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連載 ドキュメンタリー解体新書

なお深い日本の底へ――『作兵衛さんと日本を掘る』/本山央子

作兵衛さんが描こうとしたもの
 
 前作『三池~終わらない炭鉱の物語』[i]で、恐竜が倒れるように大きな波紋を巻き起こしながら閉山した巨大炭鉱の記憶を撮った熊谷博子監督。今作で辿ろうとするのは、それよりも前に、ひっそりと姿を消していった無数の小さな炭鉱の記憶である。
 
 旅の導き手である「作兵衛さん」とは、筑豊に生き、膨大な記録絵を描き残した山本作兵衛氏。無名のアマチュア画家ながら、炭鉱における人びとの労働と暮らしを生き生きと伝えるその作品は、2011年にはユネスコ世界記憶遺産にも登録された。
 
 7歳で初めて坑内に下がって以来、半世紀以上にわたって帝国の拡大、戦争、戦後高度成長の中で変化する炭鉱の姿を見つめ続けた作兵衛さんは、全国の炭鉱が次々と閉山していくなかで、記憶の中のヤマの姿を描きとどめていった。そこに描かれているのは、地の底を這いつくばるようにツルハシをふるい、石炭を担ぎ上げる半裸の男女の姿である。
 
 石炭層の薄い筑豊では、男女が対となる手掘りの採掘が広く行われており、女たちは坑内労働の主力を担っていた。女と男は身体の自然からして異なるのだという近代イデオロギーによって、女たちが主婦化され周辺労働力とされていく以前の姿を、作兵衛さんの絵は雄弁に証言している。それでも最初の頃は乳房を見せないよう上着を描いていたのを、元女坑夫に「スラごと[ii]ばっかり」と指摘されて修正したというから、女の体を見られる対象にしてしまう近代の支配的価値観にさからって描くこともまた、ひとつの抵抗なのだ。
 
  映画には104歳の元女坑夫も登場して、8人産んだ子のうち7人まで亡くすという過酷さのなかを生き抜いてきた姿を見せてくれる。今は施設にいる彼女が、手ぬぐいを粋にかぶって籠を背負ったとたん、体に力が漲るのが目に見えるような気がするのは、まさに映像の力というものだろう。お酒が好きだった作兵衛さんの歌う「ゴットン節」ののんびりした声にも、上野英信や森崎和江を惹きつけた人間的魅力がしのばれる。
 
  
作兵衛さんの描いた記録画と日記697点は、日本初のユネスコ世界記憶遺産になった。
 
 巨大な歯車の底で削られる命
 
 それにしても、2000枚にも上るといわれる絵の制作に、晩年の作兵衛さんを突き動かしたものは何だったのか。「昔の仕事や生活を子や孫に伝えたい」という言葉に込められていたのは、失われゆくものへのノスタルジーだけではなかったはずだ。作兵衛さんの絵に出会って、自ら絵筆を折るほどの衝撃を受けたという美術家の菊畑茂久馬氏は、作兵衛さんの絵の後ろには「哀しみ」があると語っている。それは何なのだろう。
 
 映画では、生き生きとした労働の文化を生みだしてきた筑豊の炭鉱が、周囲からは貶められ蔑まれる場所でもあったことが、くりかえし確認される。作兵衛さんの娘は心無い言葉をなげつけられ、孫は出身地を口にできない空気を感じてきたという。
 
 明治以来、日本の近代化を支えてきた石炭産業は、文字通り身ひとつしかもたない膨大な労働者を取り込みながらエネルギーを生み出してきた。作兵衛さん自身にとっても忘れられない出来事であった大正の米騒動では、賃上げを要求する炭鉱夫たちに対してシベリア出兵のために待機していた軍隊が銃を向け、兄は煽動の罪に問われて逮捕されることになった。巨大な歯車の底で日々命を削る自分たちの存在とはいったい何なのか。もしかするとそうした問いは、炭鉱の警備員をしながら戦争で失った息子を思う夜々にも、作兵衛さんを訪れていたのではないだろうか。
 
