戦う民主主義は、生きている
旧東ドイツの街で噴出した排外主義
かつてマルクスは『万国の労働者よ団結せよ』と訴えた。その銅像の前で移民排斥デモが繰り広げられる光景を見て、どこの国でも、右翼というのは何でもありだな、と思った。
ことの発端は、旧東ドイツ地域に属するザクセン州で、難民申請中のシリア人(23歳)とイラク人(22歳)にキューバ系家具職人(35歳)がナイフで殺害された事件だった。これを口実に、ペギーダ(反イスラム主義団体)やネオ・ナチらがヘイトデモを連日、主導した。当初の報道によると、レイシストが約6500人、対するカウンターは1000~1500人だったという。これを伝えるニュース報道は、どの番組も、キャスターが怒りの表情で「許されないことが起こった」「許してはならない」と語っていた。それだけでもドイツの良心を感じさせるものだった。
実は、これを煽ったのは極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」である。その後も彼らは、「身を護るために、ナイフを振りかざす難民を阻止しろ」という発言を繰り返した。これらの言葉は、そのまま移民への襲撃とリンチを肯定する言葉として流された。大衆扇動である。すかさずメルケル首相は「路上で外国人を襲撃することは法治国家として絶対に認められない」と声明を出し、ドイツ全土からザクセン州は右翼に甘いという批判が噴出した。
ファシズムに対峙する社会的な覚悟
市民の動きも早かった。すぐにカウンターが全国から1万人以上も集まり、レイシストデモの起きたケムニッツでアンティファ(反ファシズム)のコンサートが開かれて6万5000人が集い、署名は短期間で30万人を超えた。やられたらやり返す。ファシズムの台頭に対しては決して退かないという、この国の決意を感じた一週間だった。
そういえば、街中にある小さな資料館で、ナチス時代の絞首刑の写真が展示されていた。解説には「ユダヤ人を匿っていたことが発覚したため」と。その人は、いつも余分にパンを買っていたので、おかしいと思われ、通報され、公開で処刑されたのだった。その写真を見ながら、命をつなぐために、せっせと食べ物を運んでくれていたんだと思った。
その人は、そのパンをどんな気持ちで運んでいたのだろうか。受け取ったユダヤ人は、どんな思いで食べたのだろうか。そして、ユダヤ人も、ユダヤ人を匿ったドイツ人も殺された。他者を愛するものが殺される社会は間違っている。歴史教育というだけでなく、ナチスに加担してしまった加害者としての痛み、非道を止められなかった人間の卑怯さへの痛み、そして被害者としての痛みが、そこにはある。
責任の所在をあいまいにしてきたことの帰結
日本社会を見ていると、旧大日本帝国の被害者でもあった日本人という観点が、そこからは抜け落ちている。あんなひどい加害行為に加担させられた歴史への反省と、そこから汲み取るべき教訓が、戦後も国家と個人の境界があいまいなままの日本社会では醸成されなかった。「一億総懺悔」の「一億」には、植民地支配下にあった朝鮮人や台湾人の数も含まれている。誰が犯罪者なのか、何が犯罪だったのかを自らの手で解明しないままにきてしまった日本の戦後史の結果が、戦前回帰を目論む極右の台頭なのだ。
極右政党の支部が監視対象に
9月6日のニュースでは、中部ドイツのチューリンゲン州の連邦憲法擁護庁(反憲法活動を調査する機関)が、AfDのチューリンゲン支部を監視対象候補にすると発表した。これは、日本で言うなら、在特会や日本第一党と関わってヘイトを扇動した政党の事務所が、犯罪者集団として監視対象候補になったようなものだ。
ドイツの戦う民主主義は生きている。