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連載 モザンビークで起きていること

JICA事業への現地農民の抵抗

「私たちは秘密を知ってしまった」

 昨年4月、アフリカ・モザンビーク北部の11名の住民(主に農民)が、JICA(独立行政法人 国際協力機構)に異議申し立てを行なった。

 JICAは、日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関で、その活動は税金で支えられている。本来、善意によるはずの援助で、いったい何があったのだろうか?

 実は、その5カ月前の2016年11月、日本を訪れていたモザンビーク農民のリーダーは、参議院議員会館で開催された集会で、次のようなメッセージをJICAと日本社会に投げかけていた。

「JICAによる介入により、肉と骨にまで刻み込まれるような傷を毎日感じています」
「JICAに伝えます。私たちは、もう(JICAの事業の)秘密を知ってしまいました」

 JICAの行なっている「国際協力」の現場で一体何が起きているのだろう? 農民のいう「傷」、「秘密」とは?

 本連載では、JICAと日本政府が進める農業開発援助「プロサバンナ事業」に対する農民の異議と抵抗の背景を明らかにするとともに、農民が知ったという「秘密」に迫る。

安倍首相とニュシ大統領の「ナカラ回廊開発」合意

 昨年3月、都内の目抜き通りにある珍しい旗が掲げられた。アフリカらしい赤・緑・黄・黒を基調としたデザイン。モザンビーク共和国の旗であり、同国のフィリペ・ニュシ大統領の来日に際して掲げられたものであった。官邸で大統領を迎えた安倍晋三首相は、同国北部で日本の政府と企業が共同で行う「ナカラ回廊開発」をさらに推し進めていくことを約束した。これを受けて大統領が重要性を強調した事業にプロサバンナ事業があった。

 プロサバンナ事業とは、2009年からJICAがモザンビークのナカラ回廊地域で進める大規模な農業開発事業である。日本政府やJICAはその意義を強調するが、事業対象地の小農(小規模農民)を中心に、もう五年以上も反対運動が続けられている。

 同国では農家の99.3%を小規模農家(耕作面積10ヘクタール以下)が占め、中規模(50ヘクタール未満)は0.7%、大規模は0.1%以下にすぎない。2010年時点の統計によると、小農が全耕地面積の96.4%を耕していたが、近年、外国投資によって小農の土地やコミュニティの森が奪われる事態が相次ぎ、2017年11月現在、世界第6位の土地取引対象国となっている。取引面積は、実に250万ヘクタールにも及ぶ。

 なかでも、モザンビーク北部に投資が集中している。ポルトガルの植民地時代に整備されたナカラ回廊(鉄道・道路・港湾設備)の改修と活用に日本とブラジルの官民が乗り出したことを受けて、沿線の土地は外資の格好のターゲットとなっているのだ。
 
ブラジル・セラードからモザンビーク北部へ

 プロサバンナ事業の正式名称は、舌を噛みそうに長い事業名――「日本・ブラジル・モザンビーク三角協力によるアフリカ/モザンビーク熱帯サバンナ農業開発」である。2009年9月に、JICA大島賢三副理事長(当時)、ブラジル国際協力庁(ABC)長官、モザンビーク農業大臣の三者によって合意・署名された。この直前には、ブラジル、モザンビークの合意を取りつけるべく、JICAが先頭に立って奮闘したことが数々の外務公電により明らかになっている。

 プロサバンナ事業は、モザンビーク北部3州、その面積10万7002平方キロメートル(日本の全耕地面積の2倍以上)を対象とする巨大事業である。この事業の狙いについて、JICAは次のように説明する。

「(合意事業の)基本的枠組みは、ブラジルのセラード地帯で日本とブラジルが行った熱帯サバンナ農業開発協力の知見を、モザンビーク、ひいては将来的にアフリカの熱帯サバンナ地域の農業開発に生かしていこうというもの」

 この事業の立案に深く関わった本郷豊・JICA中南米部嘱託職員(後にアフリカ部客員専門員、現在退職)も次のように説明する。

「(ブラジル)セラード地帯とアフリカの熱帯サバンナ地帯では、農学的に多くの共通点が認められています。ブラジルには30年にわたるセラード農業開発によって、アフリカ熱帯農業に応用できる多くの知見が蓄積されています。……セラード農業開発は、無人の不毛地帯を技術力と資金力で耕地化できるか否かが主要課題でした」

「広大な未利用農耕適地」の開発=「日本人の食生活」?

 この時期の資料には、セラードとモザンビーク北部の緯度が同じであることを示す地図、そして両者の景観の類似性を強調する写真が掲載されている。広がる草原の向こうにやせ細った木々が見える写真で、一般的なアフリカのイメージ(草原サバンナ)を想起させる。

 合意文では、「モザンビークの国土の約七割が熱帯サバンナ地域に分類され、広大な未利用農耕適地」があると強調されているばかりではない。セラードでの農業開発事業の「成功」を踏まえ、日伯が「競争的角度から市場型農業開発」を進めることで、モザンビークの貧困削減と世界の食料安全保障の問題を同時に解決するといったことが謳われている。この翌年のJICAの機関誌には、「途上国の農業開発なしに維持できない日本人の食生活」との見出しが掲げられ、プロサバンナ事業への期待が語られた。

 私たちの食生活を維持するため――その大義のもとに行なわれているアフリカの開発「援助」。次回以降、その実態を報告していく。

プロサバンナ対象郡の風景。森だけでなく水が豊かな地域。手前はトウモロコシ、カボチャ、豆を混植した畑。撮影:JVC渡辺直子 2015年
 
プロサバンナ対象郡の風景。森だけでなく水が豊かな地域。
手前はトウモロコシ、カボチャ、豆を混植した畑。
撮影:JVC渡辺直子 2015年


(つづく)

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著者略歴

  1. 舩田クラーセンさやか

    明治学院大学国際平和研究所研究員。国際関係学博士(津田塾大学)。元東京外国語大学大学院教員。元日本平和学会理事、元日本アフリカ学会評議員。主著書に『モザンビーク解放闘争史』(御茶の水書房、日本アフリカ学会奨励賞)。編著に『アフリカ学入門』(明石書店)など。

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