作兵衛さんは、60歳を超えて2000枚もの絵を描いた
 
 闇をこそ深く掘れ、そして語れ
 
「筑豊が暗いのではない。本当は、そう言う者たちが後ろ暗いのだ」と、上野英信の息子の朱氏は映画の中で語っている。炭鉱につきまとってきた後ろ暗さとは、たんに基幹エネルギーを切り替え、石炭で生きてきた地域とその人々を切り捨てたことによるものではない。朝鮮戦争の特需をバネに、戦後民主主義と経済発展の明るい時代へひた走りつつあった日本の中にあって、貧困に沈む筑豊を歩いた英信は、零細ヤマで、機械化とは逆に人力の搾取が強化されるのを目にしていた((『追われゆく坑夫たち』[iii])。)。

 朝鮮人、被差別部落民、女性に対する差別は、最も過酷な労働を最も低いコストで引き受ける以外に生きるすべのない人びとを生み出し、暴力や前借金による「圧政」が、彼らを、拡張を続ける日本帝国という機械の底に縛り付けていた。[ⅳ]帝国の時代が過ぎ去り、近代化と合理化が進むただ中で、この「前近代的」差別と暴力の装置はふたたび息を吹き込まれつつあったのである。何かが終わったように見えながら何も終わってはいないことを、わたしたちはよく知りながら忘れたふりをしてきたのではないか。
 技術革新がさらに進み、AIが普及すれば、もはや辛く苦しい労働は過去の話になるのだという。そのときついに、わたしたちは引きずってきた後ろ暗さを忘れ去るのだろうか。原発労働に駆り出される多重下請けの労働者や、最低賃金以上ではもたないという農水産業や工業を支える技能実習生たちの存在とともに。
 
 だがもしかすると、わたしたちはとっくの昔に後ろ暗さなど捨て去っていたのかもしれない。作兵衛さんの絵の世界記憶遺産登録からは4年遅れたものの、政府や関係自治体の運動が実って、三池炭鉱を含む石炭産業遺跡は「明治日本の産業革命遺産群」の一部として2015年にユネスコ世界文化遺産に登録された。明治から今日に至る偉大な国家建設の物語を謳い上げようとする欲望と、国家の物語に合わせて衰退する地域を再建しようとする欲望のなか、作兵衛さんの絵さえもが、強制労働被害者を含む小さな人々の声をふたたび圧殺するために利用されかねない恐れを感じている。
 
 作兵衛さんの残した日記や周囲の証言などを通して、彼の絵の「哀しみ」に迫ろうとするこの映画は、大きな物語に抗して炭鉱の記憶を掘り下げる一つの試みである。ここからさらに、もっと深く、もっと底の方へと掘り下げていかねばならない。少しの闇も許そうとしないこの時代の白っちゃけた光に抵抗して語る方法を見出すために。
 
[ii]そらごと/ウソ
[iii]岩波新書(1960)
[ⅳ] 徐亜貴「筑豊の炭鉱労働にみるジェンダーと民族」『女たちの21世紀』No.97(アジア女性資料センター発行)

『作兵衛さんと日本を掘る』
2018年|日本|111分|DCP|
監督:熊谷博子 /朗読:青木裕子(軽井沢朗読館) /ナレーション:山河建夫 /撮影:中島広城、藤江潔 /VE・美術:奥井義哉 /照明:佐藤才輔 /編集:大橋富代 /映像技術:柳生俊一 /音楽:黒田京子(作曲・ピアノ)、喜多直穀(ヴァイオリン) /音響効果:よしむら欅、山野なおみ /MA:小長谷啓太、滝沢康 /監督助手:土井かやの、長澤義文 /配給協力:ポレポレ東中野 /宣伝:リガード /グラフィックデザイン:小笠原正勝/澤村桃華 /協力:作兵衛(作たん)事務所 /撮影協力:田川市石炭・歴史博物館、福岡県立大学、嘉麻市教育委員会 /企画協力:RKB毎日放送
出演:井上冨美、井上忠俊、緒方惠美、菊畑茂久馬、森崎和江、上野朱、橋上カヤノ、渡辺為雄
製作・配給:オフィス熊谷 /配給協力:ポレポレ東中野 /宣伝:リガード 
2019年5月25日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
 
 

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著者略歴

  1. 本山央子

    もとやまひさこ。1968年生まれ。フェミニスト国際関係論研究。NPO法人アジア女性資料センター理事。

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