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連載 モザンビークで起きていること

草原がないのに「プロサバンナ」?

 事業の名前に冠されている「サバンナ」。しかし、実際には草原サバンナは、モザンビーク北部にほとんど見られない植生である。むしろ、国の森林面積の七割がこの地域に集中する。さらに、豊な水と肥沃な土壌に恵まれた環境のために、人口の半数近くが暮らしている。この地域の住民の八割以上が農業に従事しているが、その99.99%を小農が占め、全農地の九割以上を耕してきた。
 
 ブラジル・セラードは「無人の不毛地帯」?
 
 ブラジルのセラードもまた、実際には「不毛地帯」などではなかった。アマゾンに次ぐ世界有数の森林地帯であり、生物多様性を誇る。セラードでは、これまで一万種を超える植物が確認され、うち45%が固有種となっている。さらに、400種ものセラード固有の樹木が発見されている。また、セラードは南米中の一級河川に不可欠な帯水層地帯を形成し、「水のゆりかご」と呼ばれるほど重要な役割を果たしている。
 
 セラードには、先住民族やアフリカ系のコミュニティ、そして長らくこの地に暮らす人びとの「伝統的コミュニティ」が散在し、住民は自然と調和する暮らしを営んでいた。にもかかわらず、現在もJICA関係者はセラードを「無人の不毛地帯」と呼び[i]、プロサバンナ事業の資料にも草原の写真ばかりが掲載されている。
 
 しかし、1980年代にJICAが進めたセラード農業開発協力事業(PRODECER)に対しては、地元の小農とカトリック教会が反対運動を繰り広げた。その運動は、30年を経た現在も継続し、「セラードを守る全国キャンペーン」に結実している。同キャンペーンは、セラードの豊かさとそれを守り暮らす人びとの権利と努力を周知し、大規模な農業開発で痛めつけられた自然を回復するための試みを発信するとともに、激化する一方の土地収奪への住民の抵抗を支援している[ii]
 
 世界に知られることとなったこれらの運動の最初の灯(ともしび)が、JICAの援助事業への抵抗から始まったことは、日本人として考えさせられるものがある。
 
 
不可視化されるモザンビーク北部の森と住民
 
 しかし、PROCEDERを「成功」としてプロサバンナ事業を立案したJICAは、モザンビーク北部の森林や小農のこれまでの努力を取るに足らないものとして認識し、「余った土地」への強い執着を示し続けた。
 
 例えば、プロサバンナの事業概要には、「持続可能な開発」「小農支援」が記されてはいるものの、小農は「低生産性の自給自足型農業を余儀なくされ、貧困に苦し(む)」あるいは「その多くは粗放的」な技術しか知らず、「広大な面積を有する農耕可能地」をもて余す存在として描かれている[iii]。そこで、この土地を有効活用できるアクターとして、「投資」「民間セクター」への期待が掲げられた。
 
 
日伯アグリビジネスによるモザンビーク進出の慫慂
 
 事業合意から数年間、JICAが最も力を入れたのは、日伯のアグリビジネスの進出支援であった。
 2011年4月、サンパウロでJICAとブラジルABCによって主催された「プロサバンナ国際セミナー」のタイトルは、ずばり、「モザンビーク・アグリビジネス―投資に向けた日本とブラジルの協力と機会」である。大島副理事長の出張報告には、このセミナーの目的、プレゼンテーションの中身が次のように記されている[iv]
 
「民間企業関係者(特に日系人社会、日系企業)に対し、JICAの民間連携スキームを紹介し、モザンビークへのアグリビジネスを中心とした投資意欲を慫慂する」
「JICAとして、モザンビークに対するアグリビジネスを中心とした民間投資を側面支援していく用意がある旨の説明を行った」
 
 そして、この翌日に開催された「プロサバンナ・三カ国調整会議」では、次の合意が「了解覚書」として締結されている[v]
 
「ProSAVANAを推進するためのプログラム、プロジェクトレベルの各国の支援体制を確認するとともに、日伯企業の投資を慫慂するために、年度内に日伯官民合同調査団をモザンビークに派遣する方向で調整を開始する」
 
 この合意を受ける形で、2012年4月、事業の一環として「ナカラ回廊農業投資促進合同ミッション」がモザンビーク北部に派遣される。この「合同ミッション」は、日伯の官民約65名によって構成され、日本側団長はJICAアフリカ部乾英二部長(当時、現監事)、ブラジル側団長は日系ブラジル人のルイス・ニシモリ連邦下院議員が務めた。訪問先は、ナカラ回廊設備(港や空港)、農業試験場、地元商工会議所、そして事業対象地で大規模に大豆を生産するブラジル人関係者であった[vi]
 
 日本からは各省庁関係者19名のほか、民間企業8社が参加した[vii]。ブラジルのニッケイ新聞は、「主に大豆とゴマの輸入確保を目的に、伊藤忠、住友、三井、双日、丸紅など多数の大手企業家が参加」と報じている[viii]
 
(続)
 
〔魚の池に行く途中の養蜂の箱〕
〔パパイヤやコーヒーの木〕
〔フルーツは子どもの貴重な栄養源〕
〔日本企業が買収した大豆農場〕
 
 
〔註〕
[i] JICA研究所「ブラジルの不毛の大地「セラード」開発の奇跡
 —JICA研究所によるプロジェクト・ヒストリー発刊—」(2012年7月12日)https://www.jica.go.jp/topics/news/2012/20120712_01.html
[ii] キャンペーンサイト http://semcerrado.org.br/
[iii] JICA事業概要(2011年2月)プロジェクト概要「ナカラ回廊農業開発研究・技術移転能力向上プロジェクト」実施合意 https://www.jica.go.jp/project.mozambique/001/outline/index.html あるいは、JICAトピックス「日本とブラジルがモザンビークで農業開発協力-ブラジル・セラード農業開発の知見を生かして-」(2009年09月28日)
[iv] JICA大島副理事長による「ブラジル・パラグアイ出張報告」(平成23年5月24日)
[v] 同上
[vi] JICA水間史人上級審議役・乾英二アフリカ部長による「出張報告」。乾部長によるプレゼンテーション(2017年6月)http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/activities/20171112/jica_004.pdf
[vii] JICAトピックス「日本、ブラジル、モザンビークで官民合同ミッションーナカラ回廊への農業投資促進を目指すー」(2012年5月14日)https://www.jica.go.jp/topics/news/2012/20120514_02.html
[viii] ニッケイ新聞(2012年5月1日)「モザンビーク・プロサバンナ事業—民間巻き込み新たな一歩」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35335

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著者略歴

  1. 舩田クラーセンさやか

    明治学院大学国際平和研究所研究員。国際関係学博士(津田塾大学)。元東京外国語大学大学院教員。元日本平和学会理事、元日本アフリカ学会評議員。主著書に『モザンビーク解放闘争史』(御茶の水書房、日本アフリカ学会奨励賞)。編著に『アフリカ学入門』(明石書店)など。

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