イタリア 受刑者と歌うプロテスト・ソング
受刑者たちと抵抗の歌を
刑務所で受刑者からお土産までもらった人は、どれほどいるだろうか。
これは、受刑者の一人が作った手作りの小銭入れだ。彼らの作品は、ショップでも通常の商品並の価格で販売されている。
音楽室に行くと、刑務官と受刑者が一緒に演奏してくれて、私と友人、そしてそこにいた人たちみんなで、「ベラ・チャオ」を歌った。イタリア内戦のときに歌われたレジスタンスの歌で、後に世界中で歌われるようになった名曲だ。
Bella ciao
ある朝私は目覚めた
さらば、さらば恋人よ
そして侵略者を目にした
ああパルチザンよ、
連れ去ってくれ
死の訪れはもう遅くないから
またもし、
私がパルチザンとして帰らぬ人と化したら
あなたは私を埋めなければならない
私を山奥に埋めてくれ
さらば、さらば恋人よ
そしてたくさんの人たちが通り過ぎたら
美しき花とは何なのかを
あなたに教えてくれるだろう
これはパルチザンの花なのだ
さらば、さらば恋人よ
これはパルチザンの花なのだ
自由のために死んでいった
刑務所の中のレストラン
イタリアでは、精神病棟をなくし、精神病患者たちと社会の中で共に生きるという選択を行って久しい。私の目には、その第二段階として、刑務所を本来の目的である更生施設にしようとする試みのように見受けられた。
受刑者たちは、入所後、一定の条件が揃えば外に働きに行ける。一般の人たちと受刑者が一緒に働くミラノ市内のレストランは、料理の美味しさで評価も高い。彼らは、定時になれば、公共交通機関を利用して刑務所に戻る。
刑務所の中に設置されたレストランの料理は、さらに安くて美味しい。予約をして行くのだが、刑務所としての通常のチェックを除けば、刑務所内の施設にいるとは到底思えない。部屋の壁には脱獄をテーマにした映画『アルカトラズからの脱出』のポスターが貼ってあり、テーブルに敷かれているマットには世界中の刑務所が描かれている。もう、笑うしかない。
もちろん、料理人も、コーヒーの専門家も、ソムリエも受刑者である。しかも、顔で選んでいるのかと思うほど、みんな俳優のようにかっこいいのだ。
刑務所の外のレストランで働く受刑者
社会が変われば犯罪は減る
刑務所内に入ってまず驚くのは、受刑者服がないことだ。誰が受刑者で、誰が業者で、誰が外部の人間なのか、判別できない。広大な施設の庭では、馬の世話、植木の世話、畑での農作業など、それぞれの希望する、または得意とする作業を行い、賃金を稼いでいる。
建物の中にはパソコンが並び、受刑者の人たちが私服でオペレーターの仕事をしていた。
これではもう、通常の企業と変わらない。彼らの後ろには自動販売機があり、自由に買って飲み食いできる。機械の部品を取り扱う部屋、図書館、ブティックなどもあり、さながらショッピングモールのようだ。
クラブ活動も盛んで、陶芸や音楽のための部屋も、図書館もある。勉学のための教室もあり、提携している大学などから教師や学生が自由に出入りしている。希望すれば外の大学にも行けるのだ。
麻薬の密売で逮捕された男性は、施設内雑誌の記者兼編集者だった。もちろん、これらも賃金が支払われる。
刑務所の囚人たちが作っている新聞「CARTE BOLLATE」
私は、各部屋を訪ねるたびに「あなたは何の罪でここにいるの?」と質問した。彼らは屈託なく答え、私も会話を楽しんでいた。
ウクライナ出身の一人の青年がカウンセラーと話をしている部屋を訪ねたときも、同じ質問をした。青年は一瞬カウンセラーの顔を見たが、すぐに「殺人です」と言った。今度は私がたじろいだ。その青年は、外の大学で学ぶための準備をしているところだった。
運営関係者によると、「人生の中で、殺人を犯してしまうのはほんの一瞬であり、それが彼らの全てではないのです」と言う。そして、最も更生が早く社会に適応できるのは、殺人を犯した人たちであり、最も社会との関係を結びづらいのは「詐欺」をしてきた人たちだという言葉には、考えさせられた。
あらゆる犯罪は、社会というバックボーンがなければ生まれない。だから、社会が変われば犯罪は減る。事実、この試みが始まってから、再犯率(平均60%が、この刑務所では18%)は激減した。
イタリアの挑戦は続く。