ドイツ人のニンニク嫌い
ニンニクと移民アレルギー
「郷に入っては郷に従え」と言うが、ドイツに来てからの一年間、多くの友人知人がドイツ社会のさまざまなルールを教えてくれた。
その一つに、「ニンニクを食べて人前に出てはいけない」という暗黙の掟がある。ドイツ人は昼食にニンニクは食べないとか、いわゆる公的な空間ではニンニクの臭いをさせないのがマナーであると。
確かに、ドイツ料理のレシピにニンニクはほとんど使われない。しかし、ニンニクは移民の食卓には欠かせない食材なのだ。
かつて、日本でも「朝鮮人はニンニク臭い」と蔑視する行為が横行した。私は、無意識のうちに、ニンニク入りの料理は金曜の夜だけ食べるようにしていた。土日で匂いを消すためだ。
ドイツでも移民差別の口実に「ニンニク」が使われたことに、ちょっと苦笑いが出た。アドバイスしてくれる人たちに「どうしてニンニクがダメなの?」と問い返しても、ドイツだからというだけで、ニンニク嫌いがそのまま移民排斥の歴史に通じていることを知る人は少ない。同僚の研究者は、徐々に食文化が融合したことや、自分たちもニンニクを食べるようになったことで、移民に対するアレルギーとともにニンニク嫌いも減ってきたという。しかし、そのためには半世紀以上もの時間が必要だったと。
朝、親や祖父母が作る食事からニンニクの臭いを消す努力を人知れずしていたであろう、移住二世や三世たちの姿が思い浮かんだ。間違ってニンニク入りの料理を口にして「あっ」と思ったときの、なんとも言えない不安感を想像するだけで胸が締め付けられる。
伝統的なドイツ料理
トルコ人は欧州になじもうとしないのか?
ニンニクだけでなく、移民に対しては、まことしやかなフェイク言説が溢れている。その代表が、「トルコ人はドイツに馴染もうとしない」「トルコ人はいつまでも古い習慣にしがみついて、自分たちの世界に閉じこもっている」だろう。
戦後ドイツで最初の外国人労働者は、イタリアから来た季節労働者の「夏のアイスクリーム売り」だったという。その後、トルコや韓国、ポーランドなどの旧共産圏など、経済的に困窮している国から多くの人たちがやってきて、ドイツ経済を下支えしてきた。
データを紐解くと、戦後、労働者としてドイツに来た人たちはまさに奴隷労働で、住まいもタコ部屋状態だった。そして、そこから這い上がろうとしても、ドイツ社会が彼らを受け入れなかった。その端的な例が「住居」である。当時、トルコ人に家を貸すオーナーはほとんどいなかった。必死にお金を稼いでも、生活を豊かにする選択肢はほとんどなかったのだ。貧しい集住地域ができたのは、排除と差別の結果だろう。そして、就職、昇進、結婚と、様々なところで壁にぶつかる。大衆レベルで徹底して彼らを排除してきたのはドイツ社会の方だ。
こうした経緯は、トルコのEU加盟が何度も先延ばしにされている状況と似ている。 トルコは、EUのメンバーになるために、世俗主義を取り入れ、凄まじい努力をしてきた。しかしEU側は、トルコ的な文化を徹底的に排除した上でないと受け入れないというかのように、何度もハードルを上げてきた。そこでは、トルコ国内の「人権侵害」という、ヨーロッパ社会の錦の御旗も使われた。
夏のアイスクリーム売りはかつての移民たちの仕事
それでも、トルコで死に、眠りたい
EUがトルコに徹底的な同化を強いるのは、最初から受け入れるつもりがないからだ。どこから見ても、EUの側に、イスラムを理解しようとする姿勢が欠けている。イスラム文化に対する尊敬などないと言えるし、むしろ嫌悪感だけがオーラのように湧き出ている。
いま、ドイツでは、政官界も含め、あらゆる分野で多様な出自の人たちが活躍している。日本で言えば公安警察にあたる国家公安局のナンバー2にトルコ系の人がいるというのも、すごいなぁと感じてしまう。しかしそれらは、いまも続く差別意識との闘いの中で勝ち取られたものだ。
その上で、ドイツ在住のトルコ人の9割以上が、お墓はトルコに作るという。排除された者にとって、ドイツは生活の場ではあっても、死に場所にはなり得ないのかもしれない。
人々が簡単に口にする「ニンニクの匂いをさせてはいけない」というのは、移住者の存在を根底から否定する一撃なのだ。これを差別者が理解しない限り、乖離は続くだろう。