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連載 モザンビークで起きていること

「農民団体の価値を低める」と書かれたJICAの『戦略書』

 情報公開法に基づくJICAへの情報開示請求の結果、前述の三カ国調整会議の10日後に、JICAが地元三社と契約を交わした事実が判明する。うち一社(CV&A社)とは、首相への「書簡」手交直後(2013年8月)に、二度目の契約が行われていたことも明らかになった。
 
 第二次契約の指示書には、NGOや小農団体などの市民団体に対する「コミュニケーション戦略」を確立し、「処方箋」を提出することが命じられていた[i]。その「処方箋」こそ、翌9月に完成した『プロサバンナ・コミュニケーション戦略書』であった。
 
「農民団体の価値を低める」「国際NGOの信用を低下させる」
 
 2016年1月に開示された『戦略書』の内容は衝撃的である[ii]。「コミュニティ/農民を代表するこれらの組織の価値を低める」、「モザンビーク市民社会組織の重要性を奪う」ための具体的な手法が記されていたばかりか、各郡での「プロサバンナ・コラボレーター(協力者)網」の構築が提案されていた[iii]
 
 さらに、「セラードとナカラ回廊の結びつきを遠ざけることにより、国際NGOの主要な論点の信用を低下させる」との記述通り、この後「セラード」は政府側の一切の説明から消え、FGVも事業から撤退する。しかし、これらはひっそりと生じた変更にすぎなかった。『戦略書』で推進されたモザンビーク政府の関与強化は、この年と翌年末に選挙が行われたことによって政治的な意味を帯び、反対の声に対する政府の弾圧は激しくなっていった。
 
 一方の小農は、事業による被害や介入を、非民主的な統治と不正義を象徴する看過し難い問題として捉え直し、2014年6月に「プロサバンナにノー! キャンペーン」を発足させる。しかし、この翌月にJICAが行ったことは、CV&A社との三度目の契約・「特定随意契約」を交わし[iv]、『戦略書』を実行に移すことであった。
 
隠される国際NGO出身コンサルタントとの契約
 
 2014年末の大統領選挙後によって大統領が交代(同じ党内)したものの、モザンビークでは、憲法学者の暗殺を皮切りに、政府に批判的な学者やジャーナリストなどの訴追・暗殺・誘拐・脅迫が続発する[v]。恐怖政治に直面しながらも小農らは反対の声をあげ続け、連帯者を増やしていった。日本政府は、2015年6月時点ですでに当初予定の二倍の年月と公費(コンサルタント費用だけで5.6億円)を費やしていたが、それでも反対が収まらないことが野党だけでなく与党内でも問題になり始めていた[vi]
 
 これを受けたJICAは、2015年9月、モザンビーク市民社会への直接的な働きかけを行うため、「ステークホルダー関与」という名のサブプロジェクトを密かに立ち上げ、地元コンサルタント企業との契約準備を開始した。翌10月のJICA・外務省との「意見交換会」。何も知らない日本のNGOが、小農や市民社会との対話の現状と計画について尋ねると、JICAアフリカ部の飯村学参事役(後にコートジボワール所長)は、「今我々が知っているところでは、農業省がどのような形でどのように話を進めるか一生懸命議論している」との回答を行った[vii]。しかし、実際は、この前日にJICAはMAJOL社から提案書を受け取り、5日後には同社との契約を交わしていた[viii]
 
 JICAは、契約の要件として、モザンビーク(特に北部)の農民や市民社会との協働経験を求めた[ix]。そこで、MAJOL社は、北部の農民・市民団体などに強い影響力を有する国際NGO(WWFとActionAid)の元幹部二名を配置して契約を受注し、11月上旬から活動を開始した。しかし、日本のNGOが、12月に再び情報照会した際も、飯村参与は「モザンビーク政府でも検討を行っているといったが、状況はあまり変わっていない」と回答し、自らが設立したサブプロジェクトや契約締結の説明をせずに協議を終えようとした[x]
 
 この時までに、日本のNGOは、JICAの契約コンサルタントが市民社会を一団体ずつ訪問しているとの情報を得ていた。しかし、NGOが問いただしても、JICAは自らの契約事実を認めようとしなかった。当日の録音と議事録には、JICA農村開発部の田和正裕次長(後の関西国際センター次長・神戸大学客員教授)と飯村参与の次の発言が残されている[xi]
 
NGO:これは日本の支援の枠内で行っているのか?
田和:いえ。今までプロサバンナ事業を担当しているコンサルタントとの契約では行っていない。
NGO:お金は日本政府のものではない?
飯村:それについては、きちんとお話しができる段階にまとめさせてください。
 
 説明を拒否されたNGOは、小農組織の要請を受けて、直ちにJICAに契約書の開示請求を行った。しかし、JICAは開示を延期し、実際に文書が開示されたのは契約終了一カ月前の2016年2月のことであった。
 
JICA資金による政府承認「市民社会対話プラットフォーム」の形成
 
 契約書に添付されたJICAの指示書には、①事前にJICAと農業省が同意した団体を個別訪問・協議、②「対話」に前向きな団体名のうち、JICAと農業省が同意した団体を準備会合に招待、③政府側との唯一の対話チャンネルとなる市民社会側の「プラットフォーム」を結成、④その「プラットフォーム」が行動計画を策定するまでをファシリテートする、などの業務が締切日とともに明記されていた[xii]。そして、MAJOL社のコンサルタントはこの指示通りに業務を進め、2016年2月、「ナカラ回廊市民社会調整メカニズム(MCSC)」が結成される。
 
 しかし、このプロセスの裏側で、JICAがMAJOL社とともに何を行っていたかが、のちに明らかになっていく。
  

[iii]該当部分の抜粋(原文・日本語訳) http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/19kai_shiryo/ref4.pdf
[vi]2015年6月15日、国会議員3名が外務省・JICA・NGOを呼んで「勉強会」を開始し、責任追求姿勢を明確にした。また、同年7月に再来日した小農らが自民党議員(後の大臣)と面会している
[vii]第13回「ProSAVANA事業に関する意見交換会」(2015年10月27日、於外務省)逐語議事録 http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/activities/20171112/09_001.pdf
[viii]JICAによる国会議員への開示資料http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/ProSAVANA/docs/120.pdf
[ix]同上
[x]第14回「ProSAVANA事業に関する意見交換会」(2015年12月8日、於外務省)逐語議事録 http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/activities/20171112/09_005.pdf

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著者略歴

  1. 舩田クラーセンさやか

    明治学院大学国際平和研究所研究員。国際関係学博士(津田塾大学)。元東京外国語大学大学院教員。元日本平和学会理事、元日本アフリカ学会評議員。主著書に『モザンビーク解放闘争史』(御茶の水書房、日本アフリカ学会奨励賞)。編著に『アフリカ学入門』(明石書店)など。

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