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連載 デルクイ

ARMYは家族の一員 〜BTS(防弾少年団)から日本と世界を見つめる(4)

 私がBTSについて語ると、友人たちは一様に目を丸くする。以前、「好きな歌手は北島三郎」と言ったとき、東方神起ファンの北原みのりは呆然とし、同席していた雨宮処凛は必死に笑いをこらえていた。

 友人たちからすれば、「北島三郎」と「BTS」がどうつながるのか、理解に苦しむのだろう。

 私は、北島三郎(1936年10月4日生)の一生懸命さと、歳を重ねても衰えない歌唱力に脱帽しているのだ。それを維持するためにどれほどのボイストレーニングが必要なのかを想像すると震える。生活が乱れたり、ちょっと手を抜けばすぐにバレてしまうのが歌唱力の衰えだからだ。

 また、故・三波春夫(1923年7月19日-2001年4月14日)は、歌唱力に加えて終生反戦を貫いたその生き方も好きだった。

 私にとっては孫の世代のBTSも、彼らの延長線上にあるのだ。この三者に共通して感じられるのは、地方から出てきて、苦労して頑張って、プロ意識を持ち、成功してもなお他者へのいたわりを忘れないところだ。そう、一生懸命で、けなげなのだ。

ファンではなく「仲間」、そして「家族」

 BTSを説明するとき、「幼稚園を想像してほしい」と私は言うことにしている。幼稚園で友達が泣いているとき、そばに寄ってきて、飴をあげたり、変顔したり、でんぐり返りをしたり、できることを何でもやって一生懸命なぐさめようとしている男の子たちがいて、やっとその子が泣き止んで笑顔が出てきたら、みんなで喜んで泣いちゃう」。そんな風景が、私にとってのBTSなんだと。

 彼らは、今までの「スターとファン」という関係ではなく、一緒にスターダムに登っていく仲間、家族という感じなのだ。家族だから「失敗」もあれば「相談」もし、ときには「泣き言」まで言っちゃうという……。ファンとの関に信頼と安心がある。

 私の知る限り、ファンに対して「家族」というキーワードを最も早く口にしたのは、ドラマ『冬のソナタ』のぺ・ヨンジュンだった。当時のファンイベントで、「皆さんは私の家族です」と言ったことが話題になった。多くの女性が感動したのだ。韓国的には違和感がない言葉だが、当時の日本社会では新鮮だった。

 思えば、日本に嫁いできた韓国の女性が一様に口にするのが「(日本人には)情がない」だった。他者との距離感が日本と韓国では全く異なるからだ。詩人でハンセン病回復者の桜井哲夫さんが、韓国に行ったとき、道行く人が「おお…おお…」と彼に近づき、覆いかぶるように抱きしめながら、「こんな体でよく生きてきた」「アイゴー」と泣くのだ。

 日本人の、なるべく触れないでおこうとする優しさとは表現が異なる。どちらが良いというわけではないが、生きるのが苦しくなればなるほど、人は、人肌が恋しくなる。抱きしめて、抱きしめて、抱きしめられて育つことが、生きるために必要なのだと思う。家族と言われて感動した友人たちの家庭に問題があるというわけではない。ただ、少なからぬ人が、安全で安心な空間として「家庭」や「家族」を求めていたからこそ、「家族」という言葉にあれほど反応したのだろう。

スターとファンの垣根

 一般的に、アイドルやスターの作り方は、「提供する側」と「消費する側」に別れていて、そこには犯してはならない一線があった。イメージを作り上げて売り始めたら、それを、私生活をも含めて守らなければならない。芸能人は夢を与える職業だからだ。


 圧倒的な歌唱力で、今も人気の玉置浩二(安全地帯)などは、三枚目の人柄が、あまりにも歌とギャップがあるからという理由で、テレビ出演のときは「発言禁止」がでていたという。しかし、近年、自由に語りだした彼は、さらに魅力的になった。ユーチューブで流れている晩年の香港公演(特に「行かないで」)は伝説になったほどだ。

 その垣根を越えたように見えたのは、日本ではSMAPの登場からだった。アイドルでありながらそれぞれの個性を尊重し、コントもやり、親近感満載だった。その成功モデルを踏襲したのが「嵐」や「TOKIO」ではないだろうか。しかし彼らは、本音でファンと語り合うようにはならなかった。やはり彼らの日常はベールの中にあった。

