スペイン カタルーニャの闘い
権利か、特権か
スペインのカタルーニャで、タクシーのストに遭遇した。
市内すべてのタクシーが使えない。観光客などは駅で足止め状態。しかも、メインストリートにタクシーを大量に駐めて通行止めまでやっている。
公共交通機関は動いているので市民はなんとかなるだろうが、荷物を抱えたよそ者はマジで大変だった。で、ストって、ここまでやらなきゃ交渉にならんのだろうなぁと、あらためて思った。
ストの主な理由は、ウーバーなどの携帯端末を使った配車サービスへの反対。まさに、世界規模で始まっている市場争奪戦に対抗する、地元民の生活をかけた闘いだった。
利用者からすればウーバーは確かに便利だろうが、便利なら何でもいいという発想は、ヨーローッパでは一般的ではない。ドイツなど「サービス砂漠」と言われて久しいくらいだ。
日本人通訳とスペイン人通訳の訳し方の違いも面白かった。タクシー組合側が、ウーバー利用者は配車を1時間待たなければならないという条件を出したのに対して、これを日本人通訳はタクシー運転手の「特権」と訳し、スペイン人通訳は「権利」と訳した。利用客から見ればタクシー運転手の主張は傲慢に映るかもしれないが、どちら側から物事を見るかで、見えるものは違ってくる。
初めて訪れた国でいきなり大規模ストに遭遇して緊張したが、ストは社会に絶えずあるもの、という感覚が社会をまともにしているのだなぁ、と感じたものだ。
カタルーニャ独立運動への弾圧
カタルーニャ市街に飾られた黄色いリボン
さて、本題。
カタルーニャでは、街のあちこちにイエローリボンが掲げられている。拘束されている独立派の政治家への支持と、その釈放を求めるものだ。
カタルーニャをめぐる状況は、構造的には沖縄と似ている。経済的に自立できる状態で、社会的に発展もしている。また、ここにはスペインとは異なる文化があり、スペイン政府の抑圧の下で、長い間独立が叫ばれてきたのだ。
昨年、スペインの侵略によってバルセロナが陥落した日である9月11日には100万人のデモが行われ、その様子が世界をかけめぐった。
これらは、ラホイ国民党政権による中央集権化政策によって、自分たちのことを自分たちで決められないという状況が強まり、独立を求める機運がさらに高まったことを知らしめた。
カタルーニャでは、2017年に独立の是非を問う住民投票が行なわれ、投票率4割、賛成9割の結果が出て、独立支持派が勝った。
しかし、その後のスペイン政府の弾圧は凄まじかった。おそらく、1975年のスペイン民主化以来の最大の騒乱だろう。スペイン中央政府は独立要求を力で押え込んだ。独立派の州首相たちは近隣諸国に亡命したが、その保護は充分ではなかった。その間、自治権は停止され、中央政府は州政府幹部らを更迭して直接統治に乗り出した。亡命した政治家たちも次々に捕まり、州議会の議席は空席のままだ。
そう、まさにファシズムの嵐が吹き荒れているのだ。
そして、沖縄
フランコが共和国を内戦で倒して作ったファシズム国家としてのスペインが第二次大戦後も存在し続けたこと、さらに、70年代末、改憲で民主制に移行したとはいえ、ファシズム政党が名前を変えただけで今日まで残存し、ついに選挙で政権に返り咲いたことが、スペインという国を底知れぬ闇に落とし込んだと言える。ファシスト特有の残虐性がこの国の内部にはひそんでいて、こういう局面になるとそれが頭をもたげるのだ。
同時にそれは、日本の姿を鏡に写したようでもあった。岸信介に代表されるような戦争犯罪人が冷戦下で公職に復帰して権力を握り続け、今もその孫が政権の座にあって辺野古で暴力的な弾圧を続けている。民意を示すための県民投票まで国家総動員で邪魔する始末だ。
カタルーニャには、地中海の各地に領地を持ち、交易で栄えた王国だったという栄光の歴史がある。カタルーニャ人は帝国スペイン人とはずいぶん異なった世界観を持っているし、経済力も大きく、カタルーニャからの租税収入がスペイン全体を支えていると言ってもいいほどだ。スペインにとって、カタルーニャは金の卵そのものだろう。
沖縄も同じように、かつては海上交易で栄えた王国だった。さらに、それが軍事力を肥大化させた帝国日本によって侵略され、併合支配されたという歴史がある。いまでは、沖縄は政権にとっての軍事利権の草刈場になったと言っても過言ではないだろう。
基地を押し付けられ、民意が一顧だにされない沖縄の闘いが、カタルーニャの闘いと重なって見える。