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連載 ドキュメンタリー解体新書

映画『ほたるの川のまもりびと』 ぼくらのうちにある〈亡所〉を問う/北條勝貴

「ほたる祭りを盛り上げてくれて、ありがとな」
 
 さり気なく、しかしぬくもりのある声がした。暗がりのなか、なかなかピントを合わせられずにいたカメラが、ようやく声の主を映し出す。
 集落外の人びとも参加して開催された、「こうばるほたる祭り」のあと。受付のテントで客を迎えていた石木川の魚たちが、役目を終えて、水槽からもとの流れへ放されてゆく。
 つい先日、都内某所で心ない放生儀礼をみたばかりだったので、その、小さな仲間たちに示されたささやかな(当たり前の)礼意に、少しざわついていた気持ちが落ち着くようだった。
 
 
高度経済成長期の亡霊
 
 映画『ほたるの川のまもりびと』は、山田英治監督のドキュメンタリー作品第1作。長崎県東彼杵郡川棚町こうばる地区に暮らす人びとの日常と、1962年以来55年にも及ぶ、行政による一方的なダム建設への反対運動を描いている。
 
 長崎県と佐世保市が強引に推し進める石木ダムの建設は、いうまでもなく、すでにその正当性を喪失して久しい。
 利水面でみると、水道供給先の同市は人口が減少、水使用の需要自体が年々小さくなっている。治水面では、そもそも支流の石木川中域にダムを建設したところで、本流川棚川の洪水を抑え込むことなどできない。
 にもかかわらず県や市は、地区住民による事業再検討の要請に耳を貸さず、深夜にバリケードを破って重機を運び込むなど姑息な手段を弄し、あくまで工事を強行しようとしている。
 まるで、開発に開発を重ね、思うさま国を作り変えてきた高度経済成長期の欲望が、亡霊となって権力に取り憑いているかのようだ(あるいは、それを生かしているのは、ぼくらの支払っている税金かもしれない)。
 沖縄、福島、東京築地——現在、日本列島のそこかしこにみられる理不尽な抑圧の構図が、ここにもみてとれる。
 
 
目の前にある〈亡所〉
 
 勤務先から渋谷の試写会場へ向かう途中、総武線の車窓に、足場に覆われた新国立競技場の巨大な影が覗いた。
 その傍らにあった都営霞ヶ丘アパートは解体されてしまったが、二度のオリンピックで繰り返し立ち退きを強いられた住人たちの生活を思うとき、(無責任な話だが、)ぼくの脳裡には「亡所」という言葉が浮かんでくる。
 『日本国語大辞典』には、「住む者がなく使われなくなってしまった所。また、耕作者のいない田地。没収地」とあるが、数学的な〈空間〉は人を介して〈場所〉になるという場所論の原則からすると、「所」に「亡」を冠するこの言葉の、何ともいえず薄ら寒い語感が胸に迫ってくる。
 足尾銅山鉱毒事件について明治政府を糾弾した、荒畑寒村『谷中村滅亡史』あたりが想起されるが、歴史通なら、近世初期の一揆が水戸藩から一村皆殺しに遇ったという、北茨城久慈の生瀬乱を思い浮かべるかもしれない。
 川原のある九州でも、同じ頃、幕府が土豪140名余りを斬首した椎葉山騒動が起きている。
 常に「ふみつけにされた人たち」と共にあった石牟礼道子さんも、それこそ水俣の〈亡所〉化に抗いつつ、草の道に埋もれた歴史の痕跡を訪ねる紀行文を遺している ※1
 そして、2011年の東日本大震災は、幾代にも及ぶ人びとの生きた証を消失した荒れ地が、いかに惨たらしいものかをあらためて教えてくれた。
 長崎県・佐世保市は、その教訓を経てなお、人間の手で〈亡所〉を生み出そうとしているのである。
 
 
川原の暮らしが問いかけるもの
 
 しかし、川原の人びとは、そうした苛酷な現状のなかでも、決して笑顔を失わない。
 集落を抱く山と川、鬱蒼と茂る木々、手をかければそのぶん応えてくれる耕地。人間と同居する犬、牛、山羊、魚、蛙、イモリ、蛍。夏の夜には、うるさいほどの虫の声が、村に流れる時間を満たす。
 都市では分断されてしまった親の仕事と子どもの遊びが、村では密接に結びつき、子どもは親の力強さに憧れて信頼の念を育み、親は子どもの元気に癒やされて明日を生きる活力を得る。
 家や世代を超えた深い絆は、権力による分断にも屈しない堅固さと、「番小屋」さえ団欒の場に変えてしまうしなやかさを併せ持つ。
 川原のダム建設反対運動がここまで続いてきたのは(それがどんなに辛い日々であったとしても)、この日常の暮らしと一体化していたからだろう。
 山田監督の力みのない映像は、そのことを柔らかに描いてみせ、観客を自らの故郷の記憶と対面させてくれる。そうして、それが消し去られる痛みを、次第に強く問いかけてくる。
 これを他人事と傍観するあなたの心にも、〈亡所〉が生まれているのではないのか、と。
 
