「あんたは街を殺す気?」 上からの都市計画を覆したジェイン・ジェイコブズ/森まゆみ
『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』
「街」を考える人には必見
『アメリカ大都市の生と死』※という本を最初に読んだのは、1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊してまもなくだった。
私は政治学の出身で、文学や歴史まではわかったが、都市計画や建築については無知だった。
しかし私たちの町は震災でも戦災でも被害が少なくて、そこを守りたいという趣旨で雑誌を始めたのだから、その知識も必須だった。
正直言って鹿島出版会のSD選書のその本は、抄録で、字が小さくて、黒川紀章翻訳で、とても読みやすいと言えるものではなかった。
でも、私は耳学問で、ジェイン・ジェイコブズが1950年代のニューヨークで、環境や歴史的街区を守るためにどんなに活躍したかを知った。
結果として同じような開発反対の運動をしてきた私たちを、「日本のジェイコブズみたいだね」と言う人もいた。
このドキュメンタリー映画は、そのジェインの果敢な戦いぶりを、人柄の魅力を、余すことなく描いており、初めて肉体を持った、ジェインの声や表情に接した。
まちづくりに携わり、市民運動に参加し、建築、都市計画を学ぶ人には必見だと思う。
さらば、「上から」の都市計画
彼女はニューヨークに住む、子どもを持つジャーナリストだった。
50年代のアメリカは高度成長期で、都市計画は、パワーのある、高学歴の、男の専門家たちが、机上の空論で決めていた。
低所得者居住地区は不潔で、危険である。
「ゾーニング」と「スラムクリアランス」によって大きな街区に広い道を通し、超高層住宅を建てるというのが当時の「上から」の都市計画であった。
最初、それはフランスのル・コルビュジエによって提唱された。
彼はパリをそのような「輝く都市」にしようとしたが、パリ市民によって却下され、「その動きはアメリカに移った」というところではおもわず爆笑してしまった。
こうして、アメリカの都市にはそのような高層街区がたくさんできたのである。(こうした背景を知らずに上野の西洋美術館が世界遺産になったと言って、ありがたがって喜んでいるだけなのもどうかと思う。)
再開発の主唱者である都市計画家ロバート・モーゼスに対し、ジェーン・ジェイコブスは挑む。
「街はいろんな人がいるからこそ、いろんな形のいろんな時代の建物があり、路地があって、人々が有機的に動いているからこそ、多様性があり安全で、楽しいのよ。あんたは街を殺す気?」
それに対し、モーゼスは「ビルの上に住めばいい眺望が得られる」というやや弱々しい反論だ。
だって窓から見えるのは単に隣のビル群だけなんだから。
このへん、映像は意地悪だ。
こうして、ジェイコブズは私の生まれた1954年にニューヨーク・マンハッタン島はグリニッジ・ヴィレッジのワシントンスクエア公園の道路計画を止める。
モーゼスが「どうせ反対するのは母親ばかりだろ」と放言して女性の反撃を喰らうところも面白い。
同じように、私たちも不忍池の地下駐車場計画反対のときは、乳母車でデモしたりしたが、いつも「あいつらは専門家でない。ただの主婦だ」と言われ続けたものだった。
グリニッジ・ヴィレッジのスラムクリアランス計画はジェインらの活動でスラム指定を撤回させたが、計画の進められた他の地区では「スラムをなくそうとして超高層化したあげく、新たなスラムが生まれる」ことが例証された。ローワーマンハッタン高速道路計画など、上からの巨大開発を一つ一つジェインは体を張って止めた。
街は市民のものだ。
この映画は多くの引用で成り立っている。
過去のモーゼスやジェイコブズの映像や音声をどうやってこんなにたくさん集め、散りばめ、再編集したのだろう。
モーゼスは大変上手にヒール(悪役)を演じているようにさえ見える。さながら土本典昭監督の『水俣——患者さんとその世界』に見るチッソの島田社長の如し。
そしてジェイコブズの市民運動を担う戦略家としての優秀さと奇抜なアイディアにも学ぶところが多い。
彼女はマーガレット・ミードや、スーザン・ソンタグや、ルーズベルト大統領夫人エレノアまで味方に引き入れる。
巨大開発のテープカットの逆を行く、テープ結び式とか、バッテンを書いたサングラスをみんながかけるなど、メディア受けする目立つアイディアを考え、同時に、面倒臭がらずに行政の人々に丁寧に手紙を書く。
たくさんのジェイコブズ
今はこの映画にも証言者として登場するような、女性の都市理論学者や建築家が活躍できる時代になったけれど、その頃の多くの女性は、主婦であり母親である他に専門的な職業を持たなかった。
その時代に、ジェイコブズは職業を持ち、はばかることなく苛烈な正論を吐いた。
さらに、ジェイコブズの友人たちの層の厚さ。
彼女一人が英雄なのではない。
象徴的ではあったかもしれないが、たくさんの普通の市民の努力があって、市民は行政に勝った。
ついに70年代に、モーゼス的な上からの巨大開発はすでに流行らなくなった。
人はその退屈さに気づき、そこへは行かなくなった。
超高層住宅が爆破されるシーンは象徴的だ。
しかし日本では同様の巨大開発が、新国立競技場からリニア新幹線まで、まだ行なわれている。
私は30年間、「まちづくりよりまちづくろい」と修復型のまちづくりを続けてきたので、ジェインの言いたいことはよくわかる。
でも東京には東京のやり方もあり、違いもあると思う。
行政に反対するだけでなく、今は歴史的な建造物やコミュニティを守り、そのためには行政と対峙するだけではなく、不動産業や民間事業を起こさなくてはならない。
アカデミーから外れた、女性の活動家をさんざんバカにしてきたくせに、外国の識者ジェイコブズだけを持ち上げ、簡単に「日本にはジェイコブズがいない」などと言いたがる論者がいる。
これはジェイコブズが一番唾棄した「上品ぶった、権威主義」である。
が、私の見るところ、日本中には無数のジェイコブズがいる。
そのことも映画を見て強く確信できたことだった。
『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』(2016年/アメリカ/92分)
監督:マット・ティルナー
製作:ロバート・ハモンド、コリー・リーザー
編集・共同製作:ダニエル・モルフェシス
字幕監修:山形浩生
配給:東風+ノーム
映画HP『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』
http://janejacobs-movie.com/
4月28日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
※ジェイン・ジェイコブズが1961年に出版した近代都市計画批判論。日本では1977年1月に鹿島出版会より出版/2010年に山形浩生訳で新版が発売