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連載 デルクイ

パリ バラバラ

貧しくなったパリ
 
ルーブル美術館/ミケランジェロの彫刻 〈奴隷〉
 
  20数年ぶりにパリを訪れた。パリ北駅を降りて、数日間市内を歩いて思ったのは、あぁ、貧しくなったなぁ、ということだ。いわゆる「先進国」でもここまで落ちるのかと、何とも言えない気持ちになった。
 
  私が滞在したホテルの近くで日本人らしい観光客を見かけることはなかった。このあたりは、日本の旅行雑誌には決まって「危険な地域だから近づかないように」と書かれているからだ。そこで朝も晩も飯を食い、飲みにも行き、夜中に買い物などしている私は危険人物なのだろうか。
 
  パリで最もスリや犯罪が多いのは実はシャンゼリゼ通りをはじめとした観光地なのだが、そうした予断に満ちた言説が振りまかれるのは、なにもフランスだけの話ではない。かつての香港の九龍城なども同じ。そうした地域に共通する特徴は、差別と激しい経済格差だ。
 
限られたパン。より弱いものが犠牲に
 
  ところで、汚い話だが、今回のパリ滞在中、何度も外で用を足している人を見た。中には、大便の人もいた。あぁ、と思った。
  フランスに限らず、ヨーロッパのトイレはほとんどが有料だ。50セントから1ユーロが相場で、無料のトイレはほとんどない。しかも、ヨーロッパの中でもフランスは最もトイレ事情が悪い。そうすると、おのずと街中での「雉撃ち」になってしまうのだろう。
 
  パリでは昨年末からデモが頻発している。約29万人が参加し、死者も出た「黄色ベスト」デモ(燃料価格高騰に対する生活を賭けた抗議)は日本でも大きく報道された.
今回の一連のデモの参加者には、もともとマクロン支持者だった人が多いというのだから、絶望は深いのだろう。その危険性をマクロンは理解していない。
 
  今や、生き残るためには、市民の間で限られたパンを争わなければならない状況にまで至っているのだ。強い者に今日のパンを取られたら、より弱い者から奪わざるを得ない。市民間の収奪合戦は、政治が機能していない証拠だ。
 
    
カット8ユーロの理容院

 
「個人主義」の裏で無実化する多様性
 
  私にはフランス情勢を語れるほどの知識はない。しかし、93年、移民排斥法の「パスクワ法案」が通ろうとしていたとき、シャンゼリゼ通りで何時間も続いたパリっ子の抗議行動には感動した。そこには、一緒に生きていくのだという空気があった。
 
  今のパリは、デモにこそたくさんの人が集まるが、社会は完全に分断されている。かつてアメリカで言われた「人種のサラダボウル」のように、多様な人々がオイルやソルト、ビネガーで交わりながら美味しい一皿を作り上げるのではなく、まるで大小のボールがたくさん入ったガチャ(カプセルトイ)のようなものになったのだ。ボール同士はぶつかり合うだけで交わることはなく、そしてハンドルをどんなに回しても、大きなボールは穴から落ちない。
 
  落ちていく小さなボールを助けない根拠の一つとして、フランス人の大好きな「個人の自由」「プライバシー」というお題目が持ち出される。これこそ、他者への無関心を正当化できる魔法の杖なのだ。そこには公平な福祉も、人間愛としての社会包摂もない。
 
  肌の色の違う人が存在することだけは許すが、尊敬も理解もしたくない。いわんや、あこがれの対象などではない。イスラームが宗教の一つであることは認めるが、イスラームの文化や歴史を理解する気も、尊敬する気もまったくない。旧植民地の人たちの流入は宗主国としてしかたがないが、フランス社会が彼らに提供するのは二級市民としての扱いのみだ。気に入らないことがあれば、いつでも、それがフランスのルールだからと言えば決着がつく。
 
  無視して放置して、文句を言えば叩いて排除する。そうやって、大きなボール玉に入れる人たちは、己のパンを手にする。
 
  日本では今でも、「パリ」という名は特別な響きを持って受け止められている。しかし、フランスに来る多くの日本人女性が、イメージと現実とのあまりのギャップにより、いわゆる「パリシンドローム」と言われるメンタル不全を起こしている。
 
  風のない日のパリは、環境汚染のため上海よりも空気が悪くなる。これも、知っている人は少ない。
 
 
 
 
 
 
 
 

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著者略歴

  1. 辛淑玉

    1959年、東京生まれ。在日三世。人材育成コンサルタントとして企業研修などを行なう。ヘイト・スピーチに抗する市民団体「のりこえねっと」共同代表。2003年、第15回多田謡子反権力人権賞、2013年、エイボン女性賞受賞。著書に、『拉致と日本人』(蓮池透氏との対談、岩波書店)、『怒りの方法』『悪あがきのすすめ』(岩波新書)、『鬼哭啾啾』(解放出版社)、『差別と日本人』(野中広務氏との対談、角川書店)など多数。

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