 
映画の描いていないこと
 
 ただし、メッセージ性の強いドキュメンタリー映画として、幾つか不満な点もある。
 まず、川原の人びとが親鸞作の偈文『正信偈』を読誦する場面に、僧侶の姿がない。
 確かに、真宗門徒であればみな読み上げられる「お経」だが、地域の分断を調停すべき檀那寺の僧侶が、どこでどうしているのか気になって仕方ない。
 子供が建築業界に就職するのを心配する親たちが描かれていたが、川原の人びとと県や市、業者の間には対立以外の接点がないのだろうか。
 工事推進派の言い分も、彼らの生活のなかで考えるべきではないか。
 暮らしの描写を大切にするため、計算のうえで省略したのかもしれないが、もう少し運動の実際に踏み込んだほうが、地域のリアリティが伝わったのではないかと思う。
 人びとがカメラの前で本当に心のうちを語っているのか、少し不安になる場面もあった。
 
 そして、一般の理解を求めるためには必要なことなのかもしれないが、自分たちの暮らしを守る運動を「自然を守る」ことに拡大してしまうのは、果たして正しいことなのかどうか。
 映画もそのタイトルほどには、川原の生態系のありようや、それを守る取り組みに触れてはいなかった。
 
 自然は、常にぼくら人間の存在自体を相対化する。
 この映画をイモリや蛍、あるいは市場へ連れて行かれる山羊の視点で描こうとしたとき、彼らを川原の人びとの側に置くことができるだろうか。
 その場合、映画は石木ダム建設反対運動を支える内容にはならないかもしれないが、アンスロポセン(人新世)に生きる人間へのメッセージとしては、重要な意味を持つように思う。
 
 
「逆修の碑」か、「甦りの光芒」か
 
 日本における民俗映像の草分け的存在である姫田忠義 ※2は、県営ダム建設のために全戸移住・集落消滅となる直前の新潟県朝日村に住み込み、切迫した危機感のなかで人びとの生活を記録、4年の歳月をかけて長編ドキュメンタリー『越後奥三面——山に生かされた日々』(民族文化映像研究所、1984年)を完成させた。
 彼は、その作業を振り返る文章の冒頭で、「記録は、ときには逆修の碑となり、ときには甦りの光芒となる」と書いている。 ※3
 
 「逆修」とは仏教の言葉で、生前のうちに死後の冥福を祈り、予め仏事を修することをいう。
 自ら畑と家宅を借りて山村に暮らし、仲間たちとカメラを構え続けた姫田は、そののちも散り散りになった住民のもとへ通い、阪神淡路大震災の年に『越後奥三面・第二部——ふるさとは消えたか』(1995年)をまとめている。
 それは、「逆修の碑」を「甦りの光芒」へ変えようとする、(すなわち〈亡所〉化への)彼なりの抵抗だったのだろう。
 山田監督のこの映画が、10年後に「碑」と「光芒」のどちらとなっているか、それはいま観客席を立とうとしている、ぼくら自身のにかかっているのかもしれない。
 
 
※1 石牟礼道子『煤の中のマリア―島原・椎葉・不知火紀行―』(平凡社、2001年) 戻る
※2 記録映像作家。株式会社民族文化研究所(民映研)設立者・名誉所長。(1928-2012) 戻る
※3 姫田忠義「人はいかに生きてきたか—映像と基層文化記録の歴程—民族文化映像研究所の五〇年序説」、佐藤忠男編『日本のドキュメンタリー』3/生活・文化編、岩波書店、2010年 戻る
 
 
<映画クレジット>
 
  • 『ほたるの川のまもりびと』(2017年/日本/86分)
  • 監督:山田英治
  • プロデューサー:山田英治/辻井隆行/江口耕三
  • 撮影:百々新
  • 配給:ぶんぶんフィルムズ
  • 2018年7月7日より東京・渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

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著者略歴

  1. 北條勝貴

    ほうじょう・かつたか
    1970年神奈川県生まれ。専門は、歴史学・東アジア環境文化史。自然環境と人間とがいかなる関係を紡いできたかを、文学や宗教学、民俗学、文化人類学などと協働しつつ問い続けている。共編著に『日本史の脱領域』『環境と心性の文化史』、共著に『歴史を学ぶ人々のために』『里山という物語』など。現在上智大学文学部准教授。

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