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連載 デルクイ

あなたを忘れない

惨劇の記憶

  ベルリンの教会の横にあるこの線を見て、何だと思うだろうか。

  2年前(2016年)の12月19日の夜、この近くのクリスマスマーケットの会場に大型トラックが突入し、12人が死亡、50名以上の負傷者が出るという事件があった(この事件について、当初はテロだという報道もあったが、今ではそのような見方は否定されている)。この線は、そのときの、トラックが露店に突っ込んでいった軌跡を示しているのだ。よろよろと突っ込んでいったかのような軌跡が銅か何かで埋め込まれていて、その先の階段には犠牲者たちの名前が刻まれている。

  キリスト教国でのクリスマスは、日本の、あのキンキラキンのお祭りのようなものとは少し違う。だいたいひと月前から、あと4週間、あと3週間とカウントダウンしていき、家には少しずつ飾り付けがされ、スーパーにはクリスマスプレゼントが山積みになる。

  それぞれの地元に、小さなクリスマスマーケット(日本でいえば縁日のようなもの)ができ、家族連れが訪れ、小さなスケートリンクで遊ぶ子どもたちの姿を大人たちが笑顔で見つめ、グリューワイン(温葡萄酒)を飲んだり、ソーセージを食べたりと、なんとも心あたたまる空間なのだ。基本的には静かで質素である。

   ベルリンは、大都市ということもあって、マーケットも大きかった。そのため犠牲者も多く出て、喜びの時間が、一瞬にして哀しみの時間に変わっていったのだ。

 あれから二年。いまでもその現場には、写真や花が置かれ、ろうそくが灯されている。忘れてはいけないという思いを込めて。

 階段には犠牲者の名前が刻まれている。

 「記憶の保持」活動

  トラックで人混みに突っ込んで殺傷するという手法を衝撃的に世に送り出したのは、秋葉原での無差別殺傷事件(2008年)だろう。あれ以来、新たな大量殺戮の手法として、世界各地で行われるようになった。

 しかし今、秋葉原に行ってこの事件を思い出す人がどれほどいるだろうか。そして、失われた命に対して祈りを捧げる人が、どれほどいるだろうか。

 辛いこと、しんどいことは思い出したくない。そういう気持ちは私も十分理解している。しかし、同じ悲劇を繰り返さないために、繰り返しそれを記憶に留める作業を続けることにも、社会的に大きな意味がある。

  このような事件であっても、人々が、失われた命に対して思いを持ち続ける姿勢に、大事なことだな、と思った。

  紛争地帯を例に挙げるまでもなく、多くの命が虫けらのように殺され、思い出されることもないというのが、いま私たちが生きている世界だ。名前も知られず、数にすらカウントされないまま殺されていく人々を思う。ドイツでの「記憶の保持」活動は、「躓(つまず)きの石」のムーブメントと連動しているのだろうか。

  かつて、街からユダヤ人が連行され殺されたという事実を、彼らが住んでいた家の前に銅板で埋め込むという活動がある。ベルリンの街を少し歩くだけで、嫌でも埋め込まれた銅板が目に入る。その数から殺された人数の多さを知り、刻まれた文字から、ここに住んでいた◯◯さんは××年に連行され、どこそこの収容所で殺されたのだなぁ、という事実を知る。

  その事実が、否が応でも心の奥に突き刺さってくる。ああ、きっとその日、この扉をその人は開けて、この階段を降りて連行されて行ったのだ、と。そう思うことで、歴史と自分がつながっていく。

  忘れないでいることこそが、失われた命を、別の形で生かし続けることなのだと思えてならない。他人事ではないと思うところから、社会は、少しずつ大人になるのかもしれない。

  躓きの石

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著者略歴

  1. 辛淑玉

    1959年、東京生まれ。在日三世。人材育成コンサルタントとして企業研修などを行なう。ヘイト・スピーチに抗する市民団体「のりこえねっと」共同代表。2003年、第15回多田謡子反権力人権賞、2013年、エイボン女性賞受賞。著書に、『拉致と日本人』(蓮池透氏との対談、岩波書店)、『怒りの方法』『悪あがきのすすめ』(岩波新書)、『鬼哭啾啾』(解放出版社)、『差別と日本人』(野中広務氏との対談、角川書店)など多数。

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