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読んで、観て、聴いて(2023年8月号)

※『世界』2023年8月号に掲載された記事です

 

 2023年6月

 

 六月初旬、初めて北アイルランドに行ってきた。学会報告のためで、大英帝国植民地支配の名残、独立運動、宗派対立、IRA(アイルランド共和軍)のテロ活動などなど、中東の紛争地域を専門にする筆者にとって、比較できる論点は山盛りだ。

 取る物も取り敢えず、対立の最前線となったベルファストの北西部の壁絵を見に行く。独立派の絵には、パレスチナとの連帯、反アパルトヘイト、「タミールの虎」支持、キューバへのエールと、反植民地・反英(米)色が溢れている。図柄や描かれる人物も、パレスチナの分離壁やイラクの路上抗議運動で見たような、既視感満載だ。オリバー(クロムウェル)の軍隊は世界のあちこちにいくよ、パレスチナもヨハネスブルグにも、というエルヴィス・コステロ&アトラクションズの「オリバーズ・アーミー」を、思わず口ずさむ。

ベルファスト北西部の壁絵。著者撮影

 アイルランドといえば、もうひとつ、アイルランド料理を楽しみにしていた。リジー・コリンガム『大英帝国は大食らい』(松本裕訳、河出書房新社。とにかく読んでてお腹がすく、怪しい食べ物が食べたくなる本だ)にでてくる、「バターで煮たノウサギ」なるものがまだあるのかどうか。藁がまじっていたり臓物臭さに満ちていたりという、英国紳士がとんでもない野蛮人と呼んだかつてのアイルランド人の食べ物に、ありつけるのか。

 残念ながら、会場となる大学やホテルの近辺には、イギリスのチェーンのスーパーやファストフードの店、中華やインド料理ばかりで、伝統的なアイルランド料理は見つけられなかった。前述の本にちなんでせめてタラでも(一七世紀、イギリス人はアイルランドを拠点に、ニューファンドランド島のタラをわんさか獲って、大英帝国の経済を支えた)と思い、フィッシュ・アンド・チップスをテイクアウトしたが、さすがの大きさに、舌平目で妥協してしまった。饐えたようなビネガーは、今や流行らないらしい。マヨとケチャップが付いてきた。

 

 少し時間が空いたので、研究者の性か、本屋に寄った。まったく期待していなかったのだが、Leon McCarronのWounded Tigris: a river journey through the cradle of civilization(2023)を見つけた。アイルランド出身の冒険家と写真家が、チグリス河の出発点(トルコ)から始めて、シャットルアラブ河となってペルシア湾に注ぐまで、舟で旅する体験談だ。クルディスタン地方からモースル、バグダードを通って南部湿地帯まで、七〇日以上かけて河を下る。二〇二〇年という、北イラクを制圧して中東全体を震撼とさせた「イスラーム国」が掃討されてまだ二年しか経っていない時期の旅なので、「イスラーム国」の爪痕はあちこちに残っている。あわや兵士に撃たれそうになったり、はたまた河を巡る環境悪化の深刻さに直面したりと、イラク政治研究者にとっても貴重な記録に出会える一方で、舟旅の過程でのイラク人との交流を綴った筆致には、ほのぼのと、心がゆったりする。

 チグリス、ユーフラテスの旅に心を惹かれるのは、イギリスの伝統だろうか。イラク地域での冒険譚は、大英帝国時代からふんだんにある。なかでも一九五〇年代、まだ親英王制時代のイラク南部湿地帯を訪問したウィルフレッド・セシジャーの『湿原のアラブ人』(白須英子訳、白水社)は、その嚆矢で、八〇年代以降イラクが繰り返し戦争と制裁に苛まされるまで、ゲヴィン・マックスウェルなど何人もの冒険家がこの湿地帯を訪れた。日本でも、秘境、珍食を求めてアジア、アフリカを旅する高野秀行が、近年この湿地帯を訪問している。その紀行、「イラク水滸伝」は、『オール讀物』に連載されてきたが、近々単行本として出版されるようだ。楽しみである〔その後、7月に文藝春秋より刊行〕

 

 

 冒険家だけではない。実は、アジア、アフリカなどを研究する地域研究者の多くが、元バックパッカーだったりする。現地社会に入り込んで、そこでネットワークを築き、現地の言葉を話し、現地の笑いのツボをつかみ、現地の人々の愚痴の聞き役になって、生活する。そんなことに何年も費やす研究者は、少なくない。日本社会のしがらみとか制度とかに縛られることは当たり前ではなく、別の論理、別の思考、別のルールで生きている世界があることに、ほっとする。ちっちゃな自分を相対化することで自由になれる、という異文化接触の核心を、冒険家は旅の記録で伝え、研究者は研究論文で伝えようとする。

 その地域研究者の、特にイスラーム地域の研究者が、「信頼とつながること」をテーマに、大がかりな研究プロジェクトを展開している。その成果の第一巻『イスラーム信頼学へのいざない』(東京大学出版会、二〇二三年)が最近刊行されたが、全編「ですます」調で書かれ、研究者自身の「体験談」が多く綴られているところが、珍しい。「信頼」とか「不信」とか、日本社会で当たり前にとらえられている感覚のベクトルが、中東地域に行くとすこしずれる。日本の物差しで考えると「つき」にも見えてしまう発言や行動のなかに、いろいろな感情や気配りやプライドが隠れている。筆者に言わせれば、中東社会は日本以上に空気を読みまくる社会で、しかも読み方が二重、三重にも捩れている。それがけっこう面白い。

 イスラーム信頼学へのいざない

 冒険譚ではないが、近代の非ヨーロッパの女性たちが活躍する姿も、心が躍る。ロシア帝国時代に、帝国領内や周辺国(オスマン帝国など)のイスラーム社会に関心を持ち、ロシアとオスマン帝国を舞台に活躍したロシア人女性翻訳家や、オスマン帝国初の女性作家に光を当てた磯貝真澄・帯谷知可編『中央ユーラシアの女性・結婚・家庭』(国際書院、二〇二三年)は、中央ユーラシアというロシアとイスラーム社会の重なり合う空間で、一九世紀、いかに人々が慣れ親しんだ社会の営みをつないできたか、どのように異文化に触れて空間を行き来していったかを、ビビッドに描いている。そもそも、ウラル・ヴォルガ地域からコーカサス、中央アジアと、かつてソ連・ロシア帝国に組み込まれていた地域で、ヨーロッパ・ロシアと違う、こんなに豊かで生き生きとした歴史が紡がれてきたのかと驚かされるばかりだ。

 学生時代にソ連が崩壊すると知っていたら、筆者もこの地域の研究を専門にしていたかも。高校のころ地図を見て、昔中央アジアに「サカ族」という騎馬民族がいた、という表記を発見し、祖先はこのあたりから来たに違いない、などと勝手に妄想していた。

 国境もなにも関係なく、砂漠や草原や川のほとりを縦横に移動する人々の話は、いつの時代もわくわくする。

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著者略歴

  1. 酒井啓子

    千葉大学教授

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