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適正手続き違反だけで再審開始すべき

 事件から半世紀近くの歳月を経て、4年前に静岡地裁が再審の扉を開いた袴田事件について、この6月11日、東京高裁が再審開始決定を取り消した衝撃は、まだ私の心の中で、鉛のような重みとともにある。
 
 多くの司法関係者やメディアが、再審開始を取り消した高裁決定を批判した。しかしその一方で、今回の新証拠であるDNA鑑定(本田鑑定)を「凡そ科学的鑑定と評価できない杜撰なものであり、それを根拠に再審開始を決定した静岡地裁の判断も、全く合理性を欠いており、再審開始決定が取り消されるのは当然としか言いようがない」と、高裁決定が本田鑑定の信用性を否定したことを当然視するものや、「その証拠が刑事裁判の事実認定を手助けする科学知識と言えるのかどうかという視点で、その科学知識が他人の審査を経たかどうか等の基準を示した(中略)今回の決定は法的に重要で、かつ正しいことを述べていると感じる」と、高裁決定が示した科学的証拠についての判断手法を評価するものもあり、これらの論評が私の心の中の鉛をさらに重くしている。
 
 これら二つの論評はどちらも弁護士が書いたブログからの引用である。
 プロとして刑事司法に携わる者が、事件の全記録を見ずに、決定書の記載だけから、極めて専門性の高い本田鑑定の信用性を云々すること自体、疑問を禁じ得ない。
 私は再審弁護に携わる弁護士のひとりとして、本田鑑定の内容を軽々しく論じることは控え、それをせずとも、高裁決定には明らかに正義に反する誤りがあることを示したい。
 
 
裁判所のダブルスタンダード
 
 高裁決定が本田鑑定の信用性を否定したのは、科学的証拠に証拠としての価値を認めるためには、それが多くの他者による検証を経て信頼性が確保されなければならず、そのために鑑定の資料や方法のデータが保存され再現が可能でなければならない、といった基準をクリアすべきであるところ、本田鑑定はそれを充たしていない、という理由によるところが大きい。
 この判断手法は、アメリカの裁判で科学的証拠を採用する基準として用いられている判例を強く意識していることがうかがえる。
 
 しかし、こうした基準は何よりもまず「似非科学(ジャンク・サイエンス)」によって冤罪がもたらされることを防止するために用いなければならないのに、これまでの日本の刑事裁判では有罪の立証のために検察官が提出してきた数々の「科学的」証拠に対し、このような基準は全く採用されてこなかった。
 たとえば、科警研による誤ったDNA鑑定により有罪とされ、後に再審無罪が確定した足利事件と、全く同じ手法、同じ技師が行なったDNA鑑定が決め手となって死刑判決が言い渡され、すでに死刑が執行された飯塚事件では、控訴審で弁護人が「鑑定資料を使い切っており再現可能性がないから証拠能力を否定すべき」と主張したのに対し、福岡高裁は「資料をほとんど使い切ったからといって、その故をもって証拠能力を否定すべきものと解されない」と述べてDNA鑑定の信用性を認めたのである。
 
 「疑わしいときは被告人の利益に」の鉄則が貫かれるべき刑事裁判で、冤罪を生まないためにこそ使われるべき厳しい物差しを、有罪立証のための証拠には用いようとしなかった裁判所が、冤罪を晴らすために弁護人が提出した新証拠の明白性を判断する場合にだけ、ここぞとばかりに持ち出すことのおかしさを、まずは声を大にして指摘しなければならない。
 
 
DNA鑑定以外の事件の本質
 
 次に糾弾すべきは、本田鑑定が崩れれば、再審開始取消は当然だとする考え方である。
 
 高裁決定は本田鑑定の信用性判断に全力を注ぐ一方、開示証拠も含めた他の新旧証拠の吟味については極めて淡泊であり、静岡地裁のした再審開始決定を、あたかもDNA鑑定だけで支えられていたかのように扱っている。
 それを代弁するかのように、高裁決定当日の新聞に「最大の根拠であるDNA型鑑定の信用性が全面的に否定された以上、地裁決定が維持できないというのは、理屈としては理解できる」とする「元」裁判官のコメントも出されている。
 
 しかし、そもそも袴田事件の本質はDNA鑑定ではない。
 
 袴田さんの「自白」は、長時間かつ長期間に及ぶ違法かつ異常な取調べによって獲得されたものだった。
 取調べの過酷さは、事件から半世紀以上も後になって開示された録音テープによって裏付けられた。
 
 事件から1年2カ月が経過したころ、袴田さんが犯行時に着用していたとされた5点の衣類が、突如「発見」された。
 
 5点の衣類のうち、ズボンは袴田さんには小さすぎて履けなかった。
 検察官は、そのズボンに付いていた「B」というタグについて、衣料品メーカーの関係者が「“B”は色を示すものだ」と供述した調書を得ていながら、これを隠したまま、「“B”は『B体』のことであり、もともと大きなサイズだったのが、味噌樽に浸かって縮んだのだ」とウソの論告を行なっていた。
 
 今回の即時抗告審でも、検察官は、弁護人の再三にわたる証拠開示請求に対し、それまで「不存在」と明言していたネガを、自らが反論するための証拠として出してきた。
 
 裁判官は、DNA鑑定の信用性に目を奪われて、上記のような「手続的不正義」に目をつぶったまま死刑判決を維持するということがどういうことかという、刑事手続の根本を忘れてしまったのだろうか。
 
 
憲法違反の高裁決定
 
 日本国憲法は31条で、法律の定める手続によらなければ処罰されないことを基本的人権として保障した。
 そしてこの条文は、仮に真犯人であっても、適正手続違反があれば、その者を処罰してはならないという意味だと解釈されている。
 ここでは刑罰、特に死刑という過酷な国家権力の発動に対する歯止めという視点が決定的に重要なのであり、それが担保されなければ、国家権力のフリーハンドによる殺人を容認することになりかねないからである。
 
 そもそも適正手続に鈍感な者が運営する刑事裁判であるならば、死刑制度は即刻廃止すべきなのだが、現実に死刑が存置されている以上、少なくとも死刑事件については、DNA鑑定のような新証拠がなかったとしても、適正手続違反だけで再審開始すべきだろう。
 
 高裁による再審開始の取消しを契機として、再審法制を見直すべきとの声がかつてないほど高まっている。
 しかし、法改正をしなければ袴田さんを救えないという言い訳は、司法に身を置く者として、あまりにも情けない。
 
 最高裁には、司法の最高機関として、今回の高裁決定を憲法違反と断じる良識を期待したい。

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著者略歴

  1. 鴨志田祐美

    弁護士。2010年、えがりて法律事務所設立。鹿児島で「町医者」的弁護士として働くかたわら、えん罪弁護(大崎事件)、DV問題、子どもの虐待問題、犯罪被害者と加害者との関係修復のための活動などに取り組む。

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