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連載 デルクイ

トルコ・エルドアン大統領の後ろに見えるEUの欺瞞

エルドアン政権下で進む大弾圧
 
 トルコでは人権侵害がすさまじい勢いで進んでいる。クーデター未遂事件が引き金となって始まった大弾圧で、9万人以上の公務員が解雇され、大学も、報道機関やNGOも潰され、ジャーナリストや反体制派とされた人々が10万人以上も(一説には20万人とも)拘束されている。司法はすでに機能しておらず、拷問も横行している。
 
 先日トルコで数名にインタビューしてきたが、彼らは、ツイッターのようなSNSに反政府的なことを書いたら「生きていけない」、と語っていた。そして、「少し冷静に見ればエルドアンがどれほどすさまじい独裁者か分かるのに、支持者がいるんだ」とため息をついた。
 
 私の目には、エルドアンの支持基盤は強固に見える。不正選挙などしなくても彼は政権を維持しただろうと感じる。それは、長い間奪い取られ、見捨てられたてきた人たちの思いがエルドアンの登場で結実したからだ。
 
トルコ近代化とイスラム排除
 
  岩場の上に掲げられたトルコ国旗
 
 トルコ国旗は、戦争で大量の人が死に、川が血で真っ赤に染まり、そこに月と星が映ったのをかたどって、赤地に月と星になったのだという。人々の犠牲の上に今のトルコがある。だからこそ、人々はこぞって国旗を揚げたがるのだと。
 
 この国旗とアタ・テュルク(「トルコ人の父」の意)はいつもセットだ。オスマン帝国の将軍だったムスタファ・ケマル・アタ・テュルクは、第一次世界大戦での敗北後、ヨーロッパをモデルとした世俗主義的な近代化路線を推進した。それは、近代的な組織体制をもつ軍を中軸として、トップダウンでヨーロッパ型の近代国家を建設しようとしたもので、そのためイスラム的なものには鍵をかけた。
 
 軍を近代化の中心に据えるのは出遅れた後発国家に共通する現象で、ナセルのエジプトや明治の日本などもそうだ。また、限られた資源で近代化を急ぐとき、そこでは必ず「選別」が行なわれる。振り落とされるのは、教育のない農民や職人たちだ。他方、近代化と資本主義の恩恵を受けることができたのは、軍人、経済人、官僚とその親族、つまり、高等教育を受ける機会を得た人々だ。彼らには脱イスラムも容易だった。
 
 それは同時に、トルコではエリートによるイスラム排除が100年続いたということでもある。トルコのエリートは、右も左も世俗主義(反イスラム)という点で利害が一致し、伝統的イスラム教徒である一般大衆を抑圧、支配してきた。
 
非エリート層の代弁者、エルドアン
 
 残念ながら、私が出会ったエリートの人たちには、貧乏人の声に耳を傾ける姿勢も、抑圧してきたという自覚もまったくなかった。むしろ、エリートが上から愚かな大衆を指導するのだというメンタリティにどっぷり浸っている感じすらした。
 
 長い間、庶民は豊かさの輪に入ることができなかった。そんな彼らの生活を支えてきたのは、まさにイスラム的な文化と人的ネットワークなのだ。
 
 それでもやがてトルコも含む開発途上国の経済的地位が上昇し、大衆社会化が進むとともに高等教育が普及し、大衆の経済的地位も上がってきた。
 
 エルドアンはこうした状況の中で登場した。彼は「公正発展党」を組織し、一般大衆=イスラム教徒たちの支持をかき集め、反エリート主義を前面に掲げ、エリートを嫌悪してきた大衆の理解者として権力を手に入れた。ドイツにいるトルコ系の人たちの多くがエルドアンを支持しているのも、ドイツ社会で差別され排除されてきた歴史があるからだ。
 
 奪われし者たちは、エルドアンのおかげで、自分たちの声にもエリートたちのそれと同じ価値があるのだと気づき始めたと言ってもいい。自信を得たトルコ大衆のメンタリティこそが、エルドアンの政治資源なのではないだろうか。
 
 大衆にとって、エルドアンは非エリート層の代弁者そのものなのだ。
 
帝国支配的人権思想VS反帝国主義の人権抑圧
    イスタンブール・バザールの中
 
 EUは、この「エルドアン的」な大衆心理が嫌いだ。それは生理的嫌悪と言ってもいい。世俗主義であることが、EUが安心してトルコと付き合える理由だった。キリスト教国にとって、軍事政権でも何でも、世俗主義ならOKだったのだ。
 
 そんな下心をエルドアンは見抜いている。彼は、先進国は人権を建前に使って自分たち途上国を抑圧しているという論法を駆使して大衆をコントロールしている。
 
 そして、そんな詭弁が通用する原因を作ったのは、人権思想を帝国主義的支配の手段にしてきたヨーロッパの二重基準だ。
 
 いま、表には普遍的価値を掲げながら、裏では帝国主義的支配を続ける欧米先進国に対して、反帝国主義の名の下で普遍的人権を抑圧するポピュリストの指導者たちが続々と登場している。トルコのエルドアン、ロシアのプーチン、フィリピンのドゥテルテ、ブラジルのボルソナロもそうだ。
 
 残念ながら、このボタンをかけちがえたままの対立は、これからも続くだろう。
 
 
 
 
 
 

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著者略歴

  1. 辛淑玉

    1959年、東京生まれ。在日三世。人材育成コンサルタントとして企業研修などを行なう。ヘイト・スピーチに抗する市民団体「のりこえねっと」共同代表。2003年、第15回多田謡子反権力人権賞、2013年、エイボン女性賞受賞。著書に、『拉致と日本人』(蓮池透氏との対談、岩波書店)、『怒りの方法』『悪あがきのすすめ』(岩波新書)、『鬼哭啾啾』(解放出版社)、『差別と日本人』(野中広務氏との対談、角川書店)など多数。

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