アクロポリスに立ってみた
身近に感じるギリシャ神話
「前書き」を意味するプロローグは、実はギリシャ神話のプロメテウスからきている。
彼の弟がエピメテウス。
そう、前書きをプロローグ、後書きをエピローグと呼ぶのは、何でも前もっていろいろ考える性格の兄と、やってしまった後から考える弟のことなのだ。
その弟、エピメテウスに、ゼウスからの刺客兼贈り物として送られたのがパンドラという美女。
パンドラの「パン」は「すべて」で、つまり「すべての贈り物」という意味の名前だ。
兄弟が住む世界には「女」というものが存在しなかったため、彼は見事に誘惑される。
そして、パンドラがゼウスから「決して開けるな」と言われていた手荷物の箱を開けた瞬間、その中から病気、悪意、戦争、嫉妬、災害、暴力などのあらゆる「悪」が飛び出し、地上には悪がはびこるようになったという。
ここから「パンドラの箱」という言葉が生まれている。
ちなみに、プロメテウスは神々から火を盗んで人間たちに与えたと言われている。
智恵者のプロメテウスはゼウスとも対立するが、最後には何とか帳尻を合わせてすり抜けている。
どの話を読んでも、「あー、こんなやつ、いるいる」と感じるのがギリシャ神話だ。
ギリシャ神話をひもとくと、日本の生活の中にもその多くがつながっていることに気づく。
例えば、「アキレス腱」のアキレスも神話上の人物で、母親が、息子が不死身となることを願って冥府の河で産湯をつかわせた。
その時、アキレスの足首を持って水に漬けたため足首の部分だけ水に触れず、そこがアキレスの弱点となったというエピソードから来ている。
また、「マラソン」はアテネから約40キロ離れた地名マラトンからきている。
ペルシャ戦争(紀元前5世紀)のとき、マラトンの戦いでギリシャが勝利を収め、一人の兵士がアテネまで走り抜いて勝利を伝えたあと絶命した故事からマラソンという競技が始まった。
「オリンピック」そのものも、古代ギリシャで守護神ゼウスに捧げられたオリュンピアの祭典競技が元だ。
「モルヒネ」は、夢の神で、痛みを和らげてくれるモルペウスから来た言葉。
パトカーの「サイレン」は、歌声で船乗りを惑わす魔女セイレーンから。
とまあ、調子に乗って書いてきたが、ギリシャ神話を読んでいると、2000年以上たった今も、人間の愛欲、嫉妬、バカさ加減はほとんど変わらないのだなぁ、と感じてしまう。
「お前の民主主義はギリシャから、お前の車は……」
ドイツで排外主義者ペギーダに対抗しているカウンターが手にするプラカードには、
「お前の民主主義はギリシャから、お前の車は日本から、お前のカレーはインドから……だのにお前はまだ外国人は帰れなんてバカなことを言うのか!? 我々はみな外国人だ!」
といった言葉がよく書かれている。
そう、民主主義もギリシャ発なのだ。
私が立っているアクロポリスのパルテノン神殿の建設を指示した当時の最高権力者ペリクレス(紀元前461-429)は、民主主義を育てた人でもある。
しかし、当時のギリシャの、市民権を持つ男たちだけの特権だった民主主義の下で、あのソクラテスは有罪となった。
ナチス政権もまた民主主義の手法である選挙で成立した。
そして、その政権の意思により民族浄化の大虐殺がなされた。
もちろん安倍政権も、民主的な選挙の結果、政権を維持しているというわけだ。
プラトンがデーモクラティア(民主主義)を「愚衆政治だ!」とブチギレたのもよく分かる。
しかし、すべての人が参加できる民主主義の社会は、まだない。
そんなギリシャが、ピタゴラスもアルキメデスも輩出した。
数学で最初に習うのは、古代ギリシャの人々から贈られた知識なのだ。
遺跡の中に街があるようなアテネの街を歩き、神殿の前に立った時、人間の歴史は続いているということ、文化に国境はないこと、そして、歴史を学ぶということは、人間が繰り返してきた恥ずべきこと(殺戮)を学んで反省することなのだと感じた。
帰り際、タクシーの運転手とギリシャの歴史談義になったとき
「歴史は、すべて強者の側が書くものですよ。ギリシャがなぜ多神教と言われるのか、それを奪われる側の視点からぜひ、見てください」
と言われた。
400年にも及んだトルコの植民地支配の下でも守り続けたギリシャの文化を、もう少し学んでみようと思った。
〔ドイツの土産物屋に置いてあるプロテストのハガキ〕
〔アクロポリスでの写真〕
■写真はいずれも著者撮影