素のままの姿をSNSを通じて発信

デビュー当時の宿舎。ひとつの部屋に2段ベッド3つとベッド1つ

 BTSの伸びしろが大きいのは、K-POP自体、デビュー段階で歌も踊りもある程度仕上げて市場に出すからだけでなく、ファンを自分たちの世界に「参画」させたからだ。

 SNSの発達が、それを技術的に可能にした。2013年のデビュー前から、彼らはSNSデビューをしていた。練習後の感想をスタジオで語ったり、ときには、「お母さんに会いたい」と言ったり、小さな部屋の二段ベットに詰め込まれて7人が肩を寄せあって寝ている姿や、練習に明け暮れる姿など、たどたどしく語る彼らは、自分たちの素をさらけ出していた。

BTSデビュー一周年の誕生会 宿舎で

 大手事務所でもなく、ハイカラな都会育ちでもなく、そこにあるのは、思いと、努力と、素のままの自分だけだった。

 お誕生会を、小さな部屋で、手作りの料理で、7人で祝うその映像を見るとき、自分も一緒に座って祝ってあげたい気持ちになる。食べ方も、10代の男の子そのままで、テーブルマナーからは程遠いけれど、それゆえに気取らず、美味しそうに分け合って食べている彼らの姿に、ああ、お腹いっぱい食べるんだよ、と、つい言葉が出てしまう。

喜びも悲しみも分かち合う

 デビュー当時の彼らの夢は、単独コンサートができたら嬉しい、音楽番組で一位を取りたい、できれば賞をとりたい、と、今の彼らからすれば、おそろしいほど謙虚な目標だった。

 JINやJ-hopeは、コンサート会場に親が来ていたとき、ARMYとの会話の中で、そのことを告げ、どこにいるの?と親を探した。そして「親にとって誇れる息子になれたような気がして嬉しい」と涙ながらに語った。SUGAは、両親の姿を見てステージで突っ伏した。

 それは韓国式のお辞儀(クムチョル)でもある。Vは、亡くなった祖母が、自分がテレビに出ることを楽しみにしていてくれたと泣きながら話した。ARMYたちは、彼らと悲しみも喜びも分かち合っていた。身内の話を語り合える関係なのだ。


 2016年11月12日コンサート会場にて

 メンバー同士で言葉にしづらいことも、ARMYの前では彼らは自然と言えた。照れ屋のJIMINは、「あらゆるものが足りない自分を、メンバーが支えてくれたから今日の僕がある」と言って、メンバー全員が見える位置に移動し、これも泣きながら一言、一言、言葉を紡ぎ出していた。

 ふと、こんなプライベートな感情を、赤の他人が聞いてていいのかなぁと思うくらい、彼らはARMYには心を開いている。コンサートの最後には、いつも7人が手をつないで深々とお辞儀をする。しかも多方向に。お辞儀は欧米では日常的ではないが、その姿に心打たれる人も多い。

心を開き、安心できる場所

 「家庭」「家族」というものが崩壊して久しい。新自由主義が跳梁跋扈する現代、格差は広がり、紛争や戦争、貧困の連鎖によって、世界のあちこちで、いたわりあえる関係が破壊された。

  ARMYになることは、BTSという暖かい家庭の一員になることだ。そう、人によっては恋人として、または兄弟姉妹として、あるいはパートナーとして。彼らは、決して自分を傷つけず、どんな状態であっても拒まず、威張らず、支配せず、励ましてくれて、弱音を見せてくれて、心を開いて向き合ってくれる。

 さらに、ARMY同士が手を取り合って相談したり、寄付をしたり、情報を交換したりする「家族」にもなっている。メンバーのお誕生会を自分たちの地域で開催してARMY同士で盛り上がるイベントが世界中で行われているのだ。それは見事なシスターフッドだ。

 そんなARMYの姿を見ていると、人は、他者に優しくありたいと心の底では願っているのだと思えてならない。

 

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著者略歴

  1. 辛淑玉

    1959年、東京生まれ。在日三世。人材育成コンサルタントとして企業研修などを行なう。ヘイト・スピーチに抗する市民団体「のりこえねっと」共同代表。2003年、第15回多田謡子反権力人権賞、2013年、エイボン女性賞受賞。著書に、『拉致と日本人』(蓮池透氏との対談、岩波書店)、『怒りの方法』『悪あがきのすすめ』(岩波新書)、『鬼哭啾啾』(解放出版社)、『差別と日本人』(野中広務氏との対談、角川書店)など多数。

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