これでは一体何がどのように「適切」なのか判断できない。
 
 タスクフォースのメンバーたちは、「『慰安婦』の像や碑を建てさせないことや、撤去させることは、アトランタの日本総領事館にとっての最重要課題のようだ」と口を揃えた。
 マニラで像が撤去されたことで、今後、ブルックヘイヴンの少女像の撤去に向けての圧力が強まることも予想しているという。
 日本政府によるこのような「歴史戦」活動により、地元市民らの日本への不信感はよりいっそう高まるばかりなのではないだろうか。
 撤去要求はもちろんの事、「慰安婦」少女像にカバーしろと要求するようなレベルの「外交」を政府が多大なる労力を使って行うことの問題は大きいのではないか。
 そして、在米日本人の中には、私自身を含め、このような政府主導の「歴史戦」に大変迷惑している人たちもいることだろう。
 
ブルックヘイヴンの少女像
除幕式
〔ブラックバーンII公園の少女像 写真提供:ケリー・アンさん〕
 
 
既に公開中の「『慰安婦』像をめぐる歴史戦——主戦場・アメリカ」はこちらから。

タグ

著者略歴

  1. 山口智美

    1967年生まれ。モンタナ州立大学准教授。専門は文化人類学、フェミニズム。共著に『海を渡る「慰安婦」問題』など。

関連書籍

閉じる