WEB世界

雑誌『世界』のWebマガジン

MENU

連載 デルクイ

ドイツへ

 ドイツで集中的に学んでみようと思うきっかけとなった出来事が二つある。

 故金大中元大統領の誘拐事件と、2015年に「のりこえねっと」ドイツを立ち上げるためにドイツに滞在したとき、現地在住の韓国人たちと出会ったことだ。

 1973年、朴正煕の最大のライバルであった金大中氏が当時のKCIAによって千代田区のグランドパレスホテルから拉致され、大きなニュースになった。米国の意向で、その場での殺害は免れたが、その後、金氏は韓国で死刑判決を受けた。日本政府は、自国の主権を侵害されたのに韓国に抗議することもなく、政治決着で片付けた。

 この事件で私は、「日本で朝鮮人が誘拐されても、日本は守ってくれないんだ」という恐怖感を覚えた。韓国政府にとって在日は、必要ならいつでも犯罪者にできる存在だった。

 自分は絶対に拉致されることなどない、という安心感に包まれて金大中救援活動をしている日本の人々と、私は立場が違うのだと認識させられた。

 後に、東京で作曲家の尹伊桑(ユン・イサン)氏(1917-1995)と食事をした時、1967年にユン氏が西ドイツでKCIAに拉致された際、西ドイツ政府は国交を断絶するとまで言って尹氏を奪還したことを聞いた。そこには多くの芸術家や市民たちの力もあった。日本とドイツの、この違いは何なのかと思った。

 そして2015年、反ヘイトの市民団体「のりこえねっと」ドイツを立ち上げるために、私はデュセルドルフに向かった。そこで、1960年代に「輸出商品」として韓国からドイツに送られた男性炭鉱夫と女性看護師に出会った。

 彼らとの会話の中で、ドイツの職場の同僚たちが、「あなたはいくらもらっているの?」と尋ねてきて、「それは低すぎるわ、交渉しましょう」とか「あなたには○○○の権利があるのよ」といった助言をしてくれて、全てが平等に扱われるようになって驚いたというエピソードを聞いた。

 そして彼らは、「私たちは当初、一日でも早く故郷に帰ろうと思っていました。しかし、韓国に降り立った途端、今度は一日でも早くドイツに戻りたいと思うようになったのです」と語った。

 彼らの子どもたちは、それぞれドイツの大学に進学したという。(ちなみに、ドイツは大学も受業料は無料。ただし、卒業するのは難しい。)

 早くドイツに帰りたいと思ったと語る彼らの笑顔に、どんな社会環境ならそんな言葉が出てくるのだろうかと思った。

 2017年の年末、私はデッセルドルフ近郊の役所で住民登録をした。その場で「ようこそ」と言われ、バッグやカレンダー、図書館やプールの割引券など、ワンセットをプレゼントされた。銀行口座を開きに行くと、また「この街にようこそ」と言われて、握手を求める手が目の前に来た。

 そして、私が同行をお願いした通訳者に「彼女は、今少し(あなたの)助けが必要です(了解してくれますねの目配せ)」と。私が一人で手続きするのは大変だから、ちゃんと助けてあげてねという意味だと、すぐにわかった。

 日本とのあまりの違いに面食らった。

 私のドイツ生活は、ここからスタートした。


ドイツで暮らすことになった部屋の窓から

ドイツで暮らすことになった部屋の窓から


バックナンバー

著者略歴

  1. 辛淑玉

    1959年、東京生まれ。在日三世。人材育成コンサルタントとして企業研修などを行なう。ヘイト・スピーチに抗する市民団体「のりこえねっと」共同代表。2003年、第15回多田謡子反権力人権賞、2013年、エイボン女性賞受賞。著書に、『拉致と日本人』(蓮池透氏との対談、岩波書店)、『怒りの方法』『悪あがきのすすめ』(岩波新書)、『鬼哭啾啾』(解放出版社)、『差別と日本人』(野中広務氏との対談、角川書店)など多数。

閉じる