テレビっ子になった
率直なものいいの料理番組
ドイツに来てから、よくテレビを見るようになった。こちらのテレビは面白い。
お気に入りは料理番組。せっせと作った創作料理を毎回いろんな人に試食してもらうの
だが、「まずい」とか「盛り付けがイヤ」とか、試食者が、自分の口には合わないということをちゃんと言うのだ。
出されたものを、何でも美味しいとか言わない番組ばかりを見せられてきたせいか、最初は戸惑った。しかし、すべての人が美味しいと思う料理を出すなんて、多様な人が生きる社会では至難の技だろう。料理人も、「さ、次は頑張るぞー」と、至って前向き。
健康体操とか踊りのレッスンなども、女性が先生で男性が生徒というシーンがあって微
笑ましい。しかも、男性が一生懸命。
レッスン
週末の夜になると政治風刺がすごい。一週間働いた後は、ビールを飲みながらみんなで政治の悪口を言って発散するのだ。
私の目から見るとメルケルは本当によく頑張っていると思うのに、ここではコケにされていて、見るのが辛い。でも、政治家とは批判されてなんぼの職業だから、これも当たり前の光景なのだ。
差別/反差別をセットで伝える
ニュース番組から、きちんと「怒り」が感じられるのも好きだ。
反ユダヤ主義の事件が起きたときは、ユダヤの帽子「キッパ」を被って差別反対デモが行われた。ユダヤ教徒でない人も被ってのことだ。デモの参加者の中にはイスラム教徒もいて、ブルカの上にキッパを被った姿が印象的だった。
反ユダヤ主義の事件を報道するときは、必ず抗議行動も同時に報道する。差別に立ち向かう人がこんなにいるんだ、と、勇気が百倍になる。
いつだったか娯楽番組でタレントが差別ジョークを飛ばしたことがあった。「ポーランド人は、ドイツに来ると2台の自転車を盗む。ポーランドに持っていくと1台はロシアに盗まれるから」と。これは権力者への批判ではない。レイシズムだ。その後の視聴者からの批判の嵐はすごかったという。
要は、差別的なものはどこであっても再生産されるが、ドイツでは、それを許さないという人間の社会としてのたたずまいが、あちこちで感じられるのだ。
不正義/不条理への理解たすける
5月14日、アメリカが在イスラエル大使館をエルサレムに移転した日の報道はすごかった。米国のその行為が、あまりにも世界平和に逆行しているからだ。
ガザ地区で起きた非武装の抗議デモにイスラエル軍が発砲し、60人以上が死亡、2800人以上が負傷した。イスラエルによる経済封鎖によって最低限の医薬品も不足しているというガザの医療体制を考えると、死者はさらに増えるはずだ。
英国BBCの放送からは、イスラエル首相ネタニヤフの高揚感あふれる姿が映し出された。その映像と、他局で流れる、ガザで殺戮される人々の映像が、同時に届く。
いくら対等な衝突だと解説されても、何が起きているのかは瞬時に理解できる。まごうかたなき虐殺であり、民族浄化である。
さらに、一週間前にアメリカがイランとの核合意を離脱して、イランと取引する国や企業に経済制裁を加えると発表したニュースも再度流された。
分かりやすい。
6月12日にシンガポールで行われる米朝会談の主なテーマは、北朝鮮から流出する核技術の抑止だ。それは、イスラエルへの脅威を取り除くことにつながる。
北朝鮮の核技術は、イランの資本によりシリアに流れていた。そして、シリアはパレスチナを支援する国家の一つだ。しかもイスラエルの喉元に位置している。
イスラエルは以前から北朝鮮を味方にしたかったが、うまく行かなかった。だから米国の力で核の輸出元を押さえ、次はカネの出口を叩く。そう、イランだ。
北朝鮮との和平はイスラエルを助けるが、米国の戦争商人には次のマーケットの開拓が必要になる。だから、イランに濡れ衣を着せてでも戦争がしたいのだろう。
文句をいう国や企業には「イランを助ける奴ら」というレッテルを貼り、課徴金もせしめることができる。もちろん日本企業も例外ではない。
在庫処分したい不良軍需品は日本に押し付けて、さらに需要を高めるために敵を創出する。人間の顔をした悪魔とは、まさに現在のアメリカのことなのだと思えてならない。
そんな図式が、どんな政治音痴でも一瞬にして理解できるヨーロッパの報道ってすごいのか、これが普通なのか。
テレビっ子の私は、今日も考える。
イスラエルのネタニヤフ首相
米大使館をエルサレムに開設した日。英語で演説していた。米国向けに。
(写真撮影/筆者)