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連載 デルクイ

セックスワーカーから見えるヨーロッパ

 

   デュッセルドルフ中央駅からケルン方面に向かう電車に乗ってしばらくすると、色とりどりの窓枠の建物が見えてくる。
 
 これは、公的に運営されている性的サービスの建物だ。この手の法律問題には詳しくないが、ドイツでは、個人がいわゆる「売春」をすることは合法なのだという。各部屋の女性は個人経営のオーナーで、家賃を払って店を開いている。

 性的サービスの提供は商売として許されるが、お客との間にブローカーや中間搾取業者が入ることは違法だという。つまり、個人の自由を侵さないことが条件らしい。
 
 正直言うと、この法制度をどのように理解していいのか、よくわからない。ただ、電車で通り過ぎるたびに、窓越しに腰掛けている女性たちを見ると、なんとも言えない気持ちになる。セックスワーカーという仕事を、私は、たまたま選ばず、選ばされずに済んだだけだと感じているからだ。
 
「飾り窓」からのフラッシュモブ
 
 数年前、オランダのアムステルダムの買春街(飾り窓地区)で、女性たちによるフラッシュモブがあった。YOUTUBEでも紹介され、当時かなり話題になった。

 

 商品として飾られていた女性たちがセクシーで力強いダンスを披露したあと、建物の上に彼女たちのメッセージが流された。
 
『Every year, thousands of women are promised a dance career in West Europe. Sadly, they end up here.』(毎年何千人もの女性が西ヨーロッパでのダンスの仕事を約束される。そして悲しいことに、彼女らは最終的にここに行き着く。)
  
 そう書かれたメッセージを見て、最初は楽しそうに見ていた男たちの顔が、やがて身の置きどころのないような表情に変わる。
 
過酷な立場に置かれるのはいつも〝余所者〟
 
 セックス産業は個人が自由意志で行うもので、それは尊重されるべきだという、オランダの、いや、ヨーロッパの価値観は、今も不変だ。しかし現実には、セックスワーカーそれぞれに、事情は異なる。
  
 ドイツ生活のアドバイスとして、「夜になると、×××通りには売春婦が立つから気をつけて」と、何度か親切な忠告を受けたことがある。
 
 そのたびに、暗い通りの陰に立っていた何人かの女性を思い出した。本人に確認したわけではないが、言葉のイントネーションと容姿から、ドイツの周辺諸国から来た女性のように見受けられた。
 
 そして、危険なのは、何の保護もないまま見知らぬ客を取らねばならない彼女たちの方だろうと思った。彼女らには、法的な保護や、ドイツ市民としての「人権」はない。彼女たちからすれば、ヨーロッパ共通の理念である「人権尊重」なんて、一部の人だけのもので、まさに既得権そのものだろう。
 
 いつだって、より過酷な状況に追いやられるのは圧倒的に「余所者」たちで、彼ら、彼女らを法的に保護しないための言い訳が「不法」という枕詞だ。
 
自身の足下の抑圧に気づかない矛盾
 
 いまヨーロッパを見渡せば、多くの国が右傾化し、移民排斥に舵を切っている。しかし移民は、欧米による侵略の歴史が生み出したものではないか。だのに、己の欲得のために、移住者を、あらゆる理由をつけて追い返すことに汲々としている。
 
 合法とされるオランダの「飾り窓」の女性たちも、その肌の色、民族、出身地は多様だ。そして、少なからぬ数の女性が望んでではなく飾り窓に飾られ、あるいはその窓からもはみ出して、危険視されながら生きざるを得ないというのが、リアルなEUの姿だと私は思う。
自身の足下で繰り広げられている女の抑圧には耳を貸さないヨーロッパのキリスト教国の為政者たちは、なぜかイスラームの女性がかぶるヒジャブには、女性が抑圧されていると叫ぶのだ。
 
 申し訳ないが、ヒジャブに宗教的な象徴性などない。むしろ文化と言っていいだろう。言葉を変えれば、ただのスカーフだ。女の身体を商品にしている国々が、スカーフ一枚を「女性差別」だと叫び、彼らの文化を、いや、人間性を徹底的に否定している。彼らは、この矛盾を決して認めようとはしない。  
 

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著者略歴

  1. 辛淑玉

    1959年、東京生まれ。在日三世。人材育成コンサルタントとして企業研修などを行なう。ヘイト・スピーチに抗する市民団体「のりこえねっと」共同代表。2003年、第15回多田謡子反権力人権賞、2013年、エイボン女性賞受賞。著書に、『拉致と日本人』(蓮池透氏との対談、岩波書店)、『怒りの方法』『悪あがきのすすめ』(岩波新書)、『鬼哭啾啾』(解放出版社)、『差別と日本人』(野中広務氏との対談、角川書店)など多数。

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