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連載 はかまたさん

冤罪死刑囚の日常

 柔らかな陽光が射す窓際、そこが「はかまたさん」の定位置だ。正面の壁にかかる大きなテレビを見たり、新聞を読んだり、居眠りもここでする。朝食後のひととき。ほとんど動かない空気が、微かに揺れた。姉が戸を開けて言った。

「あれ、あんた、いつの間に?」

 そう言われ、姉と視線が合ったはかまたさんは、瞬間、満面の笑みを浮かべた。その右手には、大好物の甘いパンが握られていた。居合わせた支援者によると、

「まさに恵比須顔でした。朝ごはんの後、こっそり食べていたのをお姉さんに見つかってしまい、ごまかしの恵比須顔だったのかもしれません(笑)」

 はかまたさんと邂逅したころ、こうした光景は想像できなかった。2014年7月に自宅を訪ねると、

「あなたは私に何か用事があるのか。私はあなたに何の用事もない。だから帰ってくれ」

 鋭い視線が跳んできて、一瞬ひるんだ。横にいる姉を見ると、

「帰ってくれだって。アッハッハ。どうってことないよ」

 姉の呵々大笑に救われた。
 ――はかまたさん。本名、袴田巖。82歳。肩書きは「確定死刑囚」。1966年に発生したいわゆる「袴田事件」で、無実を示すいくつもの証拠がありながら半世紀以上にわたって、そして現在も、4人を惨殺した極悪な殺人犯であることを強いられ続けている。
 ちなみに、袴田さんの姓の読み方は、「はかまだ」さんではなく、正式には「はかまた」さん。「た」に濁点はつかない。浜松市にある自宅も「HAKAMATA」と表記されている。

 袴田さんは、捜査段階はもちろん、裁判中も強く無実を訴えたが、1980年に最高裁で死刑が確定。2014年3月、第2次再審請求で静岡地裁(村山浩昭裁判長)は、

「重要な証拠が捜査機関に捏造された疑いがある」
「拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」

 と断罪。即日釈放された。実に48年ものあいだ拘置所の独居房で暮らした末の、塀の外だった。娑婆に戻ってきたものの、再審開始決定に対し、検察側が即時抗告。現在、協議が行われ、袴田さんは3年半も再審開始を待つ身なのである。その結果、確定死刑囚でありながら街を自由に行き来する、という矛盾を生んでいる。
 半世紀近くを、獄中の狭い房にたったひとり閉じ込められた苦悶は、筆舌に尽くし難いはずだ。その中で、ほんのわずかに楽しみがあったとすると、それは「甘いもの」だったかもしれない。
 姉・ひで子さん(85)は、毎月1回必ず上京し、拘置所の袴田さんに面会してきた。

「夏休みは、毎日通いました。巖の調子が悪く会えないこともありましたが、それでも、来たということが伝わります。そのことが、巖を信じている人間がいる、必ず助け出す、というメッセージになったと思います」(ひで子さん)

 面会の際はいつも、必要な洋服や書籍、お金などを差し入れしてきたという。その中に、袴田さんが特に好んでいた品があった。「キラキラ星チョコレート」。台形のひと口サイズで、上半分がホワイトチョコレートの2層になっている。支援団体のひとつ「無実の死刑囚・袴田巖さんを救う会」の機関紙「キラキラ星通信」は、このチョコレート名が由来である。
 釈放後の2014年7月、自宅で食事をした後に袴田さんは、

「ええー、お菓子をくださいまし……」

 と、ひで子さんに依頼した。甘味を食すときの袴田さんは、得も言われぬ表情をする。死刑囚であることも、48年間の獄中の艱難辛苦も、何もかも忘れたような穏やかな顔。キラキラ星チョコレートを食べていたときも、こんな表情をしていたのだろうか。
 2015年6月13日、過ごしやすい気候だった。ひで子さんと買い物に出かけた袴田さん。デパートで夕食用の握り寿司を選んだ後、オレンジシャーベットを、目を細めながら舐めた。帰り道、今度は自ら率先してカフェに立ち寄り、チョコレートケーキを注文。あっという間に平らげた。それを眺めていると、こうした瞬間が長く続くことを望んでしまう。このとき袴田さんは飲み物を注文しなかったので、コーヒーをテイクアウトし自宅に届けた。

「コーヒー、お好きですか?」
「ええ、まあね」
「苦いものも大丈夫ですか?」
「甘いものと、苦いコーヒーで、ちょうどいいんだね、バランスが取れて。まあ何事も、バランスが大事だということだね」

 そうは言うものの、砂糖を2袋も入れて恵比須顔だったが……。
 82歳の袴田さん。心配されるのは体調だ。案の定というべきか、現在、糖尿病が懸念されている。

「獄中生活が長かった巖には、できるだけ長生きしてもらいたい」

 そう願うひで子さんは、一方で、次のように笑う。

「これまで48年間も自由を奪われていたんだから、好きなものを好きなときに、好きなだけ食べさせてやりたい。少しくらい甘いものを食べ過ぎたって、別にどうってことないよ」

 姉のそんな思いを知ってか知らずか、袴田さんは「俺はどこも悪くない」と、薬を拒否することが多い。思案したひで子さんは、お茶などの飲み物にこっそり薬を混ぜて出し、クスクス笑っている。半世紀近い獄中生活にも負けなかった「はかまたさん」はつわものだが、姉の方が一枚上手だった――。

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著者略歴

  1. 青柳雄介

    ジャーナリスト。一九六二年東京生まれ。雑誌記者を経てフリーのジャーナリスト。これまで事件を中心に社会、福祉、司法などの分野を取材。袴田巖氏が釈放された二〇一四年から密着取材を続ける